第二章 15

 蔵大輔はかつて表通りの住人であり、組立加工の小さな工場の経営を行っていた。

 下請けばかりを行う中小企業ながらも、起業してから数年の間は順調だったが、次第に経営は苦しくなっていった。


 頭を抱えていた時、蔵はテレビのニュースで、あるアメリカの大企業で大規模なリストラがあった話を見た。その企業の経営者は全世界の長者番付でも上位に入る人物で、社員の多くを低賃金で酷使し、幾度となくリストラを繰り返していることで有名だった。

 蔵にはその人物が、まるで悪魔のような、とてつもなく禍々しい存在に思えて仕方なかった。蔵からしてみれば、自分の工場に勤める社員を一人として首を切りたくないし、出来ることならもっと楽をさせてやりたいと思うし、給料も上げてやりたいと願っている。


「お前はそんなんだから駄目なんだよ」


 大学時代の同級生で、蔵よりずっと成功している経営者である友人が、蔵の状況と愚痴を聞いて、おかしそうに笑った。


「成功している経営者ってのはな、すげー貪欲で上昇志向激しくて、他人をモノぐらいにしか思ってないサイコパスな奴が多いんだぜ? 人を徹底的に利用するような奴や、手段を選ばない奴ほど強い。皮肉な話だけど、そんな奴の会社の下で働く方が、食っていけるんだ。お前みたいな人のいい奴だと、失敗して社員を路頭に迷わしちゃうってな」


 その話は真理の一面をついていると認めたが、だからこそ蔵としては悔しく、腹立たしい想いだった。

 そもそもその友人は口ではそんなことを言いつつも、自分の会社の社員を大事に扱っている。それでいてなお、そんなことを口にしている。


(つまり私には、理想を貫くほどの経営手腕は無い。力が無い。そして……人を食い物にするような奴の方が強い。そういう奴が勝つ……か)


 現実は最後に悪が勝つようにできている。力を持っている者は大抵が悪。蔵は次第にそんなことを思うようになり、自分程度の経営者が、社員の首を切らずに済ませるためという名目で、会社を裏通りの組織へと作り変える事を決断した


 その後、蔵は武器密造密売組織という、蔵の価値観からすれば悪の極みのような組織へと転身した。社員達にも納得させた。

 自分達の作ったもので、どこかの誰かが傷ついて死ぬ。しかしそれによって自分達は食っていける。社員を切ることは出来ないが、全然関係の無い者達が殺しあう分には構わないとして。


 自分達の作った武器で人が死んでいることは、意識さえしなければ良心の呵責も生じない。まず自分達が生きるためと正当化すればだが、引け目も感じずに済む。

 だが自分達の作った武器で人が殺されている場面は、見たくはないと蔵は思う。もしそれを見たら、この仕事を辞めてしまいそうだ。自分でも卑怯だとは思うが、それが蔵の正直な気持ちだった。


 蔵の組織はそれなりに成功し、一つだった工場が四つに増えた。新しい構成員達も増えた。新開発のBC兵器は全世界に注目され、組織が飛躍するチャンスとも思われた。

 しかし、悪になった方が強い――悪こそが生き残れると思っていた蔵の価値観を、根底から覆す事態が発生した。

 正義の味方を名乗る者達が、蔵の組織を遥かに凌ぐ力をもってして、悪である自分達を滅ぼしにかかってきているのだ。正義感などという、失うだけで得られる物は何も無い動機でもって。


***


 悪夢のような会食を終え、蔵はアジトに帰り、すぐさま柿沼を自室へ呼び出した。


「相沢真を殺すように仕向けたのは、お前の差し金か」


 柿沼が入室するなり、生き残ったボディーガードを背後に従え、椅子に腰かけたまま蔵は厳しい表情で問う。


「……ええ、そうですが?」


 数秒ほど逡巡したものの、口の片端だけを大きく吊り上げて歪な笑みを見せ、柿沼は認めた。


「相沢真は死ななかった。そしてこちらの差し金だと言ってきた。うちの者が二人ほど殺され、私も殺されそうになった」

「いやはや、それは大変でしたね。御無事で何よりです」


 淡々と述べる蔵に、柿沼は慇懃無礼な態度で返す。どう見ても開き直っていると見てとり、蔵は警戒した。いつ牙を剥いてくるかわからない。


「何故私に無許可でそんなことをした? 一応、理由だけは聞いてやる」


 怒りを押し殺して冷静になるよう努めているが、実際の所もう抑える必要も無い。すでに目の前の軽率な男の死刑執行を、蔵は心に決めている。


「当然でしょう? 雪岡純子の唯一の守護者である相沢真を殺してしまえば、いつでも雪岡を殺せる。そのチャンスがあったからこそ踏み切ったんだ。しかも月那と天野もまとめて屠れる機会だった」

 へらへらと笑ったまま、傲然と言い放つ柿沼。


「こちらにとって味方である人物を殺す理由の説明をしろと言っている。しかもそれすら失敗していたら話にならんだろう」


 蔵が立ち上がる。柿沼はズボンのポケットに手を入れ、歪な笑顔のまま、しかし蔵に対して敵意に満ちた視線をぶつけている。


「レッドトーメンターの改造許可も取らなかったそうじゃないか。無断で改造して、名前までも拝借して勝手に販売。雪岡純子という危険人物に対してこの行い、私は責任者として、彼女に殺されても全く不思議ではないな。いや、そうなってくれれば、お前にとっては喜ばしい展開というわけかね?」

「なあ……人の価値とは何だと思う?」


 突然口調を豹変させて、脈絡の無い問いをぶつける柿沼。


「たとえ尊敬されていなくてもいい――多くの人間を従えさせる地位と立場を得て、それらを動かしていく。どれだけ多くの人間を従えられるか、それらを使ってどれだけ大きなことができるか。それが最も人としての価値の高さであると、俺は思う。それ以外には無い。少なくとも俺は価値を感じない。魅力を感じない」


 野心を露わにし、自分に酔いしれた口調で語る柿沼。蔵はそんな柿沼に対し、心底軽蔑した視線をぶつける。


「お前みたいな心の貧しい奴は、お山の大将になって威張り散らすだけで、それで気持ちがいいんだろう。だがな……人の上に立つ者は、責任というものもあるんだよ。そんな当たり前の事すらわからない時点で、お前にその器は無い。まあ、お前みたいなのをナンバー2にした私は、確かに無能だったがな」

「いや、有能だよ。俺の才能を正当に評価してくれたんだから!」


 ポケットの中に仕込んでおいた小型拳銃を撃つ柿沼。銃弾が蔵のスーツに仕込まれていた防弾繊維を貫き、腹部に血が滲む。


「才能? お前は自分に才能があるなんて過信していたのか?」


 蔵が横倒れに崩れ落ち、苦しげな顔で嘲った。


 ボディーガードが銃を抜こうとしたが、すでにポケットの中で銃を構えている柿沼の方が早かった。蔵同様に腹部を撃たれて倒れる。


「はははははっ、今日からここの頭は俺だ。これが一番手っ取り早くて利口な手だな。前ボスを殺した雪岡純子への仇は、俺が討っておきますよ。うん、いいシナリオだぜっ。そして雪岡純子すら倒した組織ということで、組織の名と評価はあがり、注文も殺到、と。どうです? 無能な前ボスさんよ。あんたの作ったショボい組織は、この先必ずや俺の力でもっと強大な組織へと生まれ変わりますよ。わははははははっ」


 柿沼が蔵を見下ろし、得意満面で勝ち誇る。


「そんなにうまくいくわけがないだろう」


 その直後、ドアが開かれ、心なしか呆れた響きの声が発せられる。現れたのは拳銃を片手で構えた相沢真だった。

 振り返った柿沼の目が驚愕と恐怖に見開く。銃口を柿沼に向けたまま、真は室内にと足を踏み入れる。


「やれやれ柿沼君、君って男は……」

「というわけで、今の場面見ちゃった私達が、ばっちり証人なんだけどー」


 さらに福田、純子の順に室内へと入ってくる。柿沼はバックをとられた格好になった。

 逃げ場はない。後ろから銃を突きつけられた格好なので、立ち回る事もかなわない。そもそもこの人数相手に立ち回る事自体、土台無理な話である。


「致命傷ではありませんな。さてさて、これからボスの命をお救いする私の給料、大幅にあげていただけるんでしょうなあ?」

「福田、お前って奴は……」


 蔵の応急処置を行いながら、悪戯っぽい笑みを浮かべて冗談を口にする福田に、蒼ざめた顔で、それでも笑みをこぼす蔵だった。


「さてとー。いろいろとやってくれちゃったみたいだけれどー」


 満面に屈託の無い笑みをうかべ、柿沼の肩を背後からぽんと叩く純子。


「ユキオカブランドの類似商品の販売。ユキオカブランドの無断改造。真君と私の殺害未遂。素晴らしいねー。ここまで私にいろいろやってくれた子は久し振りだし、称賛に値すると思うんだー。うん、皮肉じゃなくてさー。その行動力だけはすごいと思うよー。後のことを全く考えてないのがとっても残念賞だけどねえ」


 恐怖にひきつる柿沼に、にこにこと笑いながら告げる純子という構図を見て、蔵は傍で見ていて薄ら寒いものを感じる。


「何よりひどいのは、蔵さんを騙して罪なすりつけようとしたうえに蔵さんを撃った事と、付き合っていた子をウイルスの実験台にして殺した事だけどさ」


 蔵の件はともかく、後者の件を何故純子が知っているのか、柿沼からしてみれば謎であった。


「助けてくれ! 称賛に値するなら使ってくれ! 俺はいろいろと役に立つ男だ!」

「もちろんそのつもりだよー。だから殺さずに捕まえるつもりなんだし」


 柿沼の命乞いを、屈託の無い笑顔のままあっさりと受け入れる純子。それを聞いて一瞬意外そうな顔になる蔵だったが、すぐその意図に気がついた。この可愛らしいマッドサイエンティストが、自分と敵対した者をこれまでどう扱ってきたかを考えれば、自然と行き着く答えだ。


「私にお願いする代償は私の実験台になること。私に敵対した人も、私のルールでは実験台にしていいってことになっているし、うんうん、丁度いいね。君も自分の口で承知してくれたし、いやー、本当に嬉しいよー。君みたいな我の強い子ってのは、いい成果あげてくれることが多いしねえ」


(使ってくれと言った結果がこれだよ)


 苦痛に顔を歪めながらも、この痛快な運びに蔵は嘲笑を浮かべた。

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