026

 ユタ州スノーヒル。その名にたがわぬ一面の銀世界――。

 深い雪に足を取られながら、ローラとイングリッドは一心不乱に険しい山道を登っていく。オートバイで進めたのは途中まで。道が整備されていないため、残りは自力で歩かなければならない。

「ほら、あと少しだけがんばってローラ。ゴールはもう目前だよ目前。こんなのアイガーの北壁に比べたら、ピクニックみたいなもんじゃない」

「いえ、まァ体力は大丈夫なのだけれど……なんだってこんな不便なところを隠し場所に選んだの」

「そりゃアだって、ここなら地元の人間もよりつかないし」

「それは実際そうなのかもしれないけれど、だからと言って、さすがにこれはどうかと思うわ。毎回毎回山登りしなければならないなんて」

「へっちゃらへっちゃら。慣れればたいしたことないって」

「そんなものかしら……」

「そんなのものだよ」

 とはいえ、今は手ぶらだからよいものの、本来なら大量の盗品を抱えて登らなければならないことになるはずだ。ましてや車両を使えないとなると、ますますイングリッドのような、か弱い娘にはこたえるだろう。デメリットが比較にならない。

「確かにね。慣れないうちはメチャクチャ大変だったよ。金塊だったら一度に2、3個運ぶのが限界で、何度も往復しなくちゃならないし」

「ふーん、よっぽどその隠し場所を信頼しているのね」

「トーゼンでしょ。アタシにとっては、この地上でイチバン安全な場所だから。誰も近寄らないし、誰にも見られない」

 イングリッドは真っ白な風景を迷いなく進んでいく。もはや道さえ存在しない。彼女の先導がなければ、間違いなく遭難していただろう。その背中にライフルの銃口を向けながら、ローラはあとについて行く。もしも怪しげな動きをすれば容赦しない。ここまで来たからには、ちゃんと財宝のもとまで案内してもらわなければ。

「……そういえば、まだ一度も聞いていなかったわね。イングリッド、あなたはどうして財宝を集めては、使いもせずに貯め込んでいるの?」

「どういう風の吹き回し? ここに至るまで、そんなことまったく気にしてなかったんじゃない」

「延々と山登りするのは、さすがに退屈だもの。ほかに手頃な話題もないし」

「退屈? バンパイアは退屈なんてしないって聞いたけど。その遅すぎる心臓のせいで、気を抜くと時間が一瞬で流れていくんでしょ」

「そこまで詳しいなら、確かにわたしの言葉は語弊があったわね。退屈っていうのは言葉のアヤよ。せっかくの不老不死の人生も、満喫しようと努めなければ、あっというまに過ぎ去る。それを退屈と言わずになんて言えば?」

 だからバンパイアは金を稼ぐ。貯金は人類が生み出した最高の娯楽だ。使わなければ意味のない紙切れにもかかわらず、使いきれないほどの額をただ貯め続けるなんて、ムダ以外のなにものでもない。退屈しのぎには打ってつけだ。

「ふーん……まァ、アタシが財宝を集めるのも似たような理由かな。趣味みたいなもん。コレクターってヤツ?」

「黄金が好きなの? 確かに女の趣味としては、貴金属集めは比較的フツーの部類かもね。アクセサリーとか」

「いや、ちょっと違うかな。アタシは別に、黄金がキラキラしてて綺麗だから集めてるわけじゃない。価値があるから集めてる」

「価値があるから? だったら普通にドルを稼げばいいじゃない。あとは美術品とか、物によっては月までぶっ飛びそうな値段するわよ」

「ドルとか美術品とか、そういうものの価値はしょせん虚構だよ。単なる信用クレジットであって、けっして不変的じゃアない。だけど黄金は違う。黄金はただ存在するだけで、特別な価値を持つ。あらゆる国のあらゆる文明で、黄金は普遍的にすばらしいものだった」

「ようするに紙切れは信用できないってハナシ?」

「むしろ、なんでほかの連中はあんなものを信用できるわけ? どうしてみんなバカばっかりなの? トンネルのなかの蛇を知らないの?」

 藪を突いて蛇が出たようだ。しばらくイングリッドは自身の貨幣論について語り続けた。ローラはそれを延々聞かされるハメに。

 そのうち川と出くわした。流れに沿って上流へと登っていく。

 しだいに水音が大きく、激しくなってきた。滝だ。立派な滝が壁のように立ちふさがっている。

 するとイングリッドは、あたりに雪が降り積もる川のなかへ、ためらいもなく足を踏み入れた。ひざ下までしか浸からないほど浅いようだが、水温は相当低いはず。万が一足を滑らせでもしたら、タダでは済まないだろう。さすがのローラも二の足を踏む。この程度でバンパイアが死にはないが、こういう心臓に悪そうなことは苦手だ。何しろバンパイアは心臓が弱点なのだから。

 そうこうしているうちに、イングリッドはさっさと先へ先へと行ってしまう。滝のすぐ目の前まで近づくと、素早く潜り抜けてしまった。

 滝の向こうからローラを呼ぶ声。「どうしたの? 早くおいでよ」

「そんな大声を出さなくても、ちゃんと聞こえているわ……。今、そっちに行く。行くから」

 声が震えているのは寒さのせいか。それとも流水への恐怖か。

 ローラは背中から翼を生やして飛んだ。冷水に足を突っ込んで、靴が水浸しになるのはごめんこうむる。

 しかし、悲しいかな。滝を潜り抜けようとしたら、怒涛のごとき水の勢いに負けてしまった。川のなかに落ちて結局、全身濡れネズミ。

 ローラは名状しがたい奇声を上げて、必死に川から上がる。「し、心臓が止まるかと思ったわ――」

「濡れた服はさっさと脱いだほうがいいよ。まァバンパイアは凍死しないだろうけど」

 かくいうイングリッドは、すでに一糸まとわぬ姿。寸鉄ひとつ身につけていない。ギャングにやられたという身体じゅうのアザが痛々しい。せっかくの綺麗な肌が台無しだ。

 それにしても女同士とはいえ、胸もアソコも隠そうとせず堂々としたものである。彼女には羞恥心がないのだろうか。羞恥心というのは人間にとって、もっとも基本的な知恵だ。禁断の果実を食べて最初にイヴが悟ったのは、おのれがハダカであるという事実だったのだから。

 とはいえ、やはりいつまでも濡れた服を身に着けているわけにもいかない。言われたとおりローラもずぶ濡れの尼僧服を脱ぎ捨てた。

 ローラはあたりを見まわす。滝の向こう側には、なんと洞窟が隠れていた。かなり奥まで続いているもよう。壁面にところどころ灯りが設置されていて、足下もちゃんと見える。

「滝の水力発電で必要最低限の電力を確保してるんだ」

「それはまたこっているのね」

「だって便利だもん。一度味わったら昔には戻れないよ」

 イングリッドの背中を追いかけ、洞窟の奥へ奥へと進んでいく。通路はかなり広く、大型トラックでも余裕で通れそうだ。若干下り坂になっており、おそらく山の中心部へと続いているのではないか。

 事前に用心していたように、侵入者を排除するためのトラップが仕掛けられているかもしれない。ローラを引っかけようと狙って、ここへ導いた可能性もやはり捨てきれない。あまりイングリッドから離れすぎないよう気をつけながら、彼女が歩いた地面と同じ箇所を正確に踏んで、慎重に警戒しながらうしろをついていく。

 山を登ったときと同じくらいの時間を歩いただろうか。唐突に広い空間へ抜け出た。ヤンキースタジアムくらいあろうかという大空洞。

「さァ、到着したよ」

信じられないジーザス――」

 ローラは息を呑んだ。そこには想像を絶するほどの金塊の山が、うず高くそびえ立っていたからだ。

 まばゆく輝くそのさまは、神々しさすら感じる。比喩でも誇張でも何でもなく、そこはまさしく黄金郷だった。

「ああっ、すごい。なんてことなの。100万ドルどころの話じゃないわ。これだけあれば、合衆国を丸ごと買い取ってもおつりがくるんじゃないかしら」

「いやいや、さすがにそれは言い過ぎだって。……でも、ほら、アタシが言ったのはウソじゃなかったでしょ」

「ええ、そうね。ホントにウソみたいだけれど、これはまぎれもなく現実だわ。――神よ、感謝します」

「そこはアタシに感謝して」

「神よ、彼女と引き合わせてくれたことに感謝します」

 見渡すかぎりの黄金。これらすべておのれの物になるのだと思うと、こらえてもこらえても笑みが、ヨダレがこぼれてしかたない。

「…………」

 しかし、これだけ大量となると、一度に運び出すのは難しいし、ほかに安全な保管場所を確保するのも厄介だ。いずれは現金へ換えるにしても、ひとまずこのまま置いておくとしようか。イングリッドも言っていたとおり、ここが一番安全だ。

 とはいえそうなると、ここを知る者が自分以外にもいるのは都合が悪い。

 ローラはチラリとイングリッドのほうを見る。今なら丸裸だ。万にひとつも反撃されるおそれはない。赤子の手をひねるように殺せる。

 けれども、封じ込めてきた疑念がふたたび鎌首をもたげてきた。現状を鑑みても明らかにおかしい。いくら何でもイングリッドは無防備すぎやしないか。普通に考えれば、財宝のもとへ案内し終えて用済みになったこのタイミングで、おのれの身が危険になることくらい自明の理だろう。まさか従順でいれば危害は加えられないなどと、本気で信じているとでも? ――そんなバカな。むろん本当にバカなら大歓迎なのだが。

 ローラは瞬時に気を引き締めて、警戒心を高めた。もしこれがイングリッドの罠だとしたら、いったい何を仕掛けてくるつもりだろう。いや、そんなことを考えているヒマがあったら、さっさと始末してしまったほうがよいのではないか? 仮に何か企んでいるとしたら、この状況下で時間がこちらに味方するとは思えない。

「ねえローラ、何か物騒なこと考えてるでしょ」

 イングリッドの鋭い指摘にギクリとする。「何のことかしら?」

「とぼけなくていいよ。今さらおたがい芝居する必要なんかないって。もう旅は終わったんだし。いいかげん腹を割って話そうじゃない」

 いきなり豹変したイングリッドに、ローラは腹を決めた。「あいにくだけれど、ミステリーで正体のバレた犯人がベラベラ語り出すのって、好きじゃないのよ」

 イングリッドが何を狙っていたのか知らないが、とにかく放置しておいては危険だと判断した。そもそもこの会話自体が、何からの時間稼ぎという可能性もある。ローラはその心臓に鉛弾をぶち込んでやろうと、ライフルを構えた。

 だがそのとき、熟しすぎて腐りかけの果実みたいな甘ったるい芳香がしたかと思うと、ライフルの照準をつけようとした視界が突如歪んだ。ローラは強烈なめまいに襲われて、まともに立ち続けるのも難しくなった。なすすべなくその場に崩れ落ちてしまう。

「にゃに? ひっらいにゃにらァ」ろれつもまわらない。

「やっぱりバンパイア相手には効きが弱いかァ。フツーの人間だったらとっくにおねんねしてるはずだけど。でも、このほうが愉しめそうだから結果オーライ」

 毒? いつの間に仕込まれた? しかもバンパイア相手に通じるほどの量を? そんな覚えはまったくない。

 イングリッドはその点について言及せず、話を進める。

「さて、気になってただろうから教えてあげる。どうしてアタシが、財宝の隠し場所を教えてあげたのか――。もちろん、大事なコレクションをあげる気なんてサラサラなかった。じゃアなぜかっていうとね……ここなら誰の邪魔も入らないからだよ。誰も近寄らないし、誰にも見られない。だからやりたいホーダイってわけ。さすがにもうわかったでしょ?」

 つまり、ローラはこの場所へ案内してもらったわけではない。連れ込まれたのだ。逃げ道がなく、助けを求められる相手もいない場所へ。

 ゆえに、イングリッドが隠していた真の目的は――

「アタシの狙いはローラ、アンタそのもの。アタシが地上へ降りる理由はふたつある。ひとつは黄金集め。そしてもうひとつは――女の子を物色すること。素直に喜んでいいんだよ。アタシのお眼鏡にかなう娘なんて、ホントに久しぶりなんだから。うん、久しぶりなの。だから、さァ……もう、ガマンしなくていいよね? いいんだよね」

 イングリッドの口から、尋常ではない量のヨダレがこぼれ落ちる。まるでごちそうを目の前にした犬のように。その姿を見て、ローラはハッキリ理解した。――この女は自分を食おうとしている。比喩ではなく、文字どおりの意味で。

「女の肉はどの部位が一番美味しいか知ってる? 肋骨リブのあたり。イヴは肋骨から産まれたんだから、それもトーゼンだね。アタシは女の肋骨が肌に浮き出ているのを見ると、その線に沿って舌を這わせたくなるの。太ってるのはダメ。脂っこいだけで歯ごたえがないから。その点ローラ、アンタはサイコー」

 彼女はバンパイアではない。バンパイアであれば、身体じゅうのアザが今も残っているはずがない。だから普通の人間だ。しかし、食人嗜好カニバリズムはバンパイアに固有のものではないとはいえ、バンパイアすら忌避するその衝動を、たやすく受け入れられるとはにわかに信じがたい。

 ローラがそう考えたのも束の間、イングリッドの身体に残っていたアザがみるみるうちに消え、雪のような白い肌へと早変わりする。

 そして白い肌が、さらに白くなる。

 やわらかい皮膚を突き破って、白い鱗が生えていく。

「アタシはあんまり器用なほうじゃなくてさァ。アンタたちみたいに、中途半端なカタチで力を使えないんだよね。0か1しかない」

 イングリッドの身体が急激に膨張した。巨人ファーフナーのように肥大化し、一方で口が裂けて顎が割れ、鋭い歯が並ぶ。人間以外の何かへと変貌していく。

「――グララアガア!」

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