負の旋律Ⅳ
「ヴァイスリッター聖国王女、ユリア・エイル・フライア・フォン・ヴァイスリッターです」
そう名乗った少女の髪は白い。王女というのが嘘にしろ事実にしろ、聖国民であることは間違いなさそうだ。
目は黄金の輝きを放ち、顔立ちにはまだあどけなさが残っている。ただ、今まで見てきた中で——それどころか、これから目にするだろう中でも、一番の美少女だろうと確信した。
「ぼくはル——」
〈本名名乗んじゃねぇよ。人を殺してんだから、偽名使え〉
(殺したのはディゼスピアだろ)
〈そういう問題じゃねぇ〉
「ル?」
首を傾げるユリアに慌ててルクスは名を名乗る。
「ルク、ルク・ディゼスピアだ」
咄嗟に名乗った名はなんだか変哲なものになってしまったが、ルクスに偽名を瞬時に思いつくような能力はない。しかし、流石にノアカヴァリエルを名乗るのがダメだということだけは理解していたようだ。
「それで……その、攫うっていうのは?」
いまいち理解しかねる。なぜ王女が騎士団に追われているのか。なぜ素性もしれない自分に頼むのか。
そういった意味を込めて尋ねると、ユリアは表情に濃い影を落とした。
「実は、重大な失敗をしてしまって……。聖国に戻れば私は確実に囚われてしまいます。私にはそれなりに力があるので、いいように使われ、最後には処分されるでしょう」
「まさか——」
——そんなわけないだろう。
とは言えなかった。
王女であるユリアが捕らえられるとすれば、それは聖王にだ。娘にそんな酷い仕打ちをするとは、なんて、長年親から虐待を受けてきたルクスに言えるはずもない。
人は些細なきっかけで変わってしまう。否定の言葉を飲み込んで話の続きに耳を傾ける。まだ、どうして自分を選んだのかを聞いていない。
「それで逃げてきたのですが、疲労が溜まってしまい思うように動けないのです。ルクさんは、その、なんと申せばよいのか……」
ユリアは困ったように眉を顰め、言葉を濁らせる。なにを言い淀んでいるのだろうか、ルクにそれを察せられる力はない。
「ルクさんの実力は確かなものですが、私はルクさんのことを耳にしたことがありません。それに、その格好」
ルクスの格好は家を出たときと変わらず鼠色のローブだ。毎日魔術で綺麗にしてはいるが、もとがたいしたものではないため、みすぼらしいと言われても反論は出来ない。
でも、それがどう関係あるというのか。ルクスが頭を悩ませていると、脳内に笑い声が響いた。
〈ははっ、そういうことか〉
(分かったのか?)
〈ああ、まあな〉
(教えてくれ。ぼくにはさっぱりだ。これじゃ話が進まない)
ディゼスピアは特に断ることもなく、素直にその頼みを受け入れ、ルクスにユリアの言いたいことを伝える。
(どうやら王女様はお前のことを盗賊かなんかだと思ってるらしい)
真相を知って肩を落とす。一目惚れした相手に盗賊扱いされるなんて、自らの境遇に絶望してしまいそうだ。
「冒険者の方とは違い、対人戦にも慣れていらっしゃるようでした」
対人戦に慣れているのは自分ではなくディゼスピアだ。元魔王であるディゼスピアは人を殺した経験が何度もある。
それを言ってやりたかったが、ぐっと堪える。
「あと、その、『金になりそうなもの』という言葉が聞こえたので」
遠慮がちに発せられた言葉に、ルクスはぴくりと眉を吊り上げた。
(完全にディゼスピアのせいじゃないか!)
〈悪い悪い〉
全く悪いという気持ちが込められていない謝罪に、思わず嘆息する。
すると、ルクスの様子を窺っていたユリアが慌てた様子で頭を下げた。
「も、申し訳ありませんっ」
「へ?」
間抜けな声を漏らす。
「ルクさんは、その、単純に私を助けてくださっただけなのでしょう?」
ルクスとのやり取りの中で、ユリアは自分の推測が間違っていたということに気づいていた。
命の恩人を盗賊だと疑ったのだ。嵌めて捕らえようなどとは微塵も思っていなかったが、気を悪くさせるには充分だ。自らの過ちを認め謝るだけの誠実さは余裕で持ち合わせている。
「本当に、申し訳ありません。ご不快にさせてしまったかもしれませんが、許して頂ければ幸いです。……もう、あなたしか頼れる人がいないのです」
目尻に涙を浮かべ縋るような声を出すユリアに庇護欲がそそられる。
守ってあげたい。そんな感情を抱いたのは生まれて初めてだ。誰かに頼りにされたのも初めてのことだった。
ユリアを守れるだけの力が自分にはある。今、このときのために力を得たのではとすら思ってしまえた。それほどまでにユリアに惹かれていたのだ。
ルクスは二つ返事で了承しようとするが、ディゼスピアがそれを拒んだ。
〈ダメだ。そいつを攫うってことは聖国から出て行くってことだからな〉
(いや、でも)
ルクスは食い下がる。見捨てるような真似は出来ない。
〈——でも、じゃねぇ。勇者を殺してからならともかく、それまでは我慢しろ〉
(それまでに捕まったらどうするんだ)
そうなってしまえば後の祭り、王女であるユリアと会うことは出来ないだろう。ディゼスピアの要求に従うつもりはない。いざとなれば身体の支配権を奪ったまま一生を過ごすことも出来るのだ。
〈こんな辺境まで一人で逃げてきたんだ。それなりの力があるってのは事実だろ。すぐそこは国境だ。追手を皆殺しにした以上、逃げ切れないってことはない〉
(そうか。でも、いや、分かった)
ディゼスピアの言葉に反論の余地はないように思われた。渋々ではあったが受け入れることにする。
ルクスは自分の役目を必ず達成しようという気概はないが、ディゼスピアにはそれなりに恩を感じている。全て終わってから自由にしていいと言うなら文句を言う筋合いはない。
「ごめん。ぼくはやらなきゃいけないことがあるんだ。ただ、そうだね。聖国を出るまでは送って行くよ」
ユリアが心配しているのも国境までだろう。国境ならたいして遠くはない。二日も歩けば王国領だ。
(そのくらいならいいだろ?)
〈ああ、別に構わない〉
事後承諾ではあったが、ディゼスピアならいいと言ってくれるだろうという確信があった。
ディゼスピアは目的を成し遂げることに生きる意味を見出しているような節があるが、融通の利かない男ではないのだ。十五年も一緒にいれば、なにを嫌がってなにを受け入れるかくらいは分かっている。
「そうですか……」
ルクスの答えを聞いて、ユリアは残念そうに俯く。が、断られることは予想していたのだろう。すぐに顔を上げた。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。国境まで、よろしくお願いしますね」
可憐な笑顔にまたしても胸が高鳴る。
夢も希望もなく、やるべきことはやりたいことではないけれど、ユリアのためなら頑張って生きていける気がした。
× × × ×
それから一時間ほどが経った。
その間にあったことと言えば、適当に魔物を狩って山菜炒めをもう一人分作り二人で食べたことくらいだ。
一時間は短い時間ではあるが、ユリアを王女だと断定するには充分過ぎる時間だった。
気品のある所作は長年培ってきたものだろうことが窺える。ユリアが自身の身分の証明にと語ってくれた聖国貴族の内情はとても作り話とは思えないし、腰に下げていた麻袋には大量の金貨が入っていた。王族の紋章が刻まれたブローチに王族以外は触れられない魔術が施されていることも確認した。
だいたい、中途半端にしか手助けをしてあげられない自分にここまでしてくれた相手をどうして疑えようか。
そもそも、ルクスはユリアを疑うつもりなどなかった。正直なところ、ユリアが王女であろうとなかろうとどうでもいい。自分は彼女をグライミリティスにまで無事に届ける。なにがどうあってもその決意だけは揺らがない。それをユリアが自身が王女であると信じて欲しいと言ってきたのだ。
信じてもらえていないのだろうか。ルクスは不安に駆られる。だが、もしそうだとして彼女が自身の身分を証明する理由にはなり得ない。
疑問を持ってユリアの顔を見つめると、恋心に刺激されることなく変化に気づけた。
ユリアの表情が暗くなっているのだ。話す前と後とで表情が全然違う。あれはなにかに失敗したときの顔だ。
「……ごめんなさい」
申し訳ありません、ではなかったことに少しだけ驚く。同時に疑問が増えた。
彼女はなぜ謝ったのだろう。今のどこに謝る要素があったのか、ルクスには分からない。
ディゼスピアに聞こうにも、彼はもう夢の中だ。後は勝手にやってくれと言ったきり彼の声は聞こえない。起こすことは出来るが、こんなことで起こすのは流石に躊躇われる。
しかし、ルクスの疑問はディゼスピアに問うまでもなく、目の前の王女——ユリアが答えてくれた。
「私は今、あなたを騙そうとしました」
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