第一章 7

 診療台の上に寝かされ、全身麻酔と共に意識が途絶えた後、かなり長い間意識を失っていたように思える。

 純子の手術はその意識を失っている間に全て終わっていたらしい。

 十夜が長い眠りから目が覚めるとすでに朝だった。


 目覚めた十夜は、どのような改造手術が施され、どのような力が身についたか、全て純子から聞かされた。


「おおう、十夜、無事だったか! よかったー」


 リビングルームへと通され、テーブルを挟んで真と向かい合って座った晃が、十夜を朗らかな笑顔で迎える。テーブルの上には五人分の朝食が準備されていた。


 リビングには十夜と晃の知らない人物が一人いた。

 淡い金髪に、天使のような愛らしい容貌の、和服姿の美少年だ。身長や容姿からして、小学生高学年か、せいぜい中一くらいではないかと十夜は思ったが、人種的には白人のようなので、いまひとつ確信はもてない。

 十夜と晃を前にして、怯えたような眼差しを向けつつも、小さく頭を垂れてお辞儀をした。


「この子は累君。私や真君と一緒にこの研究所に住んでいるの。人見知り激しいけど、気にしないであげて」

「雫野累……です。始めまして……」


 累と呼ばれた少年が、か細い声で自己紹介する。十夜と晃も自己紹介を済ませる。

 純子といい真といいこの累といい、子供だけでこの研究所に住んでいるというのが、妙におかしく感じられる十夜だった。


「で、どんな改造手術をされたの? 肉体強化とか言ってたけど、どんな風に強化?」

「それは見てのお楽しみー。まあ、本当にただの強化なだけだよー。パワーとかスピードとかを超人的にしただけね。では、いただきますっと」


 尋ねる晃に、真の隣に座った純子が微笑みながら言い、膳の前で両手を合わせる。男子四人もそれに習うようにほぼ同時に「いただきます」をし、箸を手に取った。


「御飯食べ終わったら早速行こっかー。向こうもこっちが来るのを、待ち構えていると思うしさー」

「行くってどこに?」


 純子の言葉を訝り、十夜が尋ねる。


「んー、昨日言ったじゃなーい。私が君達に仕事を依頼して、それをこなす様子を映像に収めてネット上で配信して、名前を売るって。今丁度いいことに、私と敵対してて抗争真っ最中な組織があるから、それとドンパチしてもらおうかなー。十夜君の改造の成果を見るのも、実験に含まれるしねー」


 いくら力を手にいれたからといって、いきなり裏通りの組織と抗争しろなどと言われても、十夜には現実味に乏しい話に思えてならない。しかし純子は冗談で言っているわけではない。笑いながら、本気でそんな要求をしている。


「それより昨夜、こいつからふざけた話を聞いたんだ。そっちを先に片付けた方がいい」

 と、正面にいる晃を親指で指す真。


「臓器密売組織『安心切開』に売られる予定の内臓担保で借金の件な。よりによってあの悪質闇金組織、『隣のエルドラド』から借りたそうだ。しかも五千万円も」

「五千万……」


 晃の借金の金額を知り、十夜は呆気に取られる。


「何に使ったか大体想像できるが、たかが人一人の体をばらばらにした程度で支払いきれる額だと思うのか? 今の御時勢、人体売買なんてどんなに高くてもせいぜい一千万くらいだぞ?」


 そんな額を一体何に使ったのだろうと勘ぐる十夜。

 真は想像できると言うが、十夜には全く想像がつかない。少なくとも紹介料や銃の購買だけに、そんなにかかったとは思えないが。


「しかもそれだけじゃあない。お前が裏通りで働いて返すとなって、その可能性も有ると見なされれば、この先延々とまとわりつかれ、取り立てられる事になるぞ」

「じゃー、借金踏み倒しちゃえばいいじゃん。それだけの力を身に着けてさ」


 忠告する真に向かって、笑顔でそう返す晃。


「裏通りにだってルールはあるんだ。意外かもしれないが、ここは信用第一の世界だ。ルールを破った奴は相手にされなくなる危険性がある。さもなきゃ条件最悪な底辺の汚れ仕事ばかりしか声がかからなくなる。これからフリーの始末屋稼業しようって奴が、借金踏み倒しなんてもっての他だ。そんな奴を誰が信用して仕事を依頼する? ケリをつけるなら利子が膨らまない今のうちだな」


 相変わらず無表情のままだし、抑揚に乏しい口調であったが、真は本気で晃のことを案じ、諭しているように、十夜の目には映った。


「んー、真君の言う通りだねえ。先にそっちを片付けた方がいいかも」

 純子も顎に手を当て、真に同意する。


「そう言われても今そんな金無いし、どうすればいいのさー?」

 晃が純子の方を見て尋ねる。


「んー、取りあえず御飯食べたら、一緒に隣のエルドラドのアジトに行こっか」


 笑顔で純子が答えたが、この言葉に十夜は少し驚いた。

 つまり純子と共に行くということになるが、純子が晃の借金を肩代わりしてくれるということなのだろうか? そう考えて、十夜は不安になる。


「純子さん、ひょっとして借金肩代わりして、その見返りを晃に求めて、晃も実験台にするつもりなの?」

「えーっ、僕は実験台になんかなりたくないよっ。十夜には悪いけどさ」

「あはは、違う違う。そんなの強要しないよお。私は自分の意志で実験台志願してきた人と、私が敵と認識した人以外は、実験台にすることはないよ。それが絶対不変の私ルールだからねー。あと、私のことは呼び捨てでいいよ」


 恐る恐る問う十夜と、顔をしかめて拒否する晃に、笑って手を振る純子。


「んー、そうだねえ、無償で肩代わりってのもあれだし、その分仕事してもらうってことで、当初の依頼とこじつければいいんじゃないかなあ。私が晃君の借金を肩代わりして、その代金がホルマリン漬け大統領との抗争の肩代わり依頼、と。うん、これでうまく収まるよー」


 嬉しそうに一人で満足している純子に、十夜は疑問を覚える。

 十夜が小さい頃から知る雪岡純子の評判は、訪れた人間を実験台にして弄び、時として死に至らす悪魔的人物という代物であった。十夜もずっとそういうイメージを抱いていたのだが、実物は想像していたマッドサイエンティスト像とはかけ離れている。

 明るく優しくて、親切すぎるくらい親切だ。こうして話している限り、好印象はあっても悪印象は全く無い。


(どう考えてもいい人に見えるんだけどなあ。でもネットだと、どこ見ても希代の極悪人みたいな扱いだし、何なんだろう、このギャップは……)


 改造手術を自分に施したのも事実であるし、死ぬかもしれない危険な人体実験を施されたと口で言われたものの、今こうして無事に生きているせいもあって、実感が乏しい。


 十夜はあまり他人に親切にされたことがないし、晃以外の全ての人物を疑っていると言っても過言ではないくらい、人間不信なきらいがある。

 いつもの十夜なら、純子のその笑顔の裏に、何か悪い目論見があるのではないかと怪しむ所だが、純子がもし純然たる親切で協力してくれようとしているなら、怪しむ行為自体が悪いように思えてしまう。

 純子のことを信用してよいかどうか悩ましくはあったが、正直な気持ちを言えば、彼女を信じて頼りたかった。


***


「皆で僕の借金返しに行きましょう~。カタをつけに参りましょ。あ、そーれ」


 先頭を歩く晃が、スキップしながら嬉しそうに奇妙な鼻歌を口ずさむ。


「はしゃぎすぎた」


 晃と肩を並べて歩く真がたしなめる。相変わらずの無表情で、抑揚に欠ける喋り方の真だが、とりわけ寡黙というわけではない。


 十夜、晃、純子、真の四人は、晃が借金した裏通りの闇金組織、隣のエルドラドのアジトへと向かっていた。

 真の話によると、隣のエルドラドは金を貸した相手の骨の髄までしゃぶり尽くすために、裏通りの住人からさえも忌避される程の組織だという。交渉が決裂すれば、その際は戦闘も有りうるとの事である。

 累という少年は研究所で留守番だった。純子の話では、対人恐怖症なので昼間に外に出ることは滅多にないとのことだ。


「裏通りに堕ちる相手に金貸しをするケースも、奴等の常套手段だ。ハードボイルドに憧れる馬鹿な餓鬼に金を与え玩具を与え、その後裏通りに堕とした後でしつこく取り立てにくるんだ。そういう商売をしている悪質な組織さ。大抵の裏稼業は、普通のリーマンよりずっと収入もいいしな。それに加え、晃のようなケースも――」

「ちょっ、それ以上言わないでよっ!」


 真の言葉に晃が狼狽する。その反応がまた、十夜は気になる。真を口止めしながら、自分の方に視線を向けて焦っていた。明らかに十夜のことを意識した反応だ。

 晃には十夜には知られたくない何かよろしくない事情があって、それを真は知っている様子だ。晃が話したのか、それとも真が見抜いたのか。

 どちらであっても、自分は知らずに二人は知っている秘密があるという事を見てとり、十夜は激しい疎外感を味わった。こんな感情を覚えるのは初めてのことだ。


「そういう組織だから、金を払ってはいおしまいで済むかどうかは、実の所怪しいぞ。ドンパチに発展する可能性もある。でも話し合いで済めばそれに越したことはない。恫喝くらいはするかもしれないが、お前達はくれぐれも先走った真似はするなよ。ていうかお前達はただいるだけで、何もしなくていい」

「えー、そんなのつまんなーい。せっかく相沢先輩に特訓してもらったのにさー。派手にバトルしてみたいよー」


 わざとらしい上ずった口調で不服を口にする晃だが、本気で不服を訴えているというわけではなく、表情は明るいままだ。


「基本的な手ほどきをした程度だ。昨日も言っただろ。調子にのる奴ほど早死にすると」

「あれー? 昨日は僕みたいな天然は生き残るって言ってたじゃん」

「天然だろうと何だろうと、粋がったり調子こいたりする奴は長生きしない。お前はその調子こくタイプでもあるから、そういう意味では結構ヤバい。己を知っておくことだな」

「もー、説教ばっかりだなー。でも相沢先輩の言うことは、何だか全部すっごく説得力あって、受け入れられるよ。無能な先公共の説教とかとは全然違うっていうかー」


 憧れていた伝説の大先輩たる真と、心底楽しそうに会話を交わす晃。

 晃が自分以外の人間とあれだけ親しげにしている姿など、十夜はあまり見たことがない。学校で女子生徒を口説いている時も、あそこまで楽しそうではなかった。おまけに真のことをひどく慕っている様子である。

 晃を自分から取られたような気がして、十夜は真に対して、嫉妬にも似た感情を抱きはじめていた。


「不安~?」

 最後尾を歩いていた純子が、そんな十夜に声をかける。


「私と真君で解決するから、十夜君は心配することないよー。見物して楽しんでくれればいいからねえ。ていうか私だけで解決しちゃうかもだけどさあ」


 楽しむという言葉が引っかかる十夜。まるで一波乱ある事が確定であるかのようなニュアンスに受け取れた。

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