聖と魔の二重奏Ⅳ


 魔導国、現魔王城跡——


 側近の騎士に身体を揺さぶられ、築地京華はまぶたを持ち上げる。立ち上がれば、残骸とも言えないような砂地と、王に頭を垂れる騎士達の姿が目に映った。


 どうして生きているのだろう。あの男が生き返ったところまでは覚えているが、そこからの記憶が途絶えている。


 百歩譲って見逃されたのだとしても、視界に死体が一つもないのは明らかにおかしい。


「なにがあったのか、分かるか?」


 側近の一人、剣王と呼ばれる男に問う。


「申し訳ありませんが……私もたった今目覚めたばかりで、なにがなにやら」


 そうだろうなとは思っていたが、情報がないことに落胆せざるをえない。


 【破壊ディストラクション】を使用したのが気のせいだったというわけではないだろう。だとすれば考えられることは一つ——生き返ったということ。


 しかし、それが分かったところで、状況はなにも進展しない。


 なぜ、自分は見逃されたのか。

 なぜ、騎士達は生き返ったのか。


 ふと、京華は男と戦う前に至った結論を思い出した。


 ——聖王が生み出した人間兵器。


 その可能性は一度、男の急襲で低くなったが、例えば、こう考えてみたらどうだろう。


 ——聖王は人間兵器を扱いきれていない。


 人間兵器の開発は成功した。勇者や自分に匹敵するほどの実力だ。これを失敗作とは言えない。しかし、制御面での問題があった。


 人間兵器は作り物とは思えないレベルで人間と酷似している。心があり、意志がある。それ故に、忠実ではなく、勝手な行動をする。


 今回の魔王城急襲もそうだと考えれば納得がいく。気まぐれで魔王城に突っ込んだ人間兵器を、聖王がなんらかの手段でもって呼び戻した。


 いや、と京華は首を傾げる。もし、この推測があっていたとしたら、記憶の改竄が中途半端だ。洗脳とは違うのだから多少の違和感が残るのは仕方ないのだろうが、だとしても粗末だと感じる。


 もし自分が聖王で、相手の記憶を改竄するのなら、聖王と男を結びつけないようにする。それは逆説的に、聖王は男と無関係であることを示しているのではないだろうか。


 ……待て。今、なにかおかしくなかったか? 京華は違和感を覚え、たった今考えたことをもう一度繰り返してみる。


『もし、この推測があっていたとしたら、記憶の改竄が中途半端だ。洗脳とは違うのだから多少の違和感が残るのは仕方ないのだろうが、だとしても粗末だと感じる』


 京華の眉間に皺が寄る。一体、これはどういうことだろう。


 ——どうして、記憶の改竄をされたと思った?


 その疑問は今繰り返した思考が答えてくれた。


 ——つまり、『記憶の改竄をされた』という記憶の改竄をされたのだ。


 しかし、なぜ? どうして記憶を改竄されたと思わせたかったのか。これは記憶を改竄されたと思うことで、自分がどういう結論に至ったかを考えれば分かる。自分は記憶を改竄されたことで、男は聖王と無関係だと思いそうになった。


 ならば、それが答えだ。


 ——男は聖王によって生み出された人間兵器である。


 京華を見逃した理由は、このタイミングで京華や魔族が殺されれば聖国に疑いがかかるからだろう。


 謎は解けた。あとはこれからどうするのかを考えればいい。選択肢は限られている。なにも出来ないまま死ぬか、王として配下に命令し勝てない敵に立ち向かわせるか、戦場に立ち無駄な足掻きをするか。


 迷いはなかった。京華は瞳に確固たる意志を宿らせ、口を開く。


「——全騎士に告ぐ。敵は勇者及び、私に類する力を持つ人間兵器。敗色は濃厚だろう。恐らく、この戦いに負ければ我が国に次はない。前は強敵、後ろは絶壁。絶体絶命だ。しかし、横なら逃げ道はある! グライミリティス王国に逃げることは出来る! 今ならまだ間に合う! 貴様らにも大切な者がいるはずだ!」


 そこまで言って、京華は城下町とは逆——森の方向へ身体の向きを変え、騎士達に背を見せた。


「——逃げろ。勝ち目のない戦いに挑むのは愚者の行いだ。私は見ていない。誰も咎めない。これは最後の命令だ! 国が守れないのなら、大切なものを死守せよ! 今、このときをもって——全騎士の解任を宣言するっ!」


 戦いに出向くのは自分一人でいい。聖国だって王国に逃げた魔族を皆殺しにするような真似はしないはずだ。


 この世界を変える。彼との約束に、無関係な人間を巻き込むわけにはいかない。聖族に話しが通じるとは思えないが、やれるだけやってみよう。


 背後で騎士達が立ち上がったのが分かった。それでいい、それこそが勇気だと思いながら、京華は騎士達が去るのを待つ。


「——敬礼っ!! 慈悲深き我らが主、アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエル陛下に感謝を捧げよ!」


 剣王の声を聞きながら、京華は黙って行けばいいものを、と脳内で不満を溢す。その口元からは、脳内とは反対に微笑が漏れていた。


「——総員、陛下のご命令に従い、その命尽きても大切な者を守るため、直ちに行動を開始せよ!」


 剣王の言葉に従い、騎士が慌ただしく動き出す。数秒後、京華の口元から笑みは消え失せ、顔つきは険しいものへと変わっていた。


「……どういうつもりだ」


 目の前に跪く六人の側近。その背後には規律正しく、騎士達が頭を垂れて並んでいる。恐らくは、この場にいたすべての騎士が眼前に揃っているだろう。どうしてこうなった、と思わざるをえない。


「私共は陛下のご命令に従ったまでです。失礼を承知で申し上げますと、陛下は少し勘違いをしていらっしゃいます」


 剣王の言葉に京華は首を傾げる。


「勘違い?」

「はい。私共は黒騎士だから陛下にかしずいているわけではありません」


 一拍置き、剣王は言う。


「——私共は陛下に傅くために黒騎士になったのです。故に、私共が命を賭して守るべき大切な者は陛下であり、それこそが幸福なのであります」

「そんな——そんな馬鹿げたことを言うな。お前には家族がいたはずだろう! お前が死んだら、残された妻や子はどうなる!」

「それでこそだと褒め称えてくれることでしょう。ここで陛下に背を向け、逃げ帰ったら喜ばれるどころか罵倒されてしまいます」


 なにを言っているんだこいつは。京華には理解出来ない。


「そんなわけないだろっ! 家族が死んで喜ぶ者がいるものか! お前はなにも分かっていない!」


 愛する者を失う辛さを分かっていない。愛する者の傍にいられない悲しみを分かっていない。愛する者を愛せない苦しみを分かっていない。


 怒鳴ったせいか、感情の昂ぶりからか、息の荒くなった京華に剣王は平然とした様子で答える。


「分かっておられないのは、陛下でございます」

「なにを……」

「陛下は自身がどれほど愛されているか、全く分かっておりません」

「愛されるような行いをした覚えはない」

「自覚的な善行は偽善でしょう。陛下のそれは、偽りではなく、真の善でございます。自覚がないのも当然かと」


 考えてみるも、そんな良い事をした記憶はない。そもそも、国民にしっかりと目を向けたことなど一度もない。


「一体、私がなにをしたというのだ……。それは、貴様らが私を家族よりも上に置く理由に成り得るのか?」

「十全に」


 剣王は知っている。京華が子供の抱えていた大きな荷物を持ってあげていたことを。


 魔槍士は知っている。京華がスラム街の住民を束ね、寮に住まわせ、仕事を与え、給与を支払っていることを。


 黒斧戦士は知っている。京華が税金を少し上げ、増加分と空き予算を治療院に回すことで治療費を安くしたことを。


 魔導士は知っている。京華が争いを失くすために聖国に会談を求める文書を送り、和解に尽力していたことを。


 魔獣使いは知っている。京華が王国に赴き、閉鎖的な魔導国と王国の貿易ラインを確保し、国内に潤いをもたらしたことを。


 魔弓使いは知っている。京華が犯罪者の取り締まりに力を入れ、更には京華自らも犯人逮捕に尽力することで犯罪を未然に防ぎ、国民を助け、犯罪率を大幅に低下させたことを。


 騎士達は知っている。今、自分の纏っている鎧や腰に下げている剣は、側近の装備には及ばないものの、従来の装備より遥かに高品質であることを。


 そして、国民は知っている。自分、もしくは自分の隣にいる者が、高確率で京華になにかしらの恩があることを。


 京華が魔王になり、もう十年の月日が経っている。その上、魔王候補として有名だった京華は少女時代から無意識的善行を繰り返していたのだ。


 京華がいなければ生まれていなかったかもしれない子供や、京華がいなければ死んでいたかもしれない自分、交際相手、友人。


 自分達の今の生活は、京華によって成り立っていると考えている国民が大半だった。その偉大なる王を守らずして、一体なにを守ろうか。


「はあ……お前は意外と頑固な男なのだな」

「私が頑固なのは周知の事実ですよ。ご存知なかったですか?」

「ああ……」


 知らなかった。分かっていなかった。多分、なにも、見えていなかった。まさか、こんな近くに、こんなにもいいやつらがいたなんて。


「今、知った。分かった。ようやく、見えた」


 瞳に映る騎士達を見回し、京華は改めて言葉を発する。


「——面を上げよ! 貴様らの意志、しかと受け取った! 戦の準備を整えよ! 王国最南端の荒野にて、聖国軍を迎え討つっ! 必ず勝つぞ!」


 気温が上がったのでは、と思うほどの熱気が魔王城跡に溢れた。

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