純白騎士の奏鳴曲Ⅳ
「明日の朝、聖国に戻ろうと思います」
突然の告白に、ルクスは固まってしまう。
「……え? どうして、急に。だって、戻ったらきみは」
「ルクスさんの身に危険が迫る、なんてことはないと思いますが、私がいては厄介でしょう」
「そんなことないよ」
即座に否定する。ルクスは真剣そのもだったが、ユリアはくすくすと笑う。
「そう言ってくださると思っていました。ですが——私が辛いのです。もう今更かもしれませんが、ルクスさんに迷惑をおかけしてしまうことに、耐えられないんです」
「迷惑だなんて……」
迷惑だなんて、思ったことは一度もない。そんな決意を固めているような顔をしないでくれ。自分はいまだなにをどうすればいいのかも分からないっていうのに。
使命は、目的は、勇者と魔王を殺すことだ。
だが、勇者はユリアで、ユリアは初恋の人だ。
殺したくはないが、殺さなければならない。
このまま——自分が身体の主導権を握ったまま、ユリアの元を離れれば、ユリアが聖国に帰れば、ユリアを殺さなくて済む。
しかし、聖国に戻ったユリアの未来は暗いものだ。
ルクスの脳内はパンク寸前だった。ディゼスピアにいい案はないかと聞いてしまいたい。しかし、いや、聞くべきだ。答えてくれない可能性はある。でも、一人で考えていても答えは出ない。
(ディゼスピア)
彼の名を呼ぶ。しかし、答えは返らない。
(ディゼスピア、聞こえてるんだろ?)
二度目の呼びかけ。そこで、脳内にため息が響く。
〈——なんだよ、うるせぇな〉
(ユリアの話、聞いてたんだろ? ぼくはどうすればいい?)
〈そんなもん、決まってんだろ〉
期待はしていなかった。ルクスはこのとき、ディゼスピアがユリアを守るような発言をするとは思っていなかった。だからこそ、訊いたのだ。
ディゼスピアが殺すと言えば、守りたいという確固たる意志を貫ける。ぼくだけは彼女の味方だ、と自分の行動を肯定出来る。
〈殺せ〉
(分か——)
分かった、なら今からぼくとお前は敵だ。そんなことをルクスは言わんとしていた。だが、その台詞はディゼスピアによって遮られることとなる。
〈って言えば、殺すのか? 殺さねぇ、いや、殺せねぇだろ? てめぇの考えなんて筒抜けなんだよ。俺の敵になろうなんざ百年早えっつの、クソガキが〉
言葉を失う、とはこのことだろうか。ディゼスピアになにを言われたのか理解するまでに少々の時間を要した。そして、理解して尚、ルクスはなにも言えなかった。
〈なに勝手に退路は絶たれた、みてぇな顔してんだ。殺さなくていい道があるくせぇに絶望してんじゃねぇよ。大体、俺の協力がなくなっても逃げ切れるとか本気で思ってんのか?〉
(それは……)
それは確かにその通りだ。ただの白騎士が何千集まろうが問題ないが、本当の天才——剣聖や聖女——に出てこられたらひとたまりもない。
それでも、諦めない意志さえあれば、なんとかなるのでは、そんな希望があった。否、そんな希望しか、なかった。
〈根性とやる気でどうにか出来る程度なら、誰もあいつらを英雄とは呼ばねぇ。いいか、世の中はな、一人じゃどうしたってどうにもならないことだらけだ〉
(それなら……それなら、どうしろっていうんだよ!)
〈ぎゃーぎゃー喚くな鬱陶しい。一人で出来ねぇなら、誰かに頼れ。頼め〉
(頼めって、だって、ぼく達の目的は——)
〈ごちゃごちゃうるせぇ。てめぇは考える頭がねぇんだから、やりたいことやってりゃいいんだよ〉
思い返してみれば、こういうことは何度かあった。そのたびに、常に冷淡なディゼスピアの温かみというか、分かりづらい優しさのようなものを感じる。
〈安心しろ。俺は、自分に出来ないことはやらせねぇよ〉
その言葉の意味は、ルクスにはよく分からなかった。でも、ディゼスピアにユリアを殺す気がないということだけは理解出来た。それだけ分かれば充分だ。
(分かった。それじゃ、ディゼスピア。手伝ってくれ。ぼくはユリアを殺したくない)
〈最初っからそう言え〉
ディゼスピアの素っ気ない言葉に苦笑しつつ、ルクスはユリアを見据える。もう、迷いはない。やりたいことをやる。
「きみを行かせるわけにはいかないよ」
ルクスの顔を見て、ユリアは狼狽える。さっきまで迷ってことを察していたのだろう。
「で、でも私はもう、決めたんです」
「諦めてくれ。ぼくはきみを攫うって決めた。きみがなんて言おうと、この決意は揺るがない」
「どうして……それは、でも」
言いたいことが纏まらないのか、ユリアはもごもごと口を動かす。そして、打開策を閃いたようにあっと声を漏らした。
「私は魔道国には入れません。その間に聖国に逃げているかもしれませんよ」
「それならぼくは魔道国には行かない。どうしてもってときは、魔術陣でも書くよ。きみを逃さないための」
「それでは本当に人攫いのようではないですか……」
「言っただろ? きみを攫うって」
至って真面目な顔でそんなことを言い出すルクスに、ユリアは微笑する。それでも、納得は出来ない。
「どうして……そこまでしてくれるのですか? 私は、あなたになにも出来ないのに」
そのことが辛い。たくさんの恩を受けて、なにも返せないのがひどく辛い。こんなにも愛おしいのに、力になれないのが悲しい。
「どうしてって、そんなの……」
なんだろうか。改めて考えてみる。その答えはすぐに出た。そして、それを言うことに躊躇いもなかった。
「——きみが好きだからに決まってる」
ルクスの言ったことをうまく捉えられない。今、彼はなんと言ったのだろう。自分のことが好きだと、そう言ったのか? これは夢だろうか? 思わず頬をつねる。痛い。
「え? え? えっと、その、今、なんと?」
「きみのことが好きだって、そう言ったんだ」
「誰が」
「ぼくが」
「…………う、そ」
「? 本当だよ?」
不思議そうに首を傾げる。恥ずかしいという気持ちはないらしい。いや、そんなことより、自分は今、告白されたのか。混乱に頭が着いていかない。
「い、いつから、ですか」
嬉しいという気持ちはある。でも、信じられないという気持ちの方が強かった。自分がいつ、彼に好かれるようなことをしたのだろう。
「最初から。一目惚れだった」
「そ、それは……なんというか、光栄、ですね」
言いながら顔がにやけてしまうのを必死で堪える。好きな人に一目惚れをされていた。これはなんというお伽話だろうと考えてしまいそうになる。
「でも、今はそのときよりも好きだ。きみの笑顔も、非情になりきれないところも、たまに子供っぽいところも、知れば知るほど好きになる」
やめて。心で叫んだ。そんなことを面と向かって言われたら、恥ずかしくって敵わない。言われている身にもなって欲しい。
「とにかくさ、ぼくはきみを危険から守るって決めたんだ」
「迷惑では……」
「迷惑なんて思ったことないけど、いくらでもかけてよ。きみにかけられる迷惑なら、大歓迎だ」
本当は、最後まで言わずにいるつもりだった。どうせ叶わない願いだと思っていたし、優しい彼を困らせてしまうかもしれないから。
自分が近くにいると、彼を不幸にしてしまう。好きになるだなんて、まして想いを伝えるなんて。そう思っていた。それなのに彼は笑って、
「きみを幸せにするのが、ぼくの人生の目標だ。きみが笑って生きてくれるなら、それがぼくの幸せだ。だから、ぼくにきみを守らせてくれないか?」
と、そんなことを言う。彼の言葉で、ユリアの決意は容易く崩壊した。こんなの、我慢出来るわけがない。
つうっと頬を涙が伝う。今の喜びとか、過去の悲しみとか、なんだかいろいろなものがごちゃ混ぜになって、決壊したダムのように止め処なく溢れ出す。
「ぐすっ……」
鼻をすすると、彼が慌てて声をかけてくる。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫、じゃ、ありません、よ……。もう、ずるいです。頑張って、我慢……してたのにっ」
わけが分からないといった様子で困惑する彼の腕に飛び込んだ。驚愕する彼の顔を下から見上げ、少し優越感に浸る。
「私も……」
「え?」
もうなにも、ユリアを止める不安はなかった。涙を拭いながら、くしゃくしゃの笑顔で言う。
「——私も、好きになってもいいですか?」
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