第3話 魔法武技(アルティアム)①

 思えば、あの出会いはセシリアという魔法使い、正式には魔導師によって仕組まれていた出会いであった訳だが、ユウは彼の弟子になったことを後悔していない。それどころか、カロンは見ず知らずのユウに対して随分と親切にしてくれたように思う。師匠として魔法の勉強を見てくれたのはもとより、衣食住のすべてを惜しげもなく提供してくれた。生活水準としては、故郷の港町にいた頃よりも格段に上がっているだろう。そのせいで、若干太った気がしないでもないが。

 ユウが過去を思い返しながら惰性で歩いていたため、急にカロンが道を外れたのに気が付くのが遅れた。

 慌ててその背中を追い、横に並ぶ。道を外れた理由は前を見れば明白で、まだ遠くはあるものの、詰所と思われる建物が見えてきていた。振り返って元いた道を視線で辿ってみると、今歩いている野外演習場の外周に沿って大回りをしているのがわかった。

「さて……」

 それから十数分歩き、広大な野外演習場を横切った先にある建物の前でカロンは立ち止った。

「月乃、いるか?」

 木製の扉を叩きながらカロンが呼び掛ける。生徒が教官の名前を呼び捨てにするのはいかがなものかと思うが、カロンもツキノも気にした様子はないし、何よりも旧知の間柄というのが大きいのだろう。

 しばらく音がしなかったが、やがて、木製の床を固い靴底で歩く音が聞こえ、内側に扉が開かれた。顔を覗かせたのは目当ての人物であるツキノではなく、小柄な、ともすれば生徒よりも背の低い童顔の女性が顔を覗かせた。髪色は濃い茶色で、瞳はうぐいす色。

「足音が軽いと思ったらミリアだったのか。ツキノは?」

 いささか無遠慮なカロンの物言いだが、小柄な女性、ミリア・ハルメン魔法教官は気にした風もなくにっこりと笑い、

「もうすぐ来るわよ。ちょっと準備に手間取ってるだけだと思うから」

「準備?」

「ええ。もしかして、呼ばれた理由聞いてない?」

 カロンは無言で頷いた。ミリアは困ったように溜め息をつき、それから踵を返して中に入って行った。

「こら、ツキノ! いくらカロンくんでもちゃんと理由言わないと迷惑でしょ!」

 閉ざされた扉の中からミリアの声が響いてくる。思わずカロンとユウは顔を見合わせ、お互いに首を傾げた。

「私に迷惑が掛かる用事なのか?」

「さあ……あたしに訊かれても」

「それはそうだな」

 カロンはそっと溜め息をつき、頭を掻いた。しかし、いくらツキノの親友とは言え、ミリアがここにいるのは珍しい気がする。

 それから数分待たされ、ようやくツキノが姿を現した。

「いや、すまない。こちらも準備に手間取ってしまってね」

 口では誤っているが、表情は物凄く晴れ晴れとしている。高い位置で結った長髪が尻尾のように揺れていた。彼女は東方の半島に位置する桜花皇国の出身で、それを示すように髪と瞳の色は黒。だが、均整のとれた体つきは小柄な人が多い東方人とはかけ離れているように思う。

「で、何の用だ?」

 つっけんどんに問うと、ツキノは懐から懐中時計を取り出して時刻を確認し、

「もうすぐ着くころかな。そしたら説明するよ」

 そう言って、視線を演習場に向ける。ユウも釣られてそちらに目を向けると、何やら数人の生徒が歩いてくるのが見えた。

「来た来た。じゃあカロン、行こうか」

 カロンはツキノに背中を押されるままに歩き出し、その後ろをユウとミリアが続く。

 演習場には合計十人の人間がいた。カロン、ユウ、ツキノ、ミリアの四人と後から演習場にやって来た六人の男子生徒。体格がいいためか、ユウはやや圧倒されていた。

「で、用事っていうのはこいつらか?」

「ねえ、あんたが吹っ掛けてきたんだから、そっちから説明しなさい」

 ツキノが男子生徒たちの中心に立っていた一際体格の良い人物に声を掛けると、彼は一歩前に進み出て、

「オレたちは魔法武技(アルティアム)を専門的に習得している同志でな、一つツキノ教官に手合せ願いたいと思ったのだが」

 そこで言葉を切ってツキノとカロンを交互に見遣る。

「どうしても手合せしてほしかったら、弟子を倒してからにしろ、と言われたのだ」

 カロンの眉がぴくりと動き、目だけを動かしてツキノを見る。

「何時、私は月乃の弟子になった?」

「いやー、同門の弟弟子なら私の弟子も同然だろ? だからと思ってな」

「全然違うと思うがな。まあいい」

 軽く溜め息をつき、それから男たちを臆することなく見回して、

「要するに、私がお前たちに負けなければツキノの体面は保たれるということか。久しぶりに体を動かすのも吝かではないし、引き受けてもいいが……ルールはどうする?」

 問いかけはツキノと男たちの双方へ。

 魔法武技(アルティアム)は簡単に言えば魔法を使った戦闘競技のことだ。

 ツキノを交えて数言言い交わすと、男たちとカロンは離れて立つ。

「じゃあ、代表選ということで、そっちの代表がカロンに勝ったら、私が直々に相手してやる。負けの診断は戦闘続行が無意味と私が判断した場合と降参を認めた場合だ。双方、それで構わないな?」

 全員が無言で頷いた。ユウはミリアに促がされ、演習場の戦闘区域外に出る。

 六人が輪になって代表を誰にするかを話し合っている。その間、カロンは手足をぶらぶらと動かしたりして、体を解している。

「武器とかって使わないんですか?」

 そう問うと、ミリアは首を横に振って、

「普段は使うよ。でも、二人とも格闘主体だから、あんまり武器は使わないかな」

 そうこうしている内に、代表が決まったらしく、一人の男が進み出て来た。彼は先ほどカロンに対して今までの事情を説明していた一番体格の良い男だった。残る五人はユウたち同様戦闘区域外に出る。それを確認したツキノはミリアに合図を送り、彼女はそれを受け、

“――風地火水、四属の理を以て境界と為し、如何なる物をも阻み、我等を守護し給え。Grenze”

 跪いて、戦闘区域とこちらを区切る線に手を触れると、翠、橙、紅、蒼の四色の光が線上を走り、再び円を描いて戻ってくると、一瞬戦闘区域内の様子が歪んで見えた。

「ツキノ、これで大丈夫よ」

「ありがとう。では、始めようか」

 カロンと男は少し距離を置いて向かい合い、ツキノはその二人の間に立って右手を挙げる。

「二人とも、武器はいいのか?」

「……そもそも用意してない」

「いらぬ」

 前者がカロンのぼやきで、後者が男の決然とした声。ツキノは肩を竦め、それは悪かったとカロンに言う。

「まあ、なくても負ける気はしない。早速始めよう」

「オレとて負ける気はない。ツキノ教官、合図を」

「やる気は十分っと。じゃあ」

 ツキノの目がすっと細まり、両者が軽く身構える。

 ユウは静寂を感じた。ぴんと張りつめた空気がそう感じさせているのだと気付いた瞬間、ツキノの手が鋭く振り下ろされた。

 男が牽制するように一歩前に出る。カロンはそれに対して一歩後ろへ。両者の距離は差し引きゼロ、目立った動きはない。男の方は視線が目まぐるしく動き、カロンの隙を窺っているようだが、カロンはじっと相手の表情を見据えている。

 数瞬の間の後、先に動いたのは男の方だった。いくら窺っても隙を作らないカロンに対し、自ら動くことで戦局を変えようとしたのか。

 その巨体に見合わぬ速度で迫り、拳を振り抜く。それはカロンは受けようとはせず、身を回してそれを避け、さらに回転の勢いを利用して踵が男の首筋を刈る。

 一瞬、男の体が沈みかけたが、寸でのところで気を持ち直し、大地を力強く踏み締めて体を支えた。

 カロンは身軽に後ろへと跳び、距離を取り直す。その間に男も体勢を立て直し、再び構え直す。

 今度踏み込んだのはカロンだった。低く、滑るように男へ迫る。全身のバネ使って身を跳ね上げ、掌底が顎を確実に捉えた。地面から足が離れ、巨体が浮いた。そして、鋭く身を回し、さらに肘を胴へと叩き込まれた。男の身がくの字に折れ、肺の中の空気が漏れる。

 だが、カロンは攻撃の手を止めなかった。右手が空中にまだある男の体に差し伸べられ、掌が胸に置かれる。

“――遍く大気よ、我が手に集いて爆ぜよ。”

 魔法陣が瞬時に展開し、その直後に爆発音がして男の体が重さを無視したような勢いで吹き飛ぶ。

 数回地面を跳ねてからさらに数メートルを転がって男の体はようやく止まった。いくらなんでもやり過ぎではないだろうか。そう思ってユウがおろおろしていると、そんな心配は余所に、男は顔をしかめながら立ち上がった。

「どうやら、オレではまともに太刀打ちできないのか。では、玉砕覚悟で行くしかない」

 男は着ていた上着を脱ぎ捨てると、全身の筋肉を隆起させた。縄のように盛り上がる筋肉が彼の体を大きく見せる。

“――我が骨肉に滾るは大地の加護。そして、我が四肢に宿すは荒ぶる獣の爪牙。我、大地を駆りて獲物を屠る者。Theriomorphosis!”

 足元に展開した魔法陣は浮き上がり、足元から頭の先までを通過していく。魔法陣が通り過ぎた後の体は人のものとは思えない程筋肉が増大し、手足の指先には長大な鉤爪が備わっている。

「獣化か。まさに肉体が武器という訳だ。面白い」

 この間に攻撃すれば倒すのも容易いだろうに、カロンは楽しげに声を上げ、構えを解いた。

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