第一章 3
裏通りで行われる犯罪の多くは、片目を瞑って容認されたビジネスである。この国の裏社会はきっちりと管理されている。
産業面での貢献と、犯罪者属性を持つ者の隔離と管理によって、表通りにおける犯罪率減少という側面があるからこそ、その存在をある程度容認されている。
もし裏通りという枠が無ければ、そこに住まう者は見えざる隔離領域の管理のタガから外れ、より見境無い凶悪犯罪へと走る危険もあるからだ。
今の時代、誰もが知る事実である。しかし一般社会――所謂表通りの住人からすれば、裏通りの存在は、自分達がいる場所とは全く異なる遠い世界という認識だった。同じ街の中、すぐ隣にも存在するにも関わらず。
そのすぐ隣にある闇の中へと、十夜と晃の二人は足を踏み入れようとしている。
晃の影響もあるが、実の所、十夜も裏通りにそれなりに興味があった。昔からネットで裏通りのサイトや掲示板をよく目にしていた。その中でも十夜が特に惹かれていたのは、超常の力を付与して願いをかなえてくれるという、雪岡研究所の噂であったが、久しくその存在も忘れていた所だ。
「ここだよ。ここの二階」
晃が十夜を連れてきたのは四階建ての雑居ビルだった。何十年も前に建てられて、その間、一切改装されていなさそうな薄汚れたビル。コンクリートには所々ヒビも見受けられる。
三階と四階には看板が出ており、それぞれ風俗店のようであった。正直それを見ただけでも、十夜は入るのが躊躇われた。
だが晃がその程度で躊躇するわけもなく、堂々と中へと入っていく。十夜もそれに続く。
「や、よく来たね」
二階の扉の前に二人が立った瞬間、こちらの来訪を完全に察知したかのように、立て付けの悪そうな扉が耳障りな音をたてて開かれ、中から痩身の男が現れ、愛想よく出迎えた。
「雲塚晃君と柴谷十夜君か。若いね。うん。珍しくもないけれどもね」
男は三十代後半から四十代前半といったところで、人当りのよさそうな顔をしていた。どう見ても裏通りの住人には見えない。どこにでもいるようなおっちゃんだ。
「話はここに来る前に通してあるから、大丈夫」
不安げな面持ちの十夜を見て、耳元で囁く晃。それは先ほどにも聞いたが、それでも不安になるなというのは無理がある。
これからここで、闇の住人として生きることになるわけだ。一体どんな日々が、人生が待っているのかと、あれこれ想像してしまう。
「んじゃ、早速働いてもらうけれどいい? まずは書類のコピー。それから裏通り専門の情報サイト巡って、必要な情報をピックアップして編集とかもしてもらうかな。ああ、情報組織やフリーの情報屋にも紹介しないといけないね。もちろん事務所の掃除はもちろん。お茶入れもしてもらうよ」
ソファーに腰掛け、にこやかに告げた男の言葉に、十夜はこっそりため息を漏らした。
考えてみれば、どこの世界でも最初はこんな扱いだろうと、妙に納得し、同時に安堵もしてしまう。それまで頭の中で思い浮かべていた空想が、きれいさっぱり吹っ飛ぶ。
「いやいやいや、そんなの嫌です。戦闘員希望です。ここは始末屋の組織なんでしょ?」
だが晃は全く物怖じせず、ひるむことなく不服と要望を訴える。そのあまりの堂々とした物言いに、男はおかしそうに微笑む。
「あのね。俺が何のために裏通りで生きていると思う? 生活のためだよ。うちらだって表通りのサラリーマンとそう大差ないよ」
男の言葉を耳にして、晃は珍しく呆気に取られた表情を見せたが、すぐに険悪なものへと変わった。
「ああ、毎度のパターンなんだ。君達くらいの子が、何か勘違いしちゃって裏通りの組織に入ろうとするのってさ。映画に出てくるようなピカレスクやギャングスターにでも憧れたのかい? 毎晩抗争して銃の撃ち合いするノワールでも想像した? まあ、わりとそこかしこで抗争は起きているけれどね。つまらない現実から目を背けて、アウトローな世界で生きる自分に酔いたいかい? 残念だがね、ここだってつまらなくて厳しいリアルなんだよ。ま、俺も君達と同じく、最初は意気揚々と裏通りに堕ちてきたクチだけどね」
男は優しく諭すように語っていたが、裏通りに憧れた晃の夢を全否定している。横にいる晃の失望が、痛いほど十夜に伝わってきた。
「そりゃ表通りよりか実入りもあるし、ヤバいこともあって刺激もあるが、平和な時の方が多いよ。そうでなけりゃやってられないって。ん? 幻滅したかい? これが裏通りの真実さ。うちは始末屋だから、他の裏稼業よりかはヤバい事の頻度が高いがね。あ、もちろん君達にいきなりそんなことはさせられないよ?」
隣にいる晃の顔を覗き見る十夜。滅多に見せない怒気を帯びて、紅潮している。まるで親の仇でも見るかのように、男を睨みつけていた。
晃の怒りは十夜にも伝染した。現実とはどこまでいってもくだらなくてつまらなくて、思うようにならないものなのかと。晃の悔しさは十夜の悔しさでもあった。
「しかしその一方で、君等が望むような生き方もある。フリーの始末屋になれば、刺激に飢えずには済む。でもね、それができるのは相当に凄腕の実力者だけだ。君らにそんな力があるかい?」
「わかりました。御助言ありがとうございます。失礼します」
早口でそう言い放つと、軽く頭を垂れ、晃は荒い足取りで表へと出て行く。十夜も男に会釈し、その後を追った。
「あはは、いきなり躓いちゃったね。あははは、まいったまいったー」
晃はいつもの口調で笑っていたが、目は笑っていなかった。
「冗談じゃないよ。雑用やら事務するために裏通り入りたいわけじゃないんだしさ。はっ、上等だよ。あいつの言うとおり僕達で始末屋でも殺し屋でもおっぱじめてやろーぜー」
「いや……そんなことできるの?」
不敵な表情で宣言する晃に、十夜は心配げに尋ねる。
「調べてみると、十代で組織のボスとか凄腕の殺し屋とかもいるんだぜ。相沢先輩だって、一流の殺し屋として裏通りでもメジャーな扱いだし。てか、もう引き返すこともできないよ。借金して銃買ったり今の組織を紹介してもらったり、もっとヤバい事にも金使ったからさ。何が何でも裏通りの住人になって、いっぱいお金稼がないとねー」
「借金て……よく貸してもらったね」
おそらくはそれも裏通りの金融屋なのであろうと、十夜は察する。だが中学生にそんな金を貸すだろうかと不審に思う。それに加え、もっとヤバい事とやらも気になる。
「あ、これこれ、これ担保にしたんだ」
ホログラフィー・ディスプレイを空中に開く晃。宙に浮かぶ画面を覗き込み、十夜は仰天した。開かれていたのは、『安心切開』という名の臓器密売組織のサイトだった。
「三ヶ月以内に返却しないと僕、解体されて心臓肝臓骨髄皮膚目玉髪の毛に至るまで綺麗さっぱり売却されちゃうらしいから、ま、背水の陣て事で、頑張ろうっ」
「な……何で……」
あっけらかんとした笑顔で喋る晃に、言葉途中で絶句する十夜。晃が後先考えずに無茶苦茶やる性格であることは知っていたつもりであったが、それにしてもこれは限度を超えている。
「こんな事する前に、何で俺に相談しなかったんだよ!」
「相談? 僕の決めたことだし、そんな必要ないよ。そもそも僕が君に一度でも相談なんかしたことある? 無いだろ? うん、だからそんなこと責められる謂れも無いよね」
笑顔のまま一方的にまくしたてられ、十夜はうなだれた。確かにいつもそうだった。晃の決めた事についていくだけ。晃の望む遊びに付き合うだけ。八年間ずっとそうだった。
だが――十夜はそこでふと思いついた。晃を救う事ができるかもしれない手段が。
「で、具体的にどうするのさ。いや……何とかできるっていうプランは、ちゃんと立っているの?」
挑みかかるような眼差しと口調で食いつく十夜。晃から見て、十夜が自分をこんな目で見るのは、初めてだった。
今まで喧嘩一つしたことが無い仲だ。主体性の無い十夜は、いつも自分についてくるだけの存在だったし、今みたいに噛み付いてきた事もない。
一瞬戸惑ったが、何かしら十夜が決意をしたのを見てとり、晃としては嬉しさを覚えていた。
「無いから考えようとしていたけれど、君のその様子だと、何かいい案あるのかなー?」
「相沢先輩はどうして殺し屋として成功して、裏通りでも有名になったと思う?」
にやにやしながら尋ねた晃だったが、間髪置かずに問い返した十夜の言葉を耳にして、笑みが消えた。
察しのいい晃は、十夜が何を言わんとしているかわかってしまったのだ。
「雪岡研究所の噂は知っているだろ?」
それは十夜がかつて惹かれた噂だった。
ネット上の都市伝説として有名な噂。裏通りの生ける伝説とされる雪岡純子というマッドサイエンティストに、人体実験の材料として名乗り出ることを引き換えに、ニーズに副った改造手術を施されるという噂。
それによって願いをかなえた者もいれば、失敗して実験段階であえなく死ぬ者もいるという。
「裏通りで力と名声を手に入れた者の中にも、雪岡研究所を経由した者は多いって話だよ。相沢先輩もその一人だろうし」
「けどさー、お決まりの『死んでも文句は言いません』の契約を交わして、生き残った奴だけなんだろ。力を手に入れるのはいいけれど、それって運任せじゃないか」
十夜に冷めた眼差しを向け、難色を示す晃。
「僕、そういうギャンブルはできるだけ避けたい性分なんだよね。運任せにするのは本当に最後の、運に任せるしかないって時だけにしておきたい」
豪放磊落な晃だが、これは晃の主義には合わない代物として映った。運命は自分の手で切り開き、悪い結果も全て自分の責任と考えるタイプである。それ故、こんなものに運命を委ねてしまう事には、どうしても反発がある。
「でも、もたもたしていると晃は殺されちゃうだろ。臓器を担保にして借金作るのだって十分博打じゃないか。なら俺も博打を打つよ。俺が実験台になる」
決意を込めて宣言する十夜。今までの十夜には有り得なかった、大胆な発言だ。
いつも晃が主体となって動き、十夜はそれに従うだけだった。今回の裏通りに堕ちる話すらもそうだ。人生を大きく変える選択も晃に誘われる形で行われ、晃は一人で引き返せぬ所へ突っ走ってしまっている。
「晃にだけ危険な橋渡らせておくのは嫌だよ。二人でやろうって決めたんだから、俺だって命賭ける」
だがたとえ晃に手を引かれる形であっても、己の意志でもって決定したことだと十夜は思い込みたかった。こうなったらもう晃に従う形だけでいたくはない。
「あのおっさんは自分に酔いたいかとか言ってたけれど、命を代価にするくらいの覚悟決めて、自分に酔うも何も無いだろ。少なくとも晃はそうなっちゃった。俺も対等になる」
「わかったよ……」
長年の付き合いの中で、初めて明瞭な意思表示をした十夜に対して、晃は何故かひどく浮かない面持ちで、ぽつりと呟いて応じた。
一体晃のこの反応は何なのだろうと、十夜は理解に苦しんだ。ずっと自分にただ従う形でいてほしかったのだろうかとすら勘ぐる。
望みを言えば、十夜は晃にもう少し喜んで欲しかった。それなのに晃のこの浮かない態度は、十夜からすると不満だった。
一方で晃の考える所はシンプルだ。
自分のために命がけの博打など、十夜にしてほしくない。ただそれだけの話である。
だが危険な世界へと誘い、己の抱える事情も明かしたうえで、十夜に火をつけたのは自分だ。それ故に反対もしきれず、晃は複雑な心境に陥っていた。
「マッドサイエンティスト雪岡純子か。そっちよりも、伝説の相沢先輩を直にお目にかかれる方が楽しみだね」
晃にしてみれば相沢真は憧れの人物だ。十夜の前でいつもひっきりなしに話題に挙げていたし、裏通り関連のサイトでその活躍を追っていた。
「とりあえず連絡つけてアポとってみるよ。雪岡研究所の公式サイトから簡単に連絡できるって話だけど」
若干緊張した口調で言い、ホログラフィー・ディスプレイを空中に投影する十夜。
今まで何でもかんでも晃任せで、晃についていくだけであったがため、いざ自分から動くとなると臆してしまう。そんな臆病な自分に、十夜は嫌悪感を覚えていた。
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