絶望の戯曲Ⅲ
創造神フライアと破壊神ノットは疲れていた。
遥か昔、些細なことで喧嘩を始め、口論は次第に武力行使に代わり、さらには人間をも巻き込み、止めるに止められなくなったこの状況を悔いていた。
謝ろうと思ったことは数えきれない。しかし、いつもプライドが邪魔をする。自分は悪くないのに、どうして自分が謝らねばならないのだ、と。
今まで触れられなかった相手に突然触れられるようになれば、人間達も不審感を覚えるだろう。千年前——人間を巻き込み出したときもそうだった。最初、両種族は戸惑い、二体を怪しんだ。なぜ、こんなにも憎いのだろうか。理由を伴わない憎しみは誰かに操られているという可能性を肯定する。
しかし、それはどうにでも出来た。まさか、全ての人間が互いを愛し合っているわけではない。誰にだって憎い相手がいて、誰にだって愛しい相手がいる。もともと聖族の誰かを憎んでいた魔族は存在していた。その逆も然りである。
ならば、争いの火種を起こすのに時間はいらない。小さな諍いから波紋は広がり、両種族はみるみるうちに互いを嫌悪し、ついには建国までした。
そんなときに生まれたのが勇者である。魔族を滅ぼす力を持った純白の騎士。だが、ノットも負けじと魔王を生み出した。それから、勇者と魔王の戦いは現在まで続いている。
憎しみを消し、勇者と魔王を途絶えさせる。それが出来れば、きっと和解出来る。二体のうちどちらかが折れれば、実現可能だろう。
しかし、人間達に不審感を抱かれるのは神として避けたいところだ。それに、先に謝るのも嫌だ。どうにかして、都合よく、なし崩し的に仲直り出来る策はないだろうか。
そんなことを、二体はそれぞれの側近に話した。それが——天使ミハエルと悪魔ルキフェルだ。
ミハエルとルキフェルは仲が良かった。主が喧嘩をしている最中に目を盗んで密会を重ねるほどだ。ただ、わざわざ隠れて会わなければならないということに、二体は不満を募らせていた。そんな折に、神から相談を受けた。二体は考えるより先に、相談を依頼という形で引き受けた。
× × × ×
「ここまで聞いて、なにか質問はあるかい?」
葵に言われ、ディゼスピアは今の話を頭の中で反芻する。
「……そこまでの話で、ミハエルとルキフェルが俺を——俺と京華を利用するために転生させたってのは分かった。だが、それは俺と京華でなければならない理由には成り得ねぇ。俺は一度、京華を殺してる。もっと確実な策があったはずだろ。なぜ、あいつらは俺を選んだ?」
ディゼスピアの問いに、葵はくすりと笑みをこぼす。自分には考えるまでもなく分かることが、幼馴染みである彼には分からない。自分と彼はおおよそ同レベルの頭脳を持っているはずなのに。
それがおかしくて、酷く悲しい。自らの幼馴染みが、下らない
「きみは、いくつかのものを無意識的に脳内から排除しているようだ。それはミハエルとルキフェルにとって都合の悪いこと。その可能性に気づかれてしまえば、きみは二体を敵だと断定する、そんなものだね」
「……そんな気は、しねぇけどな」
面と向かって反論出来ない。この幼馴染みがそう思うのだから、そうなのだろう。神や天使の使う洗脳・記憶改竄魔術が自分と同等とは思えない。
「きみほどの男が、ユリアが勇者であることに気づけなかった、ユリアの逃げる理由が矛盾を孕んでいることに気づけなかった。きみが思考回路を誘導されている証拠はそれだけで充分だ」
「具体的にどう誘導されてんだ? 考えても分かる気がしねぇ」
「きみは……きみはあたしがどこまで知っていると考えているんだい?」
「全部知ってんじゃねぇのか? 今までのことも、これから起きること——未来のことも」
やっぱりか、と葵は心の中で嘆息する。それが分かるのに、なぜ分からないのか。
「うん、その通りだよ。あたしは未来を知っている。全て知ってる。それは誰に聞いたからだと思う?」
「地球の神か、最高神かだろ。まさか、お前に未来が見えるなんて思っちゃいねぇよ」
「そうだ、あたしには見えない。あたしは聞いたんだ。神に、聞いたんだ。では、なぜ、きみは——フライアとノットに未来が見えないと思ったんだい?」
葵の言葉に、ディゼスピアは眉根を寄せる。
「……そういうことかよ。くそったれ」
つまり、ミハエルとルキフェルは全て知っていたのだ。ノットとフライアは知っていたのだ。
自分が京華を生き返らせることを。ルクスがユリアに一目惚れすることも、自分と京華が魔王と勇者として出会ったとき再会を約束することも、全部、計画通りだったというわけだった。
「最高神の言を借りると、きみと京華がお互いを好きになるのは、運命だったらしいぜ? あははっ、ほんっと——笑えない冗談だ。あたしはフライアとノットをぶっ殺したいよ」
目が本気だった。ここまで怒っている葵を見るのは初めてだ。
「でも、残念なことにぶっ殺すことは出来ない」
「そうなのか?」
「うん。理由は三つある。地球の神の方が力が弱いってことが一つ、二つ目は最高神サマにそこまでのやる気がないから、最後は神を殺すと世界が破綻するから。ふざけてんな、まじで。こっちは目の前で幼馴染みと友達がスクラップにされるとかいうトラウマ植え付けられたってのにさぁ」
「スクラップ?」
「あー、そっか、覚えてないんだっけ、きみ。そう、スクラップだよ。きみは急に落ちてきた看板から京華を守ろうとしてぺしゃんこになって死んだんだ。間に合う距離だった、避ける暇もあった。事故死ってことになってるんだろうけど、ありゃ完全に殺人だぜ。神とか本当クズだな」
「それ、聞こえてんじゃねぇのか……?」
「知るかよ、そんなもん。どっちにしろ、もう手出しは出来ないようにしてある」
十年前、葵がこの世界に転移した時点で、ミハエルとルキフェルの動きは最高神によって封じられているし、葵の姿は神には見えない。ユリアの目の前で行ったフライアへの誓いもフライアには届いていなかったりする。
「そうなのか? ……まあいい。とりあえず、これからどうするのか、いや、先に全部教えろ。さっきの続きから、全部だ」
命令口調のディゼスピアに、葵は冗談っぽく敬礼する。
「りょーかい。とりあえず、結論から言わせてもらうと——きみは死ぬ」
だろうなと、ディゼスピアは思った。全て神の掌の上ならば、自分が決意した全ても計画通りなのだろうから。
× × × ×
神を和解させるために、ミハエルとルキフェルは一つの策を練った。しかし、その策には別世界の魂が必要不可欠だ。この世界の魂を使えば、本来生まれる筈だった人物が生まれなくなり、未来が意図せぬ方向に変わってしまう可能性があるのだ。ただでさえ時間がかかる作戦なのだから、出来れば一回で成功させたい。
そこでミハエルはフライアにどうにか別世界の人間を転生させられないかと頼んだ。ミハエルの頼みを聞き入れたフライアが狙ったのは地球だった。地球の神は神の中でも力が弱い。魂の一つや二つ奪ったところで文句を言われることはないだろうと思ってのことだった。
フライアの力によって地球にやってきたミハエルは愛し合う運命にある二人を探した。最初に見つけたのが雨宮紫苑と築地京華だった。少し強引な手法になったが、二人を殺し、魂を持ち去った。
ルキフェルはノットの力で雨宮紫苑を魔王として、ミハエルはフライアの力で築地京華を勇者として転生させることに成功した。フライアとノットは喧嘩を続けており、世界の様子や勇者と魔王の動きなど勝敗しか気にしていない。
ミハエルとルキフェルは敵として出会った二人がお互いに世界を変えることを決意するように二人に取り憑き、精神を操った。とは言っても、人選が良かったらしく、ほとんどなにもせずに済んだ。ミハエルとルキフェルがやったのは精々、無意味な殺し合いをさせるくらいのことだ。
本来ならここで殺意を抑え目的に向かって努力するのだろうが、二人には一旦死んでもらう必要があった。特に悪いとも思わない。人間を使うのが悪いことだなんて、そんな考えは全く浮かばなかった。
次にミハエルとルキフェルは勇者に恋をする人族を探した。ミハエルとルキフェルは勇者を殺さないであろう、否、絶対に勇者を殺せない人族を求めていた。それは例えば、こんな男がいい。
この世に生を受けたときから僅かな幸せしか知らない者。そんな僅かな幸せすらも失ってしまう運命を持つ者。愛を知らず、求められることを知らず、それ故に必要とされることを望む者。命尽き果てても勇者を幸せにしようと尽力する者だ。
——だから、作った。
ミハエルとルキフェルが選んだのは、ルクス・アエテルニターティスという名の子供だった。勇者ユリアの美貌に惹かれる男は溢れるほどいたが、この男は別格だった。十五のときに初めて訪れた聖国で出会ったユリアに一目惚れをし、憧れ、人族の身で白騎士になろうと努力するという未来を持つ男だった。本当の未来で、その恋が叶うことはないが。
ミハエルとルキフェルはルクスが生まれると雨宮紫苑の魂をルクスの身体に入れ、ルクスの父親に夢で語りかけた。ルクスは必ず災いをもたらすだろうと。この世界には信仰が根付いている。二、三度語りかければ、父親は本気でそれを信じた。
ルクスは父親から虐待を受けるようになった。ルクスの心の拠り所は母親と雨宮紫苑だけだった。そして、十二歳のとき、父親の不正が発覚した。
これは本来、発覚しないはずのものだった。揺るがぬ証拠となる現場に、堅物で知られる人族の騎士団長を誘導したのは、他でもないルキフェルである。そのときから、ルクスは生きる意味を見失った。
なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。なぜ自分が勇者と魔王を殺さなければならないのか。納得はしないけれど、断る理由もなく、ただ流されるままに生きていくようになった。英雄願望という現実逃避を始めたのもこの頃だ。
ルクスは誰かに必要とされたかった。生きたいと思いたかった。自分が生きている理由を知りたかった。そこに理由を与えてやれば、もう計画は成されたも同然だ。
ミハエルは聖国の第一王子、ドミニク・フォン・ヴァイスリッターに囁いた。聖国の歴史を、隠されてきた過去を、どうすれば王になれるのかを。欲に溺れた人間を操るのは容易い。ドミニクは面白いくらい計画通りの行動に出た。そして、ユリアは失踪した。
その後は騎士に追い詰められたユリアをルクスが助け、魔王を京華だと知った紫苑は魔王を救うために決意する。どれもこれもが順調に進み、聖国と魔導国の戦争時に現れたルクスをユリアと京華が神に祈り力を合わせることで殺す。
そのときにフライアの聖気とノットの邪気、二つの相反する性質は消え去り、ノットとフライアは場の流れでなんとなく和解する。
しかし、四人は誰一人幸せにはならない。紫苑とルクスがユリアと京華に洗脳魔術をかけ、自分を人類の敵として殺させることで世界平和は訪れる。だが、それだけだ。
紫苑とルクスが再び転生することはないし、紫苑とルクスがかけた洗脳魔術は二人が死ぬことで解除され、戦闘後には愛する者を自らの手で殺したユリアと京華は絶望する。そして二人は叶わない願い——再びルクスと紫苑に会うという夢を抱いたまま、愛する者に救ってもらったせいで死ぬことも出来ず、ただ苦しみながら寿命で死ぬ。
× × × ×
「それがこの
「バッドエンドかよ……後味悪過ぎんだろ、それ。使うだけ使って放置とか、いい性格してんな、おい」
「あたしはそれを変えるためにこの世界に来た。あたしの存在はミハエルとルキフェルの計画にとって完全なるイレギュラーなわけだ」
「具体的にどう変えんだよ。つか、動くならもっと早いほうが良かったんじゃねぇのか?」
「まあ、いろいろあるんだよ。わけあって、というか、最高神にそこまでのやる気がないから、あたしが未来を見たのは一回だけだ。ミハエルとルキフェルのように変化を見ながら進めていくことは出来ない。なら、変える場所を限定する必要がある。どこを変えるのが一番確実か」
にやりと悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた葵に、ディゼスピアも邪悪な笑みを返す。
「——
「そう。そこを変えるためだけにあたしは今まで動いてきた。未来は些細なことで変わっちゃうから、むしろ動いてないんだけどさ。さあ、ここからが正念場だぜ、紫苑。このくそったれな戯曲に終止符を打とうじゃないか。そして始めよう、自分だけの物語を」
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