絶望の戯曲Ⅵ


 十年後——


 魔導王アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルと、王位を継承したユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッターは幾度もの外交を重ね、最終的にグライミリティス王国に包括されるような形になることを目指した。


 王位継承に関してはなんの問題もなく、長兄ドミニクとの関係も良好だ。


 王国に内包される形を取ったことに関して、全く不満が出なかったかと訊かれれば首を縦に振ることは出来ないが、数年に渡る長い話し合いの末、なんとか受け入れてもらえた。


 最終的に受け入れてもらえるだろうことは、正直分かっていた。誰だって、もう戦争などしたくない。それに関係して面倒な業務は溢れるほどあるが、平和のためだと思えばそれも些末事である。


「さて」


 ユリアは業務をキリのいいところで終わらせ、立ち上がる。今日は私用が入っているのだ。向かうは王城地下に造られたユリアともう一人しか入ることの出来ない魔術が施された部屋。


 廊下を歩きながら、窓から城下町を見下ろすと、ぽつぽつと黒髪の人間——魔族の姿が目に映る。十年前ならあり得ない光景に満足しながら、ユリアは歩みを進める。


 と、いきなり背後から声が聴こえてきた。


「やっほー、ユリア王女殿下、元気してる?」

「その呼び方、やめて下さいと言っているじゃないですか……」

「たまにしか呼ばないじゃないないかー。嫌がらせだよ、い、や、が、ら、せ。そんなことよりもっとびっくりしてくれないとつまんないだけどなぁ」


 さっと隣に移った紗倉葵は頬を膨らませながら、ユリアの顔を覗き込む。そんな葵を見て、ユリアは小さく息を吐いた。


「いつもいつも後ろから出てくるんですから、いい加減慣れます」

「ちぇっ、次はどう驚かそうかなー」

「驚かすのをやめるつもりはないんですね……」


 出会った頃から全く変わらない。もう二十七歳だというのに。


「ティナはそろそろ落ち着きを持った方がいいです。だいたい、ティナは真面目にしようと思えば出来るのに」

「あー! あーっ! 聞こえないなーっ!」

「全く……もう子供じゃないんですからね?」

「分かってる分かってる。なんたってあたしは大人なお姉さんだからね。ほら、色気とかフェロモンいろいろ出てきたろう?」

「それで殿方をからかったりするのをやめなさいと言っているのです」

「そういうユリアはそろそろ相手を見つけられたのかな?」


 葵の台詞に、ユリアはぐっと言葉を詰まらせてしまう。ユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッター、二十五歳、独身、交際経験ゼロ。


「処女王殿下」

「……侮辱罪で死刑になりたいようですね」


 額に血管を浮かび上がらせながら、ユリアはにっこりと笑う。目は全く笑っていないが。


「事実を言ったまでだぜ、あたしは」

「わっ、私は、ティナとは違って貞操観念がしっかりしているんです!」

「ひっどいなー、人を淫魔みたいに。侮辱罪で訴えちゃうぞぉ?」

「……あなたと話していると、本当に疲れます」

「ちょっと、それは本当に傷つくからやめてくれよ」


 なんて、馬鹿な話をしているうちに、目的地へと辿り着いた。ユリアと葵は躊躇いなく扉を開け、室内へと入っていく。ユリアの他にこの部屋に入ることを許されている人物は、もちろん葵である。


 部屋の中には物は特になにもない。窓もなければ、秘密通路があるわけでもなく、そこにはこじんまりとした空間があるだけだ。しかし、当然だが、ただの空き部屋というわけではない。


「「——転移」」


 二人が同時に言葉を発すると、次の瞬間には部屋はもぬけの殻になっていた。


 転移魔術。この部屋には葵の手によって、魔力を込めて発動キーを口に出すことで予め指定された地点に室内にいる者を移す魔術がかけられている。


 ちなみに、世界の魔術レベルでは今でも数十キロ先にランダムに転移する転移結晶を作るのが限界だ。それも、単発。その上、年単位での制作になる。葵の身に宿る最高神の切れ端のさらに切れ端のような力は、人間界において充分過ぎるほど絶大だった。


        × × × ×


 ユリアはまぶたを持ち上げ、無事に目的地に転移出来たことを確認する。瞳に映るのはログハウスらしき家のリビングルームだ。ここは紗倉葵の旧自宅である。


 紅茶と洋菓子を用意してくつろいでいると、突如室内に人が現れた。彼女も葵が用意した転移魔術の施された部屋からここへ飛んできたのだろう。


「こんにちは、アリスさん」

「やあやあ、魔導王様」


 アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルこと、築地京華。この中で最年長の彼女は実年齢通り大人びた雰囲気を纏っている。


「こんにちは、ユリア、クリスティーナ。待たせちゃったかな」

「いえ、私達も今来たところです」

「そう。それならよかった」


 微笑みはユリアですら見惚れてしまうほどだ。ちなみに、京華の口調は魔導王として振舞っているときは昔と変わらぬままだ。彼女が砕けた物言いをするのは、この場でのみだった。


「さてさて、みんな揃ったところで始めようか。待ちに待った女子会だぜ」

「私はもう女子って歳じゃないけど……」

「細かいことは気にしない。乙女は何年経っても女子を自称することが許されているのさ」


 そんなグダグダな調子で、自称乙女達の女子会は始まった。


 この会が初めて催されたのは、九年前、争いが終わって一段落着いた頃である。密かに京華と親交を深めていた葵は、京華とユリアをこの家に招いた。詮索されるのは困るから自分が紗倉葵だとバラすことは出来ないが、せっかくなら皆で仲良くしたい。そういう感情からの行動だった。


「ところで」


 と、ユリアが話を切り出したのは、そろそろお開きにしようかという時間になった頃だった。二人とも国王だ。いつまでも遊んではいられない。


「アリスさんは、その、結婚するつもりとかはあるのでしょうか……?」


 ここに訪れる前、葵に言われたことを気にしていたのだ。同じく独り身である京華に同意を得るのが自分を励ますことになるかもしれない。


「……随分と急だね。そこのありがた迷惑な聖女になにか言われたの?」

「随分と刺のある言い方をするじゃないか!」

「事実でしょ」


 本当この聖女は、と思わざるを得ないことを度々されている。まあ、そんな彼女を嫌いになれないのも事実なのだが。


「結婚かぁ、私は考えてないよ」

「それは、やはりいい相手が見つからないから……」

「ううん、違う、そうじゃないの」


 京華が結婚を考えていない理由は一つ。


「——私、好きな人がいるの。もう、この人以外ありえないってくらいの人」

「? なら、その人と結婚すればいいのでは?」

「それが出来たら良かったんだけどね……いろいろあってね、今、会えないの。でも、諦めたわけじゃない。いつか絶対に会えるって思ってるから、そのときまで好きで居続ける。ていうか、正直、好きじゃなくなることが出来ない、みたいな」


 照れ臭そうにそんなことを言う京華を見て、ユリアは羨ましいと思った。自分には誰かを好きになった記憶がない。もう半分くらい諦めている。国のためにも、有力貴族を婿に迎えようかと考えたことだってある。


 けれど、出来ないのだ。そんなことを考えると、唐突に涙が溢れてくる。感情がなにも込められいない、透明な涙が。その涙が流れる度に思う、これをしたら必ず後悔すると。だから、ユリアは結婚出来ない。


 思い詰めたような顔になったユリアに、京華はそっと声を掛ける。


「結婚がそんなに大事だとも思わないよ、私は。別に後継が直系である必要なんてないんだし、なんなら兄の子供とかでもいいでしょ。生きてるうちに王国に国を包括させれば、国を背負う義務は無くなっちゃうわけだしね」

「そう、ですね。でも、私も出会いたいのです。そんな、そんな風に、思える人に……」

「出会えるさ。必ず出会えるとも。きみはハッピーエンドになるのを約束されてるんだぜ?」


 葵の冗談に、ユリアは力なく笑う。本当に出会えるのだろうか。いつか、この身を捧げてもと思える人物に。


        × × × ×


 結局、ユリアはそんな人物と出会うことはなかった。京華も彼と再会することはなかった。それも当然だ。自らの手で殺してしまったのだから。


 けれど、あのとき葵が言った言葉は事実だった。彼女は、彼女達はハッピーエンドを迎えることを約束されている。


 戦争の前、紫苑が神に願った内容を、葵はもちろん知らない。しかし、紫苑ならきっと、こう願ったのだろうと確信していた。


 ——ハッピーエンドにしやがれ、くそったれ。

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