終曲


 ユリアが目を覚ましたとき、瞳に映ったのは知らない天井だった。


 確か、昨日も自室のベッドで寝たはずなのだが。不思議に思って起き上がろうとすると、なんだか身体がうまく動かない。いや、別にそれ自体はおかしな話ではない。


 自分は完全に老衰していた。齢八十、世界中を探してもこれほど長命だったのは自分くらいだろう。ただ、完全に足腰は弱りきっており、ほとんど寝たきりの生活を送っていた。だから、身体がうまく動かないのは不思議ではない。


 しかし、なんだろうか、この内から湧き出るエネルギーは。まるで生まれて間もない赤ん坊にでもなったかのようだ。


 ユリアはとりあえず起き上がるのは一時中断し、思索を寝る。一体、自分が寝ている間に何が起きたのか。高名な回復魔術師でも連れてきたのだろうか。いや、それならば身体はむしろ動きやすくなっている筈だ。


 ユリアが自らが生まれて間もない赤ん坊になったのだと気付いたのは、それから数時間後——母親の乳房を前にして理性が消失したときだった。


        × × × ×


 ——十五年後。


 転生。話には聞いていたが、まさかそれが自分の身に起きるとは思っていなかった。というか、自分は自然死したのか。そんなことを最初は考えたが、今では新しい人生にも慣れ、若さを満喫している。


 そんなある日、母親がお見合いの話を持って来た。ユリアの転生した家は、聖族純血の地方貴族だった。この時代——ユリアが生きていた時代より五百年後の時代では純血は珍しい部類に入る。同じ国に他種族が混ざり合って生活しているのだから、それも当然だろう。


 別に特別なこだわりがあるとか、家のしきたりでというわけではなく、単純にたまたま結婚相手がいつも聖族だったらしい。この時代で目が冴えるほど真っ白な髪は目立つ。そこで、南西にある村の魔族の血が濃い領主の長男と結婚させようというわけだ。ちなみにユリアは次女だった。


 ユリアも文句はない。前世ではわがままを貫き通し、未婚のまま死んでしまった。生まれ変わってまで他人に迷惑をかけるような真似をしようとは思えなかった。


 お見合い当日、その少年の顔を見た瞬間——涙腺が崩壊した。


「ど、どうしたの、大丈夫……?」


 母が心配そうな顔をして声を掛けてくる。


「いえ、その、も、申し訳、ありませんっ!」


 ユリアは堪らずその場から駆け出した。


 嘘だ。嘘だ。嘘に違いない。誰か嘘だと言ってくれ。自分が、あの、ルクス・アエテルニターティスを殺めただなんて、悪い夢に決まっている。


 ユリアは全てを思い出した。ルクスとの出会いも、ルクスへの恋心も、ルクスに好きだと言われたことも、ルクスの頬にキスをしたことも、全部、全部だ。本当に心の底から好きだった。それなのに、どうして——


「ルクス、さん……」


 うずくまって彼の名を呼ぶ。


「——呼んだ?」

「え……」


 振り向くと、そこにいたのはお見合い相手の少年だった。彼の名前はルクスではないはずだ。そもそも、ルクスは世界を騒がせた大犯罪者として名を残しているのだから、ルクスなんて名前をつける親はいない。


「久し振りだね——ユリア」

「う、そ……」


 転生して、もちろんユリアの名前は変わった。だから、自分をユリアと呼ぶのは、自分がユリア・フライア・フォン・ヴァイスリッターだと知っている人物しかない。しかし、ユリアは誰にもそのことを話していない。


「直感、なのかな? きみを見た瞬間、確信したよ」

「本当に、ルクスさん、なのですか……?」

「うん、本当だよ」

「本当の本当にっ?」

「本当の本当に。フライアとノットに誓って、ね」

「なっ……」


 ああ、本当にこの人は、ルクス・アエテルニターティスなのだ。自分が愛し、自分が殺した人なのだ。もはや疑う余地はどこにもなかった。


「どうして、あんな真似をっ? も、もっと他に、方法は、あったはずでしょう……っ!」

「あれが一番確実だったんだ。ぼくはきみが幸せに生きていけるように、戦争を失くしたかった」


 なにを言っているのか分からなかった。そんなもののなにが幸せだ。


「あ、あなたがいなければ、なんの、意味もっ……」


 本当にそうだろうか。自分は幸せではなかったのだろうか。戦争が無くなり、大勢の民に慕われ、アリスやクリスティーナとたまに女子会を開き、生きている間に王国と合併し、平穏な余生を過ごした。一体、どのあたりが幸せじゃなかったのだろうか。本当に、なんの意味もなかっただろうか。答えは、否だ。


「ありがとう、ございました……っ。私は、幸せに生きましたっ! 全部、全部っ! ルクスさんのおかげなんですね」

「ぼくだけじゃない。ディゼスピアがいなかったら無理だったし、聖女がいなかったらと思うとぞっとする。魔王とユリアが努力したから、平和は保たれてる。みんなのおかげだ。そして、なにより、」


 ユリアを抱き寄せ、ルクスは言う。


「——きみがいたから、頑張れた」


 反則だ。前世も含め、彼の言葉はいつも自分の心を鷲掴みにする。


「きみと出会えたから、生きたいと思えた。きみを助けるために、頑張ろうと思えた。きみの笑顔を守りたいと思った。きみの幸せがぼくにとってはなににも勝る幸せなんだ。辛いと思ったことがないとは言えない。苦しいと感じたことがないとは言えない。諦めかけたことも、挫けそうになったことも、何度もある。でも、きみの顔を思い浮かべれば、そんないろいろは吹き飛んだ。きみが幸せだったと言ってくれただけで、ぼくは全てを肯定出来る」


 そうだった。彼はこんな台詞を平気で言ってしまえるような人だった。


「もう……恥ずかしいですよ」


 しかし、ユリアも言われっ放しではない。次に会うときまでに、彼に喜んでもらえるような言葉を考えておくと宣言したのだから。


「私も、あなたに出会えてよかったです。あなたに出会えたから希望が持てました。あなたに出会えたから人を信じることが出来ました。あなたと出会えたから幸せになれました。ルクスさん、私はあなたを——心よりお慕い申し上げております」

「確かに……言われてみると、ちょっと恥ずかしいね。でも、嬉しいよ、ありがとう」


 言った本人が一番恥ずかしそうにしているのは、見なかったことにしておこう。


「い、いいんです、お礼なんて……一生返せないほどの恩がルクスさんにはありますから」

「そんなの、返さなくていいよ」


 別に対価が欲しくてやったわけじゃないし。なんなら、対価はすでに貰っている。彼女を幸せに出来たのなら、本当にそれで充分だった。


「で、でもっ、今度はルクスさんが幸せになる番ですっ!」

「ぼくはきみが幸せなら幸せなんだよ。でも、そうだね……どうしてもってことなら、一緒に幸せになろう」

「それ、は……」


 照れで目を泳がせるユリアに、ルクスは笑って頷く。


「——ぼくと結婚してくれないか?」


 ダメだ、にやける。ユリアはにへらと表情を緩ませて答えた。


「はいっ」


        × × × ×


 両親から話を聞き終えて、少年は息を漏らす。


 誰が世界を救ったのか。今、この時間は誰のおかげで流れているのか。自分が生きているのは、誰の努力の結晶なのか。勇者と魔王だって、少なからず関わっている。けれど、ルクス・アエテルニターティスとその中に宿っていたという魂、ディゼスピアが要であることは間違いなかった。


「信じるか信じないかはあなたの自由よ。ただ、できれば、将来あなたに子供が出来たとき、『悪いことをしたら、ルクス・アエテルニターティスに襲われる』なんてことは言わないで欲しいわね」

「ルクス・アエテルニターティス……」


 少年はちらりと父親を見る。その瞳は優しげに自分を見つめていた。まさか、本当に、そういうことなのだろうか。父親が、あの、ルクス・アエテルニターティスなのだろうか。


 別に直接そう言われたわけではないが、嘘をついているにしては話が細か過ぎるし、そこまで知っているのなら当人だと考えるのが普通である。


「信じます。お母様とお父様の話を」

「そう。嬉しいわ」


 母親は柔らかな笑みを溢した。


        × × × ×


 深夜、ベッドに腰掛け、隣に座った彼に頭を撫でられながら、目を閉じてみる。


 まぶたの裏に浮かんでくるのは、今までのこと。もっと他にもやりようはあったのではないだろうか、そんなことを今でも思う。


 彼の肩に頭を預け、安らぎに満たされると、今度はこれからのことが頭の中を駆け巡る。息子のこと、彼のこと、未来は考えたところで分からないけれど、こんなことが起きるかもしれないと考えることに、全く意味がないわけではないと思うから。


「これで、よかったのでしょうか……」


 ユリアはか細い声でつぶやく。彼——ルクスのことを、息子にだけは誤解して欲しくなかった。他の誰が彼を罵ろうと、せめて家族だけは知っているべきだとそう思った。


「よかったんじゃないかな。ありがとう」

「そんな、お礼なんて……私がそうしたかったんです」

「それでも、だよ」


 ユリアは甘えるようにルクスの胸に顔を埋める。今、自分がこうしていられるのは、彼のおかげだ。本当に、愛おしい。この時間がずっと続けばいいと思う。


 ユリアはルクスを濡れた瞳で捉える。ルクスは笑って言った。


「ありがとう、ユリア——きみのおかげで幸せになれた」

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絶望の戯曲 鴻咲夢兎 @yumeusagi

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