純白騎士の奏鳴曲Ⅲ
「ごめんなさい」
もともとの目的地であった北西の山に辿り着き、山の中腹で腰を下ろすと、ユリアが唐突に頭を下げた。
ルクスにそこまでの驚きはない。嘘を吐いていたことを謝っているのだろうということが分かるからだ。だが、謝られる謂れはない。
「謝る必要なんてないよ。ぼくにだって隠し事の一つや二つあるんだから」
言いながらも、気分が重くなる。まさか、ユリアが勇者だったなんて。なにかの間違いだと思いたいが、事実なのだろう。
ディゼスピアはあれから一言も言葉を発していない。ディゼスピアのことだ、てっきり即座にユリアを殺せと言ってくるだろうと思っていたが、全く反応がない。なんだか心細くなる。
ちなみに現在のルクスの髪の色は白で、ルクスが身体の支配権を手にしている。
「ルクス。ルクス・アエテルニターティスだ」
「え?」
ユリアは首を傾げる。
「ぼくの本当の名前。ぼくもきみに嘘を吐いていた。きみが話してくれるのなら、ぼくも話さなきゃフェアじゃないだろ?」
「……あははっ」
まさか、そんなことを言い出すなんて。つい笑ってしまう。なんの心配もいらなかった。彼はやはり自分の思った通りの人だった。
「分かりました。ルクスさん、ですね」
「うん」
心は落ち着いている。もう不安はない。むしろ話さなければならないのだとすら思える。
「では、お話しましょう。私が何者なのか。どうして逃げていたのか」
こくりと頷いたルクスの瞳を真直ぐに見据えて、ユリアは淡々と語り始めた。
× × × ×
「私の名はユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッター。ヴァイスリッター聖国の王女です」
いつだったか聞いた台詞だ。確か、攫ってくださいと言われたときだったか。たった一ヶ月前と少し前のことなのに、なんだか随分と昔のことのように思える。
あのときは驚いたな、と微かな笑みを漏らしながら、ルクスはユリアの言葉に耳を傾ける。
「お父様はもちろん聖王アードルフ・フライア・フォン・ヴァイスリッターで、お母様は先代勇者の仲間を務めた元聖女、アマーリエ・フライア・フォン・ヴァイスリッターです。私は末っ子で、三人の兄がいます」
母親が元聖女なのか。その情報は初耳だった。聖国に向かうまでに寄った村や町でそこそこの情報は集めていたが、それは全て勇者候補になり得る人物の情報だ。
そういえば、その中にユリアの情報はなかった。秘匿されていたのだろうか。
「以前に申し上げた通り、私には幼い頃より常人離れした才能がありました。今は制御しているので分からないと思いますが、私には現聖女に匹敵するほどの聖気が宿っています」
現聖女と言えば、歴代最高と噂の強者である。その魔術は容易く魔族を滅ぼし、聖族の力を最大限に高めるのだとか。
確か、魔族との争いには否定的だという話も聞いた。ディゼスピアが会いたがっていたように思う。どうして会いたがっていたのかは分からないが。
「ルクスさんの生まれ故郷がどちらなのかは存じておりませんので説明させて頂きますと、個人の内包する聖気というのはこの世に生を受けてから死ぬまで増えることも減ることもありません」
それはルクスも知っていることだった。元来、人族には聖気も邪気も宿らないと言われているが、人族にも聖気や邪気は宿る。ただ、その量が極端に少ないだけだ。
ルクスの身体には膨大な聖気と邪気が宿っている。それが両親にばれなかったのは、ディゼスピアが制御してくれたおかげだ。
「そして、内包する聖気の量というのは戦闘能力に直結します。故に、天才は生まれつき天才として生まれてくるのです。聖気の扱いに慣れるまでは白い靄と言いますか、光が周囲に漏れるため、その量で容易に判断することが出来ます」
そこでユリアはルクスに窺うような視線を向ける。意図を察したルクスが頷くと、ユリアの身体から白光が漏れ出し、それが周囲一帯を包み込んだ。
ルクスは心の中にある自分とは別の部分がびくりと震えたのを感じた。ディゼスピアが驚いたのだろう。その力にではなく、聖気に。元魔王は今でも聖気に苦手意識を持っている。
「すごいな」
ルクスがぽつりとつぶやくのとほぼ同時に白光はふっと消滅した。
「私は生まれたときからこれでしたから、幼い頃より戦闘訓練を受けてきました」
まあ、納得だ。これだけの才能を秘めていると分かっていて放っておくやつは馬鹿だろう。
「確か、以前お話したときは、王族には稀にこういった者が生まれると話したかと思いますが、あれは嘘です」
「うん」
「分かっていたのですね……。稀だというのは事実ですが、こういった力を持つ者は王族以外にも生まれます。おそらく完全に不規則なのでしょう」
分かっていたというよりかは、王族が神の子だからと限定して言ったことに疑問を抱いただけなのだが、今となってはユリアがそう言った理由も分かる。
「ごめんなさい。王族に生まれると言うことで、私が勇者であるということを隠したかったんです」
勇者は必ずしも王族に生まれない。最終的に王族になるが、元が平民であることも珍しくないのだ。ユリアは自分の強さは王族だからであって、勇者だから強いわけではないと思わせたかったのだろう。
「もう気づいているかもしれませんが、私はもう一つ、ルクスさんに嘘を吐いています」
言われればなんとなく予想は出来る。
「私はなにも失敗していません。逃げて来た理由は別にあります」
あまり言いたくないことなのか、ユリアはここで初めて目を伏せた。それを気遣って声を出そうとするも、ユリアに手で制止される。
「……大丈夫です。ちゃんと、言えますから。もう、隠し事はしたくないんです」
「そっか」
その決意に水を差すような真似はしない。黙って続きを待つ。ユリアは幾度か深呼吸を繰り返し、再び口を開く。
「私のような力を持って生まれた聖族には、十五を迎えたときに連れて行かれる場所があります」
「聖教会、か」
「はい。聖剣の祀られている聖教会本部に赴き、その柄を握り、自身に所有権があるかどうかを確かめるのです」
「どうして十五歳なんだ?」
「聖剣に選ばれた者が聖剣を手に取ると、その瞬間に有無を言わさず大量の力が流れ込んできます。そのため、ある程度成熟していなければ、聖剣の力が器となる人間の身体を壊してしまうのです」
なるほど。聖剣というのは随分と面倒な構造をしている。創造神が直接勇者に取り憑けば問題ないだろうに。まあ、創造神と破壊神は絶え間なく戦っているためにそんな余裕がないというのは聞いていたのだが。
「そして私も、十五歳を迎えた翌日——一ヶ月と半月程前に聖教会にて聖剣の柄を握りました」
結果はもう見えている。
「聖剣は私を選び、眩い光を放ったのです。そのとき、私は勇者となりました」
ここまでがユリアが勇者になった経緯だ。ここからがもっとも重要な部分だろう。勇者であるユリアがなぜ逃げていたのか。どうしていまだに勇者が現れたことが公表されていないのか。
「勇者が現れてから勇者の公表までは一週間程の猶予があります。これは一週間かけて聖剣の力に慣れるためです。いつ魔族が襲ってくるともしれませんからね」
魔族は襲って来ないだろうと思ったが、それは口内に留める。聖族はどこか事実を捻じ曲げて伝える習性がある。ユリアも幼い頃からいろいろな話を聞かされ、それを信じているのだろう。
「私が逃げることを決意したのは、聖剣に選ばれて五日後の夜でした。それまでは勇者に選ばれたことを心から喜んでいました。名誉なことだと……今では、愚かだったなと思うばかりです」
一体、なにが起きたのだろうか。ルクスにはなんとなくその先が分かってしまった。ディゼスピアから話を聞いていたからだ。
「……ルクスさんは、魔王を倒した後、勇者がどういう末路を迎えるのか、ご存じですか?」
ユリアの問いに、ルクスはおずおずと自分の知っていることを口に出す。
「殺される。聖族に」
まさか答えられるとは思っていなかったのだろう。ユリアは驚きを露わにする。
「……知っていたのですね。その通りです。勇者の求心力は凄まじく、魔王を倒した後は厄介者でしかない。それ故に、勇者は処分されるのです」
〈……まさか〉
ここにきて、初めてディゼスピアが言葉を発した。だが、ユリアの言っていることは既に知っている情報だ。なにを驚いているのだろう。
〈京華〉
(キョウカ?)
〈築地京華という名前を知っているか訊いてくれ〉
ツキジキョウカ? 聞き慣れない発音の言葉だ。そんな名前の人がいるのだろうかと思ったが、断る理由もない。
「ツキジキョウカって知ってる?」
ルクスが訊くとユリアはきょとんとした表情になる。
「いえ、存じ上げておりませんが……」
「そっか。知らないならそれでいいよ。続けて」
〈どういうことだ? 知らない? また嘘か?〉
(嘘吐いてるって感じじゃないけど……。さっきからどうしたんだ?)
〈前にも言っただろ。勇者が殺されるという情報は隠蔽されている。聖族のほとんどが気づいてねぇんだ。聖王と元勇者の仲間だけしか知らないって可能性すらある〉
(それが?)
〈そんな機密情報を誰から訊いたんだ? それが俺の知り合いかも知れねぇと思ったってわけ〉
(知り合い? 二百年前だろ? 生きてるのか?)
〈俺みたいな状態になっててもおかしくねぇだろ〉
(ああ……そういうことか)
一応、納得はする。しかし、意外だった。ディゼスピアはあまり自分のことを話さない。そのため、あまり前世に未練はないものだとばかり思っていたが、知り合いとの再会に期待してしまうような一面もあったのか。
「いくらお兄様の言葉とは言え、それを初めて聞いたときは信じられませんでした。ですが、考えてみれば確かにおかしいんです。魔王との戦いで消耗したとしても、聖剣を手にした勇者を殺せる魔族などいません。聖剣に選ばれたからこそ、そのことがよく分かりました」
ユリアの表情が一層深刻さを増す。当然だろう。今まで信じてきた家族に裏切られたのだ。その気持ちは、ルクスにもよく分かる。
だが、それ以上に気になることがある。これは多分、ディゼスピアと話をしていなかったら、そのままにしていただろう疑問だ。
「お兄様? そのお兄さんから聞いたの?」
ユリアは頷く。なら、その兄は誰から聞いたのだろうか。
「それ、誰から聞いたかとか言ってなかった?」
「いえ……」
ユリアが頭を振ると、それを少しだけ残念に思った。ディゼスピアのことであって、自分のことではないが、自分には関係ないと切り捨てるほど薄情ではない。
「ただ、神からのお告げ、だとか、そんなことを言っていた覚えはあります」
「神のお告げ、か」
なんだか胡散臭い話だ。だが、ありえない話ではない。
創造神フライアと破壊神ノットは人間を監視している。直接話をした人間がいたという記録はないが、自分が耳にしていないだけかもしれない。
そもそも、ルクス自身、天使と悪魔だと自称する存在と話をした経験がある。自分のことを棚に上げて、そんなことはありえないとは言えない。
「これで、私の話は終わりです。今まで、黙っていてすみませんでした」
——終わってしまった。
結局、まだどうするか決まっていない。ぼくはどうすればいいのだろう。必死に考えを巡らせてみるも、いい案は浮かばない。もともと、考えることは得意ではないのだ。
「明日の朝、聖国に戻ろうと思います」
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