聖と魔の二重奏Ⅴ
聖女クリスティーナ・マスマディヌス宅——
自宅のソファに腰を下ろして目を閉じていたクリスティーナは、徐にまぶたを持ち上げてつぶやく。
「まあ、順調かな……」
クリスティーナは魔王アリス対ルクス(ディゼスピア)の戦いを観戦していたのだ。
勝者はディゼスピアだった。もともと分かっていたことだが、些細なことで未来は変わる。なにかの手違いでアリスが勝ってしまったらということを危惧したための観戦だった。
その後の成り行きも大筋に沿っている。これで聖国と魔導国は確実にぶつかるだろう。
後は待つだけだ。念のためにユリアにはディゼスピアもといルクスの姿が一時的に見えなくなる魔術をかけてある。さらに、ユリアが一時的に認識されない魔術もだ。彼と彼女がばったり出くわすなんてことは万が一にもない。
さて、のんびりしようかとソファに横になると、家内にノックの音が響いた。
「開いてるよー」
寝転がったまま、クリスティーナは客人を迎え入れる。緊張した面持ちで入って来たのは、銀髪の男——ルクス・アエテルニターティスだった。
× × × ×
「お前……」
ディゼスピアは驚きで口を開けたまま固まってしまう。この顔には見覚えがあった。だからと言って本人だ、なんてことは思わない。他人の空似だと考えるのが普通だ。しかし、見れば見るほど——
「どうしたんだい? あたしの顔になにかおかしなところでも?」
クリスティーナに声を掛けられ、ディゼスピアははっとなる。
「いや、なんでもない。お前が聖女か?」
ディゼスピアの問いに、身体を起こしたクリスティーナはいかにもと言わんばかりの態度で首肯する。
「初めましてだね、ルクス。そして、久しぶりだねディゼスピア。いや——紫苑、と呼んだほうがいいのかな?」
「なっ……」
一体こいつは何者だ。ディゼスピアは思索する。今、確かに目の前の女は自分の名を呼んだ。この世界では、自分と京華しか知らないはずの名を。
クリスティーナが転生者だという情報は得ている。それから考えれば、彼女が地球で自分と親しかった誰かなのだという結論が導き出せるのだが……あいつも——幼馴染みも転生したというのだろうか。
というか、どうしてルクスの中に別の魂が宿っていることを知っているのか。どうして、自分が一度魔王になったことを知っているのか。疑問は尽きない。
思考の渦に飲み込まれそうになっているディゼスピアを見かねたのか、クリスティーナがむっとした様子で口を開く。
「なんだよ、まだ分からないのかい? ……まあ、言語が変われば印象も変わるか。じゃあ——」
と、クリスティーナはこの世界には存在しない母国の言語を使って言葉を発する。
「もう一度言おう。久しぶりだね、紫苑。元気してた? きみを探して三千里どころか転生した、いと愛しき幼馴染みになにか言う事はないのかい? 別に惚れてもいいんだぜ?」
——確信した。
日本語だったからではない。こんなわけのわからないことを宣う輩を、ディゼスピアは一人しか知らないからだ。
思い出せる中で一番古い記憶。寒空の下に自分を連れ出し、荷物持ちをさせた女。雨宮紫苑の幼馴染み——紗倉葵。
「まじかよ……。久しぶりだな、おい! 惚れ直したぜ、くそ女」
「おい、待て。今なんつった、きみ」
葵の眉が吊り上がる。おかしい、なぜだか罵倒された気がする。気のせいだろうか。
「は? 惚れ直したぜ葵、って言ったんだけど? 自分の名前、忘れたのかよ。相変わらず脳みそ詰まってねぇ頭だな」
「平然と嘘を吐くな! っていうか、さらっと暴言吐くな!」
「なんだよ、聞こえてたんじゃねぇか。いと愛しき幼馴染みがハーレム主人公よろしく難聴になっちまったのかと思って心配したぜ? 聞こえないと暴言吐く楽しみが失くなるからなぁ」
「あたしはこんな男のためになにをしてるんだろう……」
罵倒されるために転生したわけじゃないし、なんかもっと感動したかったな、などと葵は思う。しかし、再び会えたという事実に喜んでいるのも確かだった。なんだか腹が立つ。
「まあ、とりあえず、きみの頭がおかしいってことはよく分かった。むしろ、それしか分からなかった」
「こんな男のためにこんなところまで来ちゃうやつの方がよっぽど頭おかしいぜ。俺の幼馴染みにしちゃイカし過ぎだろ、お前。まさか偽物」
「——なわけだろ! あたしみたいなやつが他にいるのかよ!」
「いねぇな。お前が二人とか考えただけで恐ろしいわ。なんだよ、ビビらせんなよ」
「あたしが二人とか最高だろうが! ハーレム作れちゃうぜ」
「そのハーレム悪趣味過ぎんだろ……思わず慄いちゃうレベル」
「愛してるぜ紫苑。だから、そろそろ真面目に話をしよう」
「最初っからそうしろよ」
「こっ、の、くそ男……」
ぎりぎりと歯を食いしばり射抜くような鋭い眼光を向けてくる葵に、ディゼスピアは嘲笑を贈呈する。
こんなやり取りも久し振りだ。もう、あの日から何年経ったのだろう。こうして再び言葉を交わすときが来るなんて、思ってもみなかった。
(し、知り合い?)
言葉は理解できないが、なんとなく空気を読んで黙っていたルクスがディゼスピアに問う。
〈まあな。幼馴染みだ〉
(へぇ、じゃあ聖女の前世は魔族なんだ)
〈いや……〉
と、答えようとして、そういえばルクスには話していなかったことを思い出す。必要ないと思っていたが、ここまで地球人が関わっているのだから、話さないわけにはいかないだろう。
〈俺には前世——魔王ディゼスピアのさらに前世の記憶も残ってんだよ。こいつはそのときの幼馴染みだ。名前は葵、紗倉葵だ〉
(サクラアオイ? また聞き慣れない名前だ)
〈そりゃあ、俺が前世の前世で生活してたのは異世界だからな〉
(イセカイ?)
〈こことは違う世界っつーことだ〉
(そんなのがあるの?)
言葉で聞いてもいまいちピンと来ない。こことは違う世界だなんて、この世界しか知らず、創作物が溢れているわけでもない世界で生まれたルクスにはイメージも出来なかった。
〈ああ、ある。ちなみに俺の名は紫苑だ。まあ、どっちで呼んでもいい〉
(ディゼスピアで。今更、変える気にはならないよ)
〈そりゃそうか〉
当然の答えに納得する。もう十五年だ。自分が目の前の女をクリスティーナと呼ぶ気にならないのと同じようなものだろう。
「とりあえず、適当に座りなよ、くそ野郎」
ルクスに気を遣ったのか、グライミリティス王国の言語でクリスティーナが言う。ディゼスピアは笑って頷いた。
「おう、悪いな、くそあま」
「あん? もう一度言ってみろ、喋れなくしてやる」
「あぁ? 上等だこら、かかって来いよ」
「……よし、もう我慢の限界だ。あたしの顔も三度までだぜ」
「てめぇとはいい加減決着つけなきゃいけねぇと思ってたんだ。これで二度と見なくて済むと思うと清々するぜ」
ディゼスピアと葵が詠唱を開始する。最初から躊躇なく最上級の魔術だ。
「展開——Atk.Diaboli No.X」
「展開——Atk.Ignis No.C」
双方殺意に満ち満ちており、このまま戦いが始まれば、頑丈なこの家もただでは済まないだろう。しかし、魔王と勇者並みの激戦が開幕することはなかった。
「ちょっ、待った! 待った!」
〈おい、邪魔すんじゃねぇよ。こいつは敵だ〉
「ルクス、悪いけれどきみにはここで死んでもらうよ。でも、あたしはきみを殺したいわけじゃないんだ。紫苑と変わってくれないかい?」
支配権を奪われたディゼスピアと、悪魔のような笑みを浮かべた葵に殺気の灯った言葉をぶつけられてルクスはたじろぐ。だが、このまま再開させるわけにはいかない。
ていうか、どうしてこうなった。意味が分からない。
「お、落ち着こう。うん、二人とも落ち着こうよ」
〈なに言ってんだよ、俺は至って冷静だ。だからこの女を殺させろ〉
「なにを言ってるんだい、あたしは至って冷静だよ。だから揃って死んでくれ」
——こいつらに冷静という言葉の意味を教えてやりたい。そんな欲求は一旦心に収納し、ルクスは葵とディゼスピアを宥める。
「えっと、ほら、二人とも助けたい相手がいるんだろ? 助けないまま死んでいいの? 争ってる暇があったら話を始めた方がいいって!」
「む……一理あるね。まあ、でも、大丈夫だよ」
〈安心しろ、大丈夫だ〉
「は? なにが?」
「——瞬殺するから」
〈——一撃で屠るから〉
「いや、大丈夫じゃないでしょ、それ! 大丈夫の意味知ってんのかよ! 大丈夫の『だ』にも掠ってないよ!」
ルクスが声を荒げて訴えると、外と中から同時にため息が吐き出された。
「しょうがないなあ」
〈しょうがねぇな、ったく〉
なんで自分が呆れられているのだろう、なんなんだこいつら……。
× × × ×
ルクスのおかげで落ち着きを取り戻した二人はテーブルを隔てて向かい合う。そこには先までの険悪な雰囲気はない。過去は過去、お互い終わったことを引きずるタイプではなかった。
「さて、なにか訊きたいことはあるかい? あたしに答えられることならなんでもいいよ」
「そうだな……。じゃあ、どうしてお前がここにいるのか、から教えてくれ」
「あたしがここにいる理由、それは神によって転生させられたからだ。いや、あたしの場合は正確には転移に近いんだけどね。ほら、顔変わってないだろう?」
確かに、葵の顔はほとんど変わっていない。記憶に残っているのが十八歳のときの顔なため、現在の十七歳(本当かどうか分からないが)の顔との差異も見つからない。地球で髪を白く染めたらこんな感じになるだろう。
「神ってのは? ノットとフライアか?」
「いや、地球の神と神を生み出した神——最高神さ。両者とも特に名前はないって言ってたね」
「そんなのがいんのか」
「どんな世界にも一体は神がいる。多くても二体らしいよ」
「お前はどうして、転移したんだ?」
「きみを助けるためだよ」
「それだけじゃねぇだろ」
この幼馴染みは自分を助けるために異世界に来たりはしない。だから、まだ理由があるはずなのだ。ディゼスピアはそれが自分の予想と合っているのかを確かめたかった。
「……そうだね。きみと京華を助けるためだ」
「つまり、京華は……」
「そうだよ、あのとき、きみと一緒に待っていた女の子だ」
「そうか……」
なんとなく、そうなんじゃないかとは思っていた。魔王としてこの世界に生まれる直前の記憶は、彼女の姿を捉えた時点で途切れている。
「つまり、あいつは——」
そういうことなのだろう。まさか、名前も知らないやつをいきなり家に連れて行ったりはしないはずだ。
「あいつは、俺の名前を知ってたんだな」
ディゼスピアの言葉に葵は頷く。
「ああ、知っていたさ。名前だけじゃない。顔も性格もきみが好む性格も、きみのことなら、あたし並みに知っていた」
「それは……」
言葉に詰まったディゼスピアの意を汲みとって、葵は言う。
「あの子は、京華は——前世、いや、地球にいた頃からからきみのことが好きだったんだよ」
「なんで……」
自分のどこを好きになったというのか。自分で言うのもなんだが、地球での生活において、自分はあまり人に好かれるようなことをしてはいなかった。
目つきが悪いだの調子に乗ってるだのと絡まれて返り討ちにしていたおかげで不良だとか思われていた覚えはあるが。
「人が人を好きになるのに理由がいるかよ——なーんて、格好良く決めてもいいんだけど、あの子のためにも、ここはちゃんとした理由があるとだけ言っておこうかな。京華はしっかりきみを見て好きになったんだ。それをあたしが言うのは違うだろ。あたしから聞くのもおかしな話だぜ、違うかい?」
「いや、その通りだ。あいつを救って、その後であいつ自身に訊くとしよう」
だから、そのためにも、まだ聞かなければならないことがある。なんでも知っている風な幼馴染みは実際、自分が一番知りたいことを知っているのだろう。そして、それがおそらくはこの下らない戯曲を終わらせる鍵になる。
「結局——俺とあいつはなんのために転生したんだ?」
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