マッドサイエンティストと遊ぼう!

ニー太

第一章 裏通りで遊ぼう

第一章 二つのプロローグ

 雪岡研究所――その名はネット上の都市伝説として名が知られ、憧れと畏怖とネタの対象となっている。

 そこには雪岡純子という名の不老不死のマッドサイエンティストがいて、研究所を訪れた者に、人智を超える力を与えるというのだ。

 ある者は正義のヒーローに改造され、ある者は怪人に改造され、ある者はただ単に超常の能力を付与される等、力の与えられ方も様々だ。


 検索すれば研究所の公式サイトはすぐに見つかり、トップページには堂々とこう書かれている。


『私の実験台になってくれる人に凄い力を与えます。死んでも文句を言わない人、大募集!』


 力を得る代償は、雪岡純子の実験台になることだ。彼女は自分の研究の実験台を欲しており、力を望む訪問者はその実験の結果として、力を得られるかどうかの運試しとなる。

 雪岡研究所に足を運び、超常のパワーを得たという報告は多いが、失敗して命を落とした者や、人とかけ離れた化物のようになってしまった者等の、不穏な噂も頻繁に飛び交っている。

 訪問者の動機も様々だ。正義の味方に憧れる者、裏通りで生きるために前もって力を得たい者、自殺願望のある者、恨みを晴らしたい者、人生ドン底で何もかも失って一発逆転に願いを託す者など。


 翌日に高校の卒業式を控えた岸部凛は、この怪しい噂話に心惹かれた。


(もし噂が本当ならば、私の願いもかなうかもしれない)


 そう思い、凛は騙されたつもりで雪岡研究所を訪れてみることにした。こんな怪しいネタ話にですら縋りたい理由が、彼女にはあった。

 雪岡研究所のサイトからメールを送ると、すぐに返信が来た。


 メールには雪岡研究所の場所が書かれていた。東京都安楽市絶好町の繁華街にある、カンドービルというビルの地下一階に、雪岡研究所は存在するという。カンドービルの地下階への入り方と、パスワードも書いてあった。

 まさかの返信に、凛は半信半疑ながらも興奮しつつ、雪岡研究所へと向かう。


 カンドービルは一階から三階までは通常のデパートであり、ビルのオーナーは地下にそんな怪しげな研究所があるという噂を否定している。雪岡研究所の話以外にも、三階より上の階は全て裏通りの施設であるという噂や、デパードの店舗も全て裏通りの息がかかっている噂など、いろいろと黒い噂が耐えないビルである。


 凛が指定場所の壁を見渡すと、通行人なら気に留めそうにない蓋が壁についているのが、すぐに見つかった。蓋を開くと中にはアナログなテンキーボタンが並んでいる。ここまでメールに書かれていた指示通りだ。

 さらに指示に従ってパスワードを入力すると、何も無かった壁に突然切れ目が入り、壁が横にスライドして入り口が開き、下へと続く階段が出現する。秘密の扉から秘密の階段の出現という事態を目の当たりにし、凛の中でいよいよ噂が現実味を帯びてきた。

 階段を降りた先には、雪岡研究所と書かれた自動ドアがあった。ここまでくると流石に、手の込んだ悪戯とは思えない。


岸部凛きしべりんちゃんだねー。そのまま中に入って第十三実験室まで進んでー』

 スピーカーから響く声に従い、凛はドアをくぐる。


「ようこそー、雪岡研究所へー」


 指定された部屋で凛を出迎えたのは、ボーイッシュな服装の上に白衣を纏った、十代半ばほどの可愛らしい少女だった。

 茶髪のショートヘアに、猫を連想させる大きな目とシャープな顔立ちは、レズっ気のある凛の好みに合致する容姿で、思わず心をときめかせてしまう。だが凛が何より注目したのは、大きく見開いた目の中で蠱惑的に輝く真紅の瞳であった。リアルに赤い色の瞳など、生まれて初めて御目にかかる。

 部屋にはもう一人いた。中学生と思われる制服姿の小柄な少年だ。椅子に座って読書をしていたが、凛を一瞥するとすぐにまた本に目を戻す。美少年と呼ぶに値する容姿端麗さだが、凛の目には、美しいというよりは可愛いという印象だった。見た目の年齢も白衣の少女とさして変わらず、お似合いの美男美女の組み合わせに見える。


「じゃあ早速用件に入ろうかー。どんな力を得たいのー? あ、念押しするけれど、私の研究の実験台になるってことも兼ねているんだから、必ずしも成功するわけじゃないからねえ。失敗して死ぬこともあるからさあ」


 微笑みながらやや間延びする口調でもって、白衣の少女――雪岡純子が最終確認を取る。


「殺したい奴がいるの」


 凛も微笑み返して、蛇が絡まった十字架のペンダントを弄びながら淀みなく告げた。


「でもそいつを殺して警察に捕まりたくないの。人を殺しても警察に捕まらないような力が欲しい。そしてその後も裏通りで生きたいから、そういう力が欲しい」

「おっけー」


 常人なら正気を疑うような凛の要求に対して、純子は屈託の無い笑みを浮かべて二つ返事で応じた。ひどくあっさりとした応答に、凛は逆に不安を覚えたが――


「いやー、丁度良かったよー。たった今これを摘出し終えたところでさー」


 机の傍らに置いてあった物を両手で掲げて見せる純子。

 純子が笑顔で掲げている物を見て、凛は息を呑んだ。

 彼女が掲げている物は、透明の長い容器だ。中には液体が満たされ、容器内部の中央には、無数のコードが繋げられた脳と脊髄が固定されていた。


「これはねえ、妖術師の脳なんだ。これの一部を君に移植して、君もこの脳の持ち主と同じように妖術を行使できるようにならないかなーっていう、そういう趣旨の実験したいんだけれど、それでいいかなー?」


 あまりのアバウトさと軽いノリに、凛は言葉を失う。同時に、己の生命に危険が迫っていることを本能で察する。目の前の少女が、本気で得体の知れない実験を自分に施そうとしているのがわかったからだ。そもそも妖術師などという単語がさも当然のように口から出てくる辺りからして、ぶっとんでいる。

 これを承諾してしまえば、自分の人生はここで終了してしまうかもしれない。噂通り、リスクと恐怖を克服してこそ、求める力が手に入るという事を改めて実感する。ここに来る前から理屈ではわかっていた事だが、いざ目の前に突きつけられて臆してしまった。


「いいよ。それで力が得られるならやって頂戴」


 不安と興奮が入り混じり、微かに身を震わせながらも、純子の赤い瞳を見据えて、凛は力強く告げる。覚悟を決めた凛の表情を見て、純子は嬉しそうに満面に笑みをひろげた。


 それが二年前の話。


***


 柴谷十夜しばたにとおやの帰宅時間は遅い。大抵午後七時を回る。


「何匹捕まえたー?」


 十夜と一緒に遊んでいた雲塚晃くもつかあきらが笑顔で尋ね、十夜の目の前に置かれたバケツを覗き込んでくる。

 中には田んぼにいた蛭がびっしりと詰め込まれていた。田んぼでおたまじゃくしや蛙を捕まえるのならわかるが、よりによって蛭ばかり集めるという趣向。提案したのはいつも通り晃だ。


「暗いからもう数えられないよ」

「あー、暗いか。暗いね。んじゃ、そろそろ帰ろっか。こいつは逃がしてくる」


 晃がバケツを手に取って勢いよく振り回して、中の蛭を田んぼへと返す。


 十夜は幼稚園の頃から小学三年生になる今までほぼ毎日、同学年の晃と遊んでいた。幼稚園の頃には他にも友人がいたが、小学生になってからは、毎日晃と二人で遊んでいた。

 いつも晃に誘われる形でもって屋外で遊ぶ。室内でゲームをするようなことは一切せず、公園、田んぼ、川、少し遠出して丘陵地帯の林の中、時には裏通りの住人が出入りをするような廃墟等の危険な場所にまで、探険と称して入り込んだ。いつも晃が主導して、十夜はただそれに付いていく。


「じゃあっ、また明日なっ」


 完全に日が暮れた中、朗らかな笑顔で別れを告げる晃。いつも帰る時はこの言葉であったが、その一言に十夜は救われていた。いや、縋っていた。明日になればまた晃と会える。一緒に楽しい時間を過ごせると。

 晃と共にいる間は十夜にとって至福の時間であった。その時間が終わり家に帰れば、十夜を地獄が待っている。


 重い足取りで十夜は帰路につく。途中、コンビニによって今夜の夕食となる弁当を二人分買う。


「今日も遅かったな」


 家の扉を開けると、卓袱台の前で胡坐をかいた父親が安酒を注いだコップ片手に、声をかけてきた。十夜は視線を合わせようとはしない。顔すら見ようとしない。

 並びの悪い歯、歪んだ口元、片方だけ薄目でもう片方は大きくひん剥かれた目、気の弱い者なら一目で目を背けたくなる悪相の持ち主。生まれた時から一緒にいる十夜ですら、視界に入れるのをできるだけ避けている程である。

 1DKのアパートの一室。名前すら知らない父親との二人暮らし。掃除、洗濯、買い物、ゴミ出しといった家事の大半は、小学生にあがってから十夜が務めている。料理はできないので、コンビニ等で二人分の弁当を買ってくるだけだ。


「これ……今夜の」


 帰宅前に買ってきた海苔鮭弁当をおずおずと差し出す十夜。

 弁当を一瞥した父親が、元々歪んだ顔をさらに歪めて、十夜の頭を平手ではたいた。平手ではあるがあまり手加減はしていない。十夜の体が吹き飛んで倒れる。


「焼肉弁当にしろって言ったろ。何で違うの買ってんだ? ああ?」

 まだ十歳にも満たぬ息子に凄味をきかせて恫喝する。


「え……? でも朝には鮭の――」


 口を開きかけて今度は太ももを蹴られた。これは痣になりそうだと、頭の中で冷静に判断する十夜。


「口答えしてんじゃねえよ、使えねーな。明日は必ず焼肉買ってこい焼肉」


 父親の理不尽な仕打ちと暴力は毎日のことだが、十夜はこれが普通ではないことを知っている。自分は不幸な星の元に生まれたと認識している。


「おめーみたいな出来損ないなんざ、生まれてこなければよかったのによ。おめーみたいなもんを食わせてやってることに感謝しろよ」


 弁当箱を広げながら、父親は定番の台詞を口にした。一日に何度も口にする台詞。


(父さんの言うとおりだ。こんな家になら、こんな世界になら、生まれてこない方がよかった)


 その台詞を聞く度に、十夜もそう思う。かといって死ぬこともできない。この家から出ることもできない。


 つい半年前くらいまでは、この家から自分を救いに来てくれるヒーローの出現や、自分に超常の力が目覚めてごろつきの父親をやっつけることを夢想したりもしていたが、それも今や消え失せた。

 悪の科学者に身を差し出して実験台になる代わりに、普通では得られないような物凄い力を手に入れられるという、雪岡研究所なるものがあるという噂に心をときめかせたりもしたが、それもただの作り話だったのだろうと、無為な願望として切り捨てた。


 どんなに望んでも、絶対にひっくり返る事は無い過酷な現実。正義のヒーローは助けにきてくれないし、ある日突然超常の力に目覚めたりはしない。異世界に召喚される事もない。

 何年か前に、霊と死後の世界の存在、さらには輪廻転生が科学的に実証されて、全世界で公式に認められてからというもの、超常の力を持つ者の実在も見え隠れしはじめているきらいがあるが、十夜はそんなものにお目にかかったことが無いし、有り得ないと考えている。


(世の中くだらない。家も学校もつまらない。でも……)


 この年齢ですでに厭世的になっていた十夜であるが、一つだけ楽しみがある。晃と遊んでいる時だけはとても楽しい。いつも変わった遊びや危険な遊びばかり思いついて、十夜を連れまわす晃のことが、十夜は大好きだった。

 ずっと晃と遊んでだけいたいと切に思う。


 それが五年前の話。

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