第一章 14

 一晩明け、十夜と晃は研究所で朝食を取りながらテレビを見ていた。真と純子、それにあの無口な累という和服姿の金髪美少年も、同じテーブルについている。


 気がつくと十夜は雪岡研究所に戻っていた。猛烈に苦しくなって、血を吐いて倒れた所までは覚えている。

 純子の話によると、体にかかる負担の調整がうまく出来ていないせいとのことだが、プロレス技二つだけで血反吐を吐いて昏倒するとは、相当な調整不足ではないかと呆れ、かなり不安になる。


「十夜、本当に大丈夫なの?」


 顔を合わせた時から、ずっと心配そうな眼差しで十夜を見ている晃が声をかける。


「うん。すっかり回復したよ」


 十夜の言葉は嘘ではない。目が覚めたら心地よい寝起きであったし、今も体調には問題無い。


「うん。本当ならあの時死んでた所だけど、何とか余命三日くらいまでには伸ばしたから、もう大丈夫だよー。十夜君、あと三日の命を有意義に使おうねー」


 屈託の無い笑顔でそう告げた純子に、食事中だった三人の少年の動きが一斉に固まった。累だけが特に気にすることなく、黙々と食事を続けている。


 真がいちはやくその硬直から解き放たれ、立ち上がり、無言で銃を抜く。


「いやいやいや、ほんの冗談だってばぁ」

「お前が言うと全然冗談に聞こえないんだ」


 笑顔のまま片手を振る純子に、真が吐き捨て、銃を懐にしまって座りなおす。


 純子は冗談と言っていたが、十夜は純子の言葉が本当に冗談だったのかどうか疑っていた。何しろ、本気と冗談、正気と狂気が、常に混在するような人物だ。


「で、真面目な話だけれど、十夜君の体に重大な欠陥が見つかってねー。どうも力の制御がうまくいかなくてさあ、限界超えて暴走しちゃうかもなヤバい可能性があるみたいなんだー」

「いや……それは調整してくれたんじゃないの?」


 十夜が恐る恐る問う。


「ある程度はね。でも完全じゃあないんだよねえ。それをうまく十夜君自身で制御しないと、また体に大きな負担かけて倒れちゃうし、下手すれば死んじゃうから気をつけて欲しいかな。一応、あれこれいじって、リミッターがかかるようにはしたつもりだけれど、そのリミッターも容易く外れちゃいそうでねえ。うまく制御できるようになる薬もうつけれど、その薬には強烈な副作用があるから、その副作用を抑える薬もうつけれど、その薬にも別な副作用があるから、それも抑える薬をうって――」

「それ完全に死亡フラグじゃない? 十夜さ、もうその力は使わない方がいいよっ」


 純子の話の途中に晃が口を挟んだ。


「使うなって言われてもさ、今後裏通りで生きていくには、俺のこの力があってこそになるんじゃないか?」


 珍しくひどく不機嫌そうな晃を見て、十夜は訝る。


「いや、いいよ。いらない。僕が物凄く努力して強くなればいいし。借金だって返したから焦ることもない。やっぱり十夜のそれって何か違うよっ。認められない」


 すげなく言い切る晃に、むっとする十夜。


「俺がここに来て実験台になったのは晃のためだったんだぞ。それなのにそんな言い方無いだろ。羨ましいんなら同じ事すればいいじゃないか」


 ムキになってそう言ってから、己の幼稚な物言いに、十夜は決まりの悪さを覚える。


「嫉妬しているわけじゃない。僕の価値観からすると駄目なんだ。そういうのは認められないんだ」

「何でだよ。俺は晃だけにリスクを背負わせていたくなかったから、決断したんだぞ」


 思えば晃は最初から十夜の決断に否定的であったし、その後も頑なに態度を変えようとはしない。それが十夜には理解できないし、不服でもあった。


「お前は見所があるな。僕と同じ考えのようだし」


 晃の方を向いて発した真の言葉が、十夜の怒りに油を注いだ。


「何の努力も無しに、安直に異能の力を手に入れようなんて考える輩が、僕は大嫌いなんでね。ここにはそういう奴等ばかり来るしさ。まあ、お前のように追い詰められてそうせざるえない事情の奴もいるし、そういうパターンを責めたりはしないが」


 さらに続けた言葉の最後で、十夜の方を向いてフォローする真。理解はしてくれているようだと思い、十夜も少し怒りが収まる。


「相沢先輩は改造とかはされてないの?」

 晃が真の方を見て訊ねる。


「真君は晃君と同じ考えなんだよねー。ここに住むようになってからも、努力して得た力以外は認められないっていうからさあ、私が戦闘訓練とか拷問訓練とか拷問訓練とか拷問訓練みっちりしてあげたし。そのうえで、紛争地帯で傭兵経験とかもしてるし」

「そんなに拷問訓練が大事なのかよ……」


 楽しそうに語る純子に、呆れ顔で突っ込む晃。


「凄まじい内容だったぞ。何しろ体をばらばらにされて、神経も筋肉も骨も血管も内臓も露出されて、露出した神経や骨の断面や内臓器官を針で刺されるわ、紙やすりでこすられるわ、ハンマーで殴られるわ、電気流されるわ、火であぶられるわ、ガラスの破片で揉まれるわ、デコピンされるわ、おかしな液体かけられるわ――」

「ちょっと先輩、そんくらいでやめて。もうそれ以上言わなくていいからっ。聞いているだけで気分悪くなってくるーっ」


 淡々と拷問訓練内容を語る真を、晃が死にそうな形相で制する。


 十夜からすると、真が異能の力を得ず改造もされてもいないと言うのが、信じられなかった。どう見ても見た目の年齢が自分達と変わりない事に、説明がつかない。本来なら十代後半のはずだ。


「まあ、考えの相違は仕方ないとして、十夜の気持ちも少しは理解してやれ」

 晃をたしなめる真。


 その直後――


『次のニュースです。昨夜、安楽市内の住宅で一家四人の遺体が発見され、警察は殺人事件と断定しました。被害にあったのは、雲塚光明さん、雲塚夕子さん……』


 テレビから流れたニュースの内容に、晃が凍りつき、十夜も驚いて晃を見た。

 雲塚などという珍しい苗字。しかも同じ安楽市。そして一瞬硬直した晃が、自虐的な笑みを浮かべてテレビを眺めている。


『死亡したのは四日前と見られ――』


 晃が十夜に裏通りに堕ちようと促し、雪岡研究所へと訪れたのは三日前の話である。その事からも導き出される答えは一つだ。しかし妙な事があった。ニュースでは全く晃のことが触れられず終わってしまった。


 長年付き合っているが、十夜は晃の家へ行った事はない。家庭のことも全く聞いた事が無い。自分もあんな家庭だから一切話さなかった。互いに触れようとしなかったために、晃の家庭も問題があるのだろうと、察していた。


「よりによって家族だったのか。お前が殺した相手は」


 真が晃に憐憫の視線を向けて言った。その口ぶりからすると、晃がすでに誰かを殺していた事を見抜いていたかのように、十夜の耳には聞こえた。


「ああ、そうだよ。僕がやったんだ。あんな奴等死んで当然だしさっ。僕を苦しませるだけのために存在していたあんな奴等。僕をカタにはめようとして、気に入らなければ否定して、叩いて、罵って、叩いて、追い詰めて、差別して、無視して、罵って……死んで当然さ……」


 笑顔で語る晃。だがその笑みはいつもの溌剌としたものではない。憎悪と狂気がこびりついていた。十夜はこんな晃の顔を初めて見る。

 何か得体の知れない魔に取り憑かれたかのような晃の形相に、十夜は指先が冷たくなる感触を覚えながら、微かに震えていた。恐怖ではない。憐憫でも無い。十夜の中に沸き起こる感情は、共感と怒りであった。


「でも僕は捕まらないよ? 僕が五千万も借金したのはさ、僕の戸籍を消すためにかかった費用なんだよ。戸籍だけじゃなくて、僕の存在を出来うる限りの記録から抹消して、警察に捕まらないように手配するためにね。先輩と純子は知っているだろうけれど、裏通りにね、表通りで犯した犯罪をもみ消してくれる組織があるのさ。でもこれが出来るのは一回だけなんだって。今後調子にのって無差別に表通りの人間を殺したら、警察からも裏通りからも目をつけられるかもしれないって警告されたよ」


 裏通りの住人は多くの掟に縛られている。裏通りの住人同士で殺しあう程度ならともかく、表通りの住人を見境無く殺しすぎると御用になる。もちろん他の犯罪でもだ。


「殺した事情もしつこく聞かれたよ。組織のボスが気に入らないと思った犯罪だったら、どんなに金つまれても、もみ消しは引き受けないって言われた」


 それを引き受けたからには、晃が家族から相当な仕打ちを受けていたであろう事が伺える。それが何であるのか、十夜は具体的に知りたいと思わなかった。晃の痛みがそのまま自分の痛みとして降りかかってきそうで、怖かった。


「僕には姉ちゃんがいたんだ。でも僕が小さい頃に家出した。ま、あんな家、出ていって当然なんだけれどもね。でさ、ネットで裏通り関連見ていたら、姉ちゃんが裏通りの住人になっていたこと知ってさ。それからずっと裏通りに憧れていたんだ。もちろん相沢先輩の影響の方が強いけどね」


 そこまで言って、晃は十夜の方を見る。


「ねえ……十夜……。僕のこと、軽蔑する?」


 これまた今まで一度も見せたことのない、泣き出しそうな晃の顔に、十夜は驚いた。同時に、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


「僕、悪いことをした? 僕は全然罪悪感無いよ。あんな奴等殺されて当然なんだよ? あんな奴等を殺して何が悪いんだ? 殺して何……が悪いんだ?」

(じゃあ何でそんな泣きそうな顔してるんだよ)


 十夜はそう思ったが、口にはできなかった。


「知ってたんだ。十夜が僕と同じ事さ。十夜がひどい家にいる事……ずっと昔から知ってた。僕だけ知っててずるいよね。僕も十夜も生まれながらハズレを引いたって思ってた。でもこう考えられない? おかげでこの先の人生は当たりになるってさ。平凡な人生以外の選択肢を選べたのは、最初にハズレを引いたおかげだって」


 無理矢理な哀しいこじつけと感じた十夜だが、それも口にできない。


(そして晃は……晃にとって一番の、いや、唯一の心の拠り所である俺を誘ったんだ)


 そこまで思い至り、十夜はうつむいて歯を食いしばった。言いようの無い感情が渦巻き、泣きそうな顔だった晃よりも先に、涙が溢れ出す。


「だったら尚更俺は、純子から授かった力を手放すことはできないだろ」

 うつむいたまま力強い口調で十夜。


「これから先、二人で生きていくためにはさ。どんな力だって必要だろ」


 十夜の言葉を受け、晃も十夜に習うようにしてうつむく。うつむいたはずみで、その双眸から涙がぽろぽろと床に零れ落ちた。


 純子と真は、二人のやり取りを黙って聞きながら、二人から視線も外して食事を続けていた。気を利かせてくれていた事に十夜は感謝すると同時に、恥ずかしくなる。


(晃だけに業を背負わせはしない。俺も同じにならないと)


 隣で晃が声を押し殺して泣いているのを感じ取り、十夜は決意した。


(俺の決着でもある。俺の人生のスタートのはずれくじを清算してこないと)


 十夜から殺意が放たれている事に、真も純子も気付いていたが、やはり二人とも触れようとせず、無言で食事を続けていた。

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