聖と魔の二重奏Ⅰ
ディゼスピアは転がったアリスの頭部を驚きに満ちた瞳で捉え、狼狽し、一歩二歩と後退りする。
「嘘、だろ……」
紫苑と、名を呼ばれた。その名を知っているのは、この世界でたった一人しかいやしない。
——築地京華。
今、自分が殺した女が、自分の会いたかった女だ。似ているな、とは感じた。しかし、既に——
「なら、聖女はなんだ……?」
そう、既に転生者の情報を掴んでいたからこそ、その可能性を斬り捨てていた。築地京華がアリスならば、聖女は一体なぜ現れたのだろうか。
だいたい、なんだこの違和感は。魔王を倒してみたらそれが探し求めていた人だった。なんて、作られた悲劇の上を沿って歩いているようじゃないか。
偶然とは思えない。人為的、或いは神為的ななにかを感じる。全ては仕組まれたことだと考える方が自然だ。
そしてディゼスピアは、これを仕組むことが出来るやつを二人知っている。二体、か。
——天使と悪魔。
あの二体なら、出来るだろう。今回の転生は二体が自分がしたと言っていた。
だが、疑問が残る。天使ミハエルと悪魔ルキフェルの目的は魔王と勇者を殺すことだ。この二人を殺させるのが目的ならば、魔王は赤の他人だった方がよかったはず。
嫌がらせか? 実は殺させないのが目的だという線は低い。現にディゼスピアは魔王を殺してしまっているし、ルクスがユリアを好きにならない可能性だってあったはずだ。
それとも本当に偶然が重なったのだろうか。日本で生まれ、同じ世界で魔王と勇者として戦い、再び転生し、また殺すべき相手として遭遇する。……これが本当に偶然か?
悪趣味な嫌がらせか、偶然か。どちらにせよ、ミハエルとルキフェルとの約束は反故にしなければならない。
ディゼスピアは魔王を生き返らせるつもりだし、ルクスは勇者を殺せない。
魔王を説得すればなんとかなるだろうか? ようは二国からやる気を削げればそれでいいのだ。主戦力がいなくなれば、戦争は長引き、被害が増える。そんな状態でわざわざ戦うとも思えない。
だが、全ては予想でしかない。一般人のディゼスピアには国情は分からないのだ。まずは魔王である京華を生き返らせ、話を聞き、それから考えよう。
〈——ルクス〉
(分かった)
ディゼスピアの思考を感じていたのだろう。ルクスは内容を訊くこともせずに詠唱する。
「展開——Df.Angelus No.VIII
京華の脇に一本の光る樹が生えた。【
甦らせる命の数によって消費魔力が上下するが、一人当たりの消費魔力はそこまで高くない。ちなみに同じ人物に二度使うことは出来なかったりする。
樹の聖気が京華の身体を包み込み、数秒後に聖気が霧散する。それと同時に、京華がゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「生き返った気分はどうだ? 京華」
手を差し伸べ、日本語でそんなことを尋ねると、京華は大きな瞳をぱちくりと瞬かせ、微笑んだ。
「——最高だよ。目を覚ましたら王子様が、なんて御伽噺だけだと思ってた」
ディゼスピアの手を掴んで起き上がった京華は、躊躇なくディゼスピアの胸に飛び込み、硬い鎧に顔を顰める。
「鎧、邪魔……」
ディゼスピアは心底おかしそうに笑って、鎧を解く。聖気と邪気によって生み出された魔術の鎧は空気に溶けていった。
「やっと、会えたね」
「そうだな」
たった一回の転生で会えるとは思っていなかったが、それでも十五年は長い。彼女はおそらくそれよりも長く待っていたはずだ。
「感動の再会をもう少し楽しみたいところだが、京華に訊きたいことがある。答えてくれるか?」
「うん? 私に分かることならなんでも。私も紫苑に訊きたいことあるし」
そりゃあそうか、とディゼスピアは思う。どうして再会を約束した知人が魔王城に攻め込んで来たのか、気にならないわけがない。
(……ぼくにも分かる言葉で話してくれない?)
〈ああ、悪い。いや、でも、誰に見られてるとも分からねぇからな……〉
城が消滅したことは民衆だって気づいているはずだ。まだ間もないために近寄ってくるやつはいないだろうが、ここでのんびり話していてはいつ来るか気が気でしょうがない。
最悪見られるのはまだいいとしても、城壊滅の元凶と魔王が情報交換をしていたなんて知られたら大問題だろう。
〈魔術陣でも書くか〉
決めたら即行動。
「展開——Atk.Diaboli No.I
生み出した魔剣を遠隔操作し、ディゼスピアは地面にガリガリと魔術陣を書いていく。ものの数分で書き上がった魔術陣は、一般人では理解しえない高度な術式が組み込まれている。
これは、魔王時代に漁った魔術書や魔導国にいた魔術使いから学んだものを独学で改造・改良し、自分だけのものとして新たに作り出したものである。ディゼスピアはそういう応用が得意だった。
役目を終えた魔剣を消し、もともと手に持っていた聖魔剣を地面に突き立て、ルクスとディゼスピアそれぞれが魔力を流す。
聖気と邪気の混合。この世でルクスとディゼスピアが協力することでしか使えない魔術でもって、不可侵領域を生み出す。
一見なにも変わっていないように見えるが、外から見たとき、京華とディゼスピアの姿は視認できない。
「これで問題ないか」
ディゼスピアが人族の言語で喋ると、京華はむうっと唸り声をあげた。
「日本語でいいのにっ。ていうか、日本語がいい」
「中の人が分からないから困るらしい」
「中の人?」
わけが分からず首を傾げる。
「ああ、俺の転生体には主人格が宿ったままなんだよ。ルクス・アエテルニターティス。それがこの身体の主の名前だ」
「へえ……」
京華が感嘆の声を漏らすと、ルクスが口を動かす。
「初めまして。えっと、アリス? キョウカ?」
「うわ、凄い。同じ声なのに、全然違うんだね。ん、京華でいいよ」
ルクスはさっきまで殺し合っていた女に笑いかけられているということに違和感を覚えつつ頷く。
「よろしく、キョウカ」
「うん、よろしくね、ルクス」
「それで、だ」
紹介が済んだところで、ディゼスピアが本題に入る。
「聖国と魔導国の現状を教えてくれ」
ディゼスピアが言うと、京華は表情を曇らせる。あまり期待は出来なさそうだ。
「今日、宣戦布告されたから、多分……二カ月もすれば戦争が始まると思う」
「戦争は避けられない、か」
これは京華を説得したところでどうにもならなさそうだ。魔導国が勝つだろうことは目に見えているが、自分はなにをすべきだろう。
「うん、私も、頑張ってたんだけどね」
言って、京華は今回の転生で自身がどのように動いてきたかを語り出す。その中で、ディゼスピアも自身の行動を語った。全てを話し終え、ディゼスピアは項垂れる。
「悪い……俺のせいで」
京華はずっと聖国との和平交渉に取り組んでいた。それはどれも突っぱねられてしまったらしいが、決定打はルクスのユリア誘拐である。
殺した聖国騎士の数は千を超える。それをやったディゼスピアを魔導国の差し金だとして、聖国は因縁をつけてきた。これはどう考えても自分が悪い。
「い、いやいや、そんな。どうせ、遠からず同じことになってたんじゃないかなって思うよ」
それはそうなのだろう。だが、もしもを考えると遣る瀬ない気持ちになる。誰かの努力を水の泡にしたのが自分であるという事実は、正直きつい。
「今でも、聖国と和解出来たらと思うか?」
京華の意思を聞きたかった。彼女が頷けば、多分、これからの行動はそれが目的となる。そして、それは同時に、ルクスが望むことでもあった。
戦争を失くす。それだけ聞けば今までと変わらないようだが、内情は全く異なるものだ。戦争を失くすとすれば、彼女が生きている今の時代に失くす術を考える。
「うん、まあ、ちょっとは。やっぱり、魔王とか勇者とか、すぐ近くに死があるのって、息苦しいし、生き辛いから。誰かを殺すのも、楽しいものじゃないし、ね」
無理に笑ったせいか、京華の笑顔は触れれば壊れてしまいそうな脆さを感じさせた。そんな曖昧な笑顔などは見たくない。なんとなく、ルクスの気持ちが理解出来た。
「そうか、分かった」
「え?」
なにを分かったのだろう。もう、戦争は止められないところまで来ている。しかし、ディゼスピアはニヒルな笑みを浮かべて言うのだ。
「——俺に任せろ。全部纏めてなんとかしてやる」
いい加減な台詞なのに、そんなことが可能だとは思えないのに、彼ならやってくれるとそうだと思えた。この人ならなんでも解決してしまいそうだと、そう感じた。
だから頷きそうになって、でも途中で堪える。
「……ごめんね」
「どうして謝る?」
「私、今、すっごく期待した。ようやく終わるんだなって、今まで大変だったけどって——そんなの、紫苑だって、同じなのに」
苦しいのは自分だけじゃない。逃げ道があるとすぐ逃げたくなるのは悪い癖だ。
誰かに頼って、縋って、背負わせて、いろいろ迷惑かけるのをよしとしようとする自分が汚くて嫌いだ。やるべきことがあるのなら、為すべきことがあるのなら、せめて隣にいなければ。
だが、目の前の男はそんな決意を容易く一蹴する。
「はっ、そんなことかよ」
「そ、そんなことじゃないよ」
「いいや、そんなことだね。いいか? 逃げろ、甘えろ、楽をしろ。お前は気にせず笑ってりゃそれでいい」
全て任せてしまってもいいんじゃないかという気持ちと、それではダメだという気持ちが綯い交ぜになって、なんだか言葉に詰まる。
「で、でも、それじゃ、紫苑が」
「俺が? 俺がどうした? 不安か?」
不安なんてこれっぽっちも感じていない。本当に安心させられる。口を噤んで俯いてしまった京華の頭をディゼスピアはくしゃくしゃと撫で、口端を吊り上げ言い放つ。
「——お前が惚れた男はその程度で苦しむたまか?」
そうは思えない。そうは思えないから、なにも言えず、京華はただ首を振った。
「なら、決まりだな」
「ずるいよ、紫苑は」
京華が口を尖らせて言う。
「ははっ、よく言われる」
「かっこいいのが、ずるい」
「やめろよ、照れんだろ」
「どのあたりが照れてるの。紫苑は、いつもそう……」
平然と振る舞うディゼスピアをじとっとした目で睨めつけ、京華は嘆息した。多分、彼はこういう男なのだ。厄介な男を好きになってしまったものだな。
「いつも?」
「——ううん、こっちの話」
「そうか? まあいい。さて、とりあえず、やらなくちゃいけないことがある」
京華と話す中で、ディゼスピアは策を練っていた。多分、これが一番可能性が高い。戦争を失くし、彼女を幸せにできる可能性が。
ディゼスピアは上目遣いで見つめてくる京華の頭に手を置き、微笑みながら小さく詠唱する。
「展開——Atk.Diaboli No.VIII
「え? し、おん……」
意識を失い倒れる京華を優しく受け止め、地面に寝かす。
「展開——Df.Angelus No.VIII
再び樹が生え、蘇ったのは三体の魔獣だった。
「バハムート、乗せろ」
ディゼスピアの言葉に従い、バハムートが頭を垂れる。ディゼスピアはバハムートに歩み寄っていき、乗る直前、ベヒモスとヨルムンガンドへ視線を向けた。
「お前らはどうする。着いてくるか? 逃げても文句は言わねぇぞ」
強大な魔獣が自身の身体の大きさを変えられるのは知っていた。着いてくるならそれでいいし、来ないなら来ないでいい。
二体は身体を小さくするという方法で自分の意思を示す。
「そうか。なら、一緒に行くとしよう」
掌サイズになった二体を抱え、ディゼスピアはバハムートにまたがる。飛び上がった空は日没直前であり、群青に染まっていた。
ルクスが再び詠唱し、兵を甦らせるのを遠目に見ながら、ディゼスピアはその場を離れて行く。向かう先はグライミリティス王国とノアカヴァリエル魔導国国境の北。聖女の住処だ。
「——またな」
小さく漏らした言葉は、誰に届くこともなく風に流されていった。
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