負の旋律Ⅱ


 ルクス・アエテルニターティスの朝は早い。


 まだ日も昇らない時間に目を覚まし、毎日出掛けている場所があるからだ。


 ルクスは起き抜けとは思えない足取りでドア付近に監視の魔術を施し、窓からこっそりと抜け出す。村の柵を乗り越えて向かう場所は近隣の山だ。


 山の中には魔物が棲息しており、普通の村人であれば夜には絶対に近寄らない。


 ルクスはそんな山の中を悠々と歩く。最初に目指す場所はいつも決まって開けた広場ような場所である。


 木々は切り取られ、そこだけは月の光が地面まで届いている。ここの木々を切ったのはルクスだ。手に持っているのは木刀だが、木を切る程度ならこれで充分だった。


 広場の中心に立ち、ルクスは木刀を構える。


「一っ!」


 掛け声とともにひゅんと木刀が空を斬る。


 まずは素振りから。基礎は蔑ろに出来ない。しっかりと基礎が出来てこそ、精度の高い技を繰り出せる。


「九百九十九っ! 千っ!」


 三十分もしないうちに日課である千回の素振りを終える。かなりゆっくりやっているために体力は削られているが、これだけでは終わらない。


 少し休憩を挟み、広場から森の奥へと向かっていく。


 しばらく歩いていると、狼型の魔物ウォルフの群れと遭遇した。基礎練の次は実戦である。


 木刀を正眼に構え、じりじりとにじり寄ってくる五体のウォルフの動きを音で把握する。


「——火球ファイアボール


 初級魔術を牽制として放ち、飛び退いた一体の右隣に位置するウォルフの首を斬り落とした。


 陣形が崩れたウォルフの首を次々と刈り取っていき、三分と経たずにウォルフの群れを殲滅する。


 ルクスがそんな朝の日課を終えて、魔物の肉を食べてから転移で自分の部屋に戻ったのは、それから約一時間後のことだった。


        × × × ×


 ルクスの住む村では、起床時間が季節によって大幅に前後する。


 これは、日が昇るとともに起床するからだ。


 王都であれば、夜中は魔術的細工の施された灯りがつくためにそんなことはないのだが、グライミリティス王国辺境にあるこの村にはそういった代物は一切ない。


 魔術士でも剣士でもなく、ただの農民が暮らす平凡な村だ。太陽の光がなければなにも出来ない。


 それ故に、夏は鍛える時間が減り、冬は鍛える時間が増える。今は冬のため、朝の鍛錬の時間が一年で最大の長さになっている。


 ルクスにはそれが嫌で仕方がない。


(どう考えても、もう基礎とかやらなくていいだろ……)

〈ダメだ。基礎を怠ると、いざという時に本来の力が発揮できない〉


 そんな声が聞こえてくる。鬱陶しいが、ルクスが今の実力を手に出来たのは紛れもなくこの声の主のおかげであるために、文句は言い辛い。


 とは言っても、いつもよりは気分も軽い。その、いざというときがとうとう今日にまで迫っているからだ。


(今日、か。今日を境にぼくは英雄への道を進む)

〈まだそんなこと言ってんのか〉


 脳内に響く声は呆れ気味だ。英雄になるのはルクスの夢である。永遠の光ルクス・アエテルニターティスなんてそれらしい名前まである。運命としか思えない。


〈英雄になるなんつっても憎むべき敵がいねぇだろうが〉


 事実を突きつけられてルクスははあとため息を吐き出す。夢くらい見させて欲しい。


 でも、実際問題、それが一番の障害なのである。


 ノアカヴァリエル魔導国に魔王と呼ばれる存在はいるが、それは物語に出てくるような魔物を操り残虐を尽くす無慈悲な王ではない。魔導王、略して魔王だ。


 ヴァイスリッター聖国は目の敵にしており、勇者という存在が生まれてはけしかけているが、魔王は破壊神ノットに愛される者である。そして勇者は創造神フライアに愛される者だ。


 グライミリティス王国に住む人族にとっては、どちらも神の愛し子であり、決して退治するべき存在ではない。


〈もう一度、別れた三国を一つに纏める。それが俺とお前の仕事だ〉

(うるさいな、分かってるって)


 心中で文句を垂れながら、ルクスは自分の部屋を出る。そろそろ本来起きるだろう時間だ。


 リビングに向かうと、人族の特徴である灰色の髪を腰まで伸ばした母親の背中が目に映った。朝食を作る母親に言葉をかける。心の中で。


(——おはよう、母さん)


 物音を立てないように静かに椅子を引き、着座する。


 しばらくすると、父親が起きてくる。視線を向けることなく、こちらにも同じように心の中だけで挨拶を済ませる。


 ——椅子を蹴り飛ばされた。


「お前は父親に挨拶も出来ないのか」

「……申し訳ありません。おはようございます、父上」


 返事はない。しばらくじっと待っていると、パンの切れ端のようなものが目の前に投げ出された。


 両親が食べているのは、一般的な食事よりもワンランク上のものだ。朝食にこれが出てくることは分かっていたので、ルクスは既に上等な魔物で朝食を済ませてある。


 パンの切れ端を口に放り込み、ルクスはまず家の掃除を始める。いつもなら、その後は、洗濯など家事諸々を済ませて寝る時間まで外で薬草採集をして過ごすことになる。


 ——いつからだったろうか。


 今日出て行くということもあり、両親が変わってしまったときのことをルクスは思い出す。


 元々、この村はアエテルニターティス辺境伯領——つまり、ルクスの父親の領地であった。


 それがそうでなくなったのは、三年ほど前、父親の不正が発覚してからだ。風の噂で聞いた話では、賄賂がどうとかそういう理由だった覚えがある。


 領主という地位を剥奪された父親は今でも自分は貴族に返り咲けるのだと信じて以前と変わらない暮らしをしている。ルクスの薬草採集程度ではそれを賄いきるほどの稼ぎは得られず、債務は滞り、毎日のように借金取りがやってくるという現状だ。


 母親に話しかければ声を発するなと言われ、黙っていれば父親に殴られ、理不尽にもほどがあるが、ルクスは別に両親を恨んだりはしていない。


(今まで育ててもらったんだから、そのくらいは我慢しないと。家に置いてもらえてるだけありがたい)

〈お前のそういうところは素直に凄えと思うよ〉

(お前なんかに褒められてもなんにも嬉しくない)


 魔物を狩って金を稼げば元の両親に戻ってくれるかもと思ったが、一度魔物を狩ってきたら化物扱いされたのでやめた。


 そもそも、変わる前から父親にはあまり好かれていなかったのだ。脳に響く声の主のおかげでルクスの成長は常人離れしており、それを恐れた父親から虐待を受けていた。お前は災いのもとだ、そんなことを昔から言われ続けている。


 それでも、母親はそれなりに愛してくれていたし、虐待なんてものは回復魔術でどうとでもなるので特に不満は抱かなかった。


 母親すらも自分を邪魔者扱いするようになってしまったことに悲しさはあるが、恨むほどのことじゃない。


(ぼくがいなくなった方が、二人も幸せだろ)


 そんな感情さえある。邪魔者はさっさと退散した方がいい。


 本当ならもっと早く家を出てあげたかったが、十五歳にならなければ成人したとは認められず、自由に行動することも出来ない。


 そればっかりはどうしようもないので勘弁してもらいたいところだ。


「邪魔だ!」

「あ、ごめ——申し訳ありません」


 頬を思いっきりぶたれる。たいして痛くないが、やはり精神的ダメージはある。


 蹴られ、殴られ、それでも呻き声一つあげないルクスを見て、父親は眉を顰める。


「気持ち悪いっ! お前、本当は血なんて繋がってないんじゃないのか?」


 父親はルクスの髪を掴んで凄む。怖くはないが、心はずきずきと痛む。正真正銘、あなたの息子だと叫びたい気持ちで一杯だった。


「なんだ、その目は……」


 不満が表に出てしまっていたらしい。父親が怒りに顔を歪ませる。


「いつも、いつも、人をバカにしたような目で見やがって!」

「違っ、そんな、つもりじゃ——」

「うるさいっ! 言い訳をするなっ!」


 父親が包丁を手にし、ルクスに向かって振り下ろしたのは、刹那の出来事だった。


 ルクスにとって充分に反応出来る速度ではある。のろいと言ってもいい。


 だが、不思議と抵抗する気持ちは湧いてこなかった。


(それで父さんと母さんが救われるのなら、それでもいいか)


 ルクスは生に対する執着がそれほど強くない。


 両親には嫌われ、友達もおらず、村人には疎まれ、夢は叶うことがない。


 それでは一体、なにを希望に生きればいいのかも分からない。幼い頃から自分の役目は聞かされてきたが、それはルクスのやりたいことではない。


〈いいわけねぇだろうが。——殺せ〉


 そんな囁きが聞こえた。この世に生を授かってからずっとともに生きてきた男の声だ。


〈お前にはやらなくちゃいけないことがあんだよ。こんなとこで死なれちゃ困る。——早く、殺せ〉

(無理だ。殺せるわけないだろ、ぼくに)


 魔物を幾度となく殺してきた。だが、人を殺したことなどない。対人戦闘訓練も積んできたが、出来る気はしない。そもそも、実の親だ。殺せるわけがない。


〈はあ、分かった〉


 諦めたように言う。


〈お前がらねぇなら、俺が殺る〉

(なっ、お前——まさか)


 全てを言う前に、ルクスの視界に変化が訪れる。まるで、自分以外の誰かの視界を覗いているような気分だ。


 ルクスの意思とは関係なく、ルクスの身体が勝手に動く。


(おいっ、やめっ、やめろぉぉぉおっ!)


 叫びが届くことはない。ルクスの腕が、容易く父親の腹を貫いた。


「は? ごほっ」


 わけが分からないといった表情を浮かべた父親は、ルクスの顔と自分の腹に埋まる腕とを見比べて、血を吐き出す。


「悪いな。あんたに恨みはないが、俺はここで死ぬわけにはいかねぇんだ」


 ルクスの視線は父親の後ろで固まっていた母親へと向く。


「ひっ」

(やめろっ! 母さんは、関係ないだろっ)


 慈悲もなく、ルクスの身体を乗っ取った人物は、殺気を向けられて小さい悲鳴を漏らした母親の首を手刀で刈り取る。


 本当なら、包丁を避けて逃げるという手段もあった。それでも殺したのは、ルクスの未練を捨て去るためだ。


 父や母が恋しいなんて感情は今の内に消してしまった方がいい。そんな簡単に生きるのを辞めてしまえるような人間でいてもらっては困る。


〈予定変更だ。今から聖国に向かうぞ〉

(……分かった)

〈なんだ、やけに素直じゃねえか〉

(……呆れてるんだ。両親を殺されたのに、怒りも湧いてこない、自分に)


 殺して欲しかったわけじゃない。恨みもないし、むしろ感謝しているくらいだ。


 それでも——愛情はなかったのだろうと悟った。


 両親の無惨な死体を見ても、怒ろうという気にならない。大切なものを壊されたと感じない。そんな自分を気持ち悪いとすら思えた。


 ようやく、ルクス自身にも身体を動かせるようになったが、動く気力がない。


 視界は戻っているが身体が勝手に動き、自室にある鼠色のローブを引っ掴んで玄関の戸を開ける。


〈とりあえず、国境付近までは向かってやる。そっからはお前が動け。白髪の方が動きやすいだろ〉

(うん)


 誰に止められることもなく村を出たルクスはヴァイスリッター聖国へと足を進ませる。

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