028

 キンスキーは懐中時計を開き、フタの裏にある写真を眺める。

 そこに写っているのは、醜く年老いた男の肖像だ。どこからどう見てもまごうことなき悪人面。刻み込まれたしわの1本1本が、彼の歩んできた醜悪な人生を暴露しているかのよう。

「“ぼくは妬んでいるとも――美しさを失うことのないものすべてを妬み、きみが描いたぼくの肖像画を妬んでいる。いつかはぼくが失ってしまわねばならないものを、なぜこの絵はいつまでも持っているのだ? 過ぎゆく一瞬一瞬がこのぼくのからだからなにかを奪いさり、なにかをぼくの肖像画につけ加えるのだ。ああ、もしこれが逆だったら! 絵のほうが変化して、ぼく自身はいつまでも現在のままでいられるのだったら! あなたはなぜこんなものを描いたのだ? いつかこの絵はぼくをあざ笑うだろう――ひどくあざ笑うことだろう!”」

 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』――主人公のドリアンは、おのれをあざ笑う肖像の存在に耐え切れず、破滅することとなった。しかしキンスキーは、逆に肖像をあざ笑っている。彼が肖像をあざ笑い続けるかぎり、彼は永遠だ。身代わりの肖像に、あらゆる業を背負わせて。

 ドラゴン退治が決着したのを見計らい、キンスキーはふたりの前へ姿を現した。「露払いご苦労」

 事情を知らないローラは困惑する。「キンスキー!? どういうこと、なんであんたがここに――」

 モリスに血を吸われたおかげで、結果的に毒もほぼ抜けきっていたが、イングリッドが死にぎわにのたうちまわった際、銛についたロープに巻き込まれて完全に身動きが取れなくなっている。男たちのやり取りを指をくわえて眺めるしかない。

 モリスは不満げに、「この怠け者。高みの見物とはイイご身分だな」

「手助けの必要が?」

「応援するとかあるだろ」

 キンスキーは無視して、「さて、邪魔なドラゴンもいなくなったことだし、さっそく分け前の相談をしよう。モリス、てめえは俺に言ったよな。自分は半分もらえりゃアそれでいいと。あの言葉に嘘はないか? 今も変わらずそう考えていると?」

「……もちろんだ。これだけ莫大な財宝ともなると、たとえ3等分だとしても使い切れるかどうか」

「3等分? 3等分だって? そこでのびてる女と3人でか?」

「まさか。言ってみただけだ。3等分でも確かに充分な額ではあるだろうが、それでも半分より少ないことは事実だ」

「そうかい、そいつを聞いて安心したぜ。それで山分けのしかただが、事前に確認したとおり、俺の馴染みのブローカーにまとめて換金してもらってからだ。現金でないと平等に分けられないからな」

「ああ、別にそれでかまわんさ。……ただ、ひとつだけ別のところで換金しないとならない品があるぜ」

 その言葉にキンスキーはいぶかしむ。「何も問題ねえはずだが? ブローカーはすべて自分が買い取ると保証してくれた」

「しかし聞いた話じゃ、そいつは盗品専門だろ? だったら懸賞金の支払いまではしてくれないはずだ」

 モリスはピストルを抜くと、ローラの身体に絡みついていたロープを撃った。自由になったローラはすぐさま立ち上がってライフルを構える。

「賞金首がノコノコ向こうからやってくるなんて、わたしはきっと神に選ばれている人間なのだわ」

「悪いなキンスキー。誰と山分けにするかまでは、ちゃんと説明してなかった。わかるだろ? アダムが禁断の果実を分ける相手は、イヴであるべきだ」

「金は全部あなたの好きにすればいいわ。わたしはキンスキーの首だけもらえればそれでいい」

 復讐を後まわしにして寄り道した結果、危うく道なかばで命を落とすところだった。これは神から与えられたチャンスに違いない。もう二度と迷わないとローラはウィンチェスターライフルに誓う。

「――だ、そうだが? なァおい、どっちと組むべきなのかは一目瞭然だと思わないか。なにしろ半分より全部のほうが、どう考えても明らかに多い。間違いなく多い。ガキでもわかる計算だ」

クソッタレどもめサノバビッチ。俺様をコケにしやがって。俺は怒ったぞ。だが俺は寛大だ。てめえに最後のチャンスをやろう。今のうちに考え直すなら、許してやらないこともないぜ。そこの女を、俺たちふたりで仲良く分けようじゃアないか」

「あいにくだが、何度訊かれてもおれの答えは変わらない。おれ好みの美女に生まれなかったことを悔やめ」

「……せっかくこの俺が、山分けで手を打ってやろうってのに、バカな野郎だ。死んでから後悔しても遅いんだぜ」

「そりゃアこっちの台詞だ。たかが10万ドルぽっちのはした金、今さらそこまで興味はねえんだ。尻尾を巻いて逃げるなら今のうちだぜ。沈没船を見限ったドブネズミみたいにな」

「ちょっと! 勝手なこと言わないでくれる? その男はわたしの獲物よ」

「おっと、そうだった。悪いな、やっぱり死んでくれ。サロメがヨナカーンの首をご所望だ」

 常識的に考えて、どうあがいてもキンスキーが敵う相手ではない。2対1が不利なのは言うまでもなく、何より相手はドラキュラだ。いかなる攻撃も通じない不死身のなかの不死身、ドラゴンすら赤子の手をひねるように殺してしまった。

 しかしキンスキーは逃げない。その顔に浮かぶのは笑み。勝利を確信して興奮し切った、それでいて物語の結末を事前に知って興醒めしたような表情。

「イイ気なもんだなドラキュラ。もう俺に勝ったつもりでいるんだろ?」

「だったらどうした」

「そんなてめえに教育してやる。古今東西、不死身の英雄が倒されなかったためしはない。ヤツらは殺されるためだけに存在するんだ。卑怯な悪役を引き立てるために」

 モリスの不死身はその強靭な鱗だ。しかも銃弾の速度にも反応して身体に生やし、防ぐことができる。背後からの攻撃にも対応したということは、全自動で防御できるということだ。おそらく表面の皮膚がわずかでも傷つけられると、それがトリガーになって鱗を発生させるのではないか。

 となると攻略法は至極単純明快だ。鱗が敵の攻撃よりも速く生えるというのなら、さらにそれを上まわるスピードで攻撃すればいい。

 ただし言うのはカンタンでも、実行するのは容易ではない。なにしろ至近距離の銃弾すら防いでしまうのだから、生半可なスピードでは通用しないだろう。いくらキンスキーが早撃ちでも無意味だ。いかに素早く引き金を引けようと、銃弾そのものが速くなるわけではない。

 もっともその気になれば、キンスキーは銃弾よりも速く動くことができる。

「ハジキは必要ねえや。誰がてめえなんか。てめえなんか恐かねぇ。野郎、ぶっ殺してやらァ!」

 キンスキーは薄ら笑いを浮かべながら葉巻に火を点けて、マリファナの煙を吸い込む。深く深く吸い込む。心臓が爆発的に鼓動する。血流が超スピードで全身を駆け巡る。

 顔に浮き上がる血管。その縞模様は、どこか老虎ティグレロに似て。

 あまり無茶はできない。モリスが油断を捨てて全身を鱗で覆ってしまう前に、一撃で仕留めなければ――。キンスキーは瞬時に間合いを詰めると、ボウイナイフを抜き放ち、モリスの首を刎ねにかかる。

「盆に載せて飾ってやるぜヨナカーン」

 その言葉は加速したせいで早口になりすぎて、ほかの誰にも理解できないだろう。

「――言ったろ。おれ好みの美女サロメに生まれなかったことを悔やめってな」

 銃弾よりも速いはずのナイフは、狙いどおり鱗に阻まれることはなかった。

 しかし、切り裂いたのは薄皮1枚だけ。ギリギリのところで、モリスにかわされてしまった。その傷も一瞬でふさがる。

 ありえない。鱗の防御を破れなかったのなら、まだ納得できる。だが避けられたというのはおかしい。なぜそんな真似ができるのか。

「おまえさんも“時間どろぼう”から葉巻をもらったのか?」スローモーションに聞こえるはずのモリスの声が、ハッキリ耳に届く。

 キンスキーは愕然とした。つまりモリスが四六時中吸っていた葉巻は、キンスキーのものと同じマリファナだったのだ。

「おまえさんはおれの鱗が、攻撃に反応して自動で生えてくるとでも思っていたんだろ。アホ抜かせ。そんな都合のいい能力があるもんか。おれはただこのマリファナでハイになって、スローモーションの銃弾に鼻唄交じりで合わせてただけだ」

「……ジョークにしてはタチが悪すぎるぞ。その葉巻がどういうものか、本当にわかってんのか?」

 吸えば吸うほど止まっていた心臓が動く。時計の針が進む。すなわち、寿命が削られるということだ。しかも常に吸い続けているのなら、もはやそれは不老不死のバンパイアなどではない。ただの人間と同じになってしまう。

「わかってないのはそっちのほうだ。……いや、時間を盗む楽しさを真に理解できるのは、おれと同じ生まれつきのバンパイアだけだろうさ」

「ぬかせ。俺から見れば、てめえはただの死にたがりだ」

 キンスキーは気を取り直す。若干アテは外れたが、とにかくこちらの攻撃が通用することは確かだ。そして、この期に及んでモリスが全身を鱗で覆わない。おそらくできないのだ。ならばまだ勝機はある。ごく普通に殺し合いを演じればいい。

 両の拳を鱗のガントレットで覆うモリス、ボクサースタイルで構える。胸部は服に隠れてわからないが、首は柔肌を剥き出しだ。やはり一度に鱗を生やせる部分には限界があるらしい。

 軽快なステップで間合いを詰めてくる。鋭い左ジャブ、からの右ストレート、続けざまに左ストレート、また右ストレート、左、右、左、右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右――

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーッ!」

 猛烈なパンチのラッシュ。何というスピード。残像で拳が無数に見える。キンスキーはかわすのに精いっぱいで、攻める隙を見出せない。

 それにしても、この葉巻を吸った状態で、よくもここまで激しく動けるものだ。モリスは心臓への負荷が怖くないのだろうか。

 キンスキーの心臓が軋みをあげる。避け続けているだけでも相当な負担だ。であれば、モリスのほうはこの比ではないはず。現状を維持していれば、向こうが勝手に自滅してくれるだろう。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――」

「バカなっ!?」キンスキーはすぐに、みずからの認識が甘かったことを思い知らされた。

 一向にモリスの限界が訪れる様子は見られない。それどころか、ますますラッシュのスピードが上がっていく。いったいどうなっているのか。

 ――少し考えてみれば、カンタンな理屈だ。心臓の鼓動は身体を動かせば動かすほど速くなる。ゆえに全力で拳を振るうモリスと、負担を抑えるため最小限の動きしかしないキンスキーとでは、スピードに差が出て当然だ。

 そして、なぜこれほどムチャな真似を続けるモリスの心臓に、未だ限界が訪れないかと言うと、理由はふたつある。ひとつは単純に慣れの問題だ。キンスキーとは比べるまでもない。さらにもうひとつは、モリスが真祖だということ。普通のバンパイアよりも再生能力が優れているため、回復速度が負荷によるダメージを上回っているのだ。

「ふざけるなァ――俺が、この俺様がァ!」

「オラァッ!」ついにモリスの拳がキンスキーを捉えた。防ごうとしたナイフを叩き折り、そのまま右の頬へ突き刺さる。

 脳天が破裂したかと思うほどの衝撃。実際には歯がごっそりへし折られただけで、まだちゃんと原型を留めている頭部に、拳が次から次へと叩き込まれる。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――ッ!」

 もはやキンスキーの脳天は跡形もなく四散している。さらにトドメの一撃で心臓をえぐり出すと、噛みしめるように握りつぶした。

「……調子に乗りすぎた。これじゃア死体がキンスキーだって確認できねえ。賞金10万ドルがァ……」

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