第二章 14
かつて天野弓男はここ安楽市を拠点として、裏通りの始末屋として活動していた。
「裏通りで生きるっていっても、どうすればいいんでしょ」
弓男は雪岡純子の実験協力によって力を得た後、彼女の手引きで裏通りへと堕ちる道を選んだものの、具体的にどうすればいいかなど何一つわからず、ストレートな疑問をぶつけた。
「ネットで雰囲気だけでも触れてみるといいよ。裏通り関連のサイトはいっぱいあるしさ。表通りの人達も興味本位で覗く人は多いけれど、裏通りの情報屋さんや情報組織が運営している会員制サイトなら、より有用な情報が見られるし。幾つか紹介してあげるよー」
親切にあれやれこれや面倒見てくれる純子であったが、弓男は不安になってきた。
「正義の味方するんじゃなかったのかな……」
そもそも裏通りの住人になる事そのものが、当初の趣旨からずれている気がする。
「裏通りのトラブルに、表通りの人が巻き込まれちゃうこともあるからさー、そうした人達を守ってあげるために、裏通りに身を置いて、裏通りのことをよく知ることが大事だよ」
「蛇の道は蛇、郷に入っては郷に従えってことですね。何というか、リアルな正義の味方って感じはしますね」
「能力だけに依存するのも不味いから、戦闘訓練の手ほどきもしてあげるよー。いくら超常の力をもっていても、銃の扱いや肉弾戦ができない子だと、すぐ死んじゃうしねー」
「何で僕にそんなに至れりつくせりしてくれるんでしょ?」
不思議に思って尋ねる弓男。もう契約は済んだはずだ。弓男も望み通り力を手に入れ、純子も弓男の体で人体実験を試すことができた。
「君は見込みあるからねー、特別だよ」
満面に笑みを広げて純子が告げる。あまりこういうおだて文句は信じない弓男であったが、純子のこのとびきり明るい笑顔で言われると、心が揺れてしまう。
会った時からずっとそうだ。笑顔を絶やさず、その場にいるだけで明るい空間を作り、暗澹たる気分で雪岡研究所に訪れた弓男も、気持ち的にかなり救われた。
「私は人を見る目には自信があるからねえ。見込みのある子には投資してあげた方が、後々面白い事になると思うからさぁ」
「何がどう面白い事になるんでしょ……」
純子が何を考えているのか、何のために自分をバックアップしてくれようとしているのか、その時は全く計り知れなかったが、そのおかげで後の自分があったことは確かであるし、自分に新たな命を吹き込んでくれたことに、感謝もしている。
だがその一方でずっとひっかかってもいた。純子は正義の味方としての自分を作ったものの、純子自身は正真正銘のマッドサイエンティストである。そんな人物がどうして、人を助ける生き方を弓男に促すのか?
その後しばらくの間、弓男と鷹彦は純子の元で訓練を受け、裏通りの知識も十分に仕入れてから、独立してフリーの始末屋を始めた。
彼等は実力こそあったものの、名声という部分が足りていなかった。また、名声を満たすための実績に恵まれる事も無かった。
始末屋と呼べば聞こえはいいが、彼等の主な仕事は、表通りの住人が裏通りに関わるトラブルに巻き込まれた際、その解決を行うというもので、ドンパチよりも交渉やアドバイスだけで済んでしまう事の方が多かった。
仕事はそれなりにあったものの、どれも地味なものばかりであり、派手にドンパチすることも大して無い。刺激に乏しく、退屈な日々が続いていた。
「もう五年か……。俺達完全にベテランだよな」
鷹彦が気の抜けた表情で言う。
「ちゃんと正義の味方はしていますよ。多くの人に感謝されています」
弓男も沈んだ面持ちで言う。
いい仕事はしていると思う。しかし充足感は全く無い。
「他人のためだけに生きなくてもいいんじゃないか? 他人のためにもなり、俺らも刺激を楽しめる、満足できる仕事。そういうのを選んでもいいんじゃないか?」
「そうですね」
鷹彦の言葉に、弓男は頷く。
そして二人は日本を去った。自分達の力をより活かせる場所、自分達がより満足できる場所、それでいて他人を救う正義の味方となれる生き方を求めて。
***
レストランから破竹の憩いのアジトに向かって、彼等の組織の車で戻る途中に、後部座席に座っていた真の携帯電話にメールが入った。
横に座っている純子の目を気にして、手の中で小さなサイズでホログラフィー・ディスプレイを投影し、文字を映す。この時代の携帯電話は、親指と人差し指の中に納まる程度のサイズなので、ディスプレイは空中に投影するしかない。
『私はすでに疑われてしまっている。君を撃てる隙があったのに撃たなかったからだ。どうしたらよいだろうか』
メールの相手は月那美香だった。
『今夜あたり、例の二人をタスマニアデビルに呼び出して、全てぶっちゃけるというのはどうだ? タイミング的にも丁度いい』
そう書いて返す。
「んー? 誰とメールしてるのぉ?」
隣に座っていた純子が興味津々に覗き込んでくる。
純子の方に目もくれずに、しかし素早く手を動かして目潰しをお見舞いする真。
「痛だだっ、ひどいよー、真君」
あまりに突然すぎたせいなのか、回避できずに目潰しを食らった純子が両目を押さえて、わざとらしい涙声で抗議する。
「至近距離からの銃撃はかわせて、目潰しはかわせないってのがわからないな」
「んー、真君の銃を撃つ気配はわかっちゃうもん」
それはそうだろうなと真も思う。表通りから裏通りへ堕ちたばかりの頃、最初に自分に銃の扱い方やら戦い方を教えたのは、他ならぬ純子だ。
『了解。純子の様子はどうだ?』
携帯電話に、美香からの返答と問いかけ。
『隣にいる。このメールが見られる心配は無い。僕とお前の裏切りに気付く素振りも無いな。たとえ見抜いていたとしても影響は無いと思う。僕と雪岡の間にしてみたらいつもの事だ。それと、破竹の憩いも内情がいろいろややこしいようで、今そのケリをつけに向かう所だ。もしかしたらその辺の都合で抜け出すのが遅れるかもしれない』
『了解。くれぐれも用心されたし』
美香からの返答を確認してから携帯電話をしまい、隣で涙をにじませて目をこすっている純子に視線を向ける。
「義眼じゃなかったのか? 痛みも感じるのか」
「そりゃそうだよー。痛覚って重要な感覚だからさあ、ちゃんとつけておくよー。普通の目と変わらないように作ってあるものー」
「知らなかった。ごめん」
真紅の瞳の周囲が充血しまくり、目そのものが真っ赤な状態になっている純子を見て、知らなかったとはいえやりすぎたと思い、真は謝罪した。
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