Episode 2. Sur le terrain 陸の上で




 しばらくして、彼女は目を覚ました。

 目の前に、光を放つモノが見えた。

 そのまぶしさに、思わず目がくらむ。

 それは、蛍光灯だった。

 体は、ベッドに横たえられていた。

 上半身を起こし辺りを見回すと、大小の家具が置かれていた。

 この部屋の主は誰なのだろうと思ったそのとき、声がした。


「あ、気がついた?」


 声の方へ振り向くと、少年の姿が目に入った。

 彼女は、自分の中の疑問を口にした。


「ここは、どこ……?」

「僕の部屋だよ。キミがそこの砂浜で倒れていたから、運んで来たんだ」


 少年がベッドの左奥を指差す。

 首をそこに少しだけ伸ばすと、出窓の奥、その少し下に、砂浜が確かに見えた。


「ところで……僕からもいくつか、聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」


 少女は小さくうなずく。


「どうして、砂浜にいたの?」

「わかんない……」

「家はどこ?」

「わかんない……」

「ご両親は?」

「ごめんなさい、私、何も、思い出せないの……」


 それじゃあ、と少年は言葉を区切った。


「君の名前は?」


(私の、名前…)

 少女は思い起こす。

 暗闇の中を彷徨う自分。

『声』に導かれ、暗闇から抜け出した自分。

 いつの間にか、あの砂浜に『立っていた』。

 記憶はそこで途切れていた。

(私の、名前…)


 自分の手を見る。

 少女は、持っていなかった。

 自分の名を。

 少女は思った。

 名前を持たないのならば、自分でそれを付けてしまおう。

 そして、自分の『名前』を口にした。


「……リエラ」

「……?」


 少年に伝わるように、もう一度言う。


「……私の名前は、リエラ」

 自分の口からそれはでているのだ、とかみしめるように。


「……リエラ、か。僕は、秋月あきづきひびき。よろしくね」


 そっと差し出された少年の手を握る。


「じゃあ、僕は父さんたちに少し話をしてくるから。リエラがこの家にしばらくいてもいいか」


 それじゃあ、と言って、少年は立ち上がり、部屋から出て行った。

(…………)

 少女は、部屋の主がいなくなった後もしばらく、ドアを見つめていた。




 —————————————————————————————————————



 いつもなら食卓があるはずのリビングに、両親と向かい合って座っている。

 目の前には父さんがいて、視線を少し左に移せば母さんがいる。

 僕は2人に、先ほど助けた少女が記憶喪失の状態であること、砂浜で彼女を見つけたことを話した。

 つづいて、両親のターン。

 最初に話を切り出したのは父さん。


「リエラちゃん……だっけ? とりあえずうちで保護することも含めて、親御さんを捜してもらえるように手は打っておくよ」

「できるの、そんなこと?」

「まぁ大丈夫だ、心配はいらない。あとは泊まってもらう部屋なんだけどな、客間がないんだよ」


 それは知ってる。


「で、響の隣の部屋にしようと思ってな」

「あそこ、物置部屋じゃなかったっけ?」

「現状はそうなってるけど、な。というわけで、片付けのほうはよろしく!」

「えっ!?」

「今日、ごみの日だから、お願いね」

「母さんまで!? て、手伝ってくれる……よね?」

「どうしようかしら」

「ちょっと!?」


 いくらなんでも1人でやるのは無理があると思うんだけど!?


「冗談だ。父さんも手伝うから、やるぞ」

「その間に、リエラちゃんとお買い物行ってくるから、2人ともよろしくね」


 まぁ、やるか。




 夕方。

 買い物を終えた母さんたちが帰ってきて、そのまま夕食になった。

 タイの粕漬けをおかずに据えた、アサリの味噌汁と漬け物の和食。

 おかずはタイの粕漬けに、あさりの味噌汁と漬け物。シンプルな和食だけど、うちは大体いつもこんな感じだ。肉がメインディッシュだと、サラダがついたりする。ご飯についてはもはや言うまでもない。


『いただきまーす』

「いただきます……」


 それぞれでタイに箸を入れていく。

 リエラは、さっき買ってもらったのだろう、白のワンピースではなく、紺色のひざ丈のスカートに青色のシャツ、そして白いカーディガンを着ていた。

 ……似合っているというか何というか、けっこう可愛い。

 少し目線を下げると、豊かな胸が目に入った。

 すぐに目線を外すと、途端にリエラと目が合い、思わず目をそらす。


「リエラちゃん、どうかしら? お口に合わなかったかしら?」

「……ううん。美味しい」


 母さんの問いかけに笑顔で答えるその表情に、一瞬見とれてしまった。


「そう。おかわりならたくさんあるから、どんどん食べてちょうだい」


 うちは一人っ子だから、母さんは娘ができたようで少しテンションが高くなっているように思えた。




 夕食の食卓では、リエラのことについては深く追及したりされたりすることはなかった。

 父さんから後で聞いたのだが、母さんが買い物の時にいろいろ聞いておいていたらしい。僕が話もしていたから、一応本人からも聞いてみた、というのが正解だろう。


 食事が終わり、リエラに部屋があてがわれると、僕は自分の部屋に戻り、パソコンを開いた。調べるのは記憶喪失について。

 ネットの常、大量の情報がところ狭しと羅列されている。


「……ふぅ」


 時計を見ると、もう20分も経っていた。パソコンを閉じ、ベッドに転がり、まだ読みかけだった漫画を開いた。

 

 しばらくして。

 少し弱々しいノックが聞こえた。

 多分、リエラだろう。


「あいてるよー」


 漫画を閉じ、ベッドから起き上がってドアに返事をする。

 ドアが開くと、やっぱりというか何というか、リエラだった。


「……響」

「何?どうしたの?」

「そっち、座っていい、かな……?」


 指をさしたのはベッド。


「……え!? ……うん、い、いいけど……どうぞ」


 ベッドの端の方に座り、場所を空ける。


「……ありがとう」


 スタスタと歩き、僕の隣に座った。

 なぜか胸がドキドキするし、心なしか手汗がベッドにしみこんでいくのを感じる。


「………響」

「な、何?」

「私を助けてくれて、ありがとう」


 初めて僕へ向けられたその笑顔に、何と言えばいいのかわからなくなってしまった。


「あ、いや……ど、どういたしまして、かな……?」


 変に慌ててしまい、言葉がどもってしまった。


「……変なの」


 なんだかおかしそうに笑う。

 そうして僕らは、母さんがリエラを呼びに来るまで話をした。


 夜。

 ベッドに潜ったものの、珍しくすぐに寝付けなかった。

 すると静かにドアが開く音がして、誰かが今まさに僕が寝ている隣へ入ってきた。

(……だ、誰!?)

 小さな声で話しかける。

(……響)

 リエラだった。

(ど、どうしたの!?)

 自分の脈が加速されていくのがよくわかる。

 想定外の事態に僕は混乱した。

 多分そんなことはつゆ知らずのリエラが、僕に畳みかけるようなことを言ってきた。


(……少し、一緒にいたい)

(えっ!?)

(……嫌なら、ごめん)

(いや、いいよ……居たいなら……)

(……ありがとう)


 背中に何か硬いものが当たった。

 ……これ頭だよね!?当たってるの絶対リエラの頭だよねこれ!?


(ど、どうしたの!?)

(響の背中、あったかい……)

(えっ……!?)

(独りだと、寂しいから……)


 僕は黙って、リエラの言葉に耳を傾けた。


(何にもわかんないのに、私を助けてくれた。響って、とても優しい人)

(もう少し、このままでいさせて……)


 僕とリエラ、2人の夜が更けていった。

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