第一章 10

 翌朝、十夜は筋肉痛に悩まされた。

 元々体力が無いのに、長時間に及ぶ射撃訓練、真との銃撃模擬戦、さらに近接戦闘の訓練や筋トレまでやらされて、ぼろぼろだった。

 十夜に施された肉体強化手術は、常に超人化するのではなく限定された代物であり、意識して力を発揮しようとしない時は、常人と変わらない。

 肉体に過度の負担を与えるので、不必要な時にほいほいと力を使わないようにと、純子に釘をさされてもいたので、トレーニングの際はこれまでの自分と変わらない状態で臨んでいた。


 十夜と晃は昨夜も雪岡研究所で夜を過ごした。帰宅したくない十夜には好都合であったが、いつまで泊めてもらえるのか不明であるし、そもそも晃の方は帰宅しなくて平気なのかと、気にかかる。


 朝食を終えると、十夜と晃は純子に連れられる形でタクシーへと乗り込んだ。真も一緒についてきている。

 いよいよ純子が敵対するという組織とのドンパチを行いに向かう。十夜は緊張しっぱなしで、隣にいる晃は興奮しっぱなしだった。

 十夜は大きな鞄を抱えている。晃に鞄の中身を尋ねられたが、答える気にはなれなかった。今答えなくても、どうせそのうち披露することになるのだ。この中にあるものこそ、純子が改造前に口にした、十夜にとって嬉しくないプレゼントの正体だ。


「お前まで来るって珍しいな。いつもは研究所に待機して高みの見物なのに」


 タクシーの前の席に座る純子に、真が声をかける。男子三人は後部座席にいる。


「配信される動画見るつもりだったけれどねえ。十夜君に付与した力が特殊だし、いまいち安定してないから、側にいてチェックしていた方がいいと思ってさー」


 純子が口にした安定していないという言葉に、十夜は不安を覚える。


「相手はあの空間使いのマウスなんだろ? どう考えてもこいつらには荷が重そうだと思うんだがな。いや、妖術師なら操霊術もありそうだし」


 真が純子に向かって言う。

 これから戦う敵がどういう存在なのか、真も純子も知っている様子であった。にも関わらず、十夜達にそれを前もって教えてくれる気配が無い。

 事前に少しでも情報をくれればいいのにと、不満と不信感を抱くが、何故それをしないのかと質問すれば、純子のことだから『その方が面白いから』と笑いながら言ってきそうな気がして、質問するのも躊躇われた。


「操霊術は厄介だけど、本体を叩けばいいという話ですよ。大体妖術師なんて本体はへなちょこなことが多いですし。もちろん雫野流は別として」


 明るい口調でそう答えたのは、白黒混じった髭面が印象的な初老のタクシードライバーだった。どうやら彼も裏通りの住人なようだ。


「空間使いとか妖術師とか、そんなのが敵なの? すげーなー、裏通りって。ハードボイルドな銃の撃ち合いの世界だとばかり思ってたのに、そんな魔法使いみたいなのまでいるんだ」


 晃が好奇心いっぱいに目を輝かせる。


「累君も妖術師なんだよー。しかも裏通りでも有名なね。ていうか日本の超常業界の歴史的人物クラスだし、興味あったら後で裏通りの住人用の情報サイトを調べてみるといいよー」

 と、純子。


 見た目は外人そのもので、大人しそうなあの少年が、妖術師などというわけのわからない存在だと言われ、全くイメージ的に合わないなと十夜は思う。


「妖術魔術呪術の類は、ン千年も昔からずーっと存在し続けていたんだよ。江戸時代辺りまでは、わりと身近な存在で、それらの存在を疑う人もいなかったけれど、十九世紀後半辺りからそうした超常の領域が、世界中でまやかし扱いされていってね。一部の特権階級な人達や、各国政府や、国家をも裏から操れる秘密結社なんかが、力を独占するために秘匿しちゃったんだ。まあそれにしたって情報化社会では、秘密にしておくのも無理になってきて、裏通りでは普通に認知されてきちゃったけどさあ」

「彼等はそれらを独占していたからこそ、権力を維持できたという部分もありますしな。しかし今や、輪廻転生、幽霊や死後の世界なんかのスピリチュアリティが、科学的に実証されてしまいましたしね、今までファンタジーだと思われた領域が、どんどんリアルになっていますよ」

「公的に明らかにされたのが十年前っていうだけの話でねー。実際には知っている人もいたんだよー」

「とはいえ、実際に見たことがないと、リアリティーに欠けますがね」


 交互に解説する純子とタクシードライバー。


 十年前、幽霊と死後の世界と輪廻転生が実在する事が科学的に証明され、それ以来、物理科学に変わる新たな可能性として、各国政府及び各企業で超常の領域の研究が目覚しいという話まであるのは、十夜も知っている。

 が、一般人がそれら超常の領域を御目にかかることはまず無いし、十夜はそれらの存在をずっと信じていなかった。


「よくある宗教観だけど、あの世こそが世界のベースで、この世は魂の修行の場っていう説が根強いけれど、それは本当なのかな?」

 十夜が純子に尋ねる。


「それは私にもわからないなー。あの世の知識をこちら側から知る術が限られているから。今のところ、宗教的な妄想や、スピリチュアリズムの領域から推測するしかできないよ。ただ、千年以上生きた私に言わせると、人格ってのは環境だけで形成されるんじゃなくて、輪廻より連なる魂の影響も大きいように見えるから、わりとその説で正しい気もするよ」


 さらりと口にした千年以上生きたという言葉に、十夜は絶句する。雪岡純子は不老不死で、少女の姿を保っているだけで実際は高齢という噂は聞いていたが、本人の口からそれを肯定するような言葉が出されるとは。


「千年以上って……マジでー?」

「うん、大マジ。累君も五百年くらい生きているしね。江戸時代の頃から日本にいたよ、私。それ以前はヨーロッパ各地を転々としていたけれどねー。あ、三十年前の米中大戦の時はアメリカの軍事施設にいたねー。戦時中って研究予算が青天井だし、いくらでも人体実験やらせてくれるから、本当戦争ってのは素晴らしいものだよねー。うん、戦争様々だね」


 胡散臭そうな顔になる晃に、純子は微笑みを張り付かせたままぺらぺらと語る。普通なら冗談としか受け取れない言葉だが、この少女が口にしている時点で、十夜には冗談に聞こえなかった。


***


 タクシーに乗ること十分弱――すぐ南は神奈川県という、安楽市の外れにまで来た四人は、高い塀で囲まれたビルの入り口で降りた。


 純子が先導する形で、開きっぱなしの門をくぐる四人。塀の中にはかなり広い庭があり、中央にあるビルは階数こそ高くないが、面積が広い。ビルには青くキラキラと輝く窓が張り巡らされている。

 この建物が、純子が抗争しているホルマリン漬け大統領という組織の第七支部らしい。そしてこれから十夜と晃で殴りこみをかける予定の場所だ。とは言っても、メインで戦うのは十夜で、晃はオマケのような扱いになっていた。


「ホルマリン漬け大統領は快楽提供組織だから、私との抗争をショーにして売り出してるし、私はマウスの性能テストができるわけだから、抗争することで互いに利益が得られる仕組みなんだー。実の所、向こうの大幹部とは裏で繋がっているし、顔馴染みだしねー」


 来る前には純子は、敵組織との関係をそう語っていた。ようするに命がけの八百長かと十夜は呆れた。

 さらに言うなら、実際に命をかけているのは純子自身では無い。敵の大幹部とやらも同様だ。


「何かあっさり進入しちゃってね?」


 敷地内に入ってしばらく歩いてから、晃が意外そうに呟く。十夜も同様の気分だった。もっと黒服の戦闘員が大量に現れ、激しい銃撃戦などを想像していたが、まるで人気が無い。


「すぐにお出迎えがあるだろ。って、来たか」


 真が言ったその時、庭の芝生がせりあがり、車一台が通れそうな穴が三つ現れる。

 何が出てくるのかと十夜と晃が身構えると、中から異形の存在が三体、姿を現した。

 ネットやテレビでならともかく、それを実物で見るのは十夜も晃も初めてだ。それは自然界には存在しえない生物達だった。


 5メートル近くにもなる巨体を持つ、淡い茶色の甲虫もどき。

 体中から針のような棘が生えた、長さ10メートル、胴回り1メートル以上はありそうな大蛇。

 剃った刃のようものが腹部から飛び出て、六本ある腕の下二本にナイフ、中二本に鉈をそれぞれ手にし、側頭部や後頭部に至るまでびっしりと無数の目で覆い尽くされた巨大猿。


 それらはバトルクリーチャーと呼ばれる生物兵器である。低コストで、対人兵器としては非常に有効で、短期間で量産可能なために、世界中の戦争紛争地帯で投入されているとの話だ。


 だがそれだけではない。甲虫もどきの頭部からは裸の男の人間の上半身が、蛇の顎の下には人間の頭部が、それぞれ生えている。猿は腹部の刃の下に人間の顔が浮かび上がっていた。


「あれって、まさか……人間を混ぜたの?」


 十夜が恐る恐る問う。

 バトルクリーチャーの製作に人間を混ぜるのは、国際法で禁止されているが、裏通りの組織ともあればお構いなしなのかもしれない。


「うん、そういうことだろうね。たった一日でバトルクリーチャーと人間を合成しちゃうなんて、ホルマリン漬け大統領にも、優秀なマッドサイエンティストがいるみたいだねえ」


 純子にしかわからないことであったが、彼等は純子にそそのかされて、奥村を脅迫しにいった三人であった。


「殺さないでくれえ。こいつが死ぬと、俺も死ぬらしいんだあ」


 猿と混ぜられた神田五郎が、泣きながら懇願する。


「ようするに混ぜられた奴等はただの興であって、こいつらがコントロールするわけではないんだな」


 神田の様子を見て、真はそう判断する。


「だろうねえ。まあ、元に戻すのも面倒だし、殺さなくてもバトルクリーチャーの寿命なんて短いし、殺さないで手加減てのも面倒だし、うん、気にせずやっつけちゃおう」


 屈託の無い笑みを満面にひろげ、非情なことを口にする純子。

 そこにわずかたりとも悪意が感じられないのが、十夜には恐ろしく思えた。昨日の隣のエルドラドの件といい、純子が悪逆非道な人物だという噂は間違ってなかった気がする。だが同時に、彼女のそんな無邪気な残酷さが、いちいち刺激的にも感じられる。


「ていうか、うっかりしてたけれど、変身に時間かかるよねー」

 十夜が手にした鞄に視線を落とす純子。


「変身?」


 晃が怪訝な声をあげる。十夜の改造は、変身はしないと言ってたのに、それも変更になったのかと勘繰る。十夜が化け物になって戦うのかと想像すると、あまりぞっとしない。


「真君、晃君、ちょっと時間を稼いであげて」

「おおっ、いきなり俺の出番!」


 指名されて、嬉しそうに銃を抜く晃。目の前に生ける殺人兵器が三体もいるというのに、恐怖は無いのだろうかと、十夜は晃の神経の太さに驚きを禁じえない。

 一方で十夜自身も、あまり恐怖を感じていない。目の前の化け物に負けて殺されるヴィジョンが全く見えない。自分の力の方が勝っていることを、本能的に理解してしまっている。


「お前は無理せず、僕の後ろから支援する動きに徹しろ。調子こいてとっとと死にたいのなら、勝手にしていい」


 真が両手にそれぞれ二挺の拳銃を携え、晃の前へと出る。


「ちぇっ。つかさー、あんな化け物に銃なんて効くの?」


 晃は真に従い、後方に下がって距離を取った。ライオンや熊などといった自然界の猛獣より、ずっとたちの悪い化け物を前にしているという事は、晃にもわかっている。


「昔、戦場で腐るほど相手にしてきたよ。こいつらは露払いだろうな。メインはきっとこの後だ」


 真が事も無げに言うと、銃口を正面にいる針大蛇へと向ける。

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