第18話 工房の二人

 カロンとアリスは工房にいた。

 カロンは椅子に座り、アリスは辺りを興味深そうに見回している。

「で、何か作って欲しいものでもあるのか?」

 一通り見終わり、カロンの顔を見て思案の表情を浮かべた彼女へと問う。

「まあ、そうじゃな。作って欲しいのじゃが……」

 首をひねり、何とも言えない顔で、

「わしが人間になれるようなものは作れるかの?」

「どの程度かに依るな。つまり、お前の『枝』を常時隠しておきたい、という意味なら作れんこともない。だが、根源的に存在を人間にしたいというなら、それは無理だと言っておく」

「ふむ。どちらかと言えば前者の意味じゃが……しかし、後者の場合短時間でも無理か?」

「……人を殺めてもいいと思うなら、方法を紹介してやろうか?」

 カロンが意地悪く言うと、アリスはしかめっ面をして、

「いらぬ」

 忌まわしいと言わんばかりに吐き捨てる。

「では、この枝を隠す方針じゃが。準備にどれくらいかかる?」

「長くて二日、だな」

「そうか。では、早速取り掛かってもらってもよいかの?」

「ああ」

 カロンは部屋の隅に積んである箱の中から装飾のない腕輪を取り出す。

 それへ、下書きもなしに鏨(たがね)で魔法陣を刻み込んでいく。

 最初こそ、その様子を興味深げに覗き込んでいたアリスだったが、やがてそれも飽きてきたのか欠伸をしてはうつらうつらし始めた。

「寝るなら部屋で寝たらどうだ?」

 作業からは目を離さないままに告げると、頷きなのか舟を漕いでいるのか若干怪しいが首を盾に動かし、覚束ない足取りで工房を出て行った。

「まったく……」

 嘆息し、しかし、作業への集中力は欠かさない。刻み込む魔法陣は精緻にして美麗。一見しただけでは決して魔法陣と気付かぬような、そういうものだ。

 魔法陣には大きく分けて二つの種類が存在する。一つは前文明が滅んだあと、独自の形式で発展してきた現代魔法の形式張った、幾何学的な模様と文字を組み合わせた魔法陣。もう一つは今カロンが刻んでいるような、前文明時代に最盛を誇った古代魔法の有機的な曲線を用いた魔法陣だ。

 どちらにも一長一短ある。現代魔法の方は知識のある者が見れば一見して効力のわかってしまうものであるし、逆に古代魔法の方は魔法発動の速度を少しばかり削ぐことになる。

 一瞬の遅れが命取りになりかねない戦場でならいざ知らず、普段から持続的に使う魔法には古代魔法の方が良いことの方が多い。

 カロンが黙々と作業に励んでいると、アリスが去って行った筈の扉から誰かが覗き込んでいるのが音と気配でわかった。

「楓か。どうした?」

 作業の一時中断として、溜まった金属屑を小さな器に集めながら声をかける。

 彼女は少し躊躇ってから部屋に入ってきて、

「なにか、わたしに手伝えることはないでしょうか?」

 そう、控えめな声で申し出た。

 カロンはしばしカエデの顔を見つめ、それから、

「では、頼めるなら床を箒で掃いてくれ。そろそろほこりが溜まってきているからな」

「はい。では早速」

 最初こそ断ろうと思ったが、わざわざ来たのに追い払ってしまうのも気が引ける。彼女も、無償で桜花刀を譲り受けたのを気に病んでいるのだろう。

 カエデは立て掛けてあった箒を使って床を丁寧に掃いていく。カロンは作業に戻ろうとしたが、優美とも言える彼女の動きを目で追ってしまい、中断することに決めた。

「剣を持って何年ぐらいになる?」

 空いてしまった時間が手持無沙汰になり、カロンはそう問いかけた。

 カエデは箒を動かす手を止めないまま、

「およそ七年ぐらいになると思います。幼いころから各地を旅してまわっていたので、護身用にと父から習ったのがきっかけで」

「なるほど。しかし、蘆野家と言えば、桜花では有名な退魔の家系だろう?」

「まあ、母方はそうですね。でも、父はフロイス人で、しかも自由奔放でしたから。わたしもそれに連れられて、という感じです」

 人生さまざま、という訳か。しかし、それにしたってカエデの魔法能力は優れたものがあるように思う。家の魔法を継いでいないのは今の話を聞けばわかるが、

「魔法に触れたのは?」

「実を言うと、ここ三年ほどです。秘境を旅すると言って、父がわたしをフォルさんのところに預けられてからです」

「ふむ……でもまあ、魔法を学べるだけの時間はたっぷりとあった訳か」

「ええ。フォルさんもそれなりに精通した方ですから」

「まあ、な……」

 カロンは狐目の男を思い出す。確かに彼は魔法に精通しているが、分野が偏っているようにも思う。というのも、彼の職業柄、地属性のさらに木や植物に関連した魔法は得意としているが、その他は理論こそ知っていてもからきしなのである。

「カロンさんはいつから魔法を?」

 友人のことで物思いに耽っていると、カエデが顔を覗き込んできた。身を屈めているため、大きな胸が重力に引かれて揺れる。

 思わずカロンは視線を逸らしてから、

「四、五歳の時にはすでに学び始めていたな。とは言っても、そんなころの頭じゃまともに理論を理解できてなかったが」

「なるほど。いわゆる英才教育ですか……」

「そうとも言えるな。代々魔法使いを排出する家系だから、当然と言えば当然か」

「代々ですか。ある意味、わたしの実家と似ているのかもしれませんね」

「かもな」

 相槌を打ち、伸びをする。

「お疲れですか?」

「ん? あ、いや、そうではない」

「ならいいんですが。わたしの依頼を受けてから日も経たないうちに次の依頼を受けているようですし、体を壊さないか心配です」

「心配はありがたいが、趣味の範疇だ。無理をして体を壊すような真似はしないさ」

「そうですか……」

 カエデはなおも何か言いたげだったが、結局そのことに関しては何も言わず、

「ところで、リックさんって普段なにをされてるお方なのですか? 以前からずっと疑問で……」

 ごもっともな質問だ、とカロンは内心でため息をつきながら思った。

「あいつの職業は傭兵だよ。とは言っても、結局は街の雑用が主。私に付いて学園に来たものの、こっちはこっちで月乃にこき使われてるみたいだしな」

「鏑木教官ですか……ああ、そういえば何度か一緒にいるところを見ましたね。それにしても、あの方はとても傭兵という感じには見えませんね」

「まあな。でも、剣の腕は確かだ。その代り、魔法はからきしだけどな」

「そうなんですか? てっきり、普通に魔法を使えるものと思っておりましたが」

「ああ、才能がない以上に、本人にやる気がない。だが、魔法がこの世界の全てじゃないさ」

「それはもっともな意見ですね」

 当たり前、という表情をするカエデだが、そうは思わない連中は多い。特に貴族は魔法と深いつながりがある分、そういった傾向にある。

 カエデは感心しているのか驚いているのか、判別のつかない表情を浮かべながら掃除に戻った。

 カロンも小休止を挟むことによってすっきりした頭でもう一度作業に取り掛かる。

 工房の中には箒で床を掃く音と、鏨が金属を削る音、そして二人の静かな呼吸だけがあった。

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