負の旋律Ⅰ
薄汚れた茶色のローブを纏った少女は追われていた。
鬱蒼とした森の中、絶対に捕まりたくないと必死で駆ける。時折、魔物が姿を現わすがそれは全て斬り伏せた。
まさか、こんなところまで追ってくるなんて。この森に住む魔物は全体的に力が強いことで知られている。それ故に、近くに街や村はなく、追っ手から逃げるには適切だった。
追いつかれたら戦うつもりではいるが、出来れば逃げ切りたいというのが本心だ。戦っても勝てないだろうことは分かっている。
「はぁっ、はあっ、はぁっ……」
棒のようになった足を無理矢理に前へと動かす。
この森を抜ければ人族の国——グライミリティス王国だ。いくら辺境とは言え、なんの考えもなしに国境を越えてくるような真似はしないだろう。
すぐ後ろでは、蹄が地面を蹴る音と
常であれば、例えユニコーンが相手であろうとも引き離すほどの速度で走れるのだが、もう一週間に渡って日夜逃げ続けているために思うように力が入らない。
——嫌っ、嫌っ、戻りたくないっ。
決意は固い。戻ってもいい未来が見えないからだ。両親は自分に優しかったが、それが全部嘘だったのだと思うと虚しくなる。両親のことを思い出すと、じわりと視界が滲んだ。
「ぐすっ……はぁっ、はぁっ」
乱暴にローブの袖で涙を拭い、少女は走る。
木々を縫うように走っていると、離れた場所に火の灯りを見つけた。冒険者でもいるのだろうか。ここは確かに危険な場所だが、冒険者は魔物専門の殺し屋だ。別段おかしなことではない。
しかし、少女は灯りから逸れるように走る。
冒険者は国ごとに分かれている。聖国の領地にいるのなら、聖国の冒険者だろう。もしかしたら王国から来た人族の冒険者かもしれないが、他国の騎士に逆らうような真似はしないはずだ。
そうして火の灯りを迂回していくと、踏み出した右足が地面に飲み込まれた。
——落とし穴だ。左足に力を入れることで跳躍するも、落とし穴は広く、足は穴の向こう側まで届かなかった。
淵にギリギリ手を掛け、急いで穴から這い出る。大きなタイムロスによって、周りは既にユニコーンに乗った白騎士に囲まれていた。
どうしてこんなところに落とし穴があるんだ。悔しさで唇を噛みしめる。
「やっと追いつきましたよ。さあ、我らとともに帰りましょう」
白騎士の一人が我儘な子供を諭すような声音で言う。
なんだか帰っても平穏無事な生活を送れそうな気がしてくるが、そんな妄想はかぶりを振って脳内から叩き出した。
素直に応じるわけにはいかない。帰った先にある未来は決して楽しいものではないのだから。
「——嫌です。お願い、逃がしてください」
「王命です。それはなりません。ユリア姫殿下、あまり面倒をかけないでください」
必死の願いは即座に却下された。もう戦うしか道は残されていない。たとえ、勝てないと分かっていたとしても。
「そうですか。なら——」
腰の剣を抜こうと構える。
しかし、その剣が抜かれることはなかった——
「大丈夫?」
——一人の少年が、白騎士と自分とを隔てるように飛び出してきたからだ。
「え、な、どうして」
驚きで声が震える。
嬉しさはあったが、少年の髪の色が白であることを確認して、肩を落とした。
騎士にもなっていない聖国民が訓練された聖国騎士に勝てるはずもない。ユリアと呼ばれた少女は神を裏切ったから天罰が下ったのだと嘆くばかりであった。
「……え?」
その少年の髪の色が——黒一色に染まるまでは。
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