第一章 5

 十夜と晃の二人は簡単に雪岡研究所へと辿り着いた。御丁寧にも公式サイトが開設されていて、メールを出したら即座に返信が来て、場所と入り方が記されていた。


 改めて調べてみてわかった事だが、雪岡純子という人物は裏通りにおける影響力が非常に大きく、多くの犯罪組織を相手に武器兵器の製造販売を行っており、ユキオカブランドという独自の兵器ブランドまで築き、それらの売り上げは研究資金にあてられているという。

 その技術は現代科学の水準を大きく上回っており、リアルにありながらSFの世界の住人などとも呼ばれている。

 表通りからすればあくまで都市伝説レベルな噂だが、裏通りでは事実として語り継がれているようであった。


「同じ安楽市の、しかもカンドービルの地下にあるなんてな」


 雪岡研究所と書かれた自動ドアを前にして、晃が呟く。

 十夜と晃が幼い頃から何度も出入りしているデパートの地下に、そんな怪しい施設があるなど、まるで現実味の無い話である。しかし実際に辿り着いてみて、これが悪戯かもしれないという疑いは消えかけている。


『柴谷十夜君と雲塚晃君だねー。中に入って第十三実験室まで来てー』


 スピーカーから響く明るく弾んだ声。十夜は晃の方に顔を向ける。

 晃は目配せして十夜に先に進むように促す。確かにここに来ることを決めたのは十夜だ。いちいち晃の反応を伺っても仕方が無い。

 長く続く廊下を二人は歩いていく。左右に扉がついており、第一実験室、居間、客間と、全ての扉に室名が書かれていた。やがて指定された部屋に着き、十夜がノックをする。


「どうぞー、入っていいよー」

 室内からの声に促され、扉を開く。


 部屋の中央には手術台のような寝台があり、その横には医療機器と思しき物が幾つも置かれていた。部屋の隅にある机の前で、白衣姿の少女が腰掛けている。

 宙に投影された無数のディスプレイを覗き込んでいた少女は、室内に入ってきた二人の方に椅子ごと振り返り、笑顔で迎える。


「はじめましてー、私が雪岡純子だよー」


 向けられた赤い瞳が十夜の魂を射抜く。妖しさと神々しさが入り混じった煌きを放つ瞳に、十夜は思わず見とれた。ふと脳裏に、瞳の中に吸い込まれそうになるという文章表現がよぎり、これがそうなのだろうかと思った。


「うわー、何このウサギみたいな目。マンガやアニメじゃなくて現実にもこんな色の目いるんだー。君、先祖ウサギ?」


 十夜が見とれている一方で、晃は初対面の相手に対し、無遠慮に思ったことを口にする。


「ちょっと晃……すみません、こいつ礼儀知らずで」

「あはは、面白い子だねー」


 慌てて十夜が晃を諌めて謝罪する。純子は全く気を悪くした素振りを見せず、屈託の無い笑顔のままだ。


「さ、入って入って。話を聞くよー」

 純子に促されるままに室内へと入る、十夜と晃。


「懐かしいな。その学ラン」


 ふと背後の扉の方から声がかかり、振り返る二人。

 濃紺のブレザーを着た少年が、部屋の入り口に佇んでいた。歳は自分達と同じか一つ下といったところで、この中では一番背が低い。その人物の全身は見た事はないが、その端整かつ可愛らしい顔は、安楽二中のサイトに残っている画像で見覚えがあった。


「相沢先輩っ! うおおおっ! すげー、本物だ。でも小さい!」


 晃が興奮した様子で、感激の声をあげる。


「これが相沢先輩……」


 晃の言う通り、実物は十夜が思っていたより小柄だった。並ぶ時は間違いなく一番前だったろうなと十夜は思う。

 だが際立った美少年だ。その黒目がちの大きな瞳が自分に向けられた際、十夜は同性でありながら一瞬どきっとしてしまったほどだ。純子の瞳が持つ妖しさとはまた違う輝きを持つ、澄んだ瞳である。


「先輩って……何で初対面のお前等が、僕を知っているんだ?」


 雪岡純子の殺人人形の通り名を持つ殺し屋――相沢真が抑揚に欠けた声で尋ねる。ネットで見た画像の数々と同じく、全くの無表情だ。安楽二中に伝わる相沢真伝説においても、表情というものを一切出さない人物とのことであったが、伝説通りだと十夜は思った。


「安楽二中では先輩が卒業した後もずっと、相沢真伝説が語り継がれているんだよ。裏通りに堕ちて成功した伝説の不良ってさあっ」


 喜色満面で話す晃。相沢真伝説に憧れている者は安楽二中に多かったが、晃はその中でも特別神聖視していた。晃が裏通りに堕ちる決意をしたのも、真の影響が強い。


「でもちょっとイメージと違うなあ。不良五十人を一人で瞬殺したとか、学校をハーレム化して授業中に女子や女教師と乱交したとか、妊娠させた女の数が三桁とか、昼休みは放送室乗っ取って自作ソング流してたとか、それでいて成績も優秀とか。何か実物見たら、とてもそんな感じに見えないよ。小さいし。先輩、もしかして身長150ないとか?」

「噂に尾鰭つきすぎだろ……。大体、僕は不良していた覚えはないし、ハーレムなんて作った覚えも無い。三桁も女を妊娠させたら、もっと大問題になって国際レベルの噂になりそうなもんだろ。放送室ジャックして歌っていたのは僕じゃなくて僕のダチの仕業なのに、何でそれまで僕のせいにされているんだ。テストはいつも白紙で出してたから、成績も体育と技術以外オール1だったぞ。あと小さい小さいうるさいし、初対面で失礼すぎるぞ。それとな、身長はギリギリ150あるからな」


 無表情のままで淡々とした喋り方ではあるものの、無感情というわけでもなさそうだと、今の言葉から十夜は判断する。おまけに、無礼千万な晃が口にした噂話に対して、律儀に一つ一つきっちりと応対している様は、何だかおかしくて笑えたし、今のやりとりで真の性格が少しわかった気がした。


「ていうか先輩、俺達と同い年か歳下に見えるんだけど……」

 十夜が思ったことを口にする。


 雪岡純子からして何年経っても見た目が変わらず、不老不死であるという噂があるし、その下僕である相沢真も、外見が全く変わらないので、同様の処置が成されていると、ネット上では噂されていたが――


「何言ってるんだ。そんなわけないだろ。僕はもう五年もここにいるんだぞ」

 十夜の言葉に反応して言い返す真。


(でもそれだと十八か九なのに、とてもそんな風に見えないし……)


 自身の外見年齢の変化に気づいていなさそうな発言。

 もし五年も前からここにいて、不老不死化されていなくてこの外見年齢というのは考えにくいし、真は不老不死化されているという自覚が無いのではないかと、十夜は考える。


「えーっと、何か真君の登場で話の腰折られちゃった感じあるけれど、こっちの方に話を戻してもいいかなあ?」

「あ、はい。実は……」


 純子の方に向き直り、十夜はここに来た経緯と自らの希望を述べた。


「よくあるパターンと言いたい所だが、内臓担保とは随分と思い切ったことしたもんだ」


 晃の方を見て、それまでの抑揚の無い喋り方とは異なり、明らかに呆れた口調で言う真。


「いやあ、僕にも選択肢無かったし、金が必要だったからね。ははは……」


 晃の自嘲気味な言葉が十夜は気になった。加えて、選択肢が無かったという言葉が引っかかった。晃が切羽詰ったこの状況を作り上げたのは、他にも何か切羽詰った理由があったという事なのかと、十夜は訝しむ。


「んで、今度は十夜君が、自分の命をチップにしようってことだねえ? 私の人体実験を兼ねた改造手術を受けて、力を得るという方法でさー」


 純子の確認に息を呑みつつも、覚悟を決めて頷く十夜。笑顔で確認してくるから逆に怖い。笑いながら台詞じゃないだろうと、口に出さず突っ込む。


「んー、だったら改造のついでに、君達が裏通りでメジャーになれるよう、君達への仕事も私が依頼しちゃおうかな。で、君達が仕事している様子を撮影して、ネットで生中継して売り込みをするの。そうすれば君達の良い仕事ぶりが、裏通りの住人達の目に留まって、仕事もがんがん舞い込むっていう寸法ね」


 屈託の無い笑顔のまま、気前のいい話を持ちかける純子。

 さっきの組織の男とはまるで正反対。願ったりかなったりな話だ。これには十夜だけではく晃も驚いていた。


 だが十夜は喜ぶ前に戸惑いと不安を覚えていた。小さい頃から父親の気まぐれな虐待を受けて育ったせいで、十夜はひどく猜疑心が強く、美味しい話には何か裏があると疑ってかかる癖がある。


「はい、是非お願いします」


 とはいえ、疑った所ですでに決めた事である。十夜は深々と頭を下げた。


「んじゃー、早速取り掛かろうか。で、改めて確認するよー。君の体を私の好きなようにいじくるけれど、その結果、すごい能力を身に着けられるかどうかは、運次第だからねえ。失敗して死なせちゃっても怒らないでね」


 わずかたりとも悪意も狂気も見せず、無垢な笑顔で告げる少女。それが返って十夜の恐怖心を煽る。

 一方で晃の目から見ると、十夜とは逆の印象だった。純子が始終笑顔なので、これから本当に十夜の命が危険に晒されるという現実味が、いまいち感じられなかった。


「ど、どんな能力が身に着くの?」


 恐怖はあったが、同時に期待もしている十夜。この改造手術とやらを受けた後に、人智を超えた能力を授かる事ができたとしたら、やはりそれは素晴らしい事だと思う。


「それは改造後のお楽しみ~……って、言いたい所だけど、期待させてガッカリさせちゃ悪いから、先に言っておくね。今回十夜君に施すのは、単純な肉体強化だよ。肉体を変身させて怪人とかにならなくても、その外見を維持した状態でパワーアップできるの」


 純子の言葉に、十夜はドン引きしながら同時に安堵していた。怪人に変身するようになる改造手術を選ばれなくて、心底良かったと。


「まあそれだけじゃ面白くないと思うから、それ以外にもちょっとしたプレゼントしてあげるよー。せっかく改造するんだから、強くなった雰囲気も出したいでしょー?」

「は……はあ……」


 つまらないままでいいから、余計なことをしないでほしいと切に願う十夜であったが、それを口に出す勇気も無い。


「んじゃー、服を脱いでここに寝てー。晃君は外で待っていてね。わりと時間かかるから、帰ってもらってもいいよ。ああ、帰る場所が無いのなら、ここに泊まってもいいからさー」

「本当? なら泊まらせてもらおうかなー」


 晃が顔を輝かせる。


「んじゃー、真君、空いてる部屋に案内してあげてー」


 わざわざ「帰る場所が無いのなら」などと付け加えた純子と、それに応じた晃。二人のそのやり取りが十夜には引っかかった。晃に帰る場所が無い? 一体それはどういうことなのか。仮にそれが事実だとしても、初対面の純子は何故それを見抜いたのか?


「十夜、死ぬなよ」


 言葉短く告げ、晃は部屋の外に出る。真も無言でそれに続く。


「帰る場所が無いってどういうこと? どうしてそう思ったの?」


 全部脱がなくてはいけないのだろうかと戸惑いつつも、ゆっくりと制服を脱ぎながら、今の純子の台詞への疑問を口にする。


「ああ、私、そういう子が来るとぴーんとわかっちゃうんだ。帰る場所が無い雰囲気とでもいうかなあ。別に珍しくもないしねえ」


 晃は家出でもしてきたのだろうかと、不審に思う。

 十夜は晃の家庭事情は一切知らない。彼の家にあがったこともない。晃は自分の家庭を話題に挙げたことすらない。十夜も無い。

 その事からも、ずっと昔から何となく察しはついていたのだ。晃も自分と同様に、ろくな家庭環境では無さそうだと。

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