トロワ・ドゥ・ロア その1

 暗い、鬱蒼と生い茂る森の獣道を、強化ゴムで造られた車輪が容赦なく踏み荒らして行く。流石は勇者八系の1つ、「魔導」の家の連中が心血注いで作り上げた魔導二輪車だ。多少のオフロードくらいなんともないぜ。

とは言え流石に、走行中は快適とまでは行かないな。特に、後部座席から背中に抱きつくアニーゼの感触が、妙にくすぐったくて落ち着かん。

これでもうちょい当たるものが当たれば、まだしも役得なんだが……と思っていると、腕の締め付けが徐々に圧迫感を増してきた。

とっとと腹に回る手の甲をタップして、降参の意を示す。本当、何で俺の思考がバレバレなんだろうな?


 しかし、こういう薄暗いとこはモンスターが棲家とするにゃ絶好のポイントなんだが、辺りは不気味なほどに静かだ。

これもまぁ、当代次席ことアイサダ・デルフィニィ・デュオーティ(アニーゼに言わせればディーちゃんである)が、目につくボスを狩り尽くしている結果なのだろう。

群れを率いるボスさえ倒せば、その種のモンスターたちは奇妙なほどにあっけなく霧散する。とはいえ、数ヶ月もすればすぐに元通りになるのだが。

その辺の研究もまぁ、「魔導」家の仕事だ。と言うより、生涯を賭けて何かしらの知識を探求しようと言うものは、血筋に関係なく「魔導」の子として扱われると言ったほうが正しい。

あそこの大母は子が為せない代わりに、その知識を継ぐものを子と呼んだのである。


「……あれ?」


 何が楽しいのか、俺の背中にべったりとくっついて満足気に尻尾を振っていたアニーゼが、ふと違和感を覚えて顔を上げた。

俺は慌てて、アクセルを緩める。こんなもんが鳴り響いてるんじゃ、いくらアニーゼでも細かい音なんて聞き取れ無いからな。


「歌声、か?」

「なんでしょう、歌詞までは分かりませんけど、凄く綺麗な声……」


 だが、まだ稼動音が落ちきっていないにもかかわらず、その声は俺にまで聞こえてきた。

決してドでかい叫び声じゃねえ、遠くから囁くような歌声。森の中じゃ、こういうのはえてして化外の仕業だったりするんだが。


「……呪いの類では無いようですね」

「んー、まぁ、お嬢がそう言うなら平気かねぇ……」


 四世勇者筆頭であるアンフィナーゼお嬢様がそう言うのなら、まぁ間違い無いのだろう。

『獣人』家の血を引いた、可愛らしいイヌ科の耳がヒクヒクと音の方向を探る。素のスペックに勇者補正が合わさって、アニーゼの感覚は真っ暗闇の中でも100m先からヒト一人を追いかけられるレベルにある。


「……うん、あっちから聞こえてきますね」

「どれどれ?」


 事実、森の中で反響してどこから聞こえてくるのかも分からない歌声でも、こいつにかかれば問題無い。

興味半分、仕事半分。どうせ暇してるんだし、思わぬクエストの種になるかも知れんと、俺達は二輪車を止め獣道の方へ進む。


「どこの歌姫かは知らんが、相当キテんな。森の熊さんにでも会いたいのかね」


 もしこんにちはした場合、命の保証はしかねる。少なくとも落としたハンカチを拾ってくれるような紳士さは無いだろう。


「でも、上手ですよ。凄く透き通ってるのに、酷く悲しげなような……」


 ま、そのこと自体は否定しないがね。

そうでなくとも、鬱蒼とした森の中は猛獣だのモンスターだのに合いやすいのだ。間違っても、女1人で来るようなとこじゃない。

ま、我らが勇者ならそんな心配も無用だろうが。あるいはその類の、野生化した英雄だったりするのか?




 ……獣道を行き、そう時間も立たない内に、俺達は小川のほとりにたどり着いた。

気取られぬ程度に離れたそこに、誰かが1人座っている。フード付きの黒いローブに身を包んだ、見るからに不審者といった出で立ちであった。

アコースティックなギターと川のせせらぎを伴奏に、歌が響く。川越しに離れ離れになった恋人を歌う、悲しげなセレナーデ。

俺達が一歩近づくと、そいつもこちらに気づいたのかピタリと伴奏を止めた。


「素敵な歌でした。……すみません、お邪魔でしたか?」


 アニーゼの問いかけに答えはない。そいつは顔が見えない角度を維持しながらゆっくりとこちらに振り返ると、手の平を椀のようにしてようやく重い口を開いた。


「……見物料金貨300、ローンも可」

「って金取んのかよ!」


 しかもとんだボッタクリじゃねぇか。さっきまでの神秘的な雰囲気を返せと言いたくなるぞ、おい。


「それはそう。だって、僕は詩人だもの。歌でお金をもらうのが仕事で、お金が無ければ人は生きていけない……これぞ真理?」

「そうは言うが、金貨300はボリ過ぎだろ!?」

「でも、金の価値は状況によって変遷する。この深い森の中、果たしてそれが金塊だろうと、換えるものが無ければいったいどれ程の価値があるのか。その人が今本当に求めているものなら、例えそれが何の変哲もない果物だろうと金貨1000を差し出す人だって居るはず」


 言うが早いか、そいつの腹部の辺りから「くぅ~」と心細く鳴くような音が漏れた。

それにしても、なんて遠回しな要求をしやがるんだコイツ。ちなみに金貨300枚もあれば、30人分の剣と鎧をひと通り揃えられることになる。もしくは、15人の町民が1年暮らしていける金額だ。

なんて高望みをしやがるのか。歌はわりと良いなと思っていただけに、施してやる気も失せたわ。


「……つまり、お腹減ってるんですか?」

「僕は詩人……決して物乞いでは無い。だからこれはあくまで提案だけれど、僕の歌に聞き入った君たちは思わず僕に金貨を差し出す。僕はその金貨を、君たちから食料の代価にするというのはどうか」

「いや、どうもこうもねえよ」

「僕はお腹が膨れて、君たちの胸には思いがけない感動が残る。素晴らしくwin-winな取引だと思うのだけど」

「やらないけどな」

「……つまり今、金貨300という破格の値段でパンとスープを売りつける絶好のチャンス」

「やらないけどな」


 三度の拒否にもかかわらず、黒ローブの表情は(そもそも、こちらからはあまり見えないが)ピクリとも動いた気配は無い。

代わりに、差し出していた手を引っ込めると、その手を弦の上へと置いた。


「……聞いて下さい。作詞作曲僕で、『畑にお肉が実ったら』」

「大豆だな」


 まあ、一曲聞かせてくれても金はやらんけど。

というかそのオリジナル曲はあまりにセンスが無いと思う。悪いことを言わんから、既存のものだけを歌っておけ。


「もう、おじ様! あんまり意地悪ばかり言っちゃダメですよ」

「へいへい、仕方ねえな……ったく、ウチのお嬢の優しさに感謝するんだぞ」

「え? おかわりも良いの?」

「言ってねえよ」


 この状況で謝礼よりも先におかわり宣言とは、本当にいい根性してるぞこいつ。

溜め息を吐きながら非常用の二度焼きビスケットを取り出すと、フード越しにも視線が集中しているのが分かる。


「ほら、三回まわってワンと鳴け」

「ヘッヘッヘ、ボルォーン!」

「何の鳴き声だ!?」


 てっきり少しは嫌な顔をするかと思ったが、まさか真顔でボケ返されるとは思わなかった。

ほっそい身体してる癖に、腹のどこからこんな声出てんだ?


「あー、豆も欲しいか?」

「ポッポー」

「ジャーキーもやろうか?」

「ニャーオゥ」

「リンゴはどうだ」

「キィー、キキィー!」


 うーむ何というか、意外と愉快になってきたぞ。

最低限でいいやと思っていたが、こいつのサービス精神が続くならちょっと考えてやろうか……。



「……あなたが欲しいのは、ムチとアメのどっちでしょうかね?」

「「ワン!」」



 アニーゼからプレッシャーがゆらりと立ち上る。はいすいません、ちょっとふざけ過ぎました。

いやだが、ノってくる方もノってくる方だと思うんだよ、俺はね?


「貴女も。女の方なんですから、そんな誰かれ構わず尻尾を振るものではありませんよ」

「まったくもって。僕は動物ではないのに、そっちのおっさんはひどい扱いをする。皆が恋焦げる愛され系詩人に向かって、さっきからあんまりだ」

「焦げついてんのか、恋」

「モテモテで困っちゃう。特に太陽の愛が熱烈過ぎて思わずこんな道無き森の中を進むほど」


 つまり、日差しを避けて深い森の中を突き進んだ結果、順当に遭難していたらしい。

うん、なんかもう当然すぎると言うか、良く旅を続けてられるなこいつ。

森の中は日が落ちると月の光さえ入らなくなり、本当に真っ暗になってしまう。それで足元まで悪いもんだから、一歩も動けやしないのも当然だ。

アニーゼや竜人のデュティみたいに、【光刃エンチャント】系チートででビカビカ光れればそんな心配も要らなそうだけどな。

俺の「狙った弾丸が8割くらい当たる。ただし威力は保証しない」なーんてしょっぱいチートで楽できよう筈も無いのだ。






 □■□






「……えっとー、簡素なものですが、お口に合いましたか?」

「はぐっ、はぐはぐ」

「分かった、よく噛んで飲み込んでから喋れ」


 スープで解した干し肉に懸命に喰らいつきながら、怪しいフードの女はコクコクと頷いた。

どうやら、腹が減っていたのは本当らしい。ついでに無一文なのも、だ。


「はぁ、助かった。このまま僕が飢え死になんてしたら、危うく世界の損失だった」


 膨れた腹を撫でさすり、のうのうとそいつは言う。


「僕の名はトロワ・ドゥ・ロア。いずれは伝説の詩人として名を轟かせる存在……」

「それ、自作自演って言うんじゃねえか?」


 この世界、英雄譚サーガを歌って聞かせるのは詩人の仕事である。

まぁ、歴史の中には居ないわけじゃねえけどさ、伝説の詩人。グランドピアノを背負いながら世界各地を旅して回ったという、トンデモ系伝説だけど。


「あれ? えっと……女の方ですよね?」

「偽名だろうよ。ったく、やることなすこと怪しい女だな」


 女性名なら、そこはトロエかトロワーネあたりとなるところだ。

まぁ実物を……というか身体の一部見れば嫌でも女だと分かるんだが、アニーゼが混乱したのはそのせいであろう。さっきから羨ましそうに見てるのもそのへんだろう。


「偽名? 違う、ペンネームだ」

「そこに大した違いがねえんだよ!」


 人助けそのものはやぶさかでもないにしろ、こんな胡乱な奴を助けてどうすれば良いのやら。まだしも、罠にかかった狐のほうが恩返しに期待できる気がするぜ。

俺は自分の分のパンをスープに浸しふやかしながら、呆れて溜息を吐いた。


「ったくよ、食べる時くらいフードを脱いだらどうなんだ」


 別に食事マナーにうるさくするつもりは無いが、恵んでやってるのに顔も見せないのはどうかと思う。

だが当の女は一旦食事から顔を上げると、いかにも神妙な口調でこう言ってのける。


「良いの? この封印具を開放してしまったら、僕の美貌で世界がどうなるか分からないよ」

「そこまで大口叩けると逆に凄えわ、お前」

「これが案外本気の話。……まぁ、『勇者様』が居るなら万が一も無いかも知れないけど」

「はい?」


 なんだろうな、この「その方が俺たちのため」とでも言わんばかりの言葉は。

それに、どことなく引っかかる部分がある。勇者だなんだと、そんな自己紹介したっけか?


「ん、分かった。ただし驚かないで」


 そう言い、女がフードをめくる。

……銀の髪が戦乙女のような、美しい女であった。あぁ、確かに、言うだけはある。絶世の美女といえば、なるほどこいつみたいなタイプを言うのだろう。

フードをめくっただけだというのに、鼻をくすぐる薫香がなんとも芳しい。こんな美女が隣に座って酌をしてくれるなら、それこそまさに天国であるとすら――



「おじ様ッ!」



 アニーゼが反射的に息を呑み、腕よりも長い剣を一息に振りぬいた。これもまた、空の上の暇人どもが溢れるカガク技術で作り上げた特鋼剣。銘を「ディファレンチェイター」という、刃渡り1メートル半の大剣だ。

構えた剣に黄金色の闘気が流れ込み、デカい刃を更に覆う。ドレスメイルにも薄っすらと光刃エンチャントを纏い、完全に戦闘態勢、といった状態である。

いや、だがすまん。流石に目が覚めたぞ。女から流れるこの空気。このニオイは……!


「純魔族……ッ!」

「あぁ……そんなに怖い目を向けないで。僕は決して、君たちと戦うつもりは無いのだから。だいたい、勇者のとこには魔族も嫁いでいると聞いたよ?」

「そりゃ、たしかにそうだが……」


 純魔族。女神と対立し、魔族としての血こそ至高と信じ、魔王と邪神を産みだした……人類の敵。

もっとも、全てが全て"そう"とは言い切れないのが難しい所なのだが。言ってしまうと、こいつら幅が広すぎるのだ。

人類と敵対どころか夕飯の材料だとしか思ってないような奴もいれば、ウチのスケコマシが落としたように人に惚れ込んで仲間になるような奴もいる。

ま、殆ど単一種族の人間と違い、何種も何種も居るしなぁ……仕方ない所は有るんだろうが。


「それに僕は人間が嫌いじゃない。どちらかと言えば、むしろ仲良くしたいと思ってる」


 その発言は決して嘘では無いのだろう。

……だがそれでも、アニーゼは剣を降ろさない。降ろせないのだ。この場で感じる瘴気の密度が、あまりに濃すぎるが故に。


「けれど、それでも……貴女から滲み出る力の量は、危険です。例え貴女自身に悪意がないとしても、ここで誅した方が世のためでは無いかと思うほどに」

「お、おい、お嬢」


 その目は完全に本気だった。いや、確かにそれも選択肢の一つでは有るのだろうが。

……どうにもさっきから俺の判断が甘いな。咄嗟に、この女の事を守ろうだとか考えそうになっちまう。おいおい、マジで色香に惑わされてんのかよ、俺?

しかし、先程からアニーゼの殺気を叩きつけられているにもかかわらず、女は完全にどこ吹く風だ。椀のスープを飲み干した後、肩を竦めて軽く笑う。


「人類の為を思うなら、なおのこと僕を殺すべきじゃない」

「……理由は?」

「ある。この『魔王の刻印』こそその理由」

「なっ!?」


 ……あぁ、その手の甲にある印は、確かに文献かなんかで見た覚えがあるぞ。

くそったれ、女神のケツめ。魔王復活だと? 時が来るならもうちょい俺が人生謳歌した後でも良いじゃねえか。


「魔王の刻印は、邪神が復活しつつあることの証。刻まれしものを魔王として、力を与える代わりに魂を吸い上げる」


 凄え力を持つとは知っていたが、なるほど、「魔王」にはそんなメカニズムがあったのか。

てことは、この姉ちゃんが次期魔王? やれやれ、つくづくふざけてやがる。こちとらまだ最初の国すら出てねーってのに。


「……ではやはり、『勇者』はあなたを倒すべきなのでは?」

「それをしても、刻印は他者に移るだけ。今で言えば、おそらくは僕の兄。実際、兄は邪神の復活を望んでいる。そして魔族の復権を。そうなれば、今代の内にまた戦争が起きるよ」


 戦争。そうか、もうそんな近い所まで来ているのか。アニーゼの瞳がキュっと窄まり、目が細められる。

世界の傷は、ようやく癒され始めている途中なのだ。人と魔の問題も、若い連中同士なら即座に石を投げたりはしないような所まで戻ってきている。

そこに再び亀裂が入るようなことがあれば、今度こそ人類は異種族を殲滅し尽くすまで眠ることが出来なくなるだろう。……それは、『勇者』が防がなければならぬ未来だ。


「けれど、僕はそんなのお断り。魔王の依代になんぞなるつもり無いし、力なんて必要としてないもの。だから僕は逆に、刻印から邪神を拒んでる。……もちろん、それが気に入らない人もいる」

「あなたが刻印を持つ限りは、第二の邪神戦争は起きないと?」

「流石に、いつまでもとは言えないけど。……まぁ、100年は持つと思うよ。その間に人類は好きにすれば良い、『刻印』の監視なりなんなりを含めて、ね」


 勇者筆頭に殺意を叩きつけられてなお、すまし顔を崩しもせずに。自称歌姫は口角を吊り上げ、囁くように笑った。

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