聖と魔の二重奏Ⅱ
その日は、珍しく雪の降らない日だった。年中気温の低いこの地域でも、たまにこういう日がある。
朝、目を覚まして、窓の外に雪が吹き荒れていないことを確認し、聖女——クリスティーナ・マスマディニスは玄関の扉を開いた。
眼前に広がるのは太陽光によって輝く銀世界だ。おお、と感嘆の声をあげ、クリスティーナは宙を舞い、雪に飛び込んだ。
クリスティーナの家は、この地域の天候上の理由で高く造られている。木造ではあるが、幾重にも魔術陣を書き込み、さらに補助魔術をかけたため、世界最硬度と噂される魔王城にも勝るとも劣らない強度だ。
ひとしきり雪の上を転がったクリスティーナは、仰向けになってふうと白い息を吐く。
戦争があと数ヶ月で始まる。二年間この場所から動いていないが、王国を出る際と魔導国に突撃した際にそれぞれの城に仕掛けた魔術によって情報は得ていた。
さて、どうしようか。クリスティーナの目的は、事故死——いや、殺されてこの世界に転生した幼馴染と友人を救い出すことである。人を殺すのも、殺されるのも勘弁願いたい。
その二人が今、どんな状況に陥っているのかは分かっている。この世界でどういう立場にいるのかも。この二人が、どんな結末を迎えるのかも。
「はあ……」
嘆息し、予備動作なしで立ち上がる。まあ、今のところは計画通りだ。とりあえず、この世界の友人を歓迎するとしよう。
ぐぐっと伸びをして、クリスティーナは南に向けて掌を突き出す。続け様に腕を振り上げた。
「きゃあぁあぁああっ!!」
遠くの絶叫が恐るべきスピードで近づいてくる。飛んできた少女をふわりと柔らかく受け止め、くすくすと笑いながら雪の上に立たせた。
「やあやあ、久しぶりだね、ユリア」
白髪の少女——ユリアは爆音を奏でる心臓を抑えて、虚ろな目でクリスティーナを睨む。
「ティナ……本気で死ぬかと思いましたよ」
「ごめんごめん。ちょっとしたサプライズさ」
ふふふ、と全く反省していない様子で不敵な笑みを溢すクリスティーナに、ユリアはこれ以上言ったところで無駄だと悟る。クリスティーナには昔から振り回されてばかりだった。
「さてさて、こんなところで立ち話もなんだ。上がって上がって」
クリスティーナに先導されるままに、ユリアはクリスティーナ宅へ足を踏み入れる。こんな性格のクリスティーナだから、てっきりびっくりハウスにでも住んでいるのかと思ったが、中は簡素なものだった。
適当な席に腰掛け、ユリアは目の前に座ったクリスティーナに目を向ける。白髪はサイドアップに結われており、なんだか大人びた雰囲気を感じた。
「それで? どうしたのかな?」
「……匿って欲しくて」
「そっか。うん、りょーかい」
「え?」
まだなにも説明していないのに、どうしてそんなあっさり受け入れてくれるのだろうか。
「了解した、と言ったんだ。友達の頼みを聞かないわけがないだろう?」
笑ってそんなことを言うクリスティーナに、ユリアはルクスの姿を重ねた。あの人も、そういう人だった。それを考えると、自分は本当に恵まれている。
「でも、だ」
人差し指を立てて、クリスティーナは言う。
「一つ、話を聞いて欲しい。それを聞いて、まだ考えが変わらないというのなら、あたしはきみを匿おう」
クリスティーナ・マスマディニスの使命。それは幼馴染と友人を救い出すことだ。その中には二人のサポートも含まれる。
クリスティーナの話とは一体なんだろうか。ユリアは首を傾げる。それを聞いたら自分の意見が変わる可能性があるというのが、不思議だったのだ。
「まず、現状を確認しよう。いや、きみの認識か」
なんだか引っかかる言い方に違和感を覚えながらもユリアは頷く。
「きみは長兄であるドミニクからこんな話を聞いた。勇者の求心力は凄まじいため、それを目障りに思った過去の王達は勇者を処分していた、と」
「はい」
「だから、きみはこう思っている。聖王アードルフとその妃アマーリエは勇者となった自分が魔王を倒した後、勇者の仲間や騎士に自身を殺させるつもりである、と」
「……ええ」
「故に、きみは行動した。聖国から逃げ、追手を振り切り、私のもとまでやってきた」
「その通りです。ですが、どうして、そこまで知っているのですか……?」
ユリアは一抹の不安を覚える。まさか、もうクリスティーナにまで手が回っていたのだろうか。そうであれば、もう抵抗は不可能だ。どう足掻いても、この友人から逃げ切れる自信はない。
「そんな不安そうにしないでくれよ。安心して、あたしはユリアの味方だよ。きみを無理矢理に聖国まで連れて行くようなことは、絶対にしない。そうだね……」
クリスティーナは考え考えした後に、あっと可愛らしい声をあげて言った。
「創造神フライアに誓って」
またか。ユリアは驚きを通り越して呆れる。ルクスもクリスティーナも、一体誓いをなんだと思っているのだ、と。そんな思いついたから使ってみました、みたいに簡単に使うものではない。
「信じてくれたかな?」
そんな些細なことはなんでもないという風に言うクリスティーナに、ユリアはため息を吐きつつ頷く。
「そこまでされては、信じざるをえないですよ」
「それはよかった」
くつくつと笑う。もう少し、警戒心というものを持って欲しい。裏切るかも、とか思わないのだろうか。一瞬だけそんなことを考えて、思わないのだろうな、という結論に至った。
「ちなみに、きみの行動を知っていたのは、城に魔術を仕掛けていたからだよ。魔王城にも仕掛けてある。そういえば聞いてよ、魔導国に行ったらいきなり魔王側近に襲われたんだよ!? 全く血の気が多いよね」
「当たり前でしょう。なにをしてるんですかあなたは……」
「あたしの目的を達するためには情報が不可欠でね。仕方なかったのさ」
「目的、というのは……?」
「あたしの故郷の友人をくそったれな運命から救い出すことさ」
故郷の友人、という言葉に、ユリアはルクスを思い出す。正確には、ルクスの中に宿るディゼスピアを。
「それは——」
尋ねようと口を開いたユリアをクリスティーナが手で制する。
「あたしの昔話が聞きたいのなら、後でいくらでも聞かせてあげるよ。今はユリアの話だろう?」
そうだった。ユリアは知的欲求を押しとどめて、聴く姿勢を整える。
「それで……どこまで話したんだったかな。ああ、そう、きみがなにを聴き、なにを思い、どう行動したか、だったね」
確認するような言葉にユリアは首肯する。それに満足気に頷いて、クリスティーナは話を進めた。
「じゃあきみにいくつか質問をしよう。きみは聖王や王妃から、邪な考えを感じ取ったことがある?」
「いいえ」
「なら、どうして兄の話を信じたんだい?」
「それは……、聖国に広く伝わっている御伽噺を読んだときに、矛盾に気づいて」
「ただの魔族では勇者は殺せない、という矛盾だね」
「……はい。それで、なんだか、なにを信じればいいのか、分からなくなってしまって。お父様とお母様の優しさは嘘だったのか、一緒に訓練している兵達は私が魔王を倒したら襲ってくるのか、と考えると、怖く、なって……」
「ああ、泣かないで、ユリア。ここは安全だよ、あたしはきみの味方だ。ただ、真実はいつも残酷だ。それを知ったとき、涙を我慢する必要はない。今は、落ち着いて、ね?」
ユリアは溢れかけた涙を拭い、震える声で了承の言葉を返し、落ちていた視線をクリスティーナに戻す。
「疑心暗鬼になれば、誰しもが間違った結論を導き出してしまう。だから、今から言うことはきみを責めているわけじゃない。きみは悪くないんだ。きみもきみ自身を責めないようにね」
言って、真剣な面持ちでクリスティーナは語り出す。事の真相を、誰がこの状況を生み出したのかを。
「あたしは城に魔術を仕掛け、情報を集めていく中で、こんな話を聞いた。『ユリアが勇者に選ばれた。勇者の求心力は凄まじい。ユリアが魔王を倒した暁には、ユリアを次期国王として迎えよう』」
「え……?」
「確かに、きみが言った通り、王族でもない人間が勇者に選ばれた場合、その存在は王に取って邪魔でしかない。処分しやすいように、婿養子、あるいは嫁、様々な手を使って王族にすることもある。だけど、それはやっぱり、勇者が一般人だった場合だ」
クリスティーナの話を聴き、ユリアは真相に気づく。なんでこんな事に今まで気づけなかったのか、それが不思議でしょうがない。
「きみがもとから王族であるということは、イコールで殺す理由はどこにもない、ということなんだよ」
「……どうして、私は」
「そう。重要なのはどうしてきみが勘違いをしてしまったのかだ。その理由は、疑心暗鬼に陥り、混乱していたから。もとを辿れば、長兄ドミニク王子の言葉が元凶だ」
——まあ、それだけではないのだけれど。そんな言葉は胸の内に留めておく。
「それは……でもっ」
「うん、そうだね。きみはドミニクを信頼している。ドミニクに限らず、兄達を尊敬している。それも勘違いしてしまった理由だね。実兄を信頼するのが悪いことだとは言わない、けれど」
信じられない、いや、信じたくない。そんなこと、ありえない。だが、クリスティーナが嘘を言っているとも思えなかった。それに、クリスティーナが嘘をついていたとしても、王国にユリアを殺す理由がないことは純然たる事実だった。
「——だからこそ、きみは騙された」
「嘘よっ!」
気づけば叫んでいた。自分が疑ってしまった相手は無実で、信頼していた相手こそが犯人だった、なんて。悪夢としか思えない。
「嘘に決まってる。……嘘だと、言って、ください」
縋るような目を向けられたクリスティーナは静かに首を横に振る。
「真実はいつだって残酷だ」
それが世界の理であり、無情な現実。こんなものは、知らない方が幸せに生きていける。それを分かっていて、クリスティーナはユリアに話をした。
罪悪感はもちろんあるし、胸がずきずきと傷む。けれど、ここで話さないわけにはいかない。全てを明らかにして、ユリアには自発的に聖国に帰ってもらわなければならないのだから。
「理由は……あるんですか。明確な、動機は」
「ある。というか、きみも分かっているんだろう? なんのためにあたしが王位継承権がきみにあるという話をしたのか」
ユリアは俯く。別にユリアは王位継承権なんてものはいらない。しかし、それを求める者もまたいるのだ。
「ドミニクはアードルフから、ユリアを女王とするという話を聞いた。始めは彼も諦めたさ。妹を殺してまで欲しいものじゃないし、国のためにもなる」
「なら、それなら、どうして」
「ドミニクは使われたんだ。そう、彼は目が眩んだだけ。『このことをユリアに教えればユリアは自発的に聖国を出て行くぞ』という甘言に惑わされたんだ」
「……神」
ドミニクは神に聞いたと言っていた。だが、神がなんのためにそんなことをするのかが分からない。
「まあ、正確には神ではないんだけど、今はそれはいい。ドミニクは後悔している。自分がくだらないことをしたせいで、聖国は勇者不在のまま魔導国と戦うという窮地に立たされているんだ。当然と言えば、当然だね」
「……戦争が、始まるのですか?」
「うん。あと数ヶ月以内にね。聖国は既に魔導国に宣戦布告を行った。魔族の人間兵器がきみを唆して連れ去ったのだ、と決めつけてね」
「そんな……私のせいで、戦争が?」
「さっきも言ったが、これはきみのせいじゃない。きみが気負う必要は全くない。最初っから全てが丸く収まるように出来ているんだ。二人の犠牲と二人の悲劇によって、ね」
「二人の犠牲と二人の悲劇……?」
「まあ、正確には過程で千を超える犠牲が出ているわけだけど、それは置いておこう。とにかく、これであたしの話は終わりだよ。まだ、聖国に戻る気にはならないかい?」
クリスティーナが尋ねると、ユリアは愚問だとばかりに首を振る。
「いえ、私は戻らなければいけないようですね。今から戻っても、もう戦争は止められないでしょうが、せめて戦わなければなりません」
「そっか。うん、あたしは応援してるよ。それじゃ、仕上げだ。ちょっといいかな」
クリスティーナは立ち上がり、ユリアの背後に回ったかと思うと、ユリアの頭に手を乗せる。まさか、撫でるつもりだろうか。さすがにもうそんな歳ではない。
振り返ろうとすると、唐突に睡魔が襲ってきた。
「え、ティ、ナ……?」
ぼやけていく視界に、申し訳なさそうなクリスティーナの顔が映る。一体、どうしたというのか。
「——ごめんね、ユリア」
その謝罪が、ユリアの耳に届くことはなかった。
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