絶望の戯曲Ⅱ


 随分と懐かしい夢を見た。あれは、高校一年の春のことだったはずだ。雨宮紫苑という男と初めて関わった出来事。それからというもの、紫苑とはなにかと縁があった。


 いつからだったろう、憧れが恋に変わったのは。


 前髪を切ったのが高校一年の冬——彼が自分にしたのと同じように他の女子を無自覚的に助けた場面を見た直後だ。そのとき、彼の瞳には誰も——葵を除いて——映っていないのだと知った。


 それまで、京華は幾度も紫苑に助けてもらっていた。多分、どこかで自分は特別なのだと勘違いしていたのだろう。最初に葵が言った通り、彼は自分のために動いていただけだというのに。


 だから、苦しくなった。彼が他の誰かを助けるのを見ていられなかった——見たくないと思った。それがきっかけだったのだろうか。


 ダイエットを始めたのが高校二年の夏だったか。誰に言われるでもなく美人であろうとした——少しでもその視界に映れるように。目立つことも気にならないほど彼のことを好きになっていた。


 幼い頃から諦めていた勉強と運動を頑張り始めたのが高校二年の秋だ。彼は頭脳明晰、スポーツ万能だったから、その隣に——一ミリでもいいから近づきたかった。届かないからと言って手を伸ばしてすらいなかった無気力な自分を捨てた。


 勉強と運動は素質の問題で早々に限界点に達してしまったから、他に出来ることはないかと思って葵に相談したのが高校三年の春だ。


 その日、京華は過去の自分と決別した。おどおどとしており、声が小さく、地味で、陰気で、自信のなさを象ったような自分を嫌った、否——殺した。彼の好みである肉食系女子を目指した。


 黒髪ロングが好きだという情報が入れば、髪を伸ばして手入れにも気を遣ったし、もちろん身だしなみは毎日整えた。


 男子に話しかけられる、告白されるといったことは増えたが、そんなことは関係ない。女子から嫌がらせを受けたことだってあったけれど、意に返さなかった。


 紫苑と出会うことがなければ、今の京華はいない。自分のルーツは正しく紫苑なのである。


 変われたという自覚はあった。だからこそ、あの日——地球での最後の記憶が残っている日に、葵に紫苑を連れて来てもらったのだ。


 ——告白するつもりだった。


 結果どうなろうが、家に来てもらうつもりでもあった。いろいろ不安はあった。気まずくなるかもしれないとか、嫌われるかもしれないとか。でも、そういういろいろは切り捨てた。


 いろいろ考えてなにも出来なくなるのなら、ただ目的だけを見据えて最短距離で迫ってしまった方が手っ取り早い。


 自分は彼と付き合いたい。そう、彼のことが好きで、彼の隣りにいたいのだ。だから、まず告白する。それでいい。


 その目的はおそらくは果たせていなかったのだろう。果たせていたとしても、自分はそれを覚えていない。自分が覚えていないことを、同じように転生した紫苑が覚えているとも思えない。


 実際、勇者として魔王となった彼と出会ったとき——名前を教え合ったとき、彼は自分の名前を知らなかった。同級生だったのにも関わらず全く知られていなかったことにちょっと悲しくなったが、ファーストキスを奪ってやったのでそれはいい。


 この世界を変えて、紫苑と再会する。あるいは、紫苑と再会して、この世界を変える。そして、付き合う。彼の隣に立つ。それを成し遂げるために、まずは戦いに勝たなければ。


 敵は勇者と人間兵器。……聖女も出てくるのだろうか。過去、聖女がこの国に単独で訪れたとき、京華はグライミリティス王国に出向いていた。側近である六人の黒騎士に国の守護を任せたのだが、聖女は圧倒的に六人より強かった。血を流さず膝を折らせる程に。


 行方不明だという情報は届いているが、いきなり消えたのだからいきなり現れてもおかしくない。そうなればいよいよ勝ち目はなくなる。


 勝ち目がない、でも逃げるわけにはいかない。ここで逃げる自分を、彼との約束を諦める自分を、認めるわけにはいかない。きっと、そんな自分を彼は好きになってくれるだろうから。


 京華は脳裏に雨宮紫苑としての彼の顔、魔王ディゼスピアとしての彼の顔、最後に倒すべき敵——人間兵器ルクス・アエテルニターティスの顔を浮かべ、決意を胸に天幕を出る。


 眼前に広がるは、ごつごつとした赤い地面と、黒い軍勢——魔導国軍だ。


 ここは、グライミリティス王国最南部に位置している、魔導国から聖国まで続く荒野だ。気候が変わりやすく、人が住むのに適していないため、街や都は存在しない。王国との協定で、戦争を行う際にこの土地以外を使うのは禁じられている。


「——陛下っ!」


 十万にも及ぶ軍勢を丘から見下ろしていると、剣王が魔導国軍馬——バイコーンに跨って駆け寄ってきた。それを見て、京華はいよいよかと気を引き締め直す。


「来たか」


 身体強化を施し、強化された視力で遥か遠方を見据えると、白い軍勢——聖国軍の姿が瞳に映る。勇者はどこだろうかと探してみるが、前衛にはいないようだ。聖女らしき姿も見えない。人間兵器も。


「兵を無駄死にさせる気か……? いや、温存か」


 ならば、というわけではない。もとからそうする予定だった。京華は丘から飛び降り、愛馬を呼ぶ。


「——来い、スレイプニル」


 京華の呼び掛けに反応して、どこからともなく八本の脚を持つ黒い馬が天を駆けてやって来た。スレイプニルに宙空で跨った京華は、そのまま着地し、兵が開けた道を堂々と歩く。


「——ときは満たされた! 敵は勇者及び、人間兵器! あの聖女もいるかもしれん! 敵は強大だ! しかし、既に退路は絶たれた! ここで敗すれば、やつらは我が国に進軍し民を鏖殺するだろう! 相手がどれだけ強くとも、それが負けてもよい理由には成り得ないと知れっ! その命をもって、自らの家族を死守せよ!」


 負けるわけにはいかない。ここで聖国軍に打ち勝ち、聖王と直談判といこうじゃないか。聖女がなんだ、人間兵器がなんだ、勇者がなんだ。そんなもの、この胸に滾る想いと比べればどれほどのものか。


「行くぞ、誉れ高き黒騎士達よ! 聖国軍を薙ぎ払い、己が未来を勝ち取るために!」


 咆哮にも似た雄叫びをあげ、黒き騎士の軍勢がバイコーンを走らせる——敬愛する自らの王の槍となるために。


 そうして、聖国軍と魔導国軍の雌雄を決する戦いが始まる——はずだった。


「展開——Atk.Frayja No.I 興隆に導きし創造の剣エクスカリバー


 両軍の距離が二百メートルにまで縮まったとき、天空から少女の声が響いた。ほとんど同時に、聖国軍と魔導国軍の間に大量の聖剣が突き刺さる。両軍は反射的に止まり、空を見上げた。声の主を捉えた聖国軍は湧き、魔導国軍は唸る。


 聖族に生まれ創造魔術フライア・マギを使用出来る唯一の存在、創造神の愛し子——勇者ユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッター。


 純白の鎧に身を包み、ペガサスに跨って戦場に現れた聖族の希望の光は、漆黒の鎧を纏う京華の目の前に着地し、相対する。京華が爆発的に生まれた殺意を抑えて身構えると、ユリアはヘルムを霧散させ素顔を晒した。


「——間に合ってよかった。初めまして、ですね。私の名はユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッター、未熟者ながら勇者を名乗らせて頂いております。以後、お見知りおきを」


 暢気に自己紹介をするユリアを不審に思いながらも、一応は京華も名乗る。


「……アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルだ。どういうつもりだ? 一騎討ちで終わらせてくれる気になったのか?」

「——いえ」

「そうか。なら、覚悟を決めろ。私はお前を殺し、この下らない争いに終止符を打つ」

「——いえ、戦争はもう終わりです」

「……なにを言っている。降伏するというのか?」

「そうではありません。戦う相手が違うという意味です。私達は争っている場合ではないのです。それこそあの男の思う壺」


 ユリアは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。


「……あの男?」

「はい。名を——ルクス・アエテルニターティス。天使と悪魔に取り入り、神への反逆を企む悪しき狂人。聖剣と魔剣を操る人類の敵。それを倒すために、私達は共闘すべきなのです」

「あれは……あれは貴国の生み出した兵器ではない、と?」

「そのような人道を外れた行いを我が国がしていると仰るのですか。私も私の兄も、あの男の被害者です」

「その話を信じろと? でっち上げで宣戦布告をしてきた国を信じろと、貴様はそう言うのか?」


 正直に言えば、信じてしまいたかった。しかし、そんなうまい話があるだろうか。『両国が勘違いをしていただけで、真犯人は別にいる。その敵を倒すために共闘すれば、この不毛な争いは幕を閉じるかもしれない』なんて。


「お気持ちは分かりますが、全て事実です。今はあの男を止め——」


 ぞわりと怖気がした。


「展開——Df.Frayja No.X 神域アルタアウムっ!」

「展開——Df.Notte No.X 神域アジレっ!」


 聖国軍の頭上に聖気を放つ白い膜が、魔導国軍の頭上に邪気を放つ黒い膜が展開される。それとコンマ数秒差で、空がモノクロに染まった。聖気と邪気の入り混じった魔術を使う者など、二人とも一人しか知らない。


「——ルクス・アエテルニターティス」

「どうやら、信じるしかないらしいな……」


 目の前で聖族諸共攻撃されれば疑うことなど出来はしない。殺意は消えないが、なんとしてでも堪えて共闘しなければ。


 視界が晴れると、滞空していた龍王バハムートの背から銀の甲冑を着込んだ男が飛び降りてきた。その手には聖気と邪気を纏う異様な剣が握られている。


「あれは、一体……」


 戸惑うユリアに、京華は自嘲気に笑ってその正体を告げる。


聖邪混在す奇跡の剣カリバーン。聖魔剣、らしいぞ?」

「聖魔剣? なんですか、それ。私達は触れることも出来ないのに……いささかずるくはないでしょうか」

「それでも勝たなきゃいけないんだろう?」

「はい。現実は残酷ですね、全く」


 二人は剣を構え、苦笑いを零す。そして、声を張り上げた。


「全騎士に告げるっ! 聖国は潔白だ! 今までの恨みはあるだろうが、これを逃せばこの不毛な争いを終える機会はないっ! よってここに、魔導国国王——アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルは聖国との和解を宣言するっ! だが、敵が消えたわけではないっ! 総員、今すぐ退避せよっ!」

「戦争は中止です! あの者は人類の敵。私達は今から本気で戦闘を行います! 迅速にこの場を離れなさいっ!」

「「——巻き込まれたくなければっ!」」

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