027
その昔、ひとりの
神に導かれてシスターとなった彼女は、宣教の旅路でとある村へとたどりつく。そこでは毎年かならずひとり、若い娘を生贄に差し出す風習があった。山頂の古城に棲むドラゴンへ。
異教の悪習をやめさせるため、彼女はドラゴンを退治することにした。身代わりとなって生贄に差し出された彼女は、いきなり丸呑みにしようとするドラゴンに対して、こんなことを口にした。
――あなたは女というものの価値を、その有用性を、真に理解してはいない。食べるのは最後でいい。それよりまだほかに、もっとすばらしい愉しみかたがある。
彼女は紫と赤の衣を脱ぎ捨てて、みずみずしい肢体をさらけ出し、ドラゴンを秘所へと導いた。
蜜壺のなかへ、ありったけの精を存分に注ぎ込み、果てたドラゴンの首を、彼女はおのが歯で食い千切った。ドラゴンより簒奪したその力で。
見事狙いどおりドラゴンを退治した彼女は、持ち主のいなくなった金銀財宝の数々を前に思い悩む。生贄とは別に、村が長年に渡って貢いできた物だが、はたしてこれを返してよいものか。
――否。これほどのあぶく銭を一度に手に入れれば、きっと彼らは狂ってしまう。ゆえにこれらの財宝は、誰にも渡さぬようおのれが死守しなければ。
それが言葉どおりの使命感だと信じて。おのれの身に宿る、ドラゴンにそそのかされたのだとは思いもよらず。
盗っ人から財宝を守るためには、もっともっと力が必要だ。彼女は何かに導かれるように、死骸から
「わが牙は剣。わが爪は槍。わが羽ばたきは嵐」
「ドラ、ゴン……」ローラは驚愕のあまり、開いた口がふさがらなかった。今や伝説上でしか存在しない存在。まさかこうして目の前にする日がこようとは。
白い竜――より厳密には、羽毛の生えた蛇というべきか。鷲の翼を持つ蛇。それがイングリッド・ピットの正体だった。悠久の歳月で記憶は擦り切れ、今はただ財宝を守り、乙女の血肉を貪る異形の怪物。
「天にまします父よ、糧を与えてくださり感謝します。女を美味しく創ってくださったことにも感謝します。そして何よりあの麗しの天使、ジョディ・フォスターを地上へ遣わしてくださったことに感謝します。アーメン」
ローラは必死に抵抗を試みるが、身体が言うことを聞かない。蛇にらまれた蛙のように。指一本思うようにならず。こうなったら何とか這ってでも逃げるしかない。しかし出口ははてしなく遠い。
カドモスの伝説にあるように、ドラゴンは毒の息を吐くこともできる。先ほど感じた匂いはイングリッドの吐息だったのだ。そうとは気づかず不用意に吸い込んでしまった。
ドラゴンがローラの身体に巻きついて、きつく締め上げる。全身の骨が砕かれて粉々に。肺から空気が押し出され、悲鳴を上げることもままならない。
「“また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。”さて、邪魔な服はとっくに脱いでもらったし、まずはどこから食べようかなァ。胸? 太もも? すね? 肩? おしり? それとも……頭かな?」
巨大な顎がパックリと開き、ローラの頭からかぶりつかんと迫る。
ダメだ。逃げられない。死ぬ――。
だが、その動きが、なぜか寸前でピタリと静止した。イングリッドは警戒心をあらわにして、威嚇の鳴き声を出しながら、洞窟の通路のほうを振り向く。
足音が聞こえる。ゆっくりと近づいてきている。
「わが名は炎。わが名は死」
イングリッドは相手が何者かも確認せず、いきなり口から火を噴いた。毒の吐息は可燃性のガスでもあるのだ。
この火炎放射の直撃を受けた者は、灰さえ残らないだろう。たとえバンパイアであろうと例外ではない。
けれども、ふたたび足音が近づいてくる。招かれざる客はいまだ健在。これほどまでの不死身となれば、思いつくかぎりひとりしかいない。足音ととも、何か重い物を引きずっているような音がした。
「やれやれだぜ。お気に入りの服が危うく焦げるとこだ」
フランク・モリス。真祖バンパイア。
その姿は何事もなかったよう。たとえドラゴンの鱗が火に強いとしても、どうやって服も焦がさずやり過ごしたのか。いや、それをいうならそもそも、なぜ服が濡れていないのか。この洞窟へ入って来たということは、かならず滝の下を潜り抜けなければならなかったはずだが。まさか今の炎で乾いたなどとは言うまい。
その理由はすぐにわかった。イングリッドは首をかしげつつ、ふたたびモリスめがけて炎を吐いた。するとモリスも同じように口から火炎を放射したのだ。そうして灼熱の吐息を押し返してしまった。
「“火を消すには火をもって為せ”――とはいえ、しけた火だな。さっきの滝のほうがいくぶん骨が折れたぜ」
モリスは葉巻を取り出し、口から出した火をライター代わりに点けて吸う。炎を吐けるということは、すなわち毒の息も効かないということを意味する。むろん、それだけでドラゴン相手に優位なわけではないが。
「おいイングリッド、ひとつ言わせてもらってもいいか?」そしてなんら迷った様子もなく、白い竜に向かって言った。
「なに?」
「おまえさんの口は臭う。生肉ばっかり食ってるヤツの臭いだ」
イングリッドはローラの身体をその辺へ無造作に打ち捨てた。獲物に巻きついたままではさすがに戦いにくい。
「チョットばかり普通のバンパイアより優れてるからって、イイ気になってバカみたい。アンタみたいな中途半端な出来損ないが、本物のドラゴンに勝てると思ってんの? ちゃんちゃらおかしいわ」
「中国の古い逸話で、竜生九子不成竜ってのがある。竜には九匹の子供がいたが、結局どいつも竜にはなれなかったそうだ。……けど、だからって竜より弱いとはかぎらない。というより、神の似姿が
「寝言は寝て言えっての。一撃で仕留めてやる」
巨体とは思えない素早さで、イングリッドはモリスに飛びかかる。モリスはかわそうともせず突っ立っている。
その大きな顎を、今度はモリスに向かって開き、鋭い牙で噛みつこうとする。いかにモリスが堅固な鱗の鎧を持っていても、防ぎ切るのは不可能だ。鱗よりも歯のほうが硬いのだから。
けれどもモリスにひるむ様子はない。相変わらず不敵な笑みを浮かべている。
「『スターウォーズ』を観たことは? エピソード6だ」
モリスはずっとひきずっていた棺桶のフタを蹴り開けた。そのフタを縦向きでドラゴンの口に突っ込む。するとドラゴンは、フタがひっかかって顎を閉じることができなくなった。
「グワア! グワア!」
棺桶はしょせん木製だ。かなり丈夫な造りのようではあるが、そう長くはもつまい。
だが、わずかなあいだ口を開けたままにできれば、モリスには充分だった。
開いた棺桶のなかから、モリスはそれを取り出す。
「こいつが何かわかるか? てめえにはお似合いだ」
それはロマンの破壊者。怪物退治の偉業を、英雄たちの大冒険を、単なるルーチンワークへと貶めたモノ。
――
エイハブの憎悪もイシュメイルの憧憬も、モービィ・ディックごとまとめて串刺し、さらし者にする無慈悲な兵器。
個人携行して運用するには明らかに不適格なそれを、モリスは怪力でやすやすとかまえ、発射。火薬によって撃ち出された巨大な銛は、まっすぐ吸い込まれるように棺桶のフタを貫いて、イングリッドの口の奥へ突き刺さる。
さらにその瞬間、弾頭に仕込まれた炸薬が爆発して、脳天をこっぱみじんに吹き飛ばした。
「前から疑問だったんだ。ドラゴンの血を浴びれば不死身になれる――だが、そのドラゴン自身は不死身なのか?」
イングリッドの身体はしばらくジタバタ暴れていたが、やがてピクリとも動かなくなった。あまりにもあっけない最期だった。
「……何だか暑いな。こんなところで火を吐くからだ。のどが渇いた」
モリスは毒で動けないローラのもとへ歩み寄ると、その白い肩に思い切り噛みついた。蛭のように生き血を啜る。一滴残らず搾り取るように。
「ひぎぃっ――あ、あ、あ、ダメぇ、そんなに、吸っちゃ――」
「――ああ、美味い。こんなに美味い酒は飲んだことがない」
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