Episode 10. Lancer 前進

 その日の夜、僕とリエラがすやすやとベッドで眠っているころ。

 不思議な夢を見た。







「ここは、どこ……?」


 自分の部屋のベッドに潜っていたはずなのに、いつの間にか全く見慣れない空間に立っていた。

 そもそもここは空間と呼べるような代物なのか見当もつかない。

 上下左右どこを見渡しても鈍色一つに染まり、霧のようなものがたちこめている。

 ただ、自分の足元は硬く、つま先でたたくと鋭い音がした。


「おーい、誰かいないのー?」


 大きな声を出してみると、自分の声が反響するのがわかった。

 ただ、それに応えるものはなかった。


 もう一度声を出してみる。


「おーい、誰か……」

「……響?」


 すると自分の右隣に、いつのまにかリエラが立っていた。


「リエラ?どうしてここに?」

「わかんない……」


 そう言うと、震える手で僕の右袖をつかんだ。


「なんか、ここ、怖い……」

「大丈夫だよ、行こう」

「行くって、どこに?」


 こわばった表情でリエラが尋ねる。


「……先に。ずっと立ち止まっているよりは、どこが前かわからなくても進むほうがずっといいと思うから」


 リエラの手を握り、自分の心の羅針盤コンパスに従い歩きはじめた。




 どれくらいの時間が経っただろうか。

 10分、もしかしたら1時間以上たっているかもしれない。

 そんな時、不思議な声が聞こえた。


「響、リエラ」


 その女性の声は、僕らを取り囲むように響いていた。

 いち早く反応したのはリエラだった。

 彼女は目を見開き、まさに驚愕していた。


「この声……!」

「どうしたの?」

「前にも、聞いたことがあるの……前に、響と出かけたときに……」


 確かあのとき、彼女は僕に、

『なにか、言った?』

 と言っていた。

 また声が聞こえた。


「突然のことで驚かせてしまい申し訳ありません。ですが、2人には伝えなければならないことがあります」


 人間は、自分の処理能力を超えた事態が起こるとかえって冷静になる、というのをどこかで聞いたような気がする。

 まさにそんな状態だった。


「あなたは、誰……?」


 リエラが姿なき声に尋ねる。

 すると2、3秒の沈黙ののち、答えた。


「残念ですが、その問いには答えられません。ですが姿だけであれば、お見せしましょう」


 直後、僕らの目の前にあった霧が晴れ、その向こうから人影が現れた。

 その人は少し桃色がかったドレスローブをまとい、肩までのびた黒髪は持ち主の女性が歩くのに合わせて揺れている。




 女性は一度、僕らに向かってうっすらほほえむと、さっきまで聞こえていたのとまったく同じトーンで語りかけた。


「こんばんは。本当はこうして出るつもりはなかったのですが、こちらの方が2人にとってはずっとよいでしょうね」


 そして唇の両端を少し近づけると、さっきとはうって変わって低いトーンで話し始めた。


「さて、お話ししたいことがある、とお伝えしましたね。それは、リエラの秘密についてのことです」

「リエラの、秘密……?」


 聞き返すと、女性は一度だけゆっくりとうなずく。


「はい。響、あなたはどうしてリエラが記憶を失っているのか、不思議に思ったことはありませんか?」


 僕は何も答えられず、ただ黙っていた。

 女性は一呼吸分間をあけたあと、全く考えもしなかったことを口にした。


「……それは、彼女が全ての記憶を奪われてしまったからです」

「えっ……!?」


 その反応は、隣にいたリエラ本人も同様だった。


「彼女は、もともとはある使命のために、私の住んでいるところから送り出されてきました。しかしその前に、何者かの手によって全ての記憶を奪われてしまいました。更には、彼女に与えられた使命は奪われた記憶の中にのみ残されているのです」


 女性の語りは続く。


「それだけではありません。彼女の記憶を奪うどころか、命さえも狙っているのです」

「……!!」


 一瞬、理解が追いつかなかった。


「……響」


 女性が僕と目線を合わせる。


「どうか、私に力を貸して下さい。彼女を魔の手から引き離すために」


 頭が完全に固まる。

 僕は、どうにか出てきた言葉を発することしかできなかった。


「そんなのできないよ……!! 相手がどれだけのものなのかもわからないし、僕には無理だ!」

「……それもそうでしたね。では、1つ私に教えてください」


 そこで一旦言葉を切る。


「響、貴方は彼女を……リエラを、どうしたいですか?」

「……守りたい。リエラがどこに住んでいたのかは知らないけど、ここで、僕の近くで生きているんだから」


 それを聞いた女性は優しく微笑んだ。


「それでいいのですよ、その気持ちさえ忘れなければ」


 女性は言葉を続けた。


「今回はこれでおしまいです。またお会いしましょう」

「あ、あの!」


 女性が振り返ろうとした寸前に声をかける。


「これは、僕たちが見ている夢、なんですか? それにしてはやけにハッキリしているし……」

「そうとも言えますし、そうでないとも言えます。それでは」


 今度こそ女性はいなくなった。







 目が覚めてしばらくすると、ノックの音が聞こえた。

 出てみると、パジャマ姿のリエラがいた。

 彼女は何も言わず、僕に抱きつくと小さく声を上げた。


「響、ありがとう……」


 僕の胸に顔をうずめながら静かに泣くリエラの頭を優しくなでながら、囁くように、しかし彼女の耳に届くように答える。


「大丈夫、僕が守るよ」

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