漆黒騎士の独奏曲Ⅳ
「お前らはここで待ってろ。どこかに行くならそれでもいい」
綺麗に首が斬り落とされた剣王の死体に踵を向け、魔獣を置いてディゼスピアは足を進める。
〈全力なら断ち切れるか〉
(あの鎧、まだ使えそうだけど)
ルクスが未練がましく言う。死体から身ぐるみを剥ぐことに抵抗はあるが、ユリアの安全を考えればその程度のこといくらでも我慢できる。
〈やめろ。ああいうやつは嫌いじゃない〉
(ふぅん。ま、ぼくが守ればいっか)
さっきから追いかけていた騎士がすぐそこの位置で止まっている。そこが謁見の間であることは、魔術を通して会話を聴いていたので知っている。
化物呼ばわりは酷い。魔王や勇者と五分五分か少し勝っている程度なはずなのに。
謁見の間の扉は開かれていた。跪く騎士の姿が見える。あれを人質にしようか。勝敗の分からない死闘も悪くないが、先の戦いで自身の腕が鈍っているということが、よく分かった。
魔王がたかだか一兵士の命に重要性を感じるような王なら、やる価値はある。効果がなければそのときはそのときだ。
ディゼスピアは一瞬で騎士の背後に寄り、その背に聖剣を構える。剣先から背中までの距離は一ミリにも満たないだろう。
「え?」
急に騎士が立ち上がり、聖剣が騎士の背を貫いた。仕組まれていたかのようなタイミングだ。自分の運のなさに、思わず声を漏らしてしまった。
舐められても困る。なにか言わなければ。
「——化物とは随分なご挨拶じゃねぇか。なあ、そうは思わねぇか? 魔王」
「馬鹿言え。どこからどう見ても化物だろう」
お前にだけは言われたくねぇよ、とディゼスピアは思う。誰だ少し勝っているなんて思ったやつは。どう考えても格上だろうが。
実際には二人の実力は五分である。しかし、自分と同等は自分よりも強者に思えてしまう。それは、この世界にディゼスピアと肩を並べる程の実力者がいなかったからこその誤認だ。
「ひっでぇな。俺だって傷つくんだぜ?」
「なにをしにここに来た」
お前の話など聞く気はないという態度のアリスに、ディゼスピアは笑いながら答える。
「ははっ、無視かよ。——お前を殺しに、ここに来た」
腹を括れ。覚悟を決めろ。ディゼスピアは二度目の転生で初めて感じた恐怖を圧し殺して気丈に振る舞う。
「覚悟は出来たか魔王? 死ぬ覚悟は」
死なない覚悟はとうに決めた。必ず殺す。ルクスと意思を統率し、魔剣と聖剣を構える。
「——さあ、絶望の時間だ」
全力。開幕からフルスロットル。ディゼスピアが床を蹴れば、最高峰の強度を誇る魔導石の床が陥没した。
ディゼスピアの振るった魔剣がアリスの魔剣に受け止められた後に、陥没したときに生じた音が室内に響く。音速をも超える俊敏性。それを容易く受け止めたアリスの実力は本物だと改めて確信する。
片手で剣を操るディゼスピアと両手で持つアリス。どちらが勝るかは明らかだ。押し返されて態勢を崩す前にディゼスピアは後退し、次いで詠唱を行う。
「融合——Atk.Chaos No.I
魔剣と聖剣が靄となり混ざり合う。そこに現れたのは聖気と邪気を纏う剣だ。聖魔剣カリバーン——聖剣エクスカリバーと魔剣ダモクレスに並ぶ強大な武器だ。
カリバーンを正眼に構え、ディゼスピアは再び地を蹴る。
「……なんだ、それは」
自分の目はおかしくなってしまったのだろうか。アリスの脳内には疑問符が溢れ返っていた。聖気と邪気を纏い、さらに同じ性質の剣を生み出した謎の男。
一体なにがどうなっている。これだけの密度の聖気と邪気がぶつかれば起きるのは消滅だ。聖気と邪気は相容れない。その事実が目の前で覆されている。
それに、聖剣に刺されたはずの騎士がいまだに消滅していない。この聖気から嫌悪感も覚えない。ありえないことだらけで頭が破裂しそうだ。
そんなアリスの様々な疑問は、一言で解消できる。
——聖気と邪気に相反する性質などない。
歴史を見れば分かることだ。昔、三つの種族はともに暮らしていた。聖気と邪気が相容れないのなら、どうやって生活をともにしていたというのか。そういった疑問を覚えないのは、フライアとノットに精神を操作されているからだ。
つまり、もともと聖気と邪気に相反する性質などなく、フライアとノットの恩恵を受ける聖族と魔族の纏うものが異質なのだ。両種族が仲良くならないように、フライアとノットが性質を変更したのである。
ミハエルとルキフェルの力を使うディゼスピアとルクスは、当然その影響を受けていない。
そんな事情を知らないアリスは一度距離を取り、異形の剣を睨めつける。
「聖魔剣カリバーン。初見か? だろうな。俺も初めて使った」
再び激突。ディゼスピアは剣撃を受け止められると同時に剣を放し、小手を狙う。が、それは防がれ、アリスが魔術を詠唱する。
「展開——Atk.Notte No.VIII
ほとんどそれに被せる形でルクスが詠唱する。
「展開——Df.Angels No.IX
黒き閃光がディゼスピアを包み、さらにその奥、魔導石で造られた城を突き抜ける。閃光が終息し、アリスが見たのは、ぼろぼろになった純白の翼から無傷で姿を現したディゼスピアだった。
「……さっすが、
信じられない。勇者でもないやつに
一番から十番まで、十段階から成る
それを防げる人間は勇者のみだと思っていた。いくらこの男が強くとも、それだけは確実だと——だが、現実は無情だった。
「展開——Atk.Notte No.I
数十の魔剣が空中展開され、その切っ先がディゼスピアに向き、勢いよく射出される。
「展開——Df.Diaboli No.VI
その全てを唐突に現れた巨大な門が飲み込み、跡形もなく消し去った。
そんな魔術の攻防の中で、アリスとディゼスピアは剣戟を繰り返している。アリスが鍔迫り合いから身を翻しての横薙ぎをすれば、ディゼスピアはそれを防ぎカウンターに逆袈裟斬りをお見舞いする。
「展開——Atk.Angels No.I
「展開——Df.Notte No.IV
紙一重で躱したアリスは剣をディゼスピアの喉元目掛けて突き出すが、ディゼスピアは仰け反ることで回避し、反撃するために懐に飛び込む。しかし、アリスの突きはフェイクであり、瞬時に構えを直したアリスが近づいたディゼスピアに向けて剣を振り下ろした。
剣の刃を持って上段からの攻撃を受け止め、ディゼスピアは一旦距離を取る。
勝機は見えた。というより、見えていた。随分と長くこの身体にいたから忘れていたのだ。
魔王や勇者は聖剣や魔剣を媒体として加護を受けているために、魔力の量が少ない。少ないとは言っても一般人とは蟻と象くらいの差があるのだが、天使と悪魔が取り憑きありのままの力を使えるディゼスピアとアリスでは獅子と猫ほどの差がある。
つまり、ディゼスピアは強大な魔術を連続行使出来るが、アリスには出来ない。これは致命的な差だ。
十番は九番以下と違い、信じられない魔力消費を伴うために使いたくない。九番を連続行使するだけでも充分だろう。
ルクスが唱える。
「展開——Atk.Angels No.IX
ディゼスピアの狙いを察知したアリスは舌打ちをして、詠唱を被せる。
「展開——Df.Notte No.IX
アリスとディゼスピアとを黒き壁が隔て、そこに白い炎が噴き上がる。アリスがほっとしたのも束の間、再び詠唱が耳に届いた。
「展開——」
恐らくまた、九番に匹敵する魔術だ。ここで防ぐために九番の魔術を行使すれば、十番は使えなくなる。なら、今使うしかない。
「展開——」
ディゼスピアとアリスが同時に唱える。
「——Atk.Diaboli No.IX
「——Atk.Notte No.X
ディゼスピアの生み出した黒き炎が霧散し、城すらも崩壊していく。自然落下する中で、鎧が消えていくディゼスピアを見ながらアリスは安堵の息を吐いた。
城勤めの兵はいなくなってしまったが、危険過ぎる存在は討伐出来た。これを報告すれば魔導国への疑いも晴れるだろう。
着地し、少しふらつく。辺りを見回せば、城のあった部分だけが砂地と化していた。砂の上にはいくつもの死体が転がっている。
「……建築士に謝らなければな」
跡形もなくなった城は建築士の努力の結晶だ。相手の強大な魔術を巻き込むために範囲を拡大したら城の全てが壊れてしまいました、ごめんなさい。正直にそう謝ろう。
【
と、遠方に捉えていたディゼスピアの付近に、なにやら一本の樹が生えていることに気づいた。
この城にあんな樹は生えていただろうか。いや、それ以前に、あったとしても破壊されているはずだ。だが、確かに樹はそこにあり、なにやら光を放っている。
光はディゼスピアを包み込み、姿を覆い隠す。嫌な予感が拭えない。魔力が空になったためにふらつく足取りでアリスは樹を斬り倒すために走る。
もう少しで、というところで、信じられない現実をアリスの聴覚と黒く澄んだ瞳が認識した。
「——あー、くっそ、死ぬかと思った。いや、死んだのか」
ついさっき殺したはずの男の声。光が失せると同時に、立ち上がったディゼスピアの姿が映る。
「……な、んで」
「は? 見りゃ分かんだろ。生き返った」
——絶望。
「展開——Atk.Angelus No.I」
——こちらは魔力がなく、足元も覚束ない。
「展開——Atk.Diaboli No.I」
——対して、相手はいまだ力衰えておらず、震え上がるほどの聖気と邪気を纏う異形。
「融合——Atk.Chaos No.I
——勝ち目が、ない。
「さあ、二ラウンドと洒落込もうか、魔王」
「——降参だ」
「は?」
「降参だと言ったんだっ!」
勝っても生き返る相手と戦う? そんな馬鹿馬鹿しい戦いがあるか。アリスの心にはもう、愚直に立ち向かう気力などなかった。
「殺せ。死ぬのは別にいい。だが、一つだけ、頼みを聞いてはくれないか?」
アリスの懇願するような表情に、ディゼスピアは迷い、
「言ってみろ。検討くらいはしてやる」
予想外の回答だ。問答無用で斬り捨てられるものだとばかり思っていたが、話が通じるやつだったらしい。
「そうか。意外と甘いんだな」
「うるせぇ、ほっとけ。で、なんだよ」
ディゼスピアは腕を組み、そっぽを向きながら問う。その人間臭い仕草に、一応は人間なのだなと失礼なことを思いながら、アリスは真剣な面持ちで言う。
「私を殺すのが目的なんだろう?」
「ああ」
「なら、私を殺した後でいいから、部下を、同胞を……生き返らせてはくれないか? お前の狙いが私ならば、彼らの死は私のせいだ。彼らを蘇らせてくれるのなら、私は喜んでこの身を捧げよう」
「へえ……」
「無茶なことを言っているとは思うが——」
「分かった」
「え?」
「——分かったって言ったんだ。お前は殺す、部下は生き返らせる。約束しよう」
こんな簡単に承諾されていいのだろうか。幻聴か? それとも、適当なことを言って、約束を破るつもりなのか? いや、それなら最初から断ればいい。
「多少疲れるが、恨みもないやつを殺すんだ、そのくらいはしてやる。俺は優しいからな」
「? 冗談か? 面白くないぞ?」
「本気だ馬鹿。殺すぞ」
「どうせ殺されることは決まっている」
「開き直ってんじゃねぇよ。……お前と話してると昔の知り合いを思い出して嫌になる。覚悟は決まってるか」
「奇遇だな、私もだ。ああ、一思いにやってくれ」
膝をつき、アリスは両手を後ろで組む。頭を垂れ、首を晒した。
「お前とは普通に出会いたかったな」
頭上からそんな言葉が届く。
「私は……どうだろうな。本当にお前が皆を生き返らせたら、天国でそう思うことにしよう」
「信じてねぇのかよ」
「敵の言葉をそのまま信じる王がどこの世界にいるんだ」
「確かに。それじゃ、またな」
「ははっ、おかしなことを言う。どこでまた会うというのか」
次の言葉に、アリスの目は見開かれた。
「——来世で」
ライセ? 来世? 今、この男は確かにそう言った。
アリスの脳裏に走馬灯の如く記憶が流れていく。
前世——リーザ・フライア・フォン・ヴァイスリッターという名の勇者として過ごした生涯。最期に出会った、魔王ディゼスピア・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエル。ようやく巡り会えた同郷の友。恋しき人。雨宮紫苑、その名前を忘れたことは一度もない。
「——紫苑」
探し求めていた人に出会えたのだという喜びから、その名を呼んだ。その直後、アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルもとい、リーザ・フライア・フォン・ヴァイスリッター兼、築地京華の命は絶たれたのだった。
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