絶望の戯曲Ⅴ


 紫苑の幼馴染みである葵が現れてから、さらに二十分が経過した。今のところは魔術合戦だ。まだ、均衡を保ててはいる。この辺りで、痺れを切らしたユリアと京華は自分の使用出来る最高位の魔術を放ってくるだろう、と予想した紫苑は詠唱を開始する。


「展開——Df.Diaboli No.X」


 紫苑の意図を汲み取ったルクスが詠唱する。


「展開——Df.Angels No.X」


 そこで相対していた三人が口を開いた。


「「「展開——」」」


 築地京華が右、ユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッターが左、紗倉葵が正面で詠唱を始める。


「——Atk.Notte No.X 破壊ディストラクション

「——Atk.Frayja No.X 創造シェプフン

「——Atk.Ignis No.C 日輪サン


 左からは対象物を破壊する不可視の魔術が、右からは想像を創造し生み出された一撃必殺の兵器から放たれた光線が、正面からは太陽の如く輝き周囲一帯を灼熱地獄に変貌させるほどの熱をもった炎の塊がルクスと紫苑に迫る。


 しかし、


「融合——Df.Chaos No.X 無秩序イノルディナティオ


 自分を中心に半透明なドーム状の膜が展開される。そこをそれぞれの魔術が通り抜ける——消えた。跡形もなく、まるでもともとなにもなかったかのように、魔術が消え去った。


「……どういう仕組みだ?」


 京華に問われる。自分の魔術を防がれたことが心底気になるらしい。そんな京華に紫苑は高らかに笑って言った。


「普通、そんなこと敵に聞くかよ、おい。まあ、知ったところで意味はねぇ、教えてやるよ。【無秩序イノルディナティオ】はその名の通り秩序を無くす。魔術の構造すらデタラメにしちまうってわけだ。どんな魔術も、俺の前じゃあゴミ同然だぜ。俺を殺したけりゃあ、その剣で向かって来ることだな」


 どっちにしろ、もうユリアと京華の魔力は尽きかけているだろう。このタイミングで接近戦にシフトしなければ、本当に自分が勝ってしまう。洗脳魔術は完璧じゃない。出来れば、二人に疑問一つ与えることなく自然に殺されたかった。


「反則級、ですね」


 ユリアが苦い表情を浮かべる。魔王と勇者が共闘出来ないと思っているのだろう。なにかの拍子に殺意が増幅して攻撃してしまうかもしれない、と。


「あいつの魔術はあたしが防ごう。きみ達は互いを攻撃しないよう気をつけてくれればそれでいい」


 葵に言われ、京華とユリアは視線を交わらせる。まだ悩みは消えないようだ。ここで自発的に祈ってくれれば楽なのだが、望みは薄そうだった。紫苑は精一杯馬鹿にしたような態度で声を発する。


「ははっ! どうした? 止めるか? フライアとノットにでも祈ってみたらどうだ? 困った時の神頼みってな!」

「それは妙案だ。私は貴様を倒すことをここに誓い、前払いで聖気と邪気の、聖族と魔族の、勇者と魔王の相反する性質を打ち消してもらうことにしようか」


 よし、と紫苑は心の中でガッツポーズをする。実際のところ、彼女らがそんな宣言をしなくともなんとかなるのだが、それよりも誰かが祈ったからという理由があった方がいいだろうと判断してのことだった。


【——その願い、確かに聞き届けた】


 世界に声が響く。皆、初めて聴く声だった。発生源は見当たらないが、しかし、それが誰の声であるのか分からない者はただの一人としていなかった。


【——呪縛から解き放たれし我らが眷属よ。御使いを手駒にした、我らに仇なす敵を排除してみせよ】


 創造神フライアと破壊神ノット。紛れもなく二神の言葉であると理由も根拠もなく確信した紫苑は、視線を交わらせ固まる京華とユリアを見てにやりと口端を吊り上げる。


「ははっ、まさか、こんなにも簡単に……」


 己の中から勇者への殺意、聖族への本能的な憎しみが消え去り驚いている京華を瞳に映しながら、紫苑は覚悟を固めていく。


「負ける気が、しない」

「そうですね。今はそれだけ分かれば」

「ああ、充分だ」


 攻撃範囲外にいる騎士達すら背筋を凍らせ、失神してしまうほどの気迫。正直、勝てる気がしない。それでも、最後まで足掻かなければ、最後まで彼女達の敵であり続けなければ。それが自らに与えられた役なのだから。


「……茶番だな」


 紫苑はそっと独りごちる。下らない、下らない、本当に。神はこれを好機とばかりに喧嘩をやめたのだろう。自分の情けなさのために人間を巻き込んで、のうのうと生きていくのだろう。


〈反吐が出るぜ、くそったれ〉

(まあまあ、仲直りしてもらわないとぼくらにとっても都合悪いんだから)


 京華とユリアは自分と違って、これからもこの世界で生きていかねばならない。二人が無意味な戦いから解放されるというのは確かにいいことだ。理由はそれだけじゃない。


 ——誰にも不満が出ない形にすること。


 それが、最高神が願いを叶えてくれる条件だった。つまり、報復は禁じられたのだ。なにがなんでも、紫苑とルクスはフライアとノットを仲直りさせなければならないし、絶対にユリアと京華を悲劇に導いてはならない。


〈お前はなにがそんな楽しいんだよ〉


 別に不満はないけれど、楽しくはない。しかし、ルクスはなんだか機嫌が良さそうだ。


(分かんないかな。これは英雄になれるチャンスなんだ。世界がぼくを必要としている。ユリアを幸せに出来る。こんなに楽しいことはないよ)

〈分かんねぇな。完全に恨まれてんだろうが。てめぇが英雄になれたとして、俺達がある意味で世界を救ったとして、それを知ってるのは葵と俺とお前だけだ。そんなもんになんの価値がある〉

(いいんだよ、それで。別に感謝されたり敬われたりしたいわけじゃないから。ただ、今、ぼくがこうしてここにいることに明確な意味がある。それだけで満たされる。例え、それが全て用意されていた舞台だったとしても、だ)


 必要とされてこなかった少年の気持ちは、紫苑には分からない。ただ、


(ぼくが英雄であることなんて、ぼくが知ってればそれで充分だろ)


 それは確かにそうなのだろうなと思えた。


〈はっ、違いねぇ〉


 この身体に宿ったばかりの頃は不安に思ったものだが、いつの間にかルクス・アエテルニターティスは成長していたらしい。近くにいると変化は見逃してしまいがちだ。ふとした瞬間に捉えた彼の姿は、別人かと見紛うほど逞しかった。


「覚悟はいいか、ルクス・アエテルニターティス」

「その首、頂戴させていただきますよ」


 戦意に満ちた二人に苦笑を返し、紫苑は改めて聖魔剣を構える。


〈気張れよ、ルクス。クライマックスだぜ〉

(うん)


 ルクスはユリアと京華を見据え、ぎゅっと柄を握りしめる。


「かかって来いよ、ぶった斬ってやる!」


 先にルクスの言葉に反応したのは京華だった。京華は一歩距離を詰め、間を置かずに魔剣を横薙ぎに振るう。ルクスはそれを背後への跳躍で回避しながら、横から斬りかかってきたユリアの聖剣を受け止めた。


 ルクスは着地と同時に地を蹴り、カウンターを恐れて退いたユリアに突撃する。しかし、大上段から放った斬撃は受け止められてしまう。鍔迫り合いになる前にルクスは距離を取り、詠唱した。


「展開——Atk.Angelus No.I」


 黒い靄が現れたところで詠唱を保留する。それを引き継ぐように紫苑が唱える。


「展開——Atk.Diaboli No.I」


 紫苑は光が現れたところで詠唱を留め、ルクスと紫苑は仕上げの詠唱へと移行する。


「融合——Atk.Chaos No.I 聖邪混在す奇跡の剣カリバーン


 二つが混ざり合って現れた千を超える数の聖魔剣を空中操作しながら二人と相対する。京華の攻撃を一本の聖魔剣で防ぎ、それぞれに十を超える聖魔剣を発射すると同時に、ユリアを背後から襲う。


「こんなっ、温い、攻撃で——」


 二人は驚くべきスピードで的確に剣を振り、聖魔剣をいなし回避し叩き落とす。


「私達を、倒せるとっ、思っているのか!」


 全てを防ぎきった二人が、自分に向かって駆けてくる。この化物どもには十本程度じゃダメだ。そう感じた紫苑は、それぞれを五百の聖魔剣で囲み、一斉に発射した。


 剣戟の音が荒地に響く。次々と弾き飛ばされていく聖魔剣を操ることに集中していたルクスと紫苑は殺気を感じ、その場から大きく飛び退く。すると、先ほどまでルクスのいた場所に雷が落ちた。


 強烈な光で瞑目し、轟音で耳がイカれそうになる。薄っすらとまぶたを持ち上げて紗倉葵を睨むと、葵は底意地の悪そうな笑みを見せていた。


 あれは本気で楽しんでいる顔だ。ここぞとばかりに最大級の属性魔術を連発してくる。自分の幼馴染みのイカれ具合を改めて認識した。


「くそあまが……次会ったら絶対ぶん殴る」


 暴言を吐きつつ、制御が疎かになり数が減ってしまった聖魔剣の群れから抜けだしてきた二人の攻撃を紙一重で躱す。見たところ、二人とも傷はないようだった。


(良かったのか、悪かったのか……)


 ルクスが半ば呆れ気味に心中でぼやく。


「まじで化物かよ、おいっ!」


 紫苑とルクスは両手に聖魔剣を持ち、追撃してきた二人の剣を受け止める。衝撃で地面が沈んだのを見てなんだか馬鹿馬鹿しいと感じながら、剣を弾き返す。


「それはこちらの台詞ですっ!」

「どんな腕力をしているんだ貴様は……」


 お前らに言われたくねぇよ、と紫苑は思う。


(これは、避ける方がいいかもね……)


 今ので腕は痛んだ。そもそも、ほとんど同格なのだ。二人を相手取って互角で戦えているのは、ただの意地である。自分自身、ここまで戦えていることに驚いているくらいだ。


 ——死ぬまで強大な敵であれ。


 そんな決意を胸に突き立て、二人は足掻き続ける。


        × × × ×


 戦況が大きく傾いたのは、それから三十分以上が経過してからだった。銀の鎧は傷だらけになり、ところどころ大きく裂かれて出血している。そんな状態でも致命傷はなんとか避けてきたのだが、身体はもう限界に達していた。


 葵の魔術を躱したところに、タイミングを合わせて仕掛けてきた京華とユリア。躱すのは無理だと判断し、先と同じように双方を受け止める。


 左腕に激痛が走った。


「——っ!」


 聖魔剣を一本投げ捨て、大きく距離を取る。左腕に力を入れるも、ぴくりとも動かない。完全に使いものにならなくなってしまった。


「ちっ、くそが」


 悪態をついたところで怪我は治らない。治すためには回復魔術を行使しなければ。


〈……いや、ここらへんが潮時か〉


 接近戦に移行してから、魔術は剣を生み出すためにしか使っていない。ユリアと京華は自分の魔力も底に近いと思っているはずだ。回復魔術はそこそこ上級、ここで使えば怪しまれる。紫苑はそのまま戦闘を続行することにする。


 二対一、その上片腕が使えないとなれば、傷を負う回数は必然的に増える。肉が裂かれ、骨が断たれる。右腕を斬り落とされ、よろめいてしまう。


 ——瞬間、両胸を剣が貫いた。


「がっ……はっ——」


 喀血。剣が引き抜かれ、地面に膝をつく。視線を上げると、息を切らした二人の顔が瞳に映った。


〈上出来だ〉

(今まで生きてきて一番疲れたよ……)


 死ぬのは怖くなかった。怖いものなどなにもない。全ては計画通りだ。


「私達の、勝利です」

「とどめだ」


 首を断ち切るために、二人は剣を高く振り上げる。刻一刻と死へ向かって進んでいく中で、紫苑は離れた位置に佇む幼馴染み、紗倉葵を睨めつけた。


 紫苑の視線に気づいた葵はにっこりと笑う。


 ——あとは任せろ。


 幼馴染みからのメッセージを受け取り、紫苑も素早く口を動かす。


 ——来世で、待ってる。


 直後、視界がぐるぐると回転し、意識は途切れた。


        × × × ×


「勝っ、た……のか?」


 油断は出来ない。ルクス・アエテルニターティスは蘇りの魔術を使う。周囲を見渡してみるも、あの樹は見当たらない。


「本当に、倒したようですね」


 数分警戒したのちに、二人は緊張を解き、ルクスの死体を眺める。世界を騒がせた大犯罪者、圧倒的悪。


 不意に目頭が熱くなり、視界が滲んだ。


「あ、れ……?」


 悲しいわけではない。虚しいわけでもない。無論、苦しくもない。だから、それは——理由のない涙だった。


「なにか、おかしい」


 けれど、なにがおかしいのか皆目検討もつかない。違和感は涙が流れたということだけだ。嬉し涙ではない。嬉しいは嬉しいが、感涙ではないということは、直感で分かった。


「二人揃ってなにを泣いてるんだい?」


 飄々とした態度を装っているが、葵は内心でかなり焦っていた。記憶改竄も洗脳も適当にやったつもりはない。ユリアのときは涙だって引かせたのに、どうして今になって。


 いや、分かっている。理由は一つしかない。愛していた者の死。それが、隠されている二人の本心を刺激したのだろう。非現実的だが、非現実の塊みたいな魔術をぶっ放しておいて、そんなことは言うまい。


「分からないんです、私はどうして、泣いているのでしょうか。心はこんなにも落ち着いているのに、悲しくもなければ苦しくもないのに、どうして溢れてくるのか……」


 ユリアの言葉を聞いて、葵は少し安心する。もし、これで悲しさや苦しさ、虚しさまでもが蘇っていたなら、幼馴染みやルクスとの約束を破ることになってしまっていた。


 ——幸せにしてやって欲しい。


 幸せにする。その願いを叶えるために、紫苑が京華にかけた洗脳魔術も術式を聞いて引き継いだ。結果的にそうなればいいなどとは一ミリも思っちゃいない。葵は紫苑とルクスが死んだ時点——ついさっきから、京華とユリア、二人の寿命が尽きるまで、その約束を違えるつもりはない。


 幼馴染みが命懸けで守ったものを、自分が壊すわけにはいかない。それが葵の正義である。


「ま、分かんないことは後でゆっくり考えなよ。今はそれどころじゃないだろう? 聞こえるかよ、この歓声が」


 葵に言われて、二人はようやく現状を認識する。殺意は消えた、憎しみは失せた、わだかまりがないとは言えない、けれどもう無意味な争いを続ける必要はない。


「もう、きみ達は敵じゃない。死闘を潜り抜けた戦友だ。来るぜ、誰も想像しなかった、新しい時代が」

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