純白騎士の奏鳴曲Ⅱ
「ルクさんルクさんっ! 見てくださいっ!」
明るい茶色のローブから純白の髪が溢れ、風に流される。太陽で輝くそれは、彼女に神聖な雰囲気すら纏わせる。好奇心に目を見開かせれば黄金の瞳が煌めき、その身元が高貴なものであると、音もなく伝えているようだった。
そんな彼女は、露店に置かれていたちゃちなネックレスを手に取り、首に合わせてにこやかに微笑む。
「どうですか? 似合います?」
「うん、似合うよ」
きっと彼女にはなんでも似合う。それは彼女が安っぽいからではなく、彼女が身につければどれもこれもが輝いて見えるからだ。今のルクスは盲目である。
彼女——ユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッターに聖国騎士の使う魔導具の存在を聞かされたルクスは、一度聖国に向かうのは諦め、魔導国へと向かうことにした。
ここは、西に魔導国、東に聖国がある、グライミリティス王国中央に存在する人類最古の都——王都クレアティブ・インテリトゥム。
人族にはしばしば聖地と呼ばれるこの都市が、グライミリティス王国の首都である。
ここまで来るのに二週間。ちなみに、ルクスの生まれ育った村は王都の真南に位置している。ここに来るまでに幾つかの都市を通って来たが、親殺しの犯罪者はそこまで広まっていないようだ。
どうせそんなことだろうとは思っていたが、ここまで気にされていないとそれはそれで寂しいものがある。まあ、その理由はまた別にあるのだが。
ここに滞在して、さらに二週間が経とうとしている。魔王に関しての情報も充分に集まった。そろそろ出て行くべきだろう。
商店街を歩いていると、ちらちらと視界の端に自分の顔が映る。指名手配書だ。罪状は要人拉致と殺人。聖国の王女を攫った極悪人として顔が知れ渡ってしまった。
フードを目深に被っているし、現在の髪の色は手配書に書かれた情報——銀髪か黒髪、髪の色を変える能力あり——とは違い、灰色だ。念のためにローブも青に変えたため、問題なくやり過ごせている。
「この先は小さな村や町を行き来することになりますから、今のうちに楽しんでおきましょう!」
そんなことを、ユリアは毎日のように言っている。言葉通り、ルクスは情報収集の合間に様々な場所へ連れていかれた。身体はなんの問題もないが、精神的な疲れで夜はぐったりとしてしまう。
大きな都市には門番がいる。流石に門番を相手に誤魔化せるとは思えない。全く同じ顔なのだ。髪の色が変えられるのなら、灰色でも怪しまれるだろう。
ユニコーンなら、聖都から王都まで二週間で来られると言っていた。しかし、王国に許可もなく出兵は出来ないので軍、及び騎士が来るまでに六週間はかかるだろうとも。
今のうちに出ておけば、それほど心配はいらない。無事に逃げ切れるだろう。
「あ!」
ぱあっと光が散った。喜色に彩られた表情は見ているだけで癒される。一つ一つの動作がとてつもなく可愛らしい。
ユリアとこんなにも長く一緒にいられたことを思えば指名手配も悪くないな、なんてことまで考えてしまう始末である。そんなルクスを罰するように、脳内にため息が響き渡った。
〈勇者と魔王の抹殺は必須事項だからな〉
(分かってる、分かってる)
にべない態度にディゼスピアは心配になる。幸先の悪いスタートだ。まさか聖国に指名手配をされるとは。
ディゼスピアの時代には存在しなかった魔導具を聖国が使用しているというのは、完全に想定外だった。もう何百年も経っているというのは知っていたのに。自分の浅はかさに嫌気が差す。
先に魔王を殺すというのは、問題の先送りに過ぎない。それまでに勇者を殺す算段を立てなければ。考えることは多い。
そもそも、前回にしろ、今回にしろ、自分はなぜ転生したのだろうか。いまだにその理由が分からない。今回は天使と悪魔の力だと考えることが出来るが、では前回はなんだ。
これは絶対に解明しなければいけないことではない。しかし、それでも気になる。なにがどうして今に繋がっているのか。なにか嫌な予感がするのだ。
まだある。魔王と勇者を殺す件についてだ。
天使と悪魔は魔王と勇者を潰し続ければいつか戦争は終わると言っていたが、それは本当なのだろうか。途方もないことをしている気がしてならない。
だからと言って他に策があるかと言えば、首を横に振るしかないのだが。今はただ、光の見えない未来に縋ることしか出来ない。
不安は尽きない。
自分は元勇者、リーザ・フライア・フォン・ヴァイスリッターもとい、築地京華と出会えるのだろうか。もし、築地京華が魔王か勇者だったとき、自分はどうすればいいのだろうか。
勇者がこのまま現れなかったら、勇者と魔王が気づかぬうちに戦闘を始めていたら。不測の事態はいくらでも思い浮かぶ。
フライア・フォン・ヴァイスリッター。歴代勇者に共通する名だ。そして王族の名でもある。故に、勇者は王族である。しかし、現在の王族の中に勇者がいるわけではない。
どういうことか。答えは簡単だ。勇者に選ばれたものは、王族となる。養子か、妃か、妾か、婿か。様々な形で王族の仲間入りをするのだ。勇者の血を引く強者を生み出すために、処分しやすいように。
これでは探しようがない。剣聖、弓聖、聖闘士、大魔術使い、聖女。勇者となり得る実力者は少ないが、一人ずつ殺していけるほどの数ではない。
「これなんてどうかな?」
「可愛いですね! これにします!」
ルクスの運命を振り回していることは自覚している。さらに言えば人生を奪ったのだ。この程度のことは目を瞑ろう。
楽しそうにユリアと話すルクスを眺めながら、ディゼスピアは一時の平穏に身を委ねた。
それがいつか壊れることを知りながら。
× × × ×
王都を出たのは明朝のことだった。昨日のうちに必要なものは買い揃えてある。
巨大な門を抜けると、朝日が地平線の彼方から眩しい光を放っていた。暑いくらいだ。思いながらも、ルクスはフードを取るような真似はしない。
「北西に向かうんですよね」
「ああ」
事前に地図を買い、魔導国までの道順は決めてある。遠回りにはなるが、北西には人気のない険しい山があるため、そこを通って行くことになっている。
辺境の森が肩透かしだったので多少の不安はあるが、整備された道を通るより幾分かマシだろう。
ちなみにユリアは魔導国との国境間際まで着いてくるとのことだった。聖族の王女が、魔族寄りの地域の方が安全だと言うのは、なんだか不思議な気持ちにさせられる。
「ルクさんは聖国にどういった用事があったのですか?」
ユリアが申し訳なさそうな声音で言う。
「別にたいした用事じゃないよ」
勇者を殺しに行く、なんて言えるはずもなく、素っ気ない返答になってしまう。ユリアが表情を暗くしたのを見て、ルクスは慌てて話題を変える。
「えっと、あ、ユリアは兄弟とかいるの?」
別に興味があるわけではなかったが、そんな質問しか浮かばなかった。しかし、その選択は間違っていなかったらしい。ユリアはにこやかに笑う。
「はいっ! お兄様が三人います!」
態度から察するに、兄達とはいい関係なのだろう。ルクスはほっと息を吐く。
「もう会えないと思うと少しだけ悲しいですが、今はルクさんが一緒なので」
照れ臭そうにはにかむ。ユリアを見ていると本当に心が洗われるようだ。初めて人を殺したことで気が重かったが、八日前に比べて大分落ち着いた。
「ぼくもユリアと一緒なら頑張れそうだよ」
二人を初々しいカップルのような雰囲気が包む。
〈なんだこの雰囲気。うぜぇ……〉
ディゼスピアは内心で眉を寄せる。髪の色が灰色か銀色のときは身体の支配権を共有している証だ。ルクスが誰と付き合おうがどうでもいいが、この状態でいちゃつくのは勘弁してもらいたい。
(——どうする?)
ルクスからの唐突な問いかけに、ディゼスピアは困惑することなく答える。
〈進路上にいるやつらだけ殺して撒け〉
(分かった)
ルクスは身体の支配権を完全に自分のものにし、ユリアに尋ねる。
「ユリアはどのくらいの速さで動けるの?」
「え?」
質問の意図が分からず一瞬困惑するが、ユリアも最上級の戦士である。即座に状況を理解した。
「——ああ。そうですね、髪が灰色のときのルクさんくらいの速度なら出せます」
ルクスはユリアの言葉に僅かに驚く。
髪が灰色のときは天使と悪魔の加護がないため、一番戦闘能力が低い状態だ。だが、それでも十五年間絶えず続けた鍛錬のおかげでかなりの速さで動ける。
それと同等だと言うのだ。一体、どんな生活を送ってきたのだろう。ルクスが王女に持つイメージとはかけ離れている。
「了解。じゃあ、その速度で着いてきて。道はぼくが開けるから」
「分かりました」
こくり、頷いたユリアの身体が淡い光を発する。身体強化だ。それもかなりの練度である。
疑っていたわけではないが、勇者の仲間に選ばれるほどの実力がある、というのは事実だったらしい。
「行くよ」
「はいっ」
ルクスとユリアは勢いよく地を蹴った。
× × × ×
ベルンハルト・ノイマイスターが王都に到着したのは、今から二日前だ。
王国に使者を向かわせた後、ベルンハルトはまず初めに城塞都市リヒトに五千の軍を集めた。勇者の仲間になり得る天才には一歩及ばないものの、ベルンハルトが誇る騎士団の精鋭達である。
使者が城塞都市に戻って来たのが王都に着く一週間前。グライミリティス国王の許可を確認し、一も二もなく王都へユニコーンを走らせた。
その時点で既にユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッターと謎の男の姿は確認されていた。しかし、これに関しては事前に、手を出すなと命令してある。
たかだか数十人の騎士では歯が立たないことが分かっていたからだ。それに、王都内での戦闘は禁じられている。
狙うタイミングは王都を出て少し離れてからだ。囲んで確実に捕らえる。五千もの軍勢を用意したのだ。いくら強くとも逃げられるはずがない——
と、つい先ほどまでそんな
ユリアと男が駆け出した。速いが捉えきれないものではない。戦闘態勢を整え、多数の騎士を進路上に集める。
「展開——Atk.Angels No.V
身体強化により桁外れになった聴覚が、そんな聞き慣れない呪文を拾った。
——怖気。
ぞくりと背筋が震えた。
「逃げろぉっ!」
逃げなければ、死ぬ。直感がそう告げていた。
——咆哮。
——光の奔流。
轟々と音を立てて、極大の光柱が自らの一寸横を過ぎていった。
理解出来なかった。否、理解したくなかった。
左側では大勢の部下が呆然としている。右側には二十メートル以上先まで誰もいない。いなくなってしまった。
目を疑った。しかし、何度瞬きしても、瞳は残酷に事実だけを映し出す。
そこにはただ、強大な魔術によって抉られた地面だけが存在していた。
——勝てるわけがない。
一端の白騎士程度では無理だ。剣聖、大魔術使い、聖女、聖闘士、聖龍騎士、聖天法師、賢者。言わずと知れた聖国の英雄達が束になって互角程度だろう。
これと一対一でまともに戦えるのは、勇者——
絶望的だ。謎の男に魔王、魔導国には圧倒的強者が二人もいるというのだから。
それに対して聖国はいまだに勇者が不在だ。今、攻められれば聖族は確実に滅ぶ。それだけは防がなければ。恐怖をなんとか堪えて、ベルンハルトは声を張り上げる。
× × × ×
「展開——Df.Angelus No.VII
呆然と立ち尽くす騎士の横顔を流し見ながら、ひたすらに突き進む。
「ベルンハルト……」
ユリアがぼそりとつぶやく。
「知り合い?」
「……はい。私に稽古をつけてくれた者です。聖国騎士団団長であり、聖王の懐刀。まさか、こんなところまで出て来るとは」
「まあ、大事になってるからね」
「……ごめんなさい。迷惑ばかり、お掛けしてしまい」
「気にしないで。好きでやってることだから」
「本当に、ありがとうございます」
そこまで感謝されるようなことをしているだろうか。ルクスにはあまり自覚がない。助けるのが当たり前だと思っているからだ。
「——ユリア様っ!」
野太い声が背後から届く。ちらと、ユリアが後ろを振り向き、少し速度が落ちた。
「戻る?」
「いえ……いいんです。ごめんなさい、行きましょう」
ユリアは頭を振って、ぐんとスピードを上げる。
「ユリア様! どうか、どうかっ、お戻り下さいっ!」
声は先より遠くなっているものの、そこまで離れてはいないようだ。蹄が地面を蹴る音が聞こえることから、おそらくユニコーンで必死に追ってきているのだろう。
「このままでは、我が国はっ! 聖国は滅びてしまいますっ!」
悲痛な叫びに、ユリアが身を震わせる。その瞳はうっすらと濡れてきていた。止まるべきだろうか。
〈やめとけ。未練を断ち切れないままじゃ、こいつも前に進めねぇだろ。好きならてめぇが引っ張ってやれ〉
(……分かった)
ルクスは浅く頷き、黙々と足を進める。が、ベルンハルトの一言で、結局、立ち止まることになってしまった。
「ユリア様っ! ゆ、勇者様っ! 我が国に戻り、剣を! 聖剣を手に取り、我らとともに戦って下さい!」
「勇、者……?」
振り向き、自分に合わせて立ち止まったユリアを窺う。
勇者、とはどういうことなのだろうか。勇者はまだ現れてなかったんじゃなかったのか。それとも、なにかの罠か?
「……っ。行きましょう。後で、全てお話しします」
「うん……」
走りながら、自分の手が震えているのが分かった。ユリアが勇者? 違うと信じたい。これは罠だ。自分にユリアを殺させるための罠だ。
……殺すのか? いや、無理だ。とにかく今は逃げ切ろう。問題の先送りでしかないが、ルクスには考えるのも苦痛だった。
× × × ×
ベルンハルトは去っていく二つの背中を見つめながら、次の策を思索する。
今、追いかけることにはなんの意味もない。騎士達の戦意は喪失している。自分一人が追ったところで、成す術もなく殺されるのがオチだ。
どうすればいいのだろう。ユリアを取り戻すために。聖国の未来のために。
戦力を集めなければならない。今回は緊急だったために、聖国各地に散らばる強者を集めることは出来なかったが、次は全員を集めよう。
まずは報告だ。聖王アードルフに男の実力を伝え、招集をかけてもらわなければ。
それにしても、とベルンハルトは思う。なぜ、今回に限って悪いことが立て続けに起きるのだろう。なぜか王女が逃げ、たまたま魔族と出会い、それがとてつもない力を持った者だった。
そんな偶然があるのだろうか。仕組まれたものにしか思えない。だとすれば——そこまで考えて、ベルンハルトの背筋が凍る。
聖国に裏切り者がいるかもしれない。しかも、中枢に。由々しき事態だ。早く国へ帰還しなければ。
ベルンハルトは急ぎ聖都へとユニコーンを走らせる。
× × × ×
ルクさんに正体がばれてしまいました。どうしましょうか。そんなことを考えながら、ユリアは前方を走るルクへと目をやる。
身長はそこまで高くない。一般男性の平均的な身長だろう。しかし、その背中は凄まじいほどに大きく見える。
銀髪時のルクは自分が聖剣を握っても勝てるかどうかという実力だ。だが、彼はそれを自慢したりはしない。旅の最中も、何度か鍛錬を行っていたのを目にしている。
これだけの強さがあって、まだ努力を続けるのか、と感心したものである。本人は習慣だと言っていたが、誰にでも出来ることではない。
それはともかくだ。今は彼の凄さに憧憬の念を向けている場合ではない。ユリアは頭を振って思考を切り替える。
嘘を吐いていたことがばれてしまった。いや、いつか話そうとは思っていたのだ。騙すつもりもなかった。これは本当だ。
しかし、彼がどう捉えているのかは分からない。逃げているからか、振り向くこともせず、終始無言を保っている。
最初に真実を伝えなかったのは、彼の髪の色が黒に変わったからだ。もし魔族ならば、どんなことがあっても勇者を助けるなんてことはしない。あのときの状態で襲われていたらと考えるとぞっとする。
一ヶ月以上彼と共に過ごし、彼がどういう人物なのかは掴めてきた。自分の正体が明らかになっても急に態度が変わったりはしないだろうと推測できるくらいには。
それでも怖いものは怖い。
どうしようか。どうしようかもなにも、もうばれてしまったのだから全て話すしかない。
謝って全て話そう。隠し事はもう終わりだ。
ユリアは決意を固めて、強く地面を蹴り上げた。
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