024

 まさか自分たちの尻尾が猟犬の鼻先をかすめていたとはつゆ知らず、バイクは黄金郷エル・ドラドを目指してひた走る。

「17号線を北へ行って」

「北、ねえ……。まさかアラスカまで行くとか言わないでしょうね」

「アラスカは素敵な土地パーフェクトワールドだよ。掘れば掘るほど金がザックザク出てくるんだから。――いやいや、いくらなんでもあんな辺鄙なとこまで連れて行く気はないから」

「だったら、あとどのくらいで目的地へ着くの?」

「不老不死だったら、それらしく悠然と構えてたら?」

「時は金なりとベンジャミン・フランクリンも言っていたわ」

「それなら、かかった時間だけ大金が手に入るって考えたらいいよ」

「……期待していいのよね」

「もちろんですとも。それはゼッタイ保証する」

「当然だわ。もしも嘘をついていたら承知しない。ゼッタイに、ね。わかっているでしょう?」

 万が一財宝の件が虚言だったときは、むろんイングリッドは年貢の納め時になる。とはいえ、引き換えに命をもらうだけでローラの気が晴れるかどうか。財宝がちゃんと実在することを切に願う。

 だが、そこでふとローラの脳裏に、押さえ込んできた疑問が鎌首をもたげてきた。

 イングリッドがどうやって大量の財宝を蒐集できたのか、そんなことは関係ない。どんなに大事なコレクションだろうと、老後の蓄えだろうと何だろうと知ったことか。財宝を集めた理由にも興味はない。奪う側にとって重要なのは、本当に財宝があるのかどうか、ただその1点に尽きる。そして、それさえも今は忘れよう。実際この目で確かめれば済む話だし、結局それ以外の手段で納得は得られないのだから、あれこれ考えたところで時間のムダだ。

 しかし、たったひとつだけ未だ気になっている――なぜイングリッドが素直に財宝を明け渡そうとしているのか。バーでも同じ問いを口にしたが、結局腑に落ちる答えはえられていない。

 命が惜しかったから? しかたなく?

 奪われても換金されたあとで取り返すから問題ない?

 あるいはその場しのぎの方便で、逃げ出すチャンスをうかがっている?

 確かにそう考えるしかないだろう。理屈の上でも筋は通っている。けれども、それが自然にしか思えないからこそ、思考を誘導されているような気がしてしまう。考えすぎかもしれないが、それがしこりとなって存在を主張している。どうにも違和感をぬぐい去れないのだ。

 悪い可能性はいくらでも思いつく。例えば財宝の隠し場所までローラを誘い込み、罠にハメるつもりだとすれば。侵入者を妨害する危険なトラップ、強力な番犬のたぐいが待ち受けていることもありえる。もっとも、これは可能性はあっても現実的とは言いがたい。罠にかけるために侵入者を招き入れるのでは本末転倒だろう。だいたい頼れる番犬がいるのなら、護衛として連れまわせばいい話だ。

 都合よく解釈しすぎだろうか。いや、だが、しかし、今のローラにはそうとしか考えられない。

 モリスはイングリッドの言葉を迷いなく信用していた。いったいなぜそこまで確信できたのか。ローラよりも判断材料が多かったとは思えないが。

 やがて街並みを抜け、地平線が広がる郊外を走る。ゴチャゴチャとした街なかは、どこに追跡者が潜んでいるか不安になるが、こうして開けた場所は場所で、追跡者から見つかりやすそうで安心できない。むろん不安の理由はそれだけではないが。不安とともにバイクも加速していく。

 ハイスピードはグランドキャニオンに差しかかっても変わらなかった。土煙を大量に巻き上げながら、断崖絶壁スレスレを駆け抜ける。

 サイドカーで揺さぶられるイングリッドが不平をもらす。「ちょっと、いくらなんでも飛ばし過ぎだって。ていうかケツが! ケツが痛いぃっ」

「口を閉じていなさい。舌を噛みたくなかったら」

「いや、でも、正直コレかなりキツ――いぎっ!」

「ああ、だから言ったのに……」

 そのとき、後方からサイレンの音が聞こえてきた。だんだん近づいてくる。背後を振り向くと、パトカーが1台追ってきていた。スピード違反を取り締まっている保安官だ。このあたりは万が一事故を起こすとシャレにならないので、網を張っていたのだ。

「そこのバイク、止まれ! この死にたがりが!」

「保安官こそ、命が惜しければさっさとブレーキを踏むことね」

 保安官の警告を聞かず、ローラはますます加速する。すると保安官も負けじとばかりに追いすがってくる。サイドカーつきとはいえ、この蛇行した細道をバイク相手に食い下がるとは、なかなかやる。よくよく見れば、フォード・ファルコンにスーパーチャージャーを搭載しているようだ。

 熾烈なカーチェイス。ひとつ間違えればあっという間にあの世逝きだ。グランドキャニオンの巨大な顎に噛み砕かれて。

「なめた真似しやがって。オレの管轄で暴走行為は断じて許さん。止まれ! 止まらなければ撃つ!」

 保安官はエンジン音に負けない大声でそう叫ぶやいなや、窓から.357マグナムのリボルバーを突き出し、警告に反していきなり発砲してきた。正気の沙汰じゃないマッドマックス

 イングリッドはうずくまって悲鳴を上げながら、「ちょ、やばいってアイツ! ここは降参しちゃおうよ! どうせ違反キップ切られるだけでしょっ?」

「いいえ。警告と同時に発砲するなんて、どう見てもまともじゃないわ。今さら素直に従ったところで、無事で済む保証はどこにもない」

「だったらどうするのさ。逃げ切れるの?」

「…………」ローラは思案した。この渓谷を走りながら射撃まで行うのは、さすがに危険すぎる。操縦に専念しなければ、すぐさま断崖絶壁を飛び出して真っ逆さま。むろん、いざとなればイングリッドを抱えて翼で飛べばよいのだが、バイクはあきらめなければならない。こんな何もない場所でアシを失うのは痛い。

「こうなったらしかたないわね」ローラはサイドカーのイングリッドにウィンチェスターライフルを手渡した。「あまりムダ弾は使わないで」

「ア、アタシにやれってのっ?」

「なに? アメリカ人のくせに、ライフルの使い方も知らないの? まったく、これだから最近の若者は――」

「い、いや、別にライフルくらい撃てるけどさァ……いくらなんでも保安官殺しはさすがにヤバイんじゃない?」

 たとえ直接銃弾が命中しなくとも、この道では運転操作をわずかに誤っただけで死に直結する。殺さずに済ませるのはまずムリだろう。

「この期に及んで何を言ってるの。殺らなきゃ殺られるだけよ」

「――あーもう! わかったよ! どうにでもなれ!」

 イングリッドはライフルを構えると、保安官めがけて発砲した。しかし曲がりくねった道を走りながらの上、ひどく揺れるのでなかなか当たらない。もっとも、向こうは運転しながら撃っているので、けっしてこちらの分が悪いわけでもなかった。だが危ういところをかするのは、保安官の弾丸ばかり。

「ヘタクソ」

「そう言うんだったら、もっと使いやすい銃ないのっ?」

「じゃあコレは?」水平二連のソードオフ・ショットガンを手渡す。

「そうそう、こういうのでいいんだよ」

 確かにこういう場面では、弾幕を張れるマシンガンや散弾のほうが向いている。素人でも当てるのはカンタンだ。

 実際イングリッドも、パトカーに被弾させることは成功した。

 けれども腹の立つことに、パトカーは防弾仕様だった。散弾ではへこみひとつ出来ない。スラッグ弾ならダメージを与えられるかもしれないが、イングリッドに命中させられる腕はない。

「しかたないわね……。こうなったら、とっておきをお見舞いしてやるわ」

 ローラはどこからともなく、カールグスタフ無反動砲を取り出した。

「1発しかないからよく狙ってね。命中しなくても目の前で炸裂させられれば充分だから。ハイ、これが説明書」

「いやいやいや! なんでこんな物騒なモン持ち歩いてんのォ?」

「世のなか物騒だからよ。女なら当然の備えでしょう?」

 イングリッドは説明書に目を通すと、無反動砲をこれみよがしに構える。保安官にひるむ様子はない。

「アーメン!」――発射。パトカーは驚異的なドライビングテクニックで、間一髪炸裂弾をかわしたが、そのまま制御を失い、崖の彼方へ飛び出して行った。

 墜落。激突。爆発。炎上。

 立ち昇る真っ黒い煙はすでにはるか後方。

「よくやったわ。あなたには神のご加護があるのでしょうね」

 イングリッドは賞賛に応えず、無言でローラにライフルを向けた。

「……財宝を渡したくないのはわかるけれど、今わたしを殺したらあなたも死ぬわよ。仲良く谷底へまっしぐら」

「人手に渡すくらいだったら、死んだほうがマシ」

「そんなとってつけたような言葉を、今さら信じると思うかしら?」

「そうだね。確かにウソを言った。死ぬつもりはないよ」

「だったら、こんなバカな真似はやめることね」

「ホントにバカかどうかは、やってみなきゃアわからない。ものすごく運がよければ助かるかもよ?」

「まァ試したければ好きにすればいいわ。とはいえ、それ以前にもう弾は残っていないはずだけれど」

 引き金を引くと、ローラの言うとおり弾切れだった。イングリッドは忌々しげに舌打ちして、銃口を下ろす。「チャンスだと思ったのに」

「残念だったわね。でも安心したわ。そこまでするということは、やっぱり財宝はちゃんとあると見てよさそう」

「だから、最初からずっとそう言ってるじゃん」

 ローラが武器を貸したのは、イングリッドの叛意を見極めるためでもあった。そのもくろみは実に上手くいったと言える。やはり本心では、財宝のもとへ誰も案内したくないのだ。そうでなければ、ああして反抗しようとするはずがない。ゆえに思考を誘導されているかのような違和感は、単なるカンチガイだ。

 そう自分に言い聞かせて、なかばムリヤリ納得する。金銀財宝の山と気分よく対面するために。

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