第一章 6

 真に連れられて、晃は個室へと案内された。畳六畳に卓袱台と座布団があるだけの簡素な和室だ。


「じゃあ」

 案内し終えてすぐに立ち去ろうとする真。


「あ、待ってよ。相沢先輩。せっかくだから話聞かせてよ。僕、先輩に憧れて裏通りに堕ちる決心したと言っても過言じゃないんだぜ」

「何の話をしろってんだ」


 晃に呼び止められ、真が足を止めて振り返る。


「どうして裏通りに堕ちたのかとか、どうやって裏通りでそんなに有名になったかとかさあ、興味あるよっ。参考にもしたいしー」

「何で僕がそんな話をお前にしなくちゃいけないんだ」


 嬉々として話しかけてくる晃に、真は面倒くさそうにため息をつく。


「えー? 同じ安楽二中の可愛い後輩じゃなーい」

「それしか縁無いだろ。しかも初対面だ」

「んじゃ、せめて裏通りでメジャーになる秘訣だけでも教えてよ」

「それに関しては雪岡が手配してくれるだろ。今まであいつは何人もここに来た裏通りの住人志願者を改造した後、裏通りデビューの売り込みも手伝ってきたからな。ただ――僕が言えることは、それ以前に生き残る事の方が重要だ。まあ、お前はわりとしぶとく生き残るか、あっさり死ぬかのどっちかだな」


 晃の横を通り抜け、部屋の中へと入って腰を下ろす真。それを見て晃はにんまりと笑い、素早い動作で真と向かい合って正座する。


「会っただけでそんなこともわかるのお? 性格にも向き不向きがあるのかな?」

「この世界でいろんな奴を見てきたけれど、生き残っている奴は、あくが強いというか、明るい奴や天然タイプが多い。逆にニヒリスト気取りや、ハードボイルドに酔いしれる奴は速攻で躓いて早死にする傾向だな。お前はその両方の性質を持っている感じがする」

「天然が生き残る理論がわかんないなー」


 天然呼ばわりされても、晃は笑いも怒りもしなかった。


「僕にもわからないが、実際そうだからな。第一、僕は有名になりたくて裏通りに堕ちたわけでもない。裏通りで有名になったのは、雪岡の下で働いていたら、結果として名が知られてしまったからだし」

「へー、でもそれってやっぱり相沢先輩が凄いって事だよね。うん、やっぱり僕が思った通りだったよ。嬉しいなー」

「よく初対面の相手にそこまで馴れ馴れしくできるなあ……」

「ずっと先輩のこと憧れてたもんだからさあ。会った事も無い後輩に勝手に憧れまくられるとか、嫌?」

「嫌じゃないけれど、変な気分だよ」


 天真爛漫を絵に描いたような晃のトークは、周囲の人間を和ませる。真も晃と接していて、気持ちが和らいでいくのを感じていた。


「一人で裏通りの組織を幾つも潰してるとか、映画の世界みたいな話も、うちの中学では有名だったよ。そうなりたいと思ったり憧れたりするのも自然じゃない? ぶっちゃけ僕、先輩に弟子入りしたい」


 純子の下へ命をチップ代わりに訪ねて来る者は、今まで数限りなく見てきた真であったが、自分に憧れ、ましてや弟子にしてくれという者は初めてだった。

 すげなく断るのも忍びないと真は思ったが、正直弟子を取るなど面倒くさいし、何より照れくさい。


「中学中退して裏通りの住人とか、本気でそんな人生したいのか?」

「えー? でも先輩だってそうじゃーん」

「一緒にするな。僕は中学中退した後、短い期間だったがちゃんと傭兵やって戦場でいろいろ学んでるんだ」

「先輩、傭兵は学歴じゃないと思うけど……」


 流石の晃も苦笑いを浮かべる。


「僕にしてみれば、学校の勉強なんかよりずっと有意義な学習だったがな。十歳にもなってない子供の兵士を殺しまくったのは、あまりいい思い出じゃないが」

「じゃあ僕も学校より有意義な学習したいから、先輩頼むよ。ねっねっ?」

「まあ少しくらいは面倒見てもいいか……」


 根負けし、真は折れた。


「わぁい、やりーっ! 夢にまで見たこの瞬間! いや、絶対かなうと信じてたけどね!」


 ガッツポーズを取り大袈裟に喜ぶ晃。

 無邪気で、何かと感情表現がストレートかつ大袈裟な晃に、実の所真は最初から好感を抱いていた。真自体がわけあって感情を表に中々出せないが故に、自分とは真逆の晃に惹かれる部分が強い。


「なら射撃場に行こう。基本から教えてやるよ。あと銃弾のかわし方もな」

「銃弾のかわし方あ?」


 立ち上がる真を見上げ、素っ頓狂な声をあげる晃。


「何だ、勉強不足だぞ。銃口の角度や、引き金を引く動きや、殺気が迸る瞬間を見極めて、弾をかわすテクニックは裏通りでは基本中の基本だ。『コンセント』っていう薬を飲んで、出来る芸当だ。僕は基本、飲まないけどな」


 コンセントの名は晃も知っていた。集中力を高める違法ドラッグで、裏通りで出回っているとは聞いていたが、その用途までは知らなかった。


「試しに飲んでみろ。唾液で溶けるから水はいらない」


 真が錠剤を一つ晃に差し出す。飲んですぐ効果が出るのだろうかと疑問に思いつつも、言われた通りに飲み込む。

 すると効き目はすぐに現れた。晃の頭が非常にクリアーな状態になり、意識が冴え渡る。


 おもむろに真が晃めがけて拳を振るう。こめかみを狙ったフックだが、晃は余裕を持って上体をひねってかわす。


「今のを薬無しでかわせたと思うか?」

「いや、無理でしょ。絶対無理。これ……すごい。かわすだけじゃなくて、当てることも楽にできそうな気がするし」


 珍しく冷静な口調で答える晃。普段なら興奮気味になる所だが、気持ちが落ち着いていて、感情も制御されている。だが全く興奮していないわけでもない。


「ドンパチになったら敵も同じくコンセント服用しているからな。それと、恐怖心も完全に消えるわけじゃない。多少抑えられるだけだ。あまり過信しないようにな」

「でもさー、先輩は何で飲まないの? てか飲まないのに何で持ってたの?」

「僕は薬に頼らなくても同じ芸ができるからな。何らかのアクシデントがあって思うように動けなくなった時のために、非常用に携帯してるだけだ。誰かが無くした時に手渡す事もできるだろう?」


 それだけ言うと、真は指でついてくるように合図して部屋を出る。晃はそれに従い、嬉しそうに真の後を追った。


***


 快楽提供組織『ホルマリン漬け大統領』の悪趣味なショーが終わった翌日、岸部凛は雇い主である奥村に呼び出された。


 豪奢な部屋には、おぞましい飾りつけがしてあった。


 壁一面に半身をめりこませた全裸の男女。それらは彫像ではなく全て本物の人間で、ちゃんと生きている。凛の来訪に合わせて瞳だけ動いているし、呼吸している気配も有る。

 巨大な植木鉢からは、植物の代わりにまだ十歳にも満たないであろう男の子の上半身が生えている。これも生きている。人種は不明だが、日本人ではない事だけはわかる。横を通り過ぎる凛に、すがるような表情を向けている。

 水槽の中には色とりどりの熱帯魚の他に、手足を根元から切断された全裸の女性が、酸素を送られているのであろうマスクをつけた状態で横たわっていた。これは全くノーリアクションであったが、きっと同様に生きた置物とされているのであろう。


 凛がこの部屋を訪れるのは二度目なので、それらを見ても何の感慨も無い。一度目は微かに眉をひそめたが、それだけだ。


「昨日のショー、反応は上々だよ。君のことも話題になっている」


 ホルマリン漬け大統領第七支部長の奥村が口を開く。

 生きた人間を飾りつけにするというこの悪趣味な部屋も、この男がレイアウトしたものだそうで、凛が最初に訪れた時に、本人が下卑た笑いを浮かべて自慢していた。


「人前での殺人の請負をしてくれる者は貴重デスネ。普通は嫌がりマスガ」


 その奥村とは別にいた、もう一人の方が口を開く。

 訛りのある喋り方からすると日本人ではない。ソファーに座り、宙に投影したホログラフィー・ディスプレイに目をやったまま、凛の方に視線も向けない。道化を模した仮面など被っている。仮面から露出した肌や頭髪を見た限り、黒人だとわかる。


「この方は私の上司だよ。本部の大幹部だ」


 奥村が凛に近寄り、告げる。

 言われるまでも無く、雰囲気や互いのポジションを見た限り奥村の部下では無いであろうと、凛は察していた。


「大勢の前でショーにされて、動画も配信さレル。そんな場で自分の能力まで披露してくれるのはヨイが、今後君の仕事がやりにくくなったりはしないのデスカ?」

 仮面の男が落ち着いた口調で、凜に問う。


「別に。見られても困る能力でも無いし。私の力でも無いもの」


 相手の意表をつく答えを返してやろうと思い立ち、凛は思わせぶりにそう答える。嘘はついていない。相手の反応を伺うニュアンスもある。


「再度確認シマスが、雪岡純子は続けざまに第七支部にマウスを放ってキマス。あるいは彼女のジョーカーたる、相沢真が刺客として来るかもしレナイ。それらの相手をしてもらって、その様子はショーとして我々の鎬にもなル。それでいいのデスカネ?」


 しかし仮面の男は一方的に再確認をしてきただけだった。面白い答えは返ってこなかったため、凛はこんなものかと、皮肉っぽい笑みを零した。


「仕事が立て続けに入るのなら、私も言うことはないもの。誰も損しない構図よね。雪岡純子はマウスの試験ができるし、貴方達はそれをショーにして儲けられる、私はギャラと刺激を得られる。皆が幸せになれる素敵な構図じゃない」


 自分に殺される者を除けばだけど――と、口には出さず付け加える。

 内心では凛も、そして凛の中にいるもう一人も、この組織に対して不快感はあるが、凛とて他者のことをどうこう言えたものではない。裏通りに堕ちる際、殺人が目的で雪岡研究所を訪れたほどだ。

 自分で手を下す者、他人が手を下している様を見て楽しむ者、それを商いにしてしまう者、どれほどの違いがあるというのか。全て等しく外道だと、自嘲気味に思う。


「敵対しつつも共生関係にあるのは確かデス。食い物にされ、切り捨てられる側にあるのは、雪岡嬢のマウスや末端の構成員であリマスシ」


(自分達は安全圏にいて、食い物にする側だと言いたいのか)


 凛の中で怒気を帯びた声が響く。凛は承知のうえで仕事を請けているが、もう一人はこの構図が甚だ気に食わないようであった。


「他に用が無いのならお暇していいかしら?」


 己の中のもう一人を気遣って、退出を申し出る凛。

 おそらくここに呼び出された理由は、道化の仮面の大幹部が直接値踏みするためだろう。それだけ注目を浴びているという事なのであろうが、凛からすると正直どうでもいい。

 その後取るに足らぬ社交辞令の別れの挨拶を交わし、凛は部屋を出た。


(ますます反吐が出る。そして危険だな。雪岡純子が作ったマウスとまた戦う事になるのだぞ)

「別にいいけど? 私と同じ立場の人達とまた戦えるのは楽しいし」


 ホルマリン漬け大統領第七支部の建物内を歩きながら、凛はそう呟いて笑みをこぼした。


「わくわくする。危険もあるからこそ楽しさも増すしね。次はもっと歯応えのある相手をお願いしたいわ」

(それでお前に死んでもらっても困るのだ。まだ継承者も見つけていないのに)


 凛の中で重い溜息がつかれる。


「町田さんは私にどうしてほしいの? いい相手でも見つけて結婚して、生まれてきた子供に妖術を仕込みたいの?」

(それが理想だな。まあお前の子供でなくてもいいが、できれば飲み込みのいい子供か若者がいい。妖術の修行はかなりの時間がかかるしな)

「結婚とか子供とか考えたことないし、そんな縁も無さそうだけれどもね。町田さんの期待に添えそうに無いかも」

(長生きしていればそういう縁もできるかもしれん。故に早死にされたらかなわん。こんな形でまで現世に留まっている私の努力が浮かばれんよ)


 凛の中に存在するもう一人の人物――それは多重人格でもなければ、凛に憑依している幽霊でもない。二年前、雪岡研究所を訪れた凛の脳に移植された、町田博次という妖術師の脳組織に宿る意識だ。


 町田博次は一子相伝の妖術流派の家系に生まれ、主に要人警護の仕事をこなしてきたが、後継者を育成する前に、難病で余命数ヶ月と宣告された。

 先代もすでに没しており、妖術師の育成は子供の頃から十年以上もかかる代物で、とてもじゃないが存命中には不可能だ。

 それでもこの流派を絶やしたくないとして、何か方法は無いかと模索したあげく、雪岡研究所の門を叩いたのである。


 その結果、精神と力を他者に移植させるという処置でもって、生き永らえてしまい、おまけに移植された相手は殺人願望を持つ女だったが、それでもあのまま死ぬよりはましだったと町田は思う。


(とりあえずだな、危なくなったらお前の意思とは無関係に術を行使するから、そのつもりでいろよ。お前に死なれる事だけは、何としても避けたい)

「ていうかさ、私が結婚して子作りする時とか、町田さんどうするの? 必死で見て見ぬ振りするの? もし私が町田さんの立場だったらうわーってなっちゃうんだけど」

(いや……それは考えたことは無かったが……。って、こっちの話を聞いてるのか)


 自分の話を真面目に聞く気が無い凛に、町田は再び凛の頭の中で重い溜息をついた。

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