第一章 9

 神田五郎は今年で二十二歳になる。

 高校に入学して二週間ほどで、気に入らない教師を半殺しにして中退。その後すぐ裏通りに堕ちて、小さな卸売組織『構成仏質』で働くこととなった。


 裏通りの卸売業は、ヤバいブツを仕入れたり保管や仲介等を行ったり、組織だけではなく個人にも積極的に販売を行う。当然危険も伴うし、縄張り争いも絶えない。

 神田が属していた組織も、神田が十九歳の時に、対立する卸売組織との抗争で消滅し、神田はフリーの身となった。

 フリーと言えば聞こえがいいが、実際はその日暮しに近いチンピラだ。裏通りにおける日雇いの仕事をこなし、時には恐喝や脅迫などの犯罪に手を染め、せしめた金はギャンブルですっていた。


 脅迫のネタはネットで見つける。情報組織やフリーの情報屋がそういった情報をちらつかせるので、それらのネタを買い取る。ガセネタやあまり役に立たないネタを掴まされることも多いが、それは毎度の事として諦めている。


 その日に神田が手に入れたのは、全く見たことの無い無名の情報屋から提供されたネタであった。無名の時点でいかがわしいが、稀に掘り出し物が手に入ることもある。神田はそうした博打が好きなので、試しにその情報を購入してみる。


 ネタの内容は中々上質だった。

 奥之村百貨店の会長が実は裏通りの住人であり、裏の商売で私服を肥やしているという話。

 その証拠として、ホルマリン漬け大統領の第七支部に出入りしている場面を撮影された動画が、証拠として収められていた。それも一度だけではない。頻繁に出入りしている様子が映されている。これは良い脅迫の材料となる。


 神田はその日のうちに奥之村百貨店へと向かった。


 普通なら事前に動画と脅迫文を送っておく所だが、どういうわけか情報を提供してくれた人物がそれをすでに実行し、後は実際に会ってゆするだけの段階まで話を進めてくれていた。

 自分では脅迫せず、情報を売るだけに留めた無名のタレコミ。おそらく個人的な恨みを持つ表通りの者ではないかと、神田は推察する。

 ここまでお膳立てが整えられているのは、脅迫慣れした神田にしてみれば、楽で美味しい仕事だ。


「阿古伊の遣いの者だが、奥村会長に会わせてもらえないか? アポは取ってあるはずだ」


 受付でそう告げると、神田はあっさりと奥へと通された。阿古伊とは情報提供者のハンドルネームであり、その名でアポを取ってあるという話だった。


 応接室に通されると、五十代過ぎのいかにも偉そうな恰幅のいい男が待ち構えていた。標的の奥村誠人だ。


「神田五郎。三年前に壊滅した卸売組織構成仏質の元構成員。現在は脅迫、恐喝を生業とする最底辺のチンピラ。罪状、私の時間をほんの数分割いた罪――といった所かね」


 汚いものでも見るかのような見下しきった視線を神田に投げつけ、奥村は朗読するかのような口調で言う。怯えた様子はまるでない。むしろ余裕綽々という態度なうえに、自分のことを調査済みだと、威嚇している。

 しかしその程度では神田もひるまない。自分は脅迫のプロだと自覚しているし、このような輩も今まで何度も見てきた。しかし最後はその尊大な態度もどこかへ消え失せ、泣き顔で屈してきた。声をあげて泣き喚きながら土下座する者までいたほどだ。社会的地位の高い者達が、底辺のチンピラ相手に、必死で許しを請い、言いなりになる瞬間は、神田の心をこのうえなく満たしてくれる。


「送った動画を見ただろ? あんたがホルマリン漬け大統領と繋がりのある証拠だ。あれに加えて、財界の人間らをあの狂った組織の客として積極的に呼び込んでいる証拠もある」


 ねちっこい口調で強請る神田であるが、奥村が動じた気配は無い。


「そうか。いくらでもバラしてくれ。バラせるものならな。まあ、先に私が君を別の意味でバラすわけだから、無理だとは思うがね」


 傲然と言い放った奥村に、神田は戦慄した。脅しではなく、明瞭な殺意が奥村から感じられたからだ。


「待てよ。俺だって馬鹿じゃない。何の保険も無く来たわけじゃないんだぜ? 俺をバラすような真似をしたら、この情報を握る阿古伊が黙ってないってことくらい、頭働かせろよな。阿古伊だけじゃない。俺が無事戻らなければネット上に自動的にこの情報が暴露される仕掛けだ」


 内心怖気づきながらも、必死に余裕ぶってみせ、神田は奥村の優位に立とうとする。

 実際その保険があったからこそ、こうしてわざわざ直接交渉に出向いたのだ。

 それくらいのこと、脅迫される相手も汲みとると信じて疑っていなかったが、いきなり自分を殺す前提の話へ持ってきた事に、驚きと焦りを禁じえない。


「月並みな台詞だが、冥土の土産に教えてやろう。私はホルマリン漬け大統領第七支部の支部長だ。表よりも裏の方が本業なんだ。表と裏、どちらかを捨てろと問われれば表を捨てるよ。もう少し情報の確認をしっかりすれば、それもわかる事なのだがね。それを怠ったのが命取りになったな」


 奥村が意地悪く告げた直後、応接室に黒服の男が数人なだれこんできて、たちまち神田を取り押さえた。

 神田の口元を抑え、首筋に注射針をうちこむ。ぐったりと動かなくなった神田の体を折りたたみ、車輪のついた巨大なジェラルミンケースに収納する。


「ショーに出演してくれる役者をただでゲットできて、得をしたよ」


 黒服達がケースを転がして部屋を出ていった所で、奥村は皮肉げに笑う。その直後、内線が鳴った。


『また阿古伊の遣いという方が来られています』


 告げられた内容に奥村は眉をひそめた。

 一人だけだと思ったら、他にも同じ内容で脅迫する者がいたのかと。少なくとも神田が来る前に連絡があった阿古伊なる者からは、神田のことしか聞いていない。

 神田同様に、部屋へ通すように告げる。


 やがて部屋に現れたのは、大きく見開いたギラつく目に、半開きにしたままの口、病的に痩せ細った体つきという、明らかにドラッグの中毒者と思われる男だった。先程の神田同様、相手の素性を調べたが、出てこない。完全に無名のチンピラだ。


「げへっ、げへへっ、あんたの秘密を知っているぜぇ……。げへへへ……あんた、ホルマリン漬け大統領と関わりがあるんだろぉぉぅ? げへっ、げへっ、げへげへっ……」


 へらへら笑いながら、男が譫言のように脅迫の文句を口にする。


 それに対し奥村は、今度は何も言葉を発することなく、部下をただ呼び寄せて、その男も神田同様に、黒服の男達によってケースに詰められて連れ去られた。


「ショーの役者二人目か。助かるな。うん」


 椅子に座り一服して、奥村はすっきりしない表情で嘯く。


 二人も立て続けに脅迫者が来たという事に違和感を覚える。

 阿古伊という人物は、遣いが二人いるとは告げていない。保険のために増やしたのだろうかと考えたが、脅迫の情報(ネタ)を複数に売り渡すという行為自体、おかしな話である。それは相手を追い詰めすぎる事になるし、搾り取れる金も一人当たりの分が減ってしまいかねないので、脅迫情報の譲渡は一人というのが、暗黙の了解であるはずだ。


 それから数分後――


『阿古伊の遣いという方が来られたのですが……』


 戸惑い気味の受付の声。立て続けに筋者らしき人物が会長の元に訪れているので、何か危険な雰囲気を感じ取っているのであろう。


「通せ。いや……待て。こちらから遣いを出す」

 受付に告げると、黒服の男達を呼びだす。


「もうここに通さなくていいから、阿古伊の遣いと名乗る者は全て回収しておけ」


 苛立ちを込めた口調で命じられ、黒服達は応接室を出て行った。


(何者だ……? 阿古伊とは)


 ここに来てようやく奥村は、これが異常事態であると認識し、阿古伊という者の存在に考えがいった。


 奥村に脅迫動画を送った阿古伊なる人物は、事前に自分の遣いとして神田を差し向けるとだけ告げてはいたが、実際には神田以外にも、遣いを名乗る者が続け様に何人も訪れている。

 何者か突き止めようにも、自らは安全圏に身を置き、脅迫に遣いを寄越す手口からして、現時点で正体を知るのは難しいと思われる。

 むしろ自分の裏の顔を暴露された時こそが、突き止めるチャンスだと考えていたものの、何人も遣いを寄越すという意味不明な行動に、不気味さを覚えずにはいられない。


『阿古伊という方が来ておられますが』


 またかと奥村が顔をしかめたが、受付の報告に、遣いという言葉が無かった事にすぐ気が付く。つまり遣いではなく、本人そのものが乗り込んできたということだ。

 ますます困惑する奥村。脅迫の代理を何人も立てて、そのうえで本人まで現れるなどという意味不明な行動。一体どういう意図があるのかさっぱりわからない。いや、まだ本人と限ったわけでもないが。


「ここに通せ。ここに通せ」

 受付と黒服の双方に命ずる。


「はじめましてー。私、雪岡純子っていう、そこいらに掃いて捨てるほどいる、しがないマッドサイエンティストだけれど、知ってるかなー?」


 弾んだ声と共に現れた人物に、奥村は口をあんぐり開けて仰天した。

 現在、奥村が管轄している第七支部と抗争している最中であるし、裏通りでも生ける伝説級の有名人であるし、組織とは古くから相対している間柄の人物である。


 ここで配下の黒服達を呼び出して捕獲させることも考えなかったわけではないが、単身でここに乗り込んでくるからには、それなりの力があるか、対策を備えているに違いないと踏み、慎重に対処する。


「な、なるほど、あれは君の仕業か。どういう意味があるんだ?」


 激しい苛立ちを覚えながらも、平静を装って尋ねる奥村。


「奥村さんがホルマリン漬け大統領の支部長だっていう情報教えてあげたら、喜んで飛び出していったみたいだねえ。あ、他にも何人かに教えてあげたけれど、気にしなくていいから。御挨拶程度のほんの贈り物だし、遠慮せずショーに使ってねー」


 こちらの行動を全て見透かした物言い。手のひらの上で踊らされているような気がして、奥村は苛立ちを募らせる一方で、恐怖も芽生え始めていた。


「真面目に答えてほしいものだ。ただの悪戯ということか?」

「二束のわらじを履いている人みたいだから、どっちがメインなのかなーと思ってさ。表の方だったら、他に教えた子達にストップかけるかわりに、裏の方を捨ててもらう感じで、私のお願いを聞いてもらうつもりだったけど」

「表通りと裏通りの顔、どちらを捨てるかと言われたら表だ。何の脅迫か知らないが、聞き入れるつもりはないな」


 どちらを捨てるにしても大変な損害だが、裏の方で得られる快楽は手放しがたい。それ以前に、組織を裏切るような真似をするとなれば、身の危険に関わる。


「そっかー、よかったー。もし表を取りたいって言ったら、勘弁してあげようと思ってたんだけど、裏の方が大事なら何も遠慮することないよねー。あ、ちなみにお願いっていうのは、私が考案するイベントをそのままやってほしかったんだけれど、無理ならいいや」

「趣味の悪い挨拶だ」

「おやー? 君達のレベルに合わせたつもりだったけれど、気に入らなかったかなー?」

「わかった。舌戦では君の勝ちだ」


 不快さを隠す事なく鼻をならし、吐き捨てる奥村。


「こっちはとびっきりのマウスを刺客として送り込むから、楽しい舞台をちゃんと用意しておいてねー。あ、君達の組織の有料サイトには私も登録しているし、一応お客様だから、どんなイベントになるか、楽しみにしてるよー。じゃ、レナードさんによろしくー」


 レナードとは、奥村の直属の上司にあたる大幹部の名だ。

 常に道化の仮面を被っている黒人だが、仮面を外した顔は奥村も見たことが無い。組織の者でもないのに、その大幹部が奥村の直属の上司であることも知っているという事をも、わざわざ純子は自分に伝えたのだ。これが何を意味するか、奥村にわからないはずがない。


「そいつはどうも! 今後ともどうぞ御贔屓に!」


 部屋を出て行く純子に、精一杯皮肉をこめて奥村は言い放つ。

 手の込んだ悪戯でおちょくられたことに、怒り心頭になり、同時に闘志が沸いてくるのを感じる。絶対にこの小娘をへこませてやると。もし出来れば生け捕りにし、嬲りものにしてやりたいとも考える。


「あ、そうだ」


 一旦部屋を出てから、純子がまた扉を開けて顔だけ覗かせる。虚をつかれた奥村はギョッとした。


「阿古伊ってのは私の苗字のアルファベットの逆読みね。気づいたー? じゃあねー」


(……YとUとKが足りないし、わからんわ)


 純子が首をひっこめてからワンテンポ置いた所で、奥村は憮然とした表情で、声に出さずに呟いた。


***


 先に研究所へ帰った十夜と晃は、研究所内にある射撃場へと連れて行かれ、真から銃の手ほどきを受けていた。


「もっとしっかり握って固定するんだ。撃つときにぶれないように。違う、そうじゃない。肘や腕全体で固定する意識で」


 運動神経も飲み込みも悪い十夜は、真から注意されっぱなしで、正直この訓練から早く解放されたかった。

 そもそも自分は純子より力を授かっているのだから、銃の扱いなど必要無いとも思えたが、自分のことを思って真面目に教授してくれる真に向かって、それをはっきり口にして拒否することも、悪いような気がしてできない。


「ねえねえ、相沢先輩。十夜の面倒ばかり見てずるくない? 僕の方も見てよー」


 指導を受けず黙々と銃を撃っていた晃がイヤーガードを外し、真と十夜の方に顔を向け、口を尖らせる。


「お前には昨日一通り基礎を教えたし、特に悪い部分も無いから、後は自分で考えて工夫して、修練に励め」

 そんな晃を素っ気なくあしらう真。


「修練とかちょっと格好いい響きだね」

「死にたくなければ日々の地道な鍛錬を怠らないことだ。ほんの少しの技量や集中力の欠落で、死に陥ることだってあるんだからな。己に妥協を許すな」

「死ぬ覚悟はできてるさ。裏通りに堕ちると決めたその時から。死なないで済めばそれに越したことないけれど」


 晃が口にした言葉に、真の雰囲気が変わったのを十夜も晃も見逃さなかった。呆れとも怒りともつかぬ表情が、一瞬であるが明らかに顔に浮かんでいた。


「死ぬ覚悟? 僕には無いぞ。そんな何の役にも立たないもの。常に僕が生き残るからな」

 真より厳しい視線をぶつけられて、晃はたじろぐ。


「どんな状況だろうと、たとえ百兆人に一人しか生き残れないサバイバルゲームをしようと、僕は最後まで生き残るつもりでいる。死の恐怖が無いわけじゃないが、それはできるだけ抑えるようにしている。お前達も、死の覚悟よりも生きるための執念を心にセットして、生き残ることを最優先に考えるようにしろ。無理はするな。危険を察知したら逃げていいんだ。現実はフィクションみたいにいかない。一人で複数の敵を相手に無双とか、そういうことはほとんど有り得ないからな。僕は例外として」


 これまでの抑揚に乏しい喋り方ではなく、かといって厳しい口調でもなく、丁寧に諭すように語る真。最後に付け加えた言葉に、十夜は吹きそうになったが。


「先輩がそう言うなら僕も考え改めるよ。常に死ぬ覚悟がある方が強くなれるんじゃないかと思っていたけれど、先輩の言うことの方がもっと強そうな感じがしたし」


 真の言葉に強い言霊と説得力を感じ、晃は素直に受け入れた。そのうえ目をきらきらと輝かせながら、真に熱を帯びた視線を送っている。

 晃が真に熱い視線を向けていることが、十夜は相変わらず気に入らなくて仕方ない。いつも自分の方だけを見ていた相棒だと思っていたのに、自分以外に意識がいっていることへの嫉妬と恐れが、ずっと十夜の中で渦巻いている。

 加えて言えば十夜は、晃が何故に真にここまで心酔しているのか理解できない。自分よりも大分背が低いチビでありながら、ぶっきらぼうで上から目線な発言が多い真に、正直あまり好い印象は無い。


 それよりも十夜からすれば、純子の方が余程インパクトがあるし、惹かれるものを感じていた。

 笑いながら人を殺す場面を見て、恐怖だけではなく、憧れのような感情を抱いてしまった。晃もいろいろとぶっ飛んだ奴だと思っていたが、純子のぶっ飛び加減は晃をはるかに超えている。


「偉そうに言った後でなんだけど、別に僕の言うこと全て鵜呑みにしろってわけでもないからな。参考にしてくれる程度でいい」


 真がいつもの淡々とした口調に戻るが、それ同時に目を泳がせて、きまりの悪い仕草をしたかのように、十夜と晃には見えた。


「いやー、僕は相沢先輩リスペクトしてたし、これからもしたいしさー。なんつーか僕が思い描いていた以上の存在だったもん」

「リスペクトしてたって、何をしたんだよ」

「相沢先輩の真似してハーレム作ろうと思ってさ、女子に声かけまくって、放課後に教室でいちゃついてたら、教師に見つかってすげー怒られたよ。自分達だって若い頃は遊んでたくせに、歳くったら若者にけしからんとか、若さへの嫉妬だよね」


 得意げに胸を張って語る晃。


「そりゃ怒られて当然だろ。大体、僕はハーレムなんか作ってないって言ってるだろ」

 すげなく否定する真。


「お喋りはいいから、訓練続けろよ。射撃が一通り終わったら。模擬戦をしよう。その後は近接戦闘の訓練だな」


 真に促され、十夜はイヤーガードをつけて再び銃を撃ち出す。


「昨日模擬戦やったけれど、先輩、本当化け物だったんだぜー。こっちの銃全然当たらないのに、こっちは当てられまくりでさーって……」


 晃が十夜に話しかけたが、すでにイヤーガードをして声が届いていないのを見て、晃も同様にイヤーガードをつけて射撃訓練を再開した。

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