純白騎士の奏鳴曲Ⅰ
ヴァイスリッター聖国首都、聖都フライアには白壁のまばゆい城がある。その城の内部——謁見の間に、現在目にしている映像によって眉を顰めている男がいた。
男が座るのは華美な装飾の施された豪奢な椅子。それ一脚で、一般人であれば末代まで遊んで暮らせるだろう。
そんな椅子に腰掛けられるのは、当然、聖国の王であり、ユリアの実父でもある聖王だ。男の名を、アードルフ・フライア・フォン・ヴァイスリッターという。
アードルフは唸る。どうしてこんなことになったのかと。
実子であるユリアは稀有な才能の持ち主だった。将来のためにと幼い頃から様々なことを学ばせ、いつかは国を背負ってもらおうと思っていた。
そのために長兄には王位継承を諦めてもらうよう話をしたのだ。
しかし、なにを思ったのか、一週間と少し前、愛娘のユリアは城から逃げ出した。これはどういうことだろうか。
そうして思い至ったのは、何者かに唆された、という可能性である。それが何者なのかは分からない。ノアカヴァリエル魔導国の間者か。それともグライミリティス王国の差し金か。
騎士にはこう命令した。一週間かけて疲弊させ、安全に保護せよ、と。一日、二日、三日と瞬く間に日は過ぎていき、とうとう一週間が経った。
今から二日前のことだ。深夜だった。騎士団から緊急の報告があったのだ。
謁見の間にて騎士団が持ってきたのは水晶だ。先代勇者の仲間となった大魔術使いの遺産であるこの水晶には、死んだ騎士が最後に見た光景を記録する機能がある。
映し出されたのは鼠色のローブを着て漆黒の剣を持った黒髪の男だった。六人の騎士全ての記録にその男が写っており、片隅にはユリアの姿も見える。場所は恐らく辺境の森だろう。
これがどういうことなのか、アードルフにはすぐ理解出来た。
「魔族……。魔王の差し金か」
男の実力のほどは不明だ。六人の騎士を容易く殺害したことを考えれば、ただ者ではないだろう。しかし、それほど強いようにも見えない。
ユリアの捕獲に向かわせた六人の騎士の実力はたいしたものではない。ユリアは確かに実力者ではあるが、一週間も追われ続ければ疲労は溜まる。そこを狙えば下級の騎士でも充分だろうと思っていた。
騎士団の中でも、あの程度の騎士ならば六人程度瞬殺出来る力の持ち主はいるだろう。瞬殺ではなくとも、倒せるものなら何人もいる。故に、この魔族の力を測ることは出来ない。
「ベルンハルトよ」
「はっ!」
アードルフの言葉に反応して、膝をついて首を垂れていた男が面をあげる。歳の頃は三十代前半というところだろうか。精悍な顔立ちは歴戦の戦士を思わせた。
彼の名はベルンハルト・ノイマイスター。ヴァイスリッター聖国騎士団団長を務める、騎士団最強の男である。
「この魔族の実力、貴様はどう見る」
ベルンハルトはアードルフの質問を予想していたらしい。特に逡巡することなく応える。
「この記録だけではなんとも言えませんが、おそらく、私以上の実力があるかと」
ベルンハルトの返答にアードルフは驚きを隠せない。
「まさか、それほどとは……」
「あくまで推測の域を出ません。実際に戦ってみないことには……」
「貴様を向かわせるわけには行かん。まだ、ユリアが逃げたことも国民には知らせていないのだ」
「承知しております。兵は、出せても五十というところでしょうか」
アードルフは首肯する。おおやけにするのは避けたい。グライミリティス王国に許可なく出兵などすれば、聖国の立場が悪くなる。
それに、場所は辺境の森だ。王城勤務の騎士含めた大軍では、短期間で森まで辿り着くのは厳しいだろう。
「五十で、どうにかなるだろうか」
「可能性は低いです……。ですが、全滅という事態は防げるはずです。隊長を任せる者には、危険だと判断したらすぐに撤退するよう指示を出しておきます。魔族が姫殿下を攫ったとなれば、グライミリティスに出兵する大義名分も得られましょうが、相手の実力が分からないまま大軍を送るのは愚策かと」
「それなら先にグライミリティスへ使者を……いや」
グライミリティス王国王都へはどれだけ急いでも二週間は掛かる。そこまで待っていたらユリアの消息は絶たれてしまうかもしれない。
「直ちに騎士を向かわせろ。何日で国境まで行ける」
「はっ! 城塞都市リヒトにはユニコーンがいるため、そこからであれば二日で辿り着けるかと思われます!」
城塞都市リヒトは聖都フライアの西、国境間際にある大都市だ。そこからユニコーンに乗って南下すれば森に着く。
「二日、か。分かった。部隊編成、連絡等は貴様に一任する。頼んだぞ、ベルンハルト」
「了解しました!」
ベルンハルトは謁見の間を出てすぐ、主要都市に設置されている連絡用魔導具を用いて城塞都市の騎士へと任務を伝え、城塞都市の騎士は日も昇らないうちに出立した。
そして、今日である。
「一体、どうなっておる……」
現時点で、アードルフが見せられた記録は四十を超えた。その全てに、騎士とユリア以外の人物が一人も映っていない。ユリアの姿も遠方に微かに見えるだけだ。
「攻撃を受けてから死ぬまでの間に移動した、としか考えられませんね」
ベルンハルトが言う。五十の騎士がいて、誰一人その姿を捉え切れないなんて信じたくもないが、それしかない。
「驚異的な敏捷性。二日前はまだ、手加減をしていたということ——」
声が止まる。ベルンハルトの視線は最後の一つである五十人目の騎士の記録に釘付けになっていた。
「これは……」
「……銀、髪」
最後の騎士の記録に映っていたのは、漆黒の剣と純白の剣を両手に持った銀髪の男だった。
「これは、なんだ?」
明らかに人を指す言葉ではない。アードルフは既に、銀髪の男のことを人とは思っていなかった。人知を超えた超越的な存在。
「……分かりません。どうして、髪の色が銀に変わっているのか。これの持つ、剣の正体も」
男の顔は先日見たものと全く同じだ。別人とは考えにくい。だとすれば、どうやって髪の色を変えたのか。まさか白髪にもなれるのだろうか。
「魔族の、人間兵器」
「ありえない話ではないでしょう。ここまで非人道的な手段を取ってくるとは思いもよりませんでしたが……」
「くそ、魔王め……」
こんな怪物を目にして、極秘だなんだと言っていられる余裕はない。もうやるべきことは一つしかなかった。
「この者を要人拉致、及び殺人の罪で指名手配しろ! グライミリティスに使者を送れ! 精鋭の中の精鋭を集め、この異物を抹殺し、必ずユリアを我が国に取り戻すぞ!」
「はっ!」
突如公表された犯罪者の存在に、聖国民は震撼する。
聖国最大の強者、ユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッターを拉致し、数多の騎士を惨殺、畏れ多くも神の力を模倣した聖剣と邪教の印である魔剣を持つ銀髪の男。
裏で糸を引くのは魔王だ。魔王を殺せ。勇者はまだか。憎しみは連鎖し、反復し、増大する。
戦争はもう、すぐそこにまで迫っているかもしれない。
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