漆黒騎士の独奏曲Ⅰ
ノアカヴァリエル魔導国、魔導王アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルの住まう城は、邪気に満ちた魔導石——透明感のある黒い石——を用いて造られている。
魔導石は頑丈さが取り柄だ。しかし、その頑丈さ故に、加工方法が今まで確立していなかった。勇者と魔王の激突のたびに魔王城が崩壊するため、ずっと研究されていたのだが研究は困難を極め、先代魔王の時代にようやく完成したのである。
陽光に照らされ輝きを放つ漆黒の城、玉座の間に置かれた豪奢な玉座に座すのは、もちろんアリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルである。
長く艶やかな黒髪は流れ、白く端整な顔立ちは見るものを魅了する。唇に塗られたルージュが蠱惑的な雰囲気を漂わせていた。
「はあ……」
物憂げなため息に近衛騎士がごくりと唾を呑む。そのため息の意味を考えるものは誰もいなかった。
× × × ×
アリス・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエル。今代の魔導王に選定された彼女は、今までの魔導王とは一線を画す存在だ。
先代までの魔導王は閉鎖的な政策を好んでいたのに対し、彼女はグライミリティス王国との交易を盛んにし、過去に見ない良好な関係を築き上げたのだ。ノアカヴァリエル魔導国に人族が訪れることも珍しくない。
更に、彼女はヴァイスリッター聖国との関係良好のためにも尽力している。ヴァイスリッター聖国に会談のための文書を送ったり、グライミリティス王国を通じてヴァイスリッター聖国との親睦会を企画したりなどである。
しかし、聖王は聞く耳を持たない。恐らくそれは全て処分されているだろう。彼女の奮闘は虚しく散っていく。同胞の魔族は、彼女の誘いを断る聖王に憤慨する始末だ。
一体どうすればいいのだろう。彼女も例に漏れず、本能的に聖族を憎んでいるが、彼女は他の魔族とは違い、そのことに疑問を覚えていた。
魔王が殺された。攻め込んでくるのは聖族だ。その言い分には納得できる。だが、魔導国も攻め込んで来た聖族を虐殺し、勇者を葬っている。どっちもどっちだと、そう思う。
そう思ったからこそ、疑問を覚えた。違和感があることに気づいた。自分は聖族に怨念があるわけではない。それなのに、心の奥底では憎んでいる。見れば殺したくなる。
これは明らかにおかしい。そうして考えた結果、誰かにそう思わされている、という結論に至った。それが誰なのかは分からない。分かれば、希望が生まれる。
聖族と魔族が共生出来る環境を作り上げる。それが彼女の人生の目標だ。そのためには、首謀者を割り出し、やめさせなければならない。
残された時間は少ない。聖国にはいまだ勇者が現れていないらしいが、いつ現れるとも分からない。現れれば、一年足らずで戦争が始まるだろう。それまでになんとかしなければ。
今朝まで、アリスはそう考えていた。
まだ一年はある、と。それがどうしてこんな事になった。なにがなんだか分からない。誰かの策略だろうか。だとしても、こんなことをして一体なんの得がある。
「はあ……」
アリスは再びため息を吐き、手元の書類に目を通す。王国の国王から送られてきたものだ。そこには大きく分けて四つのことが書かれていた。
一、聖国の王女が拉致された。
二、その犯人は髪の色を自在に変える能力を有している。
三、犯人は偽の魔剣と聖剣を操り、聖国騎士千余りを一撃で葬った。
四、聖国が魔導国に容疑をかけ、宣戦布告を行った。
ため息も出るというものである。聖国の書状も添付されていた。内容なんて見る価値もない。どうせ理不尽極まりないことが書かれているのだ。受領しなければいいかと言えば、そういう問題でもない。
勇者が不在の身で宣戦布告をしてくるとなれば、聖国に止まる意思はないということだ。そもそも、この宣戦布告も中立国である王国のために設けられたものであり、これ自体に対した効力はない。相手がやるというのならやるしかないのだ。
それにしても、どうしてそこまで王女に肩入れするのだろう。もちろん、親だからという理由もあるだろう。だが、はっきり言って勇者のいない聖国など恐るるに足りない。
聖国の敗北は決まったようなものだ。勇者の加護がなければ、勇者の仲間になり得る者であろうと、魔王に勝つことは出来ない。それに、受領されないまま戦争を始めれば、王国に悪印象を与えることになる。
まさか聖王はそんなことも分からない無能なのだろうか。いや、それはない。馬鹿でも分かることだ。なら、なぜ——はっとなる。
そういうことなのだろうか。可能性は低くない。聖王は秘匿主義だ。そして、聖族には、
——全て聖王の自作自演。
王女は攫われてなどいない。勇者は既に現れている。犯人は聖王と勇者によって生み出された人間兵器。真相がそうなのであれば、全ての辻褄が合う。
聖王は人間兵器を生み出した。その力は凄まじいものだ。これで魔導国には勝てるはずだ。だが、万全を期すために策を弄した。
極秘に人間兵器に王女を攫うよう命じ、一見すれば人間兵器は聖国を狙っているように見せかける。そうすることで、王国は人間兵器が魔導国のものであると誤認する。
王国を味方につけた聖王は、勇者がいないと油断した魔導国に攻め入り、勇者と人間兵器を投じる。勝利したのち、人間兵器を回収し、王国には勇者が打ち負かしてくれたと伝える。
聖国は王女が攫われたという大義名分と人間兵器を討伐したという事実が残り、魔導国には偽の聖剣と魔剣を使う人間兵器を生み出したという事実が残る。どちらが王国の心象を悪くするかは考えるまでもない。
——やられた。まさか、ここまで歪んでいるとは。だが、この段階で気づけたのは幸いだ。もしかしたら、既に人間兵器はこの国に潜んでいるかもしれない。寝首を掻かれるという心配はしなくてもいい。
この状況を覆すには、人間兵器を見つけ出し、抹殺する他にない。都合のいいことに、手配書も添付されている。今すぐにでも魔導国全土に配布し、こいつを捕らえなければ。
アリスが玉座から立ち上がったときだった。凄まじい衝撃音が轟く。同時に扉が開け放たれた。
扉から現れたのは一人の騎士だ。アリスの記憶では城の警護にあたっていた人物である。
「無礼だぞっ!」
近衛騎士が叱責する。騎士は酷く息を切らしており、顔が恐怖によって青白くなっていた。
「も、申し訳ありません! 緊急、事態ですっ!」
只事ではない様子の騎士に、近衛騎士も口を噤む。その視線はアリスに向けられていた。アリスの判断に従うという意志の込められた視線に頷きを返し、アリスは騎士に問う。
「なにがあった」
問われた騎士は一度大きく深呼吸をし、身体を震わせながら答える。
「て、敵襲ですっ。聖剣、と魔剣を持った、銀髪の——化物が、城に単騎で攻め込んで来ましたっ!」
真偽を確かめるまでもない。開いた扉からは喧騒が伝わってくる。アリスは側近に視線で向かうように指示を出し、考える。
「……どうして」
恐らく、人間兵器だろう。だが、どうしてなのか。なぜ、今なのか。聖王はなにを考えている? まさか、黒幕は聖王ではないのだろうか。いや、そんなはずは——しかし、だとしたらどうして。
聖国にも魔導国にも属さないなにか。それは王国以外にないが、それも腑に落ちない。いつまでも争い続けている聖国と魔導国に業を煮やしたのだろうか。されど、人間兵器たった一体でなにが出来ると言うのか。聖国と魔導国を敵に回すにしては戦力が低過ぎる。
なら、だれが黒幕か。もしかして、人間兵器ではないのだろうか。聖剣と魔剣を操り、髪の色を自在に変える人間など見たことがない。突然変異でそんなものが生まれたとして、ではなぜそいつは王女を攫い、城に攻め入って来たのか。
分からないことばかりだ。嫌になる。面倒だ。どうして自分がこんな目に遭わなければならない。自分はただ、彼との約束を果たしたいだけなのに。
そいつを捕らえて尋問すれば全て明らかになる。もう、考えるのは止めだ。
「私どもではあの化物には勝てませんっ!」
嘆く騎士にアリスは優しげな視線を向ける。側近は既に着いた頃だろう。まさかその全員を封殺するほどの力があるとは思えない。しかし、油断はしない。奴の死に場所はここだ。
「よく伝えてくれた」
魔剣を携えたアリスの身体が黒い靄に包まれる。
——
騎士が再び目にしたのは、漆黒の全身鎧に包まれたアリスの姿だった。ぴりぴりとした殺気。その膨大な力を感じ取り、騎士は感嘆の声を漏らす。
「後は任せろ——私が出る」
騎士が安堵の息を漏らす。最強の騎士が戦うのだ。負けるはずがない。王の道を開けるために立ち上がると、
「え?」
喀血。自分の口から飛び出した血に、騎士は目を白黒とさせる。腹から飛び出した煌めく剣に絶望が走る。
「——化物とは随分なご挨拶じゃあねぇか」
剣が引き抜かれ、倒れながらも振り向いた騎士が死に際に捉えたのは、銀の鎧に身を包む謎の騎士の姿だった。
絶命した騎士を視界の端に映しながら、アリスは息を呑む。まさか、ここまでとは——自分と同等かそれ以上の力を有しているとは思わなかった。
「なあ。そうは思わねぇか? 魔王」
「馬鹿言え。どこからどう見ても化物だろう」
こんなやつが一体今までどこに隠れていたのか。この分だと、先の予想は完全に外れていたと思った方がいい。
「ひっでぇな。俺だって傷つくんだぜ?」
「なにをしにここに来た」
男は無視かよと笑いながら言う。
「お前を殺しに、ここに来た」
それになんの意味がある。アリスには分からない。尋ねようにも、これ以上の質問をさせてくれそうな雰囲気ではない。アリスは魔剣を構え、神経を集中させる。
「覚悟は出来たか魔王? 死ぬ覚悟は」
二本の対なる剣を構え、男が聖気と邪気を纏う。一体、どんな仕組みだ。聖気と邪気は相容れないはずなのに。
「——さあ、絶望の時間だ」
音を置き去りにして、男の姿が掻き消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます