第一章 1
科学文明の発達が停滞しだした二十一世紀後半。
日本では旧暴力団組織の大半が消滅し、代わりに様々なジャンルの非合法ビジネスを一組織につき一つ専門の鎬とする、新しいタイプの犯罪組織が乱立し、裏社会が巨大化していった。
裏社会の規模は、国の重要産業の一つと呼べる程に膨れ上がり、政府からも半ば黙認され、『裏通り』という呼び名が定着し、畏怖されるようになった。
清く正しく真面目に人生を送る者からは、裏通りの存在など現実味の無い遠い世界の物か、あるいは恐怖の対象となる物だが、そうではない者からすると全く異なる見方となる。
そして世の中には、清く正しく真面目な人間だけがいるわけではない。
「なあなあ十夜、裏通りに堕ちようぜ」
昼休みにわざわざ隣のクラスからやって来た親友――雲塚晃の第一声に、柴谷十夜は目を丸くした。
「学校つまらないし、受験勉強とか馬鹿馬鹿しいし、リーマンになって普通に生きて普通に死にましたーとか、考えただけでぞっとするよ。君も同じだろ。言わなくても僕にはわかるよ。よし、決まり。そうしよう。さ、帰ろうぜ。帰ろ帰ろ。死と隣り合わせの刺激と魅惑に満ちた世界にGO!」
教室内の隅々にまで響く甲高い声で一気にまくしたてると、座っている十夜の腕を取って立たせようとする晃。周囲の視線が十夜と晃に集まる。
いつも表情豊かで愛想がよく、目鼻立ちがはっきりとしていて、ぱっちりと見開かれた大きな目と長めのまつ毛が印象的な晃は、その容姿だけでも目立つ。想いを寄せる女子も多く、加えて本人の日頃からの奇抜な言動が更に注目を集めているため、学年単位での有名な生徒となっている。
今回の台詞も、いつもの奇行の一つとして見られているかもしれないが、十夜の受け取り方は違った。
「ちょっと待って……」
晃の強引さは毎度のことであるし、大抵の事には驚くことなく従う十夜だが、今回ばかりは流石に戸惑った。
「俺らまだ中二だろ。そんなやばい世界で生きるとか無理だろ」
裏通りに堕ちる十代が年々増えていく事は社会問題化し、ニュースでも頻繁に取り沙汰されている。警察も厳しく目を光らせているという話だ。
晃はこれまで頻繁に裏通りの話題を挙げていたし、十夜も晃に合わせて楽しんでいたが、自らが裏通りに身を投じるなどと、真剣に考えた事はなかった。
「伝説の相沢先輩も裏通りに堕ちたのは中二だっていうじゃん。裏通りに堕ちる奴って、大半が十代って話だしさ。僕等だっていけるいける。だから特別ってことでもないんだよ。さあっ、覚悟を決めるんだ」
十夜と晃が通う安楽二中では、ある伝説が語り継がれていた。
五年前、
ネット上の裏通り関連のサイトを巡れば、犯罪組織を幾つも潰しただの、二十人以上を一人で無双して皆殺しにしただの、現実離れした逸話が幾つも御目にかかれる。
「相沢先輩って、東京中の不良総ナメにしたとか学校をハーレム化したとか、表通りにいた時から普通じゃなかったみたいだし、比べるのもどうかと……」
「僕さ、面白いことしかしたくないんだけれど、もうさ、何しても面白さを感じられないんだよね。すげえつまらない。何もかもつまらない。つまらなくて死にたい」
躊躇している十夜に顔を寄せ、珍しく真顔で語りだす晃。
「何のために生きているのかって言われれば、楽しむために生きているんだ。楽しくないこと、面白くないことは一切したくない。絶対したくない。死んでもしたくない。生きるためには辛く苦しいこともしなくちゃならないとか、そんなの馬鹿馬鹿しいだろ? うん、心底馬鹿しいよ。でも表通りで生きていたら、そんな馬鹿馬鹿しいつまらない人生になっちゃうじゃん。裏通りならそんな馬鹿な生き方しなくてもいいんだよ? 常に死の危険に晒されたハードな世界だけれど、だからこそ楽しめる。きっと生き甲斐を感じられる。十夜が来ないなら僕だけで堕ちるよ」
最後の言葉に十夜は身を強張らせた。
十年近くもずっと行動を共にしてきた晃が、自分を置いてどこかへ行ってしまうという恐怖。闇の中、完全なる孤独に取り残されてしまう自分の姿が脳裏に浮かぶ。
「いや……晃がどうしてもっていうなら、俺だって行くよ。ただ……不安でさ……」
いつもの事であるが、自分に選択肢などない。晃の決定に十夜は従うだけだ。裏通りに堕ちるなどという、人生の生き死にすら左右しかけない話においても、それは変わらない。
加えて言うならば、十夜も父親の家庭内暴力に脅える日々の脱出を考えていた。
高校への進学もせず、家を出て働こうと決めていたくらいだ。もし裏通りに堕ちるとしたら、中学の卒業を待たずして、あの家から逃げられるかもしれない。
「で、具体的にどうするの?」
「お、やっぱり十夜もきてくれるかー。それでこそ十夜。実は裏通りのこと、あれこれ予習してきたんだけどね。裏の仕事ってのもいろいろあるらしいんだ。違法ドラッグ製造販売、人身売買、武器兵器密造販売、護衛、ヤバいブツ専門の卸売り、運び屋、情報屋、始末屋、他にもいろいろね。で、昔のヤクザや海外のマフィアのように、一つの組織があれこれ手広く鎬をしているわけじゃなくて、組織によって業種が完全に決まっているんだってさ。だから自分が気に入った仕事を選べるってわけだよ。あ、始末屋だけは例外としていろんなことするみたいだけどね」
早口で嬉しそうに解説する晃。地声が大きいので、クラス中に響き渡っているのが十夜は気になって仕方が無かった。
「ま、やるなら始末屋がいいね。うん、それがいい。困ったことを引き受ける、所謂何でも屋。漫画でもよくネタにされてるじゃん。実は予めその手の組織と、もう話もつけてあるんだ」
すでに話をつけていると聞き、流石は晃だと舌を巻く十夜。この行動力なら、現時点でこいつ一人でも、裏通りでやっていくには十分ではないかと思えてしまう。
「本気で言ってんのかよ。どうせすぐビビって逃げ帰ってくるんじゃねーの?」
不意にクラスの後方で固まっていた不良の一人が、茶々を入れてきた。晃の話があまりにぶっ飛んでいる故か、他の不良は触れようとはしなかったが、一人だけ、ちょっかいを出さずにはいられない性分だったようだ。
晃が声の主の方に振り返り、にっこりと愛想よく笑う。
直後、凄まじい音が響き渡り、晃以外の教室内にいた全員の心臓が、同時に大きく跳ね上がった。
「これも予め買っておいたんだ」
片手で銃を構えた晃が、十夜の方に顔を向けて悪戯っぽく笑ってみせる。銃口からは硝煙が漂っている。銃弾は不良の足元の床を穿っていた。不良は引きつった顔で硬直している。
「ねね、よく聞こえなかったんで、もう一度言ってくれないかな?」
茶々を入れた不良の方に銃口を向けたまま、あっけらかんとした口調で声をかける晃。不良は歯をかちかちと打ち鳴らして、泣きそうな顔で首を横に振るだけだった。
「あ、十夜の分ももちろん買ってあるよ。はい」
「ちょっ、こ、こ、こここんなとこ所でそんなっ、たたたたたいたい大変なことにっ」
懐からもう一挺銃を抜き出し、十夜に差し出す晃だったが、十夜は混乱のあまり呂律が回らず、手を振って拒否してしまう。
「あ、通報されたら面倒か。よしっ、このままずらかろうぜ」
やんちゃな笑顔で告げると、晃は十夜の手を取り教室の外へと早足で連れ出す。十夜はそれに従うだけだ。
これまでもそうだったし、これからもそうであるに違いない、例え日常から外れて、裏通りなどという非日常の世界に入ったとしても、歩く道はいつまでも同じだと、その時は信じて疑っていなかった。
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