漆黒騎士の独奏曲Ⅲ
「なんだこれ、滅茶苦茶うめぇな」
魔導国首都である魔都ノットの大通りを歩きながら、ディゼスピアは右手に持った洋菓子を頬張る。
帽子のような形をしており、外側はクッキー生地、中にはフルーツのピュレやカスタードが詰まっている。シャルロットという名らしい。たまには甘いものも悪くない。
(後でぼくにも食わせてくれよ)
〈分かってる分かってる)
約二百年ぶりに訪れた魔都ノットはディゼスピアの時代とは様相が変わっており、目新しいものが溢れている。これは廻らないわけにはいかないだろう。
数少ない知人の店が潰れてしまっていたことなど、目頭が熱くなる出来事もなかったではないが、時代は移り変わるものだ。仕方のないことだと割り切って楽しむことにした。
「そろそろ行かねぇとな」
見上げれば、黒々としたいかにもな城が視界に映る。ここに着いて二時間、観光は充分にした。後は目的を達するのみだ。
(勝てるかな)
〈そんなもん知るか。勝てるかなぁなんて心配する暇があんならぶっ殺す覚悟でも決めとけ〉
無茶苦茶だ。なんだかんだ人を殺してはいるものの、やはりなんの恨みもない相手を攻撃するのは気がひける。近くにユリアがいればまた違ってくるのだろうが。
そうこうしてるうちにもディゼスピアは足を進め、とうとう門の前にまで辿り着く。
魔導国に入ってからというもの、聖国と王国での慌ただしい日々が嘘だったかのように平穏な日常を過ごせた。それが今から壊れるのだと思うと憂鬱になるが、この元魔王は止まらない。
(魔王を殺した後はどうするんだ?)
〈魔族と聖族を皆殺しにする〉
(……は?)
〈冗談だ。真に受けんな〉
お前が言うと冗談に聴こえないんだよ、とルクスは思う。放っておけば本当にやりかねない。手伝わされかねない。そんなのは御免である。
〈本当のところ、それが一番手っ取り早いんだけどな。魔族の血も聖族の血も途絶えさせちまえば、残るのは人族だけだ〉
その理屈は分かる。種族が人族だけになれば、フライアとノットの加護を受けられる者もいなくなる。争いが根絶するかどうかは分からないが、少なくとも勇者と魔王の争いには終止符が打たれ、世界は変わる。
だからと言って、それをよしとすることは出来ない。犠牲になる人数が多過ぎるし、不完全な結果に終わる可能性もある。
〈ま、現実的じゃあねぇわな。この数を殺し尽くすのに何ヶ月かかるか分かんねぇし、取り逃がすかもしれねぇ。人族とのハーフも少ないながらにいる〉
(ならどうするんだ?)
〈当初の予定は勇者と魔王を殺すことだ。勇者に戦う気がないのなら、魔王を殺せばそれでいい。その後は新しい勇者と魔王が現れるまでのんびりすりゃあいい。現れたらまた殺す〉
(それでいいのか)
なんだか拍子抜けする話だ。
〈いいんだよ。もともと先の長い話だ〉
(そっか……いや、でも、それだとユリアはずっと隠れてなきゃいけないんじゃないのか?)
〈まずいのか?〉
(まずくはないけど……)
まずくはないが、それではやっぱり可哀想だ。なにもしていないのに隠れなければならないなんて、と思う。出来ればもっと楽しい人生を送らせてあげたいというのが本心である。
〈……まあ、考えてみるが、あんま期待すんな。俺は万能じゃねぇんだ〉
(うん)
考えてくれるだけでもありがたい。これはルクスのわがままでしかないのだから。
ディゼスピアが門番に声をかける。今は目先の問題を片付けなければ。
「なあ。ちょっと魔王様と謁見したいんだが」
ディゼスピアの態度に、門番は眉を顰める。洋菓子を食べながら謁見を求める者など見たことがない。
ディゼスピアも最初は真剣に頼み、魔王城に侵入して魔王に奇襲をかけようかと思っていたのだ。しかし、謁見には事前に許可が必要であり、許可を得るには身分の証明が欠かせないのを思い出して止めた。
「お前のような礼儀知らずを魔王様に会わせるわけにはいかない」
「まあ、そうだよな」
うんうん、ディゼスピアは頷いて、ルクスに告げる。
〈行くぞ〉
(分かった)
「解放——
瞬間、ディゼスピアの髪が銀に変色する。その身体から溢れ出す聖気と邪気がディゼスピアを覆い、再び現れたときには銀色の
驚きを露わにする門番を気に留めることなく、ディゼスピアとルクスが詠唱する。
「展開——Atk.Angelus No.I
「展開——Atk.Diaboli No.I
後退りした門番に聖剣と魔剣を容赦なく振り下ろす。
(側近はどのくらい強いんだっけ?)
〈今代のはそこまで強くねぇらしい。つーか、突出して強いやつがいねぇって話だ〉
(それならなんとかなりそうだ)
上半身と下半身が分離した門番に目もくれず、ディゼスピアは城内へと侵入した。
× × × ×
まず、出迎えてくれたのは城内警備にあたっていた黒騎士だった。次から次へと湧いてくる騎士を完膚なきまでに叩き潰しながら、ディゼスピアは歩みを進める。
血飛沫が上がり、漆黒の城を紅く染め上げる。彼の通った廊下に残るのは、屍のみだ。
逃げる者も多少はいる。あれらに着いて行けば魔王のもとに辿り着けるだろうか。そう考え、逃げ出した一人の騎士を見逃す。
目で追えなくとも、あれの気配を感知しておけば問題ない。とは言え、いい加減煩わしくなってきた。いくら普通より広い廊下だとは言えども、百人、二百人と集まれば狭苦しい。
「面倒くせぇ……」
あまり力を浪費したくはないが、こんなのを相手にしていたら気が持たない。視界に映らない奥の方で待ち構えている騎士を気配で感じ取り、ため息を漏らす。
「展開——Atk.Diaboli No.IV
黒い閃光が兵士の身体を通り抜けていく。死ぬ——誰もがそう思った。自分達を蟻を潰すように蹂躙していた相手の放った怪しげな魔術だ。生き残る自信はない。
恐怖で閉じていたまぶたを持ち上げる、という動作をしたときに、自らの命がまだあることを実感した。喜びと同時に疑問が押し寄せてくる。
——なぜ、無傷なのか。
——なぜ、無傷なのか、という疑問を感じているのか。
——自分は攻撃などされてはいないのに。
「後は勝手に殺ってくれ」
友人の声が届く。周囲を見回すと、自分は黒い鎧を纏った騎士に囲まれていた。
——敵だ。
直感で分かる。こいつらは敵だ。自分はこいつらを殺さなければならない。よし、殺そう。さあ、殺そう。
「はぁぁぁあっ!!」
まるでそれだけが使命だ、と言わんばかりに味方に斬りかかる騎士達の間を縫うように、ディゼスピアは奥へと進んでいく。誰も彼を気に留めない。誰しもが彼を友人だと思い、守るべき存在だと認識している。
精神支配系の魔術である。親しければ親しいほど憎悪が湧き、憎ければ憎いほど愛情が増す。昨日の友は今日の敵。同士討ちさせることを目的とした、悪趣味で凶悪な術だ。
逃げ出した騎士の反応を追い、ディゼスピアは城内を走る。
ホールのような広い空間に辿り着くと、再び数十人の騎士が眼前に立ちはだかる。先の騎士達よりは強いようだが、数十人程度たいしたことはない。それを一蹴しようと足に力を入れたとき、騎士達の背後から怒声が響いた。
「退けぇっ!」
騎士達が表情を変えた。それは安堵の表情だ。まさか、魔王が出て来てくれたのだろうか。そんなディゼスピアの期待は裏切られる。人波が割れ、奥から姿を現したのは六人の黒騎士だった。
「お前達では相手にならん。ここは俺達に任せろ」
そんな言葉を吐ける程度には自分の力に自信があるらしい。確かに、今までの雑兵とは格が違うのが、纏う雰囲気で察せられる。
「——側近か」
側近についての情報はたいして集めていない。知っているのは、圧倒的な強さはないということだけだ。ただ、それだけ分かれば充分だった。
「——ぐっ」
「へぇ、これはなかなか」
先手必勝とばかりにディゼスピアが振り下ろした魔剣を、側近の一人が受け止める。剣戟が響いたのは、この城に入って初めてのことだ。
続け様にルクスが胴を狙って聖剣を振るが、側近はそれを紙一重で躱し、後ろに跳躍する。
「なんだ、言うほど弱いわけでもねぇじゃねぇか」
これが六人。少々物足りないが、魔王と戦う前の前哨戦としては丁度いい。
「身体が鈍って仕方なかったんだ」
どいつもこいつも一撃で済むような相手ばかり。ようやく少しは骨のある敵と戦える。
ディゼスピアは魔剣の切っ先を側近達に向け、ヘルムの下で口端を吊り上げ言い放った。
「——六人纏めてかかって来い」
× × × ×
魔王アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルの配下には六人の側近がいる。
剣王を始めとし、魔槍士、黒斧戦士、魔導士、魔獣使い、魔弓使い。六人全員が一流の戦士であり、魔王に絶対の忠誠を誓う騎士だ。その実力は魔族の中でトップクラスである。しかし、歴代最弱という不名誉な噂が出回っている。
今代は不作だった。頼れるのは歴代最強の魔王ディゼスピア・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルにも匹敵する猛者、アリスだけだ。民衆がそう感じているのは、たった一つの事件がきっかけである。
——聖女クリスティーナ・マスマディニスに喫した大敗。
二年前、魔導国に一人でやってきた彼女に襲い掛かった魔族は全員返り討ちにされ、遅れて参上した六人もまた、完全に無力化された。
ただ一つの傷も負わせることなく、地に伏すこととなったのだ。それも、民衆の眼前で。
そのときに受けた傷は残っていない。そもそも、負傷していないからだ。それは怪我をしないように手加減をされた上での惨敗だった。
心がへし折れそうになったことがないとは言えない。嘲笑に武力で応えようとしたことがないとは言えない。側近を辞めようとアリスの前に立ったことだってある。
だが、それは出来なかった。
己が命を賭してでも守ろうと決意した女が笑って言ったからだ。
——民草の戯言に耳を貸すな。この私がお前達を必要としている。
それでは不満か? その問いに首を縦に振れる黒騎士などいない。
鍛錬は今までの倍は行った。二年前より確実に強くなった。そして、今、主君の期待に応える機会がやってきた。
敵の実力は未知数。おそらくは自分達より強いだろう。だが、勝たなければならない——否、勝つ。ここで勝てないようでは騎士の名折れ。ならば、やることはただ一つ。
全身全霊をもって打ち倒すのみ、だ。
「——行くぞ、侵入者。その愚行、必ずや後悔させてやる」
「来いよ黒騎士。その心、叩き折ってやる」
剣王は五人の仲間に目配せし、魔槍士、黒斧戦士と共に飛び出す。その背を追い越して、魔導士が放った無詠唱の黒炎球と魔弓使いの邪気を纏った弓が侵入者に迫る。
まさか、それで倒せるとは思っていない。侵入者は黒火球を聖剣で薙ぎ払う。そのままの勢いで弓を尽く叩き斬った。予想をやや上回る対処に驚くが、着いていけない速さではない。
剣王は右から、黒斧戦士は左から、それらを迂回して、魔槍士が背から魔槍を突き刺そうと動く。
侵入者は剣王へと足を踏み出し、魔剣で斬撃を受け流し、横合いから殴りつけるような勢いで迫ってきた斧を聖剣で上から叩きつけ、宙へと舞い上がる。
そこに魔弓使いと魔導士が追撃するが、空中に足場が出来たような動きでそれらを躱し、侵入者は無事に着地する。
着地点は魔槍士の背後。地を蹴り、魔槍士に斬りかかった侵入者との間に、魔獣使いの呼び出した冥途の番犬ガルムが割り込む。
標的をガルムに切り替えた侵入者はガルムを一撃で斬り伏せ、背後へ跳躍した。
「ふう、久々だな、この感じ。しかし、これはちっとばかし数が多いぜ」
侵入者の目に映るのは、魔獣使いによって呼び出された多種多様な魔獣達だ。龍王バハムート、蛇王ヨルムンガンド、獣王ベヒモス。ワイバーンが飛び、ニーズヘッグが這いずり、フンババが駆けてくる。
「よし、お前らの健闘を讃えて、もう一段階ギアを上げるとしよう」
不吉な言葉を発した直後、侵入者の姿がぶれる。行われたのは殺戮というより、駆除に近かった。ものの数秒で数多くいた魔獣のほとんどが絶命し、残るは王の名を冠する三体のみ。
「さて、どうする」
——一体ずつ殺されたいか、纏めて殺されに来るか選べ。
気圧されそうになるほどの殺気がホール内に充満する。最初に動いたのはバハムートだった。間もなくヨルムンガンドとベヒモスがゆっくりと侵入者に近寄っていく。
「なっ……」
魔獣使いが驚愕の声を漏らす。
「ほう、賢いな。いや、生存本能に従っただけか」
——戦意喪失。
三体の王は侵入者の背後に立ち、六人の騎士に牙を剥いた。それが意味することは、主人の鞍替え。この男に着くのが、今の現状で、最も生き残れる可能性が高いと判断したのだ。
六対一でも勝てないかもしれない相手に、強大な魔獣が加わった。魔獣の意志が変わった時点で、魔獣は魔獣使いの制御下にはない。
「ああ、お前らは戦わなくていい。黙って見てろ——その選択が間違ってなかったことを証明してやる」
その言葉に騎士達は安堵する。同時に、完全になめられているという事実に悔しさが込み上げてきた。戦わなければ——なのに、何故、足が動かない。
「うぉぉぉぉおっ!!」
黒斧戦士が巨体に似合わない俊敏な動きで侵入者に肉薄する。斧を身体を傾けるだけで避けた侵入者が軽く聖剣を振り、黒斧戦士の胴に触れる。
とても力強い一撃には見えなかった。しかし、自らの目はその攻撃が致命傷であるということを如実に映し出す。
嫌な音がした。まるで自分の意志でやっているような動きで、黒斧戦士の身体が曲がっていく。聖剣の軌道は一ミリもぶれず、振り切ったときには、衝撃で吹き飛んだ黒斧戦士が転がっていた。鎧をくの字に変形させて。
前傾とかそういった曲がり方ではない。身体を正面から見て、くの字に曲がっているのだ。間違いなく、腰が片方千切れている。
「なんだ、硬いなそれ」
侵入者は鎧を見つめて言う。この鎧は魔導石の粉末を混ぜて作られた一級品だ。その頑丈さは半端ではない。それがこの男の前では、身体が千切れて死ぬか、上半身と下半身が分離して死ぬかの違いでしかない。
「ユリアの防具に使えるかな」
急に侵入者の言葉遣いが変わったことに疑問を覚える。ユリアとは誰だろうか。いや、そんなことは今、関係のないことだ。
侵入者はなぜか嘆息してやれやれといった様子で言葉を吐く。
「それを一着渡して逃げるなら見逃してあげるよ」
よく分からないが、逃げ道が出来た。出来れば黒斧騎士のようにはなりたくない。
「これをやれば見逃してくれる、か……ぞっとしない話だ」
この防具は、自分達の命を守るために、魔王アリスが特注で造らせたものだ。それをくれて尻尾を巻いて逃げるなんて——考えるだけで腹が立つ。
剣王は剣を握り直し、圧倒的強者を見据えた。
「——断るっ!!」
「そっか、残念だけど、しょうがないね。身体も温まったし、そろそろ終わりにしよう」
瞬間——横にいた魔槍士が吹き飛んだ。怯まずに、佇む侵入者に剣を振るも、そこには既に誰もいない。
慌てて魔導士達へと視線を向けると、衝撃音が耳に届いた。鎧をひしゃげさせて息絶える仲間。自分以外が一瞬で殺されたという事実を受け入れるのに時間を要した。あるいは、未だに受け入れられてなどいないのもしれない。
混乱したまま剣を持って突っ込むと、剣は弾かれ、衝撃で腕から離れ遠くに転がった。万策尽きた。首筋に聖剣を突きつけられ、死を覚悟する。
「どうして」
「あぁ?」
「——どうして、俺を最後にした?」
侵入者と話していたのは自分だ。自分が真っ先に狙われるのだと身構えていた。
「お前の忠誠に敬意を表して、だな。お前みたいな奴、俺の時代にはいなかった」
意味が分からず考えてしまう。忠誠なら皆誓っていたはず——とそこまで考えて思い至る。つまるところ、自分以外は迷っていたのだろう。鎧を渡してしまおうと考えていたのだろう。
俺の時代、という言葉の意味は分からないが、こいつの事情など知ったことではない。
「なにか、言い残すことはあるか?」
「——アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエル魔王陛下、万歳」
横薙ぎに振るわれた魔剣を最期に、剣王の意識は途絶えた。
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