第一章 16

 マイク・レナードはホルマリン漬け大統領の大幹部という立場でありながら、自らも戯れにショーに出演するため、ホルマリン漬け大統領に会員登録している者達の間では知られた存在である。

 ショーと言っても、レナードが出演するショーは完全に一方的な虐殺ショーでしかない。レナードのショーを観る客も、レナードが人を殺すシーンを見て楽しむことを目当てに観ている。


『さあいよいよ、お待ちかね。我等ホルマリン漬け大統領の勇士、マイク・レナードの登場です!』


 リングの中央でタキシード姿の女性が、マイクに向かって高らかに告げると、照明が落ち、客席が沸く。おどろおどろしい入場テーマ曲と共に、上半身裸に道化の仮面をつけたレナードが花道に現れ、ゆっくりとリングへ向かっていく。

 ちなみに組織の者以外は、彼が組織の大幹部の一人だということを知らない。組織内の強者か、組織に雇われた者と思われている。


 リングにはタキシード姿の女性リングアナウンサーの他、八名の男女がすでに上がっている。彼等の年齢は十代後半から三十代までまちまち。日本人も多少はいるが、明らかに日本人ではない者の方が多い。

 全員、ヘルメットや刺つき肩パッドや胴鎧などに身を包み、釘バットや日本刀やモーニングスターや槍やフレイルといった得物を手にしている。

 武装状態の彼等と相対する格好で、徒手空拳のレナードがリングでアナウンスコールを待つ。


『赤コーナー、社会に背を向け働く事を拒んで幾星霜、とうとう親から人身売買で売りとばされてしまったニート八人衆~ッ!』


 八人の武装集団が何者であるかが凄くよくわかるアナウンスに、観客席が失笑で満ちる。


『青コーナー、今日も魅せますおどけますっ、肉体の悪魔、ビューティフルマッスルピエロ、マイク・レナードぉ!』


 観客から大歓声が沸き起こる。八名の男女はその盛り上がり方に引いてしまう。観客のリアクションからして、これから戦う対戦相手はここの常連なのであろうという事もわかる。

 目の前の人物を武装した八人がかりで倒せと、彼等は前もって伝えられている。全身しなやか筋肉で覆われたその身体は、確かに相当な強者と伺わせるが、常識的に考えて武装した八人に素手で勝てるはずがない。それ故に戸惑いがあった。


 ゴングが鳴る。それと同時に、八人の男女は得体の知れぬ寒気を感じた。

 寒気はレナードの方から発せられていた。悠然と佇む仮面の男から、形容しがたい禍々しいオーラが立ち上っている。その正体はすぐに分かった。

 レナードの胸や腹に、苦悶に満ちた形相の人の顔が無数に浮かび上がり、蠢いているのである。

 八人の中でも霊感の強い一名は、それらが悪霊であることを見抜き、他の七人以上に恐怖を覚え、真っ青になって全身を震わせていた。


 仮面の下から露出した口に、慄く八人を嘲るかのような笑みを浮かべると、レナードは最も近くにいた男めがけて一気に間合いを詰め、右手を手刀の形にして、男の喉元めがけて突きだした。

 男の首が胴体より分かたれて跳ね上がり、空中で激しく何回転かしてリングの上に落ちる。首が落ちてから二秒程の時を置いて、体の方が崩れ落ちる。その光景を見た観客達が歓声をあげる。


 他の七人は、一瞬何が起こったかわからなかった。素手で人の首をはねたという事実を目の当たりにしても、脳が素直にその光景を現実の出来事として受けいれられなかった。


 手近にいた硬直している男の腹部に蹴りをいれるレナード。

 金属製の鎧があっさりと歪んでへこみ、体をくの字に折り曲げ、リングの外まで吹き飛ばされる。リングの下に落下して、男は激しく血反吐を吐きながら痙攣する。


 残り六人が恐慌をきたす。元から乏しかった戦意をさらに無くしてへたりこむ者もいれば、やけくそ状態でレナードに向かって武器を振るう者もいたが、その後の展開も大体全て同じだ。人間のそれとは思えぬ瞬発力と膂力でもって、一方的な虐殺が展開される。


「許して……許して……」

 最後に残った女一人が、膝をついて泣き顔でレナードを見上げ、命乞いをする。


「安心してくだサーイ。私は女性に手をあげるような真似はしまセーン」


 レナードは女を見下ろしてにっこりと笑い、両手をひろげてみせる。


 直後、両手を広げた格好でレナードの足が目にも止まらぬ速度で動き、女の顎先を蹴り上げる。


「でも足はあげマース。ナンチャッテー、テヘペロ」


 昏倒して崩れ落ちた女に向かって言うと、レナードは高々と片手を上げて勝利のポーズをとる。


 宣言通り、最後の女だけは殺していない。気絶させただけだ。

 実際レナードは、女を直に手にかけて殺すのはあまり好みではなかった。女子供老人といった弱者を手にかけるのだけは、抵抗を感じてしまうだけの良心が残っている。

 しかし、今殺さなかったこの女がここで生き延びたところで、この組織に売られたからにはどうせこの先長生きはできないし、それもレナードは承知のうえであるが、自分が直接殺すのではなければどうでもいい。


 控え室に戻ったレナードは、そこで見知った顔の人物と遭遇した。とは言っても、その顔は自分同様に仮面で覆われていたが。

 控室でレナードの帰りを待っていた鳥を模した仮面を被ったスーツ姿の壮年の男は、レナードと同じ、ホルマリン漬け大統領の大幹部であった。


「おひさしュー。どうしまシター? こんな所におられるなンてー」

「今日の興業は、私の企画もあるのでね。マイクも来ているというので、挨拶に来ただけだよ」


 鳥の仮面の男の言葉に、レナードは胡散臭さを覚える。大幹部同士で、全員仲がいいというわけでもない。むしろこの鳥の仮面の男は、レナードとはウマのあわない人物だ。主義主張も対立する事が多い。


 数年前より組織のボスがほとんど顔を見せなくなってから、ホルマリン漬け大統領は、数人の大幹部達によって運営されているが、大幹部同士での争いを避けるために、組織の総意というものをなるべく決めず、大幹部同士で好き勝手に企画を作って、興業を行うスタイルとなっている。

 しかし組織全体の問題が生じた場合、大幹部達で話し合い、その際に意見が対立する事も多々ある。


「明日は君が担当している雪岡純子嬢との共演が、いよいよクライマックスといったところかな。少なくとも第七支部はこれで終わりだろう。第七支部までも潰されて、ずっと雪岡嬢の一人勝ち状態というのも、シリーズものとしてはバランスが悪いが」

 鳥の仮面の男が言った。


「だったら本腰入れて彼女を潰してしまえばいいのデス。そういう手もありマスよ?」


 それが組織の意向にそぐわぬことは承知のうえで、皮肉るレナード。


「彼女との共演によって利益を上げているのに、そんなことをする理由は無い。そのうえ本気でぶつかったら、こちらの損失も洒落にならんだろう」

「で、どうセヨと仰るのデス?」


 話していてレナードは、鳥の仮面の男が何を言いたそうで、遠慮しているのがわかった。何を言いたいのかも、レナードは察しがついている。


「私はわかっていますがネ。それでもはっきりと仰ってくれていいのデスヨ? 奥歯に物ぎゅうぎゅうヨクナイ」

「でははっきりと言おうか。他の大幹部の中には、雪岡との関わりを断ちたいと思う者もいるという話だよ」


 鳥の仮面の男が告げた。もちろんそれはレナードも知っている。現在の雪岡純子との関係に対し、肯定派と否定派がいるのだ。鳥の仮面の男は肯定派なので、それを自分に伝えづらかったのだろうとレナードは察する。

 レナード自身は雪岡純子との交渉役の担当をしつつも、積極的に関係を持とうという気も無ければ、拒絶したいとも考えていなかった。

 利用できる局面があれば互いに利用しあう、そんなドライな関係で良いという中立派だ。しかし中立派であるが故、組織の状況によってはどちらかに傾くという事も有り得る。


「あれだけ幾つも支部を潰されてしまってはな。いくら金銭上の利益をあげていても、面子は台無しだと考える者もいる。もっと深刻な問題は人手不足――いや、人員募集に支障が出るということだ。組織に属しても、雪岡純子との抗争ですぐ死んでしまうというムードになってしまうのは頂けない」

「確かにそうデスねー。では、第七支部の壊滅を一つの区切りとして、雪岡純子と手打ちを行うという方向でいってみマース」


 自分にしては珍しく、鳥の仮面の男の言葉に全面的に同意することができ、話がスムーズに進んだと思えたレナードであったが、


「果たして君に、雪岡嬢をそこまで御する事ができるかね?」


 挑発して煽るわけでもなく、純粋に疑問をぶつけてみせる鳥の仮面の男の言葉に、レナードは苛立ちを覚えた。


「私が無理だと考えるのデシタら、他の方に担当していただければいーじゃないデスか。元々雪岡と懇意の貴方とか」

「懇意だからこそ、私が担当しづらいんだ。反対派の目があるからな。中立派である君が適任だよ」


 承知のうえで皮肉ったレナードに、わかりきった答えを返す鳥の仮面の男。

 レナードから見てこの男の一番嫌な所は、物事を額面通りにしか受け取らない事だ。皮肉や冗談の類も真に受けてしまう事が多々あるため、会話をしていて苛立つことやシラける事が多い。


「ま、話はわかりマシタし、そういう方向でいってみますヨ」


 これ以上会話すると喧嘩になりそうだと判断し、レナードは一方的に話を切り上げる形で、シャワールームへと入っていった。


***


 雲塚家には古くからあるしきたりがあった。


 子供を最低三人は作る事。いなかったら養子を引き取ってでも三人にすること。そして一番出来の悪い子供を徹底的に差別して、他の子どもにやる気を起こさせる事だ。

 一番出来の悪い子がその標的になるが、最初に標的となった子は大抵そのまま標的から抜け出す事ができない。努力する事さえ放棄してしまう。


 晃の長女がまさにそうだった。晃の見ている前で怒鳴られ、叩かれ、食事も一人だけ差別されて、遊びに行く時も一人だけ連れていってもらえない。姉がそうやっていたぶられている事に、晃はぞっとしていた。

 そんな家だから、晃はもちろんのこと、兄弟の誰もが友人を家に連れてくる事などできなかった。

 それどころか、いつからか兄弟までも長女のことをいたぶるようになった。まるで両親にゴマをするかのように。晃は両親や兄弟の顔色を伺いつつも、その行為だけは断じて真似できなかった。


 晃の父親は雲塚の考えの信奉者であり、この家訓のおかげで――自身も出来の悪い兄弟の踏み台があったからこそ、立派な人間になれたと信じて疑っていない。

 晃の母親は、女は男に従順でなくてはならないという家訓を持つ家で育った箱入り娘であり、晃の父親はそういう相手を選んで、見合い結婚をした。

 晃の母親は最初こそ雲塚の家を異常と感じて抵抗も示していたが、やがて順応してしまい、雲塚の身内差別と虐待に積極的に臨むようになった。それが正しいことであると信じて。


 晃が七歳の時、姉が蒸発したことでその標的は晃へと変わった。晃も姉と同様に、抵抗する気力も無く、家庭内においては、一切口をきかない内気で暗い子供へと変貌を遂げた。家の外でのあの明朗快活な晃とは全く正反対で、十夜には絶対見せたくない姿だった。

 小学生時代は家族の理不尽な仕打ちに耐えながらも、己の不幸を仕方ないものとしてどこか諦めていた晃であるが、中学生になってからは、次第に考えが変わっていった。

 自分の家族はおかしい。残酷な家訓で身内を苦しめる最悪の家系だと意識し、晃は憎しみと怒りを募らせるようになっていった。


 晃は中学にあがってから妙に異性を意識するようになり、気に入った異性を手当たり次第に口説いてまわり、時として二股がばれて修羅場を引き起こすようになった。それはある人物を意識してのことである。

 安楽二中に伝わる伝説の不良相沢真が、学校内でハーレムを築いたなどという噂があったため、晃もそれを真似てみたのだ。

 結果はひどいもので、つきあった女に泣かれるわ殴られるわで、現実のハーレム化は難しいと晃は悟った。

 それほどまでに、晃は相沢真という会った事もない人物に憧れていた。破天荒な伝説の数々は元より、その後裏通りに堕ちて、そこで凄腕の殺し屋として名を轟かせているという話も知り、裏通り関連の情報を集めまくり、裏通りそのものにも憧れるようになる。


 裏通りへの憧れは、いつしか危険な衝動を晃にもたらした。自分を苦しめ、今まで多くの人間を苦しめた雲塚の悪しき伝統を断ち切りたいと。

 そして今その家訓を実行している悪魔達を殺してしまい、罪から逃れるために裏通りを利用すればいいのではないかと、そう真面目に考えるようになっていった。

 元々行動力は人一倍ある晃であったが、流石にそこまで踏み切るのも躊躇われた。だがそれも、虐待の蓄積が我慢の限界にさしかかるまでの、時間の問題であった。


 特にこれといったドラマチックなきっかけがあったわけでもない。ただ単純に、我慢の限界が訪れただけ。

 家族の仕打ちに耐えかねて、晃は両親の前で凄絶な笑みを浮かべて、こう一言呟いた。


「もう……そろそろ……いいよね?」


 晃の両親は、晃がこれまで笑った事など見たことが無いので、晃の頭がとうとうおかしくなったのかと疑った。


 晃の笑顔と言葉の意味を知り、両親は恐怖と絶望をたっぷりと味わいながら、散々に醜態をさらし、命乞いまでして、晃の手でその命を断ち切られた。兄弟も同様にその後を追った。

 晃は引き返せない一線を越えても、冷静そのものだった。

 自分がこれからやるべきことも、決めていた。事前に調べつくしていた。恐怖も後悔もなく、解放感があった。達成感があった。罪悪感などあろうはずもない。


 しかし一つだけどうしても気がかりなことがあった。

 親友である十夜のことだ。この事実を知った時、十夜は一体どう思うだろうか? それだけが気がかりだ。それだけを恐れる。十夜が自分を嫌ったり軽蔑したりしないだろうかと。


 雪岡研究所で流れたニュースによって、あっさりとその事がバレてしまったが、十夜が自分を軽蔑した様子が無い事に安堵する一方、それとは別に、十夜の様子が微妙におかしいことに、晃も気が付いていた。

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