第一章 4

 正装した男女が集うパーティー会場。長いテーブルの片側に一列に座り、優雅に食事を楽しむ彼等は、全員仮面をつけていた。テーブルを挟んだ先には、まだ垂れ幕の垂れたステージがある。


 やがて明かりが消え、垂れ幕の前にスポットライトが照らされる。仮面を被った客達が一斉に拍手する。

 スポットライトに照らされているのは、二十代前半と思しき中肉中背の拘束された男だった。

 その両隣ではがっちりした体格の黒服姿の男二人が脇を固めるようにして立ち、客席に向かい、二人揃って深々と頭を垂れている。

 拘束されている男の名は間宮昌彦。拘束されている状況にも関わらず、彼の瞳は強い意志の光を帯び、口元は引き締まっていた。自分の置かれている立場に恐怖している様子は微塵も無い。


 間宮の拘束が解かれ、周囲を見渡す。料理の出されたテーブルの前で、仮面から覗く口元が悉く歪な笑みの形になっている、正装した十数名の男女。

 そしてステージの上の自分。この異様な状況が何を意味するのか、彼は予め言い聞かされて知っている。

 垂れ幕が上へと上がっていく。露わになったステージ上には透明の巨大な釜が置かれていた。釜の底からはバーナーであぶられ、中に満たされた油が煮えたぎっている。

 さらに釜の上には、全裸の少女が猿轡を咥えさせられて吊るされて、涙を流しながら悲痛な眼差しを男に向けていた。


『我等ホルマリン漬け大統領に向けて放たれた、雪岡純子の新たな刺客! 彼は我々の手に落ちた恋人を救うため、雪岡純子の実験台となって力を得て、ここに参じましたあ! 釜の中には煮えたぎる油で満たされていまぁす。果たして彼は恋人を天麩羅あげにされる前に、助けることがぁ、できるのでしょうかあっ!』


 壇上でマイクを持ったタキシード姿の女性が、快活な笑顔でアナウンスする。

 間宮が釜の方へと歩んでいく。彼の恋人を吊るしている紐は天井の滑車に吊るされており、舞台裏から操作して安全な位置へと移動させて降ろせる代物だと、事前に聞かされている。

 だが簡単にそれができるわけがないこともわかっている。これはショーなのだ。恋人を人質にされた間宮が足掻く姿を見るショー。結果次第では恋人が残忍な殺され方をして、それを客達が見て喜ぶという趣旨の、鬼畜の宴。


『本日のゲストはー、神出鬼没の暗殺者、岸部~りーん!』


 客席から期待と驚嘆が入り混じったどよめきが起こる。裏通りの住人ではない間宮は、その人物の名など知らなかったが、客席の鬼畜共の反応を見る限り、名の知れた殺し屋なのだろうと察する。

 だが間宮は臆さなかった。倒さねば自分も恋人も死ぬことになる。今の間宮には戦えるだけの力がある。たとえプロの殺し屋でも倒せる自信がある。


 間宮の前に突如姿を現したのは、全身黒ずくめの服装に、蛇が巻きついた十字架のペンダントを首から下げた、長身長髪の美女だった。

 誇張ではなく、何もなかった空間に、彼女はいきなり歩きながら現れた。一瞬目を疑った間宮だが、マジックの類なのだろうと自分に言い聞かせて、強引に結論づけた。


『レディィィッ、ファイッ!』


 かけ声とほぼ同時に、間宮の肉体が変貌を遂げた。

 服がはじけとび、全身が二回り以上大きくなる。人間のそれをはるかに超えた異常な筋肉の隆起。頭髪は全て抜け落ち、頭が完全に禿げ上がる。禿げ上がった頭と怒りに歪む顔には血管が幾つも浮き出て、鬼神の如き形相となっている。

 そんな間宮の変貌ぶりを見て、釜の上の少女は大きく目を見開いて驚愕していた。客席からもどよめきが起こった。

 岸部凛はその様子を見ても、少しも驚くことはなかった。銃を抜き、しかし構えはせずに銃口を下げたまま、間宮と対峙している。


 獣じみた咆哮をあげ、間宮が凛めがけて襲いかかる。


 凛は動こうとしない。相手が自分の目の前まで接近し、丸太のような太い腕が振り下ろされるその直前まで、動かなかった。


 凛の姿が消えて、間宮の腕が宙を薙いだ。

 客席から起こる三度目のどよめき。何が起こったかわからず思わず周囲を見渡す間宮。完全に凛の姿は消えている。


 直後――初めて現れた時と同様に、何も無かった空間に、凛が歩きながら姿を現した。

 間宮の正面、しかしそれまで凛がいた場所からは数メートル離れた場所にて、間宮の頭部に銃口の照準を合わせた格好で、ゆっくりと歩いていた。


 間宮が驚愕と恐怖に固まる。

 彼は理解していた。自分はもう死ぬと。もうここでおしまいだと。

 銃声が響く。血と脳漿が飛び散る。沸き起こる歓声と喝采。猿轡ごしに漏れる少女の悲痛な絶叫。滑車が滑る音。油の飛沫。そしてもう一つの死。もう一つの死を楽しむ鬼畜達。長々と続く拍手と喝采。


(何故あんな危ない真似をする。もう少し早く亜空間に退避すべきだろう。ギリギリまで引き付ける意味がどこにある。万が一ということを考えろ)


 声が響いた。凛だけ――凛の頭の中でのみ聞こえる意識の声。


「雑魚相手だったら、自分にハンデをつけて戦えば訓練になるじゃない。もっと強い奴とやりあうことを想定してね」

 銃を収めながら、頭の中の声の主に向かって、口の中で呟いて答える凛。


「雪岡純子のマウスだっていうからちょっと期待したけれど、ピンキリあるみたいね」

(ただ肉体強化されただけという感じだな。ひょっとしたら何かしら切り札があったのかもしれないが、見る前に殺してしまった)


 他者には一切聞こえない会話の後、凛は壇上から瞬間移動でもしたかのように、歩きながら姿を消した。それを見て観客達はより大きな拍手を送る。

 舞台から消失した直後、舞台の袖に歩きながら現れる凛。そのまま舞台裏へと歩いていく途中、依頼人の姿が目に止まった。


「瞬殺だったな。ショーとしては、もう少し引っ張ってくれるとありがたがったがな。まあしかし演出としては素晴らしかった」


 五十代半ばほどの恰幅のいい中年男が凛の前に現れ、微笑みかける。凛を用心棒として雇った組織『ホルマリン漬け大統領』の第七支部長で、名は奥村誠人という。


「興味本位で尋ねるけれど、今の二人は何で殺されなくちゃならなかったの?」


 人身売買により買い取った人間で殺人ショーを行って利益を得る、下衆極まりない組織である事は知っていたが、凛は直感で、今回殺された二人がそれとは異なるケースではないかと勘ぐった。この奥村の私怨交じりなのではないかと。


「女の方はただの娼婦だよ。弱小売春組織の者だから、殺した所でうちのような大組織には逆らえん。好みのタイプなので私の御贔屓にしていたんだが、専属愛人にしてやると言ったら、すでに恋人がいると断ってきてね。しかも男が抱える難病の治療費欲しさに売春していたと、くだらんお涙頂戴話のオマケつきでな。腹が立ったから女の方をさらって、恋人の男に、雪岡研究所に行くよう促してやったのさ。『助けたければ実験台になって改造されてこいと』とね。そして今、君の手にかかって仲良く天国へと旅立ったわけだ。ははははっ」


 いやらしい笑みを満面に広げ、奥村は恥じ入ることなく、それどころか楽しげに語ってみせた。凛の予感は的中した。


「普段から表通りの住人をそんな理由で殺してるの? バレたら大事になると思わないの?」

「バレないようにやっているから平気さ。それに殺したのは君だろう。少なくとも男の方はね。ああ、もしかして今の話を聞いて良心が痛んだかね? それとも私に対して怒りでも沸いてきたかね?」

「別に」


 ねちっこい口調で煽る奥村に、凛は短くそう返し、それ以上は会話せずに奥村の横をすり抜けて舞台裏を出て行く。

 今の凛の言葉は嘘ではない。良心の呵責は全く無いし、奥村に怒りも覚えない。ただ、道に汚いゴミが落ちているのを見たような、そんな類の不快感が少し沸いただけだ。


(下衆もいい所だな。ロクな死に方せんぞ、あれは)

 しかし凛の中のもう一人は怒りを露わにしていた。


「力の無い奴が死ぬのは仕方ない事でしょ。どんな下衆だろうと、力のある人間は力の無い人間を蹂躙する権利があるんだし。それに今の二人には、黒い光も黒い炎も見えなかった。そんなのがいくら死んだところで、別にどうでもいいし」


 喋りながら、凛はここに来る前に射撃場で見た少年のことを思い出す。


「あの子はいい感じに黒く光ってたわね。ああいう子こそ然るべき力を得てほしいものだわ。簡単に死ななければいいんだけれど」


 自分と自分の中にいるもう一人にだけ通じる言葉で呟き、凛は微笑を零した。


***


 ホルマリン漬け大統領は興業するショーの内容をネットでも配信しており、会員登録している者は高額な閲覧料を払って、残酷な殺人ショーを視聴することができる。

 大金を払ってでもスナッフ映像を御目にかかりたいという、悪趣味な人間は思いのほか多く、会員は世界中にいる。興業に直に足を運んでくれる観客よりも、ネットで落ちる金の方が、ホルマリン漬け大統領のメインの収入となっているとの話だ。


「相変わらず胸が悪くなるな。組織の連中も客も一人残らず殺してやりたい」


 凛が間宮を殺し、間宮の恋人が殺される様をネットの生中継で見ていた真が、そう吐き捨てる。


「殺しちゃったら慈悲になるから、私の実験台にしてくれるんじゃなかったのー?」


 同じ長椅子で真の隣に座って、同じディスプレイでショーを観ていた純子がからかう。

 真は心なしか責めるような眼差しで純子を一瞥し、席を立つ。


「あ、ちょっと待ってよ、真君。さっきいいタイミングで実験台志願のメールが来たんだけどさあ。もうすぐその子が来ると思うから、邪魔しないでねー。何かかなり深刻な事情抱えているみたいだしね」


 部屋から出ようとした所を呼び止められ、真は純子の方に振り返った。


「深刻な事情を抱えていて力を欲する奴なら、邪魔もしないけどな。お前はそういう奴に死ぬかもしれない酷い人体実験を施すんだろ? それなのに深刻な事情抱えているから邪魔しないでくれって言い方はおかしくないか?」

「あははは、確かにそうだねー。一本取られちゃった」


 真の指摘に対して無邪気に笑う純子。


「あとね、これは別にどうでもいいことかもしれないけど、昔真君が通っていた中学の子みたいだよ。年齢的にも、真君が裏通りに堕ちた時と同じだねー」

「ようするに中二か」

「二人で来るっぽいねー。一人は付き添いで、力が欲しいって子は一人みたい」

「後で顔出すくらいなら構わないよな?」

「いいよー」


 二人と聞いて、少し興味が沸く真。大抵ここに来る実験台志願者は一人だ。そのうえ一人は実験台志願ではなく付き添いだという事も、珍しいケースなので気になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る