漆黒騎士の独奏曲Ⅱ


「——そう、だったのですか」


 ユリアの表情が陰鬱なものへと変わる。


 ルクスの身体にはディゼスピア・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルという元魔王の魂が宿っており、ルクスの魂に天使ミハエルが、ディゼスピアの魂に悪魔ルキフェルが取り憑いている。ミハエルとルキフェルの目的は二神の仲を元に戻すことであり、そのためには勇者と魔王を殺す必要がある。


 そんなことをルクスはユリアへと話した。現在、魔導国と王国の国境付近である。一応、まだ王国内なので、ルクスの髪の色は灰色だ。


「でも、きみを殺すつもりはない」


 そんなことは分かっている。ユリアはそう思った。分かっているからこそ、辛いのだ。自分の存在がルクスの足枷になっているということが、たまらなく辛い。だから、つい、呟いてしまった。


「私が死んだ方が、ルクスさんは……」

「そんなわけないよ。好きな人が死んで喜ぶ人間がどこにいるんだ」


 そんな好き好き言わないで欲しい。恥ずかしくて仕方がない。


「好きな人を困らせて喜ぶ人間がどこにいるんですか」


 反撃すると、ルクスは少しだけ狼狽えた様子を見せる。が、それは好きな人だと言われたことに狼狽えたのであって、言い返せないわけではなかった。


「ぼくは困ってないから問題ないんだよ」

「でも……」

「ディゼスピアがなんとかするって言ったんだ。なんとかならないわけがない」

〈お前、そこで人任せ発言は相当かっこ悪いぞ〉


 失敗した。単純なルクスは真に受けて後悔する。なんと言えばいいのだろう。取り繕う言葉は浮かんでこない。


「信頼、しているのですね」


 ユリアが憧憬の混じった視線を向けて言う。


「え? ああ、うん。もう十五年の付き合いだからね」

「……羨ましいです」


 曖昧な笑みを浮かべるユリアに、ルクスは言葉に詰まってしまう。自分にはディゼスピアという支えがある。でも、彼女にはない。


「私も、信頼している人はいるんです。微かな希望、というか。最後の手段、なんですけど」


 遠くを見つめ、ユリアはその友人の名を紡ぐ。


「クリスティーナ・マスマディニス」

「……それって」

「はい。聖女、と呼ばれていますね」


 聖女——クリスティーナ・マスマディニス。齢十一にして歴代最高と呼ばれ、勇者に匹敵する実力があると噂されている女だ。しかし、その強大な力を暴力に使うことを好まず、魔族との戦いにも否定的な平和主義者。現在は十七歳で、十五の頃から行方知れずだと言う。


「彼女と私は幼い頃より訓練を受けてきました。連携を取るための訓練です。彼女が後衛で、私が前衛。私が聖剣を手にしていれば銀髪のルクスさんにも余裕を持って勝てる、と自負しています」

「そんなに強いのか……」


 銀髪時の戦闘力は白髪、黒髪の二倍はある。それは勇者や魔王に勝るとも劣らない域だ。ただ、ルクスとユリアが戦うのと、魔王とユリアが戦うのでは、また少し違ってくる。


 魔王を殺せる聖族は勇者だけだ。逆も然り。かのクリスティーナ・マスマディニスがいくら強くとも、それは不変のものである。それほどまでに魔王の邪気は濃い。


「はい。彼女が十五歳を迎えたとき、当然のように彼女が勇者に選ばれるものだと思っていたくらいです。彼女は魔術の才が飛び抜けていましたが、剣術も一流でしたから」


 目を伏せ、記憶を呼び起こせば、今でもクリスティーナ・マスマディニスの実力は鮮明に思い出せる。他の追従を許さない、圧倒的強さが。


「しかし——聖剣は彼女を選ばなかった」

「そのショックで?」


 自分の実力に自信があったのなら、勇者に選ばれなかったことに落胆する気持ちもあるだろう。それ故に、失踪してしまった、と考えるのが自然だ。だが、ユリアはゆっくりと首を振る。


「いえ、一部のそういった事情に精通している者からはそう思われていますが……」


 そこでユリアは言葉を区切り、おかしそうに笑う。


「ティナは——彼女は、むしろ喜んでいました。『やった、選ばれなかったよっ!』などと笑って言うのです。『誰かを傷つけたくなんてない』、『誰も殺したくない』。それが彼女の口癖でした」

「それは……なんていうか、意外、だね」


 クリスティーナ・マスマディニスが平和主義者なのは有名だが、勇者に選ばれなかったことをよかったと言うほどだとは思わなかった。


「でも、それならどうして……」


 どうして失踪したのか。そこが分からない。


「彼女は倹約家でした。治療を行うことで莫大な資産を持っていたにも関わらず、無駄遣いは決してしない。あ、ケチだったわけではありませんよ? 私の誕生日は盛大に祝ってくれましたし、自分が使うべきだと感じれば惜しみなく使う。そういう人です」


 聖女の人となりがなんとなく分かってきた。ここまで聞けば、ルクスにはいまだ察しがつかないが、ディゼスピアにはこの先の展開がなんとなく予想出来る。


〈——そんなに戦いたくなかったのか〉

「ずっと機会を窺っていたのでしょう。勇者に選ばれなくとも、戦う道は避けられない。ならば、逃げてしまえばいい。あなたがいれば大勢の聖族が救われる。彼女が逃げると私に伝えてきた夜、私はそう言って彼女を引き留めました」


 結果どうなったのかは聞くまでもない。現状が言葉よりも雄弁に語っている。


「『あたしがいれば大勢の魔族が殺される。あたしにはそれが絶えられない。これ以上、自分の手を汚したくないんだ。自分が救った人が、誰かを殺す。それが嫌で仕方がない』と、断られてしまいました。そのときの私にはその感情の一端も理解できませんでしたが、今なら——人族であるルクスさんと関わった今なら、その気持ち、少しだけ分かるかもしれません」


 ユリアの語り口からは後悔だけが伝わってくる。もっと共感してあげられたかもしれない。不安気だった彼女に応援の言葉くらい送れたかもしれない。


 そんな感情を感じ取りながら、ディゼスピアは考える。どうして、こんな益体のない話を続けるのか。それに、気になることもある。


 そうだったのですか。ルクスが話し終えたとき、彼女は質問もなくそう言った。これは明らかにおかしい。この世界の人間ならありえない事態だ。


「あのときに彼女が言っていた言葉も、今までは半信半疑でしたが、今では真実なのだと確信しています」


 ディゼスピアの疑問は、ユリアの言葉によって解消されることとなる。


「——リンネテンセイ」


 ディゼスピアの心が乱れる。この世界でそれを知っている者はいない。そして、リンネテンセイという言葉を使うのは日本人以外にありえない。


「人の身体にはタマシイが宿っており、命尽き果てても、タマシイは新しい肉体に宿り、再び生を受ける。ディゼスピアさんもテンセイシャ? なのでしょう? 二人もそういった人がいれば、いくら聞いたことがなくとも信じざるを得ません」


 過去の勇者——リーザ・フライア・フォン・ヴァイスリッター、日本からの転生者——築地京華の影が、ここでようやく見えた。ディゼスピアの感情は昂ぶる。ずっと探していたのだ。それだけを、希望にして生きてきたのだ。


「そいつの名は、知ってるか?」

(——ディゼスピア!?)


 断りなくルクスの身体の支配権を奪ったディゼスピアはユリアに問う。ユリアはいきなり黒髪に変わったルクスに少し驚いたが、そう言えば最初に助けてくれたルクスはこんな口調だったなと落ち着きを取り戻す。


「ディゼスピアさん、ですね。お名前は予々かねがね窺っておりました」


 当然だ。ディゼスピア・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルとリーザ・フライア・フォン・ヴァイスリッターの決闘が相討ちに終わったのは有名な話である。両者とも他を寄せ付けず、孤独に生き、孤独に死んだことも。


 側近をつけずに勇者を迎え撃ったディゼスピアと仲間を連れずに魔王に挑んだリーザ、それぞれがそれぞれの国で語り継がれている。


「こうして相対してみると、なんとも不思議な心地です。見た目は魔族なのに、嫌悪感が沸いてきません」


 それはそうだろう。ディゼスピアは思う。この身体はあくまで人族だ。人族は中立。嫌悪感など生まれようはずもない。だが——


「——そんなことはどうでもいい。そいつの、聖女の名を知ってるか、って聞いてんだよ」

「名、ですか?」


 ユリアは不思議そうに首を傾げる。自分は名を言わなかっただろうか。そんな顔だ。


「ああ、いや、聞き方が悪かったな。そいつの前世の——輪廻転生する前の名は知ってるか?」

「……いえ、申し訳ありませんが」

「……そうか。ならいい。急に悪かったな」


 思い返してみれば、ユリアは築地京華の名を知らないと言っていた。ならば、知らないのも当然だ。


 聖女が築地京華であるということにはほとんど確信を持っている。だが、訊かないではいられなかったのだ。支配権を奪わずとも声くらいは発せられたのに。なにを自分は焦っているのかと恥ずかしくなってくる。


〈悪かった)


 支配権を共有し、ディゼスピアはルクスに謝る。


(いや、別にいいけどさ。どうしたんだよ)

〈お前には関係ねぇことだ)


 素っ気ない態度にルクスは顔を歪める。だが、こういうときのディゼスピアはなにを訊いたところで答えてはくれない。ルクスはディゼスピアとの間にある壁を意識しながら、ユリアに向き直る。


「とりあえず、きみをどこか安全な場所に送らないとね。まさか魔導国に連れて行くわけにはいかないし」

「そのことなんですが、私は北へ向かおうと思っています」

「北? またどうして急に」


 北は氷雪地帯だ。年中気温が低く、一部の魔物以外は寄り付かない。


「北には、クリスティーナ・マスマディニスの住居があります。そこに匿ってもらおうかと」


 ユリアはクリスティーナが聖国を去る際に、クリスティーナの向かう場所を訊いていた。なにか困ったら頼ってくれ、そう言われていたのだ。


「本当は頼るつもりはなかったのですが……」


 正直、人間を恐れていた。父母の愛は偽りで、頼った騎士には裏切られ、追われる日々。誰を信じていいのかも分からない。なら、誰も信じなければいいと、そう思った。


 だが、ルクスに出会った。裏表なく、信頼出来る人物に出会えた。ルクスという存在が、ユリアに希望を与えた。


「まだ、諦めるには早かったようです」


 諦めるのは、為す術がなくなったときだ。希望が絶えたときだ。ルクスがいる限り、そのときは訪れない。それなら、もう少し頑張ろう。


「そっか。なら、そこまでかな」

「いえ、ここで別れましょう。もう追手も巻けたようですし、一人でも大丈夫です。ルクスさんはルクスさんの目的を果たしてください」


 ユリアの瞳には確固たる意志が宿っていた。これはなにを言っても聞いてくれそうにないな、と判断したルクスは苦笑しつつ頷く。


「分かった」

「ここまで、本当にありがとうございました」


 ユリアはお手本のようなお辞儀をする。別にお礼を言われるほどのことをした覚えはないが、ここは素直に受け取っておく。


「次に会うのは、全部が終わったときだね」

「はい。お力になれないのが残念ですが……」


 なにか出来ることは、と考えてはみたものの、聖剣も持っていない状態では足手まといもいいところだ。


「ユリアは生きててくれるだけで、ぼくの力になってるよ」


 戦争を失くす。それはユリアが勇者から逃げても問題ない状況を作る、ということと同義だ。そのためなら、ルクスはなんでも出来る。


「なっ、そんな……もう、ルクスさんはずるいですね!」


 口を尖らせてじとーっと睨んでくるユリアの頬は赤らんでいた。特別なことを言ったつもりはなかったのに、ユリアのこんな顔が見れるだなんて、なんだか得をした気分だ。


「……なんだか悔しいので、次に会うときまでにルクスさんに喜んでもらえるような言葉を考えておきます」

「ははっ、それは怖いね。その台詞で既にお腹いっぱいって感じなのに」

「本当ですかー?」


 信じていないのか、僅かに首を傾げ、覗き込むようにルクスを見る。近い。このお姫様はちょっと距離感が近いな、と押しに弱いルクスは参ってしまう。


「ほ、本当だよ」

「吃るなんて怪しいです……あ」


 ルクスの顔が紅く染まった原因に思い至り、ユリアはぱっとルクスから離れる。


「こほん。ま、まあ、信じてあげます」


 直後、ちらとこちらを窺ってきたユリアと目が合う。ユリアはバツの悪そうな顔をして、照れ臭そうにはにかんだ。


        × × × ×


 双方共に別れを惜しんでいたため、しばらく話は続いた。


 しかし、いつまでもこうして話しているわけにはいかない。ディゼスピアにもいい加減にしろと怒られてしまったため、ルクスは切り上げることにする。


「それじゃ、そろそろ行くよ」

「……はい。あ、ルクスさん、ちょっと白髪になってもらってもらいいですか?」

「え? 別にいいけど」


 ルクスは言われるままに支配権を独占し、髪を白く染める。


「それで、横を向いて少し屈んでください」

「うん? 分かった……」


 なんだろうか。なんだかよく分からないが、言われた通りにする。と、脳内に笑い声が響く。


〈なるほどな〉


 そんな言葉が聴こえたかと思うと、頬になにか柔らかいものが触れた。


「え? ——えっ!?」

「——あなたを愛しています」


 耳まで真っ赤になったユリアは目尻に涙を溜めて告げる。


「必ず、また、会いましょう」


 ルクスはユリアの涙をそっと拭い、微笑んだ。


「うん、約束する。そのときまで、またね、だ」

「はいっ」

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