第17話 精霊アリシエル

 ユウの師匠である濃紫の髪を持つ青年の魔法使いは鼻の頭にしわを寄せた。

「そんなに嫌な顔されても……」

 ユウとしては困るほかない。彼女の前に立つ長い黒髪を揺らす少女に視線を転じると、

「久しぶりじゃな、小僧」

 などとカロンのことを小僧呼ばわりしていた。一層険しい表情になった青年はしかし、すぐに呆れのため息をつき、

「私と同い年だろう、小娘」

「……そういうこともあるかもしれんの」

 アリシエルが拗ねたように横を向く。

「え……てことは、あたし小娘って言われるほど年離れてないんじゃ」

「うるさい奴だの。どうでもよかろ、そのような瑣事は」

 至極どうでもよさそうに言われ、ユウとしては黙るしかない。

「まあいいさ、年齢のことは。それよりも、立ってないで座ったらどうだ?」

「そうじゃな。失礼する」

 いち早くアリシエルが頷いてカロンの正面に腰掛ける。ユウは彼の隣で、楓はその向かいに腰掛けることになった。食卓を挟んで対峙したカロンとアリシエルはしばらく見つめあった後、

「世間話をしに来た訳でもあるまい? 本題に入ったらどうだ」

 カロンの促しにもしばし沈黙を保っていたが、アリシエルはその紅唇を開いて、

「頼み、よりもまずは報告じゃな」

 一つ頷き、懐に手を入れて木片を取り出す。

「ほれ」

 差し出されたカロンはそれを手に取ってしげしげと眺める。

「相変わらずこれを使ってるのか。いい加減作り直したらどうだ?」

「よかろう、別に! 使えるのだから、新しいのを作るのは勿体ないしの……」

「貧乏性……貧乳……」

「胸は関係なかろ!?」

 思わず立ち上がったアリシエルにカロンは冷めた淡青色の瞳を向ける。

「口が滑っただけだ。気にするな」

「気にするわい! というか、滑ったということは本音じゃろ、今の?」

「さて?」

 とぼけるカロンと憤りに顔を赤くするアリシエル。

「あの……アリシエル――さんって用があって来たんじゃないの?」

 さんを付けるかで一瞬だけ迷ったが、付けた方が良さそうな気がしたのでそうした。

「そうじゃ。ほれ、カロン。早くそれを見ろ」

「わかったよ。そう急くな」

 カロンが気だるげに木片をいじると、空中に赤い霧が立ち上り、一つの形をなす。そして、その像は刻一刻と姿を変え、連続した動きを表す。

「…………」

 カロンは目を細めてそれを見、そして、重いため息をついた。

「過激派の集会か?」

「ああ、そうじゃ。『親和』の力を使ってもぐりこんだ時のものじゃな」

「無茶をするな、穏健派のお頭殿は」

「このくらいなら容易いものだ」

 ない胸を張るアリシエル。だが、カロンはそれを見ておらず、改めて霧の像を見直していた。

「穏健派の……お頭?」

 カロンの台詞を繰り返したのはカエデで、その表情は驚きの色に染まっている。

「まさか、若い精霊がまとめているとはフォルさんから聞き及んでいましたが……まさか――」

「確かに精霊の中でもとりわけ年若いのは承知しておる。しかしの、若いからと言ってまとめられない、なんてことはないのじゃからな」

「それはそうですが」

 カエデは納得しかねるのか、眉を寄せてアリシエルの横顔を見つめる。

「それにの」

 アリシエルはため息をつきたそうな顔で、

「穏健派の精霊は揃いも揃って高齢じゃ。逆に、若い力で強引にでも動かさないと、腰が重すぎて身動きが取れんのじゃよ」

「それって、ぼけて――」

「それは言わんといてくれ」

 言いかけたユウの台詞を遮り、今度こそため息をついた。

「まあ、その年よりくさい言い回しもそういう環境で育ったが故だしな」

「その通りじゃよ、まったく。癖になってしもうて、なかなか治せん」

 嘆くように頭を振り、それから表情を引き締めた。そして、カロンのともすれば冷たいと取られかねない瞳を見る。

「問題は過激派の集会の理由じゃ」

「おおよそ見当は付く。派閥を形成しているとはいえ、精霊の基本は個だ。しかし、それが集まったということはつまり、その派閥にとって重要なことを話し合った。この場合、過激派としての取るべき行動を、かな?」

「汝の言う通りじゃ。やつら過激派は近々人間に対して攻勢に出ると言っていた」

「ちょっと待ってよ」

 ユウは思わず口を挟んだ。

「精霊は人と共存できてるんでしょ? それなのに攻撃するっていうの?」

「ユーロシアとやら。汝の言い分ももっともじゃが……悲しいことに事はそう簡単ではない」

 諭すような物言いにユウは心を落ち着かせるように自身に言い聞かせる。

 言葉を継いだのはカロンで、

「お前がいた沿岸の地域では恐らく水に関する精霊と大地に関する精霊を祀っている筈だな?」

「うん。海には海竜ラギエーラ様。大地には豊穣のレーフィー様が」

「そうだな。一部の精霊はその土地の土地神のような存在として、うまく人間と折り合いをつけている。しかし」

 カロンはアリシエルの方を一度見てから、

「こいつのように特定の土地に住まわず、浮遊している精霊の方が圧倒的に数が多い。そのような精霊は住みやすい土地に集まり、コミュニティを形成する。問題なのはこのコミュニティに所属する精霊の思想だ」

「それが過激派とか、穏健派ってこと?」

「ああ。思想はそれだけではないが、大別すればその二つにくくることが出来る」

「でも、どうして過激派みたいなのができるの?」

「そいつはわしが答えよう」

 そう言ったのはアリシエル。彼女は食卓に肘をつき、指を組んで、

「そもそも、この世界の歴史を紐解くと、精霊と人間はほぼ同時に成り立っている。しかし、基本的に個である精霊は各自が好きなように生きてきたが、人間は違った。群で生きる彼らは集団を作り、村を作り、そして、生きる糧を得るためにそこにあるものを加工する術を習得していったのじゃ。その結果、森は切り開かれ、水は濁り、空も狭くなった。人間の発展がもたらしたのは彼らにとっての豊かさと、精霊にとっての住みにくさじゃ」

「住処を追われた、ってこと?」

「端的に言えばの。そうして寄る辺をなくした精霊たちは互いに寄り添い、コミュニティを作った。当然、人間の身勝手で追い出された訳じゃ。いい感情を持っている筈もなく、さらにはそのコミュニティの近辺にまで人の手が入り始めたとき、ついに精霊は牙を剥いた」

「それがおよそ千六百年前の出来事だな」

「先史文明の崩壊……ですね」

「それからしばらくは人間も数が減って大人しくなっていたが、それから千年も経てば価値感も変わってくる。その上、精霊は人間より優位に立てることを知ってしまった」

 アリシエルは嘆くようにため息をつき、

「人間は精霊に与えられた恐怖を忘れ、また土地を拓き、そして、精霊は自らが優れた種族であることを知ったが故に傲慢になっていった者もいた。現在の過激派はその傲慢な思想を持つ輩が多く集まったコミュニティなんじゃよ」

 そう、言葉を締めた。

「つまり、文明崩壊をもう一度引き起こそうとしていると?」

「さて、な。集会の内容を聞く限り、そこまで大それたことは考えているようには思えなかったが……」

 アリシエルは難しい顔をして考え込む。

「焦らすな。続きを言え」

 カロンの催促に渋々頷き、

「最初の狙いはフロイスじゃ。しかも、魔法技術が最も盛んな都市。つまり――」

「グランベルが!?」

「そういうことじゃ」

 彼女の肯定でその場に重い沈黙が立ち込める。

 カロンは木片を弄びながらの思案顔。カエデも刀をぎゅっと握りしめて険しい表情をしている。

 正直、ユウはなにを考えればいいのか見当もつかなかった。戦争になるとしたら、それは守備隊の仕事だし、政治的な判断はそれこそ政治家の領分だ。

 魔法を習い始めの身でいったい何ができるというのか。

 沈黙を破ったのはカロンだった。手に木片を握りしめ、表情も険しく、

「とりあえず、このことは議長の耳に入れておく。そして私自身、防衛のための策と道具を用意しておく。アリス。お前はどうするつもりだ?」

「わしか? わしはそうだな……ひとまずは此処に留まろうかと考えている」

「そう、か……ならば、ここに泊まるのが最善か」

「そうじゃの。そうしてもらえるとありがたい。此処はあまり部外者が立ち入っていい場所ではなさそうじゃからな」

 カロンとアリシエルは早々にそんなことを言い交す。

 そういえば、カロンはアリシエルのことをアリスと呼んでいた。愛称かなにかなのだろうか。

「ユウ」

 名前を呼ばれ、カロンに顔を向けると、

「こいつもここに泊まるがいいか?」

「いいか、って聞かれても。そもそもあたしこそここに居候させてもらってるんだし、断るのはなにか変な気がするけど……」

「そんなことはなかろ? 汝はわしよりも先にここに住まわっていた。ならば、先住者として異を唱えるぐらいの権利はあるじゃろ」

「そういうもの?」

「ああ、そういうものだな」

 なにか納得いかなかったが、そもそも断る気もなかったので結局変わるところなどないのだが。

 それを口にすると、アリシエル、ことアリスは表情を綻ばせ綺麗に笑う。

「感謝するぞ」

「じゃあ、部屋の掃除?」

 するべきことで、ユウにできるのはそれぐらいか。そう思っての発言だったのだが、

「その仕事いただき――っと、先にただいまだったな」

 扉の開く音がして振り向くと、無精ひげを生やした長身の男がそこにいる。

「リック、お帰り。今日はちょっと遅かったね?」

「ちょいと書類の不備があってな。修正しに行ってた」

 リックは今年の四月からこの学園で体術の教師をすることになっている。本名はリチャード・コマロ。カロンを含め、知り合いからはリックと呼ばれている。

「よう、アリス。何年ぶりだ?」

 典型的なフロイス人の例にもれない茶の髪を掻きながらリックは気軽な様子でアリスに挨拶する。

「さあ、何年だろうかの。覚えておらぬ。しかし、汝も相変わらずの格好じゃな」

 よれたズボンに皺のあるシャツ。そして無精ひげ。お世辞にも清潔感があるとは言えないが、服装に関してだけ言えば見た目が悪いだけだ。

「三年、程じゃないか? 私が捕まっている間に会ったとすれば、の話だが」

「そのくらいか。お前がああなった後、すぐにこいつが訪ねてきたからな」

「様子を窺いに行っただけじゃ。勘違いするな」

「誰も何も言ってないだろ?」

 しまった、という顔をするアリス。その様子を見てにやりと笑うカロンは人が悪い。

「まあ、とにかく部屋の準備はオレに任せといてくれよ。今日はユウが食事当番だしな」

「あ、そういえばそうだった」

 アリスに出会ったことで、すっかり頭から抜け落ちていた。

「なんじゃ、今日は汝が作るのか。カロンだと思って少し期待しておったのじゃが……」

「む。それは聞き捨てならないよ。あたしだって、料理の腕はそれなりなの。なにせ、港の酒場で生まれ育ったんだから!」

「ほお。じゃあ、楽しみにしておこうかの」

 アリスがくすくすと笑う。その挑発には応えず、カエデに目を向け、

「カエデも食べてくでしょ?」

 そう問うと、彼女はしばし頬に指を当てて迷った後、首を縦に振った。

「そうですね。せっかくですから」

「よし。今日は腕によりをかけて作るよ」

「おう、楽しみにしてるぜ。んじゃ、オレは部屋の方やってくる」

 リックは一度手を洗ってから廊下の奥へと消える。

 ユウは保存してある材料からレシピを考え、下ごしらえを開始する。

 カエデが手伝いを申し出たので、最初は断ろうかと思ったが、せっかくなので手伝ってもらうことにして、料理を作る。

 カロンとアリスはというと、久々の再開ゆえか、旧交を温めているようで、邪魔をするのはよしといたほうが良さそうだった。

 普段見せない表情も旧友になら見せるようで、カエデもどこか興味深そうにその横顔を見つめていた。

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