負の旋律Ⅲ


 創造神フライアと破壊神ノットは夫婦である。


 フライアは聖・生・創造を司り、ノットは魔・死・破壊を司る。二神が協力して作り上げたのが世界であり、人間だ。


 遥か昔、世界には人族しか存在しなかった。魔族と聖族が生まれたのは三千年前のことだ。


 フライアとノットの間には、二神の子供がいた。


 フライアの血を色濃く受け継いだ子と人族が交わり生まれたのが聖族であり、ノットの血を色濃く受け継いだ子と人族が交わり生まれたのが魔族だ。


 元々、聖族と魔族は人族と同じ国で暮らしていたが、一千年ほど前から聖族と魔族は対立するようになり、各々が建国し戦争を始めた。


 勇者と魔王が現れたのもこの頃だ。


 その原因はフライアとノットの痴話喧嘩である。


        × × × ×


 それが、ルクス・アエテルニターティスとして現世に転生した元魔王——ディゼスピア・ノット・ドゥ・ノアカヴァリエルが、ルクスの身体に憑いた天使と悪魔から聞いた世界の歴史だった。


 生まれて間もない頃だったために所々記憶が欠落しているが、だいたいそんな感じだったはずだ。天使と悪魔の声は十年前から聞こえなくなってしまったため、確認を取ることは出来ないが、歴史なんてものには興味がない。なにをやるか、なにをすべきか、それだけ分かっていれば充分だ。


 今、そんなことを思い出していたのは、身体の支配権が自分になく暇で仕方がないからだ。延々と森の中を歩く映画を観せられて楽しいと思う者がいるなら会ってみたい。


〈はあ……〉


 ため息を吐いても自分の身体からため息が漏れないという不思議な感覚を味わいながら、ディゼスピアは記憶を掘り起こす。


 神界は二人の最高神によって荒れに荒れているらしい。早く元の関係に戻って欲しいというのが、天使ミハエルと悪魔ルキフェルの切なる願いだったはずだ。


 ディゼスピアは似たような目的を持って転生したため、天使と悪魔が味方についてくれるというのは、願ったり叶ったりだと思ったものだ。


 しかし、そのやり方は気にくわない。更に大きな問題が一つ。


(聖国で勇者を見つけ出すとかってそんな簡単なことなのか?)

〈どうだろうな。まあ、なんとかなんだろ〉


 ——この身体に本来の人格が残っている、ということだ。


 ルクスが悪人ではないのは分かる。自分だって魔王のときに残虐の限りを尽くしたわけではないし、別に悪逆非道になれとは言わない。


 だが、危険性が高い。


 自分の命に価値を感じていないというのは、どう考えても異常だ。許せと言われたら殺されても許してしまうような危うさがある。


 それが致命的なミスに繋がりそうで怖い。


 英雄になりたいという願望も、もしかしたら自分自身に価値をつけたいという深層心理が働いているのかもしれない。


(ぼくに勇者や魔王を殺せるとは到底思えないけど)

〈それじゃ困るんだよ〉


 ミハエルとルキフェルの作戦は、勇者と魔王が生まれるたびにルクスに勇者と魔王を葬らせるというものである。


 神への反逆行為とも取れるようなものだが、言ってどうにかならないのなら武力に頼るしかないとのことだった。


(ディゼスピアが殺ればいいじゃないか)

〈それが出来んなら最初っからそうしてる〉


 ルキフェルの力はディゼスピアの魂に宿り、ミハエルの力はルクスの魂に宿っている。


 故に、ディゼスピアはミハエルの力は使えず、ルクスはルキフェルの力が使えない。魔王を殺すにしても、勇者を殺すにしても、どちらか一方が使えない状況で勝てる相手ではない。


 創造神フライアの側近ミハエルと破壊神ノットの側近ルキフェル、双方の力を最大限に使用してようやく互角だ。


(勇者、ね。どういうやつなんだろう)

〈さあな。悪いやつじゃねぇんじゃねぇか?〉

(そこは出来れば悪いやつであって欲しかったなぁ)


 悪いやつでもないのに殺したくはない。そもそも、人を殺したいだなんて思ったことすらない。


 痴話喧嘩を止めるために人を殺すのかと思うと憂鬱になる。


(ていうか、本当にどうやって探すんだ?)


 魔道国には既に魔王が現れているが、聖国にはまだ勇者が現れていない。


 勇者は生まれながらにして勇者なのだが、聖剣を手にするまでは天才とかそういった類と同程度の力しかない。勇者に直接創造神が取り憑いているわけではないため、創造神の力を得るには聖剣を媒体としなければならないのだ。


 しかも、一度聖剣を取っただけでは一週間ともたない。肌身離さず身につけておかなければ創造神の力は薄れていってしまう。


 つまり、聖剣を手にしていない勇者を見つけ出すには、強者を片っ端から当たっていくしかないということである。


〈別に現れるまで待ちゃいいだろうが。勇者の方が現れるのが遅いなんて毎度のことだ〉


 実際、ディゼスピアの言葉通り、魔王よりも勇者の方が現れるのが遅い。


 これは、勝っても聖族によって殺されてしまい、短いスパンで何度も新しい勇者を見繕わなければならないからだ。


 そもそも、創造と破壊では圧倒的に創造の方が消費コストが高くなる。造るより壊す方が簡単なのは世界の真理だ。


 ならば、勇者から聖族に加護をかける力を取り除けばいい、とそんな簡単な問題でもない。


 必然的に魔族の一般人より聖族の一般人の方が弱く、加護を失くせば大敗を喫するのは目に見えている。


 勇者の状況判断に任せるには、勇者に力を使ってもらわなければならない。仲間のために勇者が力を使い、結果魔王に負けてしまったら本末転倒もいいところである。


〈魔族が進軍することはねぇし、勇者さえ見つけて殺せば、あとは魔王城に突っ込むだけだ〉


 魔族が進軍しない理由は、単純に嫌なやつに近づきたくないからだ。目の前に聖族がいれば、殺したいと思うほど憎しみが湧いてくるが、向かってこないのなら放っておけばいいというのが今までの魔族の在り方である。


 こういったことを鑑みて考えると、フライアが一方的に激怒し、それをノットがあしらっているという構図が見えてきて嫌になる。


〈ったく、人間を巻き込まないで欲しいもんだ。とりあえず、勇者が出て来るまで聖都近辺で過ごすぞ〉

(分かった)


 野宿に不満はない。


 魔物を恐れるほど弱くはないし、食材は豊富で、身体だって魔術で洗える。誰かの家事をやる必要もないから、下手をすれば家で過ごすよりマシかもしれない。それに、もう慣れた。


(それにしても……)


 ルクスは襲い掛かってきた犬型の魔物ガルムを木刀で斬り捨てる。


「——弱い」

〈——弱いな〉


 迷いの森などと呼ばれる割にはたいしたことがない。


 村近隣の森よりも遥かに強い魔物が出て来るのだろうと身構えていただけに、肩透かしを食らった気分だ。まだミハエルの力を使ってすらいないのに負ける気がしない。


 この森は近寄る者が少ないと聞いていたので、腕試しには丁度いいかと思ったのだが、期待はずれもいいところだ。腕試しどころか肩慣らしにもなりはしない。


〈今日はこの辺りで休むか〉


 既に時刻は零時を回っている。起きる、歩く、戦う、歩く、寝る。村を出てからというもの、こんな生活が続いている。


 まあ、村にいたときも日が変わるより前に寝たことなどないので変わらないと言えば変わらないのだが。


 ディゼスピアに従い、その場で適当に木を切り拓き、草を魔術で刈り取ってから火をおこす。


 朝食用に狩りをするのも面倒なので、周りに罠を仕掛けておくことも忘れない。


「なに食べるかな。っても肉と山菜しかないんだよな」


 肉と山菜となれば、野菜炒めもとい山菜炒めである。土属性魔術でフライパンもどきを作り、凍らしておいた魔物の肉と山菜を麻袋から取り出して炒める。


 さあ食べようかと身体の支配権をディゼスピアと共有したところで、遠くから馬の嘶きと足音が聞こえた。足音の方が若干近い。


(なんだと思う?)

〈面倒事だ。首を突っ込むな〉

(はいはい)


 初めての旅だというのになんの事件も起こらないことにルクスはがっかりしていたが、これからすることを考えれば目立つ行動は避けた方がいい。そのくらいの分別はある。


 気を取り直して食事を始めようとすると、すぐ近くで物音が聞こえた。罠になにかがかかった音だ。直後になにか話し声が耳に届く。


(うわ……)


 まさか人間がかかるとは思ってもみなかった。罪悪感しかない。


(これ、完全にぼくのせいで捕まるやつだ)

〈放っておけ〉

(いやいや、流石に罪悪感でご飯が不味くなるよ)


 ディゼスピアが止める間もなく、ルクスは髪を白に変えて身体の支配権を奪う。


 仕掛けた罠——落とし穴の方へ向かうと、ユニコーンにまたがった騎士が薄汚れたローブを纏った白髪の少女に詰め寄っていた。


 少女の姿を捉えた瞬間、ルクスの心音が跳ね上がる。


(うわ、うわうわうわ……)

〈どうした?〉


 ルクスの変化に気づいたディゼスピアが声をかけるも、言葉は返ってこない。


 まさか、こんなことがあるとは思わなかった。昔、本で読んだことがあったが、内心で馬鹿にしていた。少女の目鼻顔立ち、纏う雰囲気、全てがルクスの心を鷲掴みにする。


 ——一目惚れだった。


 冗談みたいな話だ。まさか自分が一目惚れを経験することになるなんて。ありえない。そんなことを思っても、身体は自然と少女と騎士を隔てるように動いていた。


「大丈夫?」


 自分ではうまく動揺を隠せているつもりだが、不安は大きい。全身が熱を持っている気さえする。


「え、な、どうして……」


 戸惑う少女の声音には喜色と悲哀が混じっていたように感じた。ルクスは眼前の騎士を改めて見据え、なるほどと納得する。


〈白騎士か。面倒なことになった〉


 白い甲冑は聖国の白騎士である証だ。彫られている紋章から考えてもまず間違いない。


(多分、勝てるけど……ぼくが戦うのは面倒だね)

〈そういう面倒じゃねぇんだが……まあいい。代われルクス〉

(うん。よろしく)


 瞬間、ルクスの髪が白から黒へと一変する。


「……え?」


 身体の支配権を手にしたディゼスピアは、背後から聞こえる疑問の声を無視して右手に漆黒の剣を生み出し、正眼に構える。


「魔族かっ!」

「いや、だが、今、白じゃなかったか?」


 騎士達が混乱を露わにするが、ディゼスピアに落ち着くまで待ってやるほどの優しさはない。


「おい、こいつらはお前の敵か?」

「——え、あ、は、はい」

「そうか」


 一応の確認を取り、ディゼスピアは右足を引き、身体を右斜めに向け、剣を右脇に構える。


 その隙のない構えに、騎士達はごくりと生唾を飲んだ。


 只者ではない。中途半端に積まれた経験が、ディゼスピアの力量を推し測る。鍛錬をしていなければ、濃厚な殺気に気を失っていただろう。


 それを感じて騎士達の心に生まれたのは後悔だ。気絶していた方がよかったと思ってしまった。こんな化物と戦わなければならないくらいなら。


 ——じゃり。


 足に力を入れたのだろう。靴底と砂の擦れる音が異様なほどはっきり聞こえた。ようやく、いつの間にか自分達が口を噤んでいたことに気づく。


 ——来る。


 経験から攻撃を予測し、騎士達は臆す心を奮い立たせて身構えた。


 戦闘準備は万全だ。


 そう信じて——


        × × × ×


 なぜ、ユニコーンから降りないのだろうか。


 ディゼスピアは不思議に思う。逃げるつもりなら分かるが、そうではないということは顔を見れば分かる。だが、迎え撃つつもりならば、ユニコーンから降りないのはおかしい。


 戦闘態勢を整える時間を与える気はなかったが、騎士達も戦士の端くれ、僅かな時間で気を引き締めたのは賞賛に値する。それでもやはり、殺気に固まっているユニコーンにまたがったままの姿はふざけているようにしか見えない。


 どうでもいいか。


 ディゼスピアには、騎士達が圧倒的強者ディゼスピアに立ち向かうということしか考えられず、ユニコーンから降りるのを忘れている、なんて間抜けとしか言いようがない結論に辿り着くことは出来ない。


 考えても分からないことを考えても仕方がないと、脳内から疑問を消し飛ばし、標的を定めた。


 そして——消えた。


 直後にユニコーンが倒れる。その首は半ばで途切れており、背に跨っていた騎士の身体も腹部から真っ二つに裂けていた。


 いつの間にか倒れた騎士の傍に移動していたディゼスピアは続け様に剣を横に薙ぎ、隣の騎士の胴体を斬り落とす。そのまま右に跳躍し、落下に合わせて騎士の背を切り裂いた。


 着地と同時に地を蹴り、さらに二人の騎士の命を奪う。残った一人をユニコーンごと突きで貫く。


 剣を引き抜いて軽く血を払うと、じろじろと騎士の死体を見る。


「金になりそうなもんは……まあ、後ででいか」


 再びルクスに身体の支配権を渡す。


(別に殺さなくても……)

〈目撃者は殺すべきだ。計画の邪魔になりかねないからな〉

(うわぁ……)


 ディゼスピアの冷徹さに若干引きつつ、ルクスは固まっている少女へと声をかける。


「えっと、大丈夫?」


 さっきと同じ問い掛け。緊張してうまく言葉が出て来ない。気恥ずかしさからぽりぽりと頬を掻いてしまう。


 ぼーっとしていた少女は、次第に瞳に輝きを宿していき、そしてルクスの瞳を正面からしっかりと見つめて言った。


「お願いします。私を——攫ってください」

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