第二章 16

 弓男達はその日、昼間は自由行動にして、夜に美香と会う予定となっていた。


 日が暮れ、弓男と鷹彦は安楽市絶好町繁華街へと訪れる。

 タスマニア島に棲息していた黒い有袋類の絵が描かれた扉を開き、弓男と鷹彦は裏通り専門のバーへと入っていく。ちなみに店名にもなっている動物は、二十一世紀後半に入った現在では、野生種の絶滅が確認されている。


「で、どんな話をするわけよ」

 美香の向かいに腰を下ろし、鷹彦が尋ねる。


「もう一人が来るまで待ってくれ! 私に不審の念を抱いているだろうから、隠している事も全てこの場で打ち明けるつもりだ!」


 鋭い眼差しを鷹彦と弓男に交互に向ける美香。


「最初に重大な隠し事をした時点で、もう信用に値しませんけれどねー。ま、一応聞くだけ聞いてから判断するとしましょか。で、もう一名とは私達の知っている人ですか?」

「応! つい昨日会っている! お、来たぞ!」


 美香が向けた視線の先に、弓男と鷹彦が振り返る。昨日三人がかりで殺し合いに興じた、制服姿の小柄な少年が、こちらの席に近づいてきた。


「純子に悟られてないか!?」

「悟られているかもしれないが、今あいつは動かないだろう。丁度新しい実験台を手に入れたんで、そっちで遊ぶのに忙しいみたいだしな」


 美香の問いに答えると、美香の隣に腰を下ろし、弓男の方を向く真。


「真実を全て教えようと思って、ここに来た」

 弓男を見据えて真は告げる。


「えっとね、月那さんは敵じゃないと言っていましたけれど、果たしてそれを信じちゃってよいのでしょうかねえ?」


 真と向かい合う形となった弓男が、不敵な笑いを浮かべて身を乗り出し、真の顔を間近で覗き込む。


「話を聞いてから判断してくれればいい」


 抑揚の無い声でそう言われ、弓男の笑みが照れ笑いへと変わる。つい今しがた、自分で口にした言葉だ。


「まず天野弓男、あんたがどうしてここに呼びよせられたか、それに関して話しておくよ」

「は? 何ですかそれは。私は別に呼ばれたわけでは――」

「そう仕組まれたんだよ。あんたの意志と全然無関係というわけでもないけどな」


 弓男の言葉を遮り、断言する真。


「あんたにバナラ共和国でドンパチするように仕向け、バナラがレッドトーメンター改を使用すれば、あんたがBC兵器を販売した組織まで喧嘩を売る可能性も期待して、雪岡は破竹の憩いとバナラを引き合わせた。自分の手がけたマウスの性格も、あいつは把握している。ついでに言うと居場所もな。全てのマウスの体内にはGPS受信機が埋め込まれているし」

「マウスって、弓男のことか」


 と、鷹彦。その言葉が何を示すかは聞かずともわかるが、何となく口にしてみた。


「ふーむ、私は未だに純子ちゃんの実験台のままってわけですか」

「そうだ。あんたと同じような、放し飼いのマウスのストックは世界中にいる。何百、あるいは何千か? 人手が欲しい時や、単純に遊びたい時に、雪岡がそれらを動かしてゲームの駒にするが、あんたの場合は少し特殊なニュアンスも混じっていて厄介なんだ。放し飼いにしたマウスが予想外に進化した場合、再び雪岡の興味の対象となる。あるいは与えた力がとびきり強い者は、最初からそれを見越して、いろいろと目をかけてやったうえで放し飼い、というケースもあるな」


 真の話を聞いているうちに、弓男の顔からは笑みが消え、いつもの柔らかい表情ではなく、非常に険しい顔つきになっていた。


「破竹の憩いとの抗争は、あんたの力がどれだけ進化したかを観察するために用意された舞台だ。破竹の憩いは、雪岡に敵視されるに足る行為をいろいろ行っていたし、利用するには丁度いい。観察が済んだ後には、あんたを捕まえて実験したり解剖したりと、ろくでもないことをするつもりだろう」

「ほっほー、それはそれは、確かにとってもろくでもないですね。ええ」


 軽口を叩く一方で、内心ではかなりの衝撃を受けている弓男。

 弓男の脳裏に十年前の純子の言葉が蘇る。『見込みがある』『後々面白いことになる』純子のあの言葉が、真が口にしたことと結びつく。


「しかしその話は、結構無理があるんじゃないですかねえ? 大雑把で不確定要素がありすぎというか。BC兵器を作った組織まで潰すために、私が日本に来る保障など無いでしょ?」

「あいつはそういう不確定要素だらけなシナリオが好みなんだ。相手を絶対に自分の思い通りに動かすとか、そういうのは好まない。ある程度の下準備を整え、舞台を用意し、後は相手任せといった所だな。ある程度思い通りになってくれたらいいな程度に、留めておくという感じだよ。舞台に上がって、脚本から外れて自由に踊れば、余計にあいつを喜ばせる。でも今あんたは、雪岡の思い通りに舞台に上がってしまい、概ね脚本通りに踊っている最中だな」


 真の話を聞いて、弓男は愕然とする。全ての舞台は自分のためにあり、自分が主役で踊っているつもりだった。だがその舞台に脚本や監督が存在するなど、考えたことはない。

 しかも今現在、脚本兼監督兼観客が存在し、弓男が躍る舞台を楽しんでいるという。自分が密かに恐れていたことが思い違いではなかったことを知り、弓男は衝撃を受けていた。


「得た力を失いでもしないかぎり、あんたは一生雪岡の研究素材のままだぞ。力を求める代償として、自分の命をあいつに自由に扱われる契約を結んだろう?」

「ええ、そうですが……。最初に改造されて、それで終わりだと思っていましたよ? 悪魔と契約した者は、今際の際に悪魔に魂を地獄に引きずりこまれようとしても、神様に救いを求めれば大抵助かってしまい、悪魔は舌打ちして地獄に帰っていくって話を聞いたことがあるんですが、彼女の場合は駄目ですかね、これ」

「さっさと逃げればいい。僕も協力する」


 ポーカーフェイスのまま弓男をじっと見つめ、思いもよらぬ言葉を口にする真。


「お前の言葉を信じられる保障は? いや、根拠は? あれ? この場合根拠と保障、どっちが正しいんだ? いや、とにかく、信じられる何かはあるのか?」


 鷹彦が尋ねる。


「無いな。でも信じなければ嫌でもわかる」

 即答する真。


「何だかなー……。どうするよ、弓男。逃げるってんなら俺はそれでもいいぜ」


 鷹彦が弓男の方を見て尋ねたが、弓男はかぶりを振る。


「えっと、今すぐ逃げる決断をするってのはね、やっぱりね、無理だと思うんですよ、これ。君の言葉もね、ほら、一応立場上は敵同士なんだから信じられる根拠とか薄いですし。それにね、仮にその話が本当なら断じて逃げるわけにはいかないですよっと」


 口調は柔らかだったが、強い決意を込めて弓男は言った。

 真の言葉が信じられる根拠が薄いと言ったのは、本音ではない。確かに根拠は薄いが、直感的に真の言ったことを信じている。


「マウスであることの呪縛を断ち切るつもりか? 雪岡を殺して」


 真がストレートに問う。その時、真の瞳に火が宿ったように、弓男には見えた。


「その話が事実であるならば、たとえ恩人であろうとね……ちょっと見過ごせませんね、これ。取りあえず会っていろいろ話したいです。ええ。いろいろね」


 正直、真の話が偽りであって欲しいとすら思うが、嘘を言っているようには見えない。また、マッドサイエンティスト雪岡純子の元々の評判からしても、その話はかなりの可能性で真実に思えてならない。


「今の私があるのは純子ちゃんのおかげなんですよ。私はあの子から、普通では得られない力を授かりました。自分を救ってくれた子だし、彼女のおかげで、その後に充実した面白い人生を送れているわけですからね。それに純子ちゃんのそうした行いで、大きな力を得て救われている人もいるんだし、恩義も感じています。でも、許せない」


 目の前にいる悪を――それも人の運命を遊び気分で操ろうとしている者など、たとえ恩義のある人物だろう見過ごせない。


「頭がファンタジーな輩が、雪岡の所にやってきて、自分の命をチップにして売り渡して安易に力を得ようとしたあげく、悲惨な目にあっているのを数えきれないほど見ているんで、僕はそれを肯定できない。何より、地味な努力や研鑽を行わず、いちかばちかで大きな力を得て有頂天になっているような輩、僕は断じて認めないしな」


 真のその言葉が、弓男の心に突き刺さった。正直かなり堪える台詞だ。ずっと弓男の中でも引っかかっていたものである。

 いじめられていた時、自分の力と勇気では立ち向かわず、ネット上の都市伝説であった雪岡純子という存在に心ときめかせ、常識世界から非常識世界への門をくぐったことは、結果としては悪くなかったが、それでも完全に納得しきっていたわけでもない。

 心のどこかに、後ろめたさのようなものがあった。その正体が、今の真の台詞で明らかになった気がした。


「馬鹿にするな!」


 不意に美香が叫んだ。いつもよりさらに激しい勢いで、明らかに怒気のこもった声で。周囲から注目の視線が注がれる。


「私のような変わり者が故に周りからいじめられ、からかわれ、異物扱いされれば、何かしら大きな力を手に入れて、見返してやりたくもなる! そういう気持ちが湧くのは自然な事だ! 実行するのもな!」

「なるほどね。君もそうだったんですか」


 この反応からして、美香も自分同様、純子の実験台となって超常の力を手にいれ、裏通りへと導かれた者であることを察する。真の言葉を借りれば、同じマウスなのだろうと。


「そうだ! 私も天野氏も、純子によって作られた正義の味方だ! だがそれが何だ! 私は何人もの困っている人を助けてきたし、その生き方を否定される謂れは無い! たとえ未だ私が純子の玩具だとしてもな!」


 美香の激白に、弓男は救われた気がした。純子との契約を弓男が引け目に思っていた一方で、美香は力強く前向きに肯定している。


「努力して社会の枠組みの中における力と強さを得ればいいのに、マッドサイエンティストに自らを差し出して、超常の力を得るという手段が駄目っつーのは、まあ正論だな」


 鷹彦がグラスを片手で弄びながら、口を挟んだ。


「でもさ、美香ちゃんが言ったように、リスクを伴っても即座に手に入るかもしれない、非常識な領域の力への魅力ってのも大きいだろ。俺も弓男の力見て羨ましいと思った事もあるしよ。ま、俺はチキンだから、純子の実験台にはならなかったけどな。でもまあ……社会に背を向けた人間や、虐げられている奴とか、生きることに絶望を抱いた者からすると、魅力的なんじゃないか? 楽にファンタジーな力を手に入れて、その力でもって望みをかなえるのは、チートでズルだと非難してーのかよ?」


 さらに鷹彦のこのフォローが、弓男にとって言葉にならないほど嬉しかった。


「非難したいわけでない。個人的に認めないと言っているだけだ。馬鹿にしているというほどでもないが、まあ、見下している部分はあるかな」

 と、真。


「どっちなんだよ」


 苦笑いをこぼし、グラスを呷る鷹彦。真も少しはわかってくれたと、鷹彦はこれで受けとっていた。


「その言い方に腹が立つ! 何様だ! 君は!」


 興奮して喚き散らす美香を、真はじっと見つめる。何を言いたいのかわからないが、何かを伝えようとしている真の澄んだ瞳を見て、美香は興奮と怒りが急速に冷めていく。


「まあ真面目に正義の味方しているあんた達のことは、そんなに馬鹿にはしていないよ。それどころか好感すら覚えている。雪岡はあんたら以外にも、何百人と正義の味方を量産してきた。怪人もだけどな。テレビの戦隊ものそのまんまな全身タイツな強化スーツを作って、それを雪岡に着せられて正義の味方している奴もいる。正義に酔っているだけのどうしょうもない馬鹿も多いんだが、あんた達はそういうわけではなく、確固とした信念をもっているのは、見ていてわかるよ」


 フォローするかのようの語る真。


「けなした後におだてるのかよ」

 それを鷹彦が笑顔で茶化す。


「動機が不純でも行いが良ければそれで良い! どういう経緯で力を得たかよりも、得た力で何をしたかの方が重要だろう!」

「全くその通りですね。そっちを見て判断してくださいよ。美香ちゃんなんかその結果として大成功し、多くの人をその歌で楽しませ、さらには裏通りでは表通り向けの始末屋として、多くの人達の助けになっているんですよ?」


 真を睨みつけて怒鳴る美香と、それに間髪をいれずに同意する弓男。

 弓男からすれば、自分と同じく雪岡研究所で力を手に入れうえ、かつて表通りの住人相手の始末屋として過ごしてきたため、美香にはかなり親近感を覚えるし、肩を持ってやりたくもなる。


「そういや前から美香に聞きたかったんだが、どうして表通りで成功しているのに、裏通りにもい続けるんだ?」


 流石に分が悪いと察し、そして彼等の言うことも一理あると認めたうえで、話題を変える真。


「いて悪いか!」


 まだ機嫌が悪いようで、美香の声も言葉も刺々しい。


「あまり音楽の世界とかよくわからないが、成功できるのなんて本当に一握りなんだろう?」

「だな!」

「なのに裏通りなんかに足突っ込んで、それで命落としたりとかしたら、勿体無い気もするんだが」


 真のその言葉に、弓男と鷹彦も同感だった。表通りの方を頑張ればよいのにと思う。


「私はお前が生きる世界に常に触れていたい! いや……今のはついうっかり! ミスだ! 本音だ! いやいや……何言ってるんだ私は! 誤爆だ!」


 顔を真っ赤にして必死に否定する美香。


「うわあ……デレタイムきたのかこれ」

「違う!」


 顔をしかめる鷹彦に、ムキになって否定する美香。


「そんな浮ついた理由なら余計にいる意味が無いな」

「ああ、わかってるさ。フラれたしな」


 うなだれ、声のトーンを落とす美香。


「失恋の傷みは僕もわかっているよ。どこかで吹っ切らないと」

「自分でも未練がましいとわかっているが、原因の当人に言われると堪えるもんだ。ていうか失恋したことあるのか?」

「なければこんなこと言わないよ」


 美香の問いに、真はそう答える。


「ひょっとして相手は純子?」


 鷹彦にそう問われたが、真は何も答えなかった。表情にも変化は無い。


(答えない、という事が答えになっているようにも見えますね、これ)


 真を見て、弓男はそう思って微笑みをこぼす。


「あっちもお前にホの字のようだし、どう見ても相思相愛なのに、随分とおかしな関係になっているようだな!」

「そうだな」


 美香の言葉に対し、どこか投げやりな感じになる真。


「まあ、それは置いといてよ、まだ聞きたいことがあるんだ」

 鷹彦が言う。


「一番の疑問だがよ。どうしてお前は協力しようとしてくれるわけ?」

「ゲームだよ」


 鷹彦の問いに、そう答える真。


「僕と雪岡の間のゲームだ。一応僕はあいつに仕えて、あいつの命令に従い、あいつを守る立場にいるが、気に入らない命令は極力聞かないようにしている。そういう場合は、あいつの望み通りにならないよう、邪魔するように心がけている。従っている振りをして、ここぞという所で裏切ってやることもある。それが僕とあいつの間でのゲームだ」

「あれま。私が純子ちゃんの実験台にされることが気に入らないってことですか? そりゃまたどうして?」


 おどけた口調で弓男。実の所もう尋ねるまでもなく、目の前の少年の性格を考えればわかる。彼もまた、曲がった事が嫌いなタイプだ。


「雪岡の行いが、たとえ雪岡の中では許されるルールでも、僕の中で許せない場合には邪魔をする。こう言い換えた答えでは駄目かな?」


 心なしか言いにくそうに答える真。

 純子に仕える立場でありながら、完全に服従しているわけではなく、獅子身中の虫にもなるという立場はわかったが、どうしてそういう関係に至ったか、その事情までは伺いしれないので、いまひとつ弓男と鷹彦にはピンとこない。


「あいつに踊らされているとわかったうえで、なお破竹の憩いを潰すつもりか?」


 真が初めてグラスに口をつけ、尋ねた。


「ま、バナラの人達の仇も取ってあげたいですしね。何度も言いますが、その話が本当かどうか確認したうえで、その呪縛を解きたいのでして。これ」


 別に真を信じていないわけではない。弓男は元から、自分で実際に確認したものしか信じないタチであるが故だ。


「なら僕も明日の襲撃はあんたらと一緒に行く。天野、あんたが雪岡に回収されないように監視する」

 真が申し出る。


「お、このちんちくりんが、お前を守ってくれるナイト様だとよ」


 鷹彦がからかい、弓男の頭の上にぽんと掌を置く。


「よかったじゃねーか、お前こいつのこと可愛い可愛い連呼して気にいっていたみたいだしよ、本望だろ」

「えっと、あのね……誤解されるようなことね、あまり言わないで欲しいんですが」


 鷹彦の言葉を聞いた瞬間、今までじっと弓男を見つめていた真が、あからさまに視線をそらしたのを見て、弓男は溜息をついた。

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