第二章 21
頭上から振り注ぐ銃弾の雨から、真は一切反撃をせず、ひたすら逃げ回っていた。
「弾切れを狙っているんですか? 残弾もそれなりにありますよ。逃げてばかりいないで、いちかばちか私を狙ってみたらどうです?」
霊を操る疲労で額に汗をにじませながらも、弓男は挑発する。霊の数は問題無い。だが、現在用いている霊は恨みの度合いが低いため、行使するのが辛い。
海外の戦場において、弾圧され続けて死んだ者達を悪霊化して扱うのは容易いが、死の概念が身近な日本人であるが故か、殺した者への恨みも乏しく、そうした霊を強引に悪霊化して使役しているがために、弓男の体力と精神力の消耗が激しくなっている。
霊で取り囲み、四方八方から蜂の巣にしたいところだが、真もそれを警戒しているようで、囲まれまいとしてうまく逃げている。
小刻みにバックステップしつつ、霊に背を向けることは無く向かい合ったままの格好で、銃撃をかわしながら後方へと、真は移動を続けている。その間にこっそりと、ショットガンの弾を散弾から別の弾へと変える。
「そろそろか。うまい具合に固まってくれた」
それまで逃げに徹していた真が立ち止まり、懐から手榴弾を数個取り出した。
振り返り、霊達めがけて全ての手榴弾を放り投げ、コンテナの陰へと飛び込む。
空中で起こる爆発。もちろん霊がこれでダメージを被るはずもない。が、彼等が持つ銃器はあくまで物質である。爆破によって破壊されて使い物にならなくなるし、そうでなくても霊の手から吹き飛ばされてしまう。
「そうきましたか……」
苦しげな表情で、しかし無理して笑みを浮かべて呻く弓男。切り札がいともあっさりと打ち破られ、絶望感に打ちひしがれる。
「んー、勝負あったかなー」
美香に拘束されたままの格好で純子が呟いた。
「決着がついたな!」
そうは言うものの、美香は純子の拘束を緩めない。
霊達が霧状になり、さらには靄状になって消えた。結界を張る護符を持つうえに、常人をはるかに上回る精神力を持つ真には、霊を憑依させる試みが困難なのは承知済みだ。牽制程度にはなるだろうが、弓男一人では大した効果は見込めないだろう。弓男には打つ手が無くなった。
「安易に手に入れた力に頼っている奴の末路なんて、皆こんなもんだ」
弓男に冷たい眼差しを向けて言い放つ真。
「お前だけ特別なわけじゃない。お前らマウスは皆こうだ。皆こうして僕に負けてきた」
その言葉が弓男のプライドを傷つける。いつの間にか二人称があんたからお前になっているし、そのうえその他大勢の雑魚の一人扱い。力に頼って溺れた小物扱い。
後者は特に一番弓男が言われたくなかった。今まで言われた事など無かった。何の異能の力も持たない人間に、己の力が引けをとる事など無かったし、考えられなかったからだ。だが今現在、その有り得ない状況が現実となっている。
弓男の方へと向かってゆっくり歩を進めていく真。
弓男も銃を構え、真に向かって撃つ。勝てる見込みは無いが、諦める気は無い。どんな状況に陥ろうとも最後まで戦って死ぬと、十年前に銃を手にした時にすでに決めてある。
真はあっさりと銃弾をかわして、ショットガンの銃口を弓男へと向ける。
そこで弓男は気がついた。最初に会ったあの時のように、真から一切の殺気が感じられないことを。
真が引き金に力をこめる。
引き金を引く瞬間と銃口の向きによる弾道を見て取り、横っ跳びに回避を試みる弓男。だが真もその動きを読んでいた。引き金を引くと見せかけて、弓男が回避を行ったのを見届けてから、銃口を弓男に向けなおし、瞬時に銃を固定する。
床を蹴った後の、回避直後のタイミング。回避不能のタイミング。それを見計らって、今度こそ引き金を引いた。
「弓男ォ!」
鷹彦が思わず叫んだ。弓男の体が大きく吹き飛ぶ。
――が、血飛沫は上がらない。真は散弾から暴徒鎮圧用のゴム弾へと、霊から逃げている間に入れ替えていた。
弓男は凄まじい衝撃を胸に喰らって吹き飛び、近くのコンテナに打ちつけられ、眼鏡を床に落とし、そのまま白目を剥いて意識を失った。
「これ、威力ありすぎじゃないか?」
派手に吹き飛び、口から泡を吹いて昏倒している弓男を見て、真は心なしか呆れた響きの声をあげる。
「んー、随分とあっさりやっつけちゃったもんだねー。しかも殺さずにうまいこと倒してくれるなんて。ありがたやありがたや。さ、回収しようか」
美香に取り押さえられたまま、純子が嬉しそうに告げる。
「お前のためじゃない。それにもうこいつの力とやらは十分見ただろ? これ以上いじる必要も無い」
喜びの声をあげる純子の方へと向き、弓男をかばうかのような格好で、油断無い姿勢を取る真。
「えー、そりゃないよー」
口を尖らせる純子に、真がショットガンの銃口を向ける。
「遊びはこの辺で終わらせておいた方がスマートじゃないか? それにこいつはもう少し放し飼いにしておけば、より力を磨くと思うぞ。そうすれば殺さないようにした僕の努力も浮かばれるが、お前がここでこいつを何が何でもとっ捕まえて、持ち帰って実験なり解剖なりして遊びたいっていうんなら、僕がやったことも台無しになる。お前の中の美学とやらではどうだ? 僕と美香の努力を台無しにしてでも、今こいつを力ずくで連れて帰るか?」
真の話を聞いているうちに、純子はいつもの笑顔へと戻る。
「あはは、うまいこと言うようになったねえ、真君。もういいよー、美香ちゃん」
けりがついたと見なして、美香が純子の上から降りた。
「助かったのか……俺達。負けちまったけれどよ」
頭を押さえながら、鷹彦は失神している弓男を薄目で見る。自分達が完全な敗北を喫したのは初めての経験だ。
「あっけなく負けたもんだぜ。まあ生きていられただけ、よしとするかね」
ほっと一息つく鷹彦。
「んー、生き延びることができた理由は、他ならぬ君達の成果だと思うよー」
純子が鷹彦の前でしゃがみこみ、応急処置を施しながら告げる。
「君達が革命家として世界中で活動しているのを知って、真君と美香ちゃんが君達のことを随分と気に入ったみたいだったからねぇ。正義の味方ってのは子供の憧れなんだよ。それにさあ、真君は私の邪魔をよくするけれど、ここまで誰かをかばうのは珍しいことなんだよね。それなのに強引に真君と美香ちゃんを退けて、意地でも回収するってのも確かに見苦しいしさー」
「そうかよ。ありがとさんっ」
「応!」
鷹彦が真と美香の方に顔を向けて礼を述べる。美香は親指を立てて笑って応えたが、真は見向きもせずに工房を出て行く。
「弓男もあいつを気に入っていたみたいだけどよ、どこが可愛いんだか」
「んー、あの素っ気無さがいいんだよー」
苦笑いをこぼす鷹彦に、純子が屈託の無い笑顔を向けて言った。
***
裏通りの息のかかった病院に入院していた蔵は、裏通りの情報サイト凍結の太陽を見て、破竹の憩いが壊滅したことを知った。
(全ては無能な私のせいだ)
大きく息を吸い、鞄の中から銃を取り出す。多くの部下を失い、自分だけのうのうと生きて生き恥を晒すことなどできない。
(バチが当たったんだな……)
裏通りの組織となり、顔も名前も知らない誰かを傷つける武器兵器を作って、それで安泰を得る。
誰かを食い物として、悪となった者が生き残る世の中だというなら、せめて自分達が生き残るためにそうしようと考えたが、結局悪は悪であり、お天道様は見逃さなかったのかと考え、皮肉げに笑う。
(しかしそれなら、本当に自分のことだけしか考えず、法にこそ触れないが、人を使い捨ての駒のようにして利を貪っている奴等も、ちゃんと裁いてほしいものだよ。法に触れなければ、何をやっても悪にならないというわけではないだろう)
苦々しい想いでそんなことを思うが、もうどうにもならない。自分は結局失敗した。結局敗北者となった。
(私が無能だったが故に、いや……それ以前に、触れてはいけない領域に手を出したが故にもたらされた結果だ)
自分の行いを悔いてはいない。しかし力が足らなかったのが悔しい。守りたかった者達を死なせてしまったことが申し訳なくて仕方がない。あの世に行っても、地獄に落ちる前に彼等に直接謝りたいと考えながら、ゆっくりと銃口を己の口へともっていく。
「蔵さん、起きてるー?」
銃口を口にあてた時、ノックと共に耳に心地よい少女の声がかかる。
「あんた何しとんねん!」
ノックに反応して、同室に入院していた丸眼鏡をかけた中年の患者が、拳銃自殺しようとしていた蔵の姿に気がつき、声をあげる。
その声を訝った純子が、ドアを開ける。銃を自分に向けた蔵の姿を見るなり、無言で蔵へと歩み寄り、無造作な動作で銃を取り上げた。
「どういうつもりだ? あんたの手で殺さないと気がすまないか?」
蔵が静かな声で問いかける。
「んー、それはこっちのセリフだよー。命を粗末にするものじゃないよー」
「せや。何があったか知らんが、死んだらあかんっ」
純子と丸眼鏡患者が続けざまに責めるような口調で言う。
「私の無能が組織の壊滅を招き、皆を死なせた。それなのにトップの私に生き延びろと言うのか? 私には無理だ……」
「いいじゃない、生き延びたって。運がよかったってことでさー。それに破竹の憩いの人も、結構生き延びて逃げ出せたんだよー。重傷を負った人も、皆病院に送っておいたよ。本来なら敵対した組織ってことで、全員私の実験台にする所なんだけど、まあ今回は特別にね。いや、そもそも喜一君が皆悪いってことにしとこー」
部下は皆殺しにされたと思っていたので、純子の言葉が本当ならかなり救われるが、それでも組織はもう壊滅したし、部下を何人も死なせたのも事実だ。
「どうしても気が済まなくて、命の投げ捨てをしたいんだったら、その命さー、私にくれないかなあ? 自殺なんてもったいないよー。実験台はいくらあっても足りないし、やりたいこといっぱいあるんだよねー」
「そのために止めたのか。うん……それでもいいな。それで頼むよ」
乾いた笑みを浮かべ、蔵は自暴自棄気な気分で、純子の実験台となることを受け入れた。
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