第2話 魔法街の今

 法歴一四九二年六月。ユウはグランベルの堅固な城門をくぐった。

 ユウは内側から城壁を見上げ、そこに施された魔法陣(エグゼンプラー)を凝視するが、知識のない彼女には難解な図形と文字の固まりにしか見えない。それを残念に思いつつ、しかし、希望に満ちた瞳で魔法陣を目に焼き付け、その場を後にした。

 ユウの格好は基本的には茶色のマントに革のブーツという、いたって普通の旅装。だが、彼女が背負う荷物は観光旅行にしては多く、鞄がパンパンに膨らんでいる上、入りきらなかった荷物は紐で括られたりぶら下げられたりしている。中には鍋などの金物もあり、彼女が歩くたびにそれらがぶつかって騒々しい音を立てているせいで衆目を集めている。

 ユウは手にした古びた観光地図を見つめる

「こっちでいいはずなんだけど……」

 地図の通りに進んでいるはずだが、なにぶん、地図そのものが古い。目じるしが描いてあっても、実際には目じるしがなかったり、あったとしても場所が移っていたりして、簡単には目的地にたどり着くことはできない。苦労してさまようこと一時間強。ようやく地図の目じるしと符合するところにたどり着き、努力が報われたと少女が喜んだのは束の間。

「なによ、これ……」

 驚きに瞳が見開かれる。期待していた光景に、ではない。観光地図に描かれていた光景との落差ゆえだ。絵に描かれたような雑多な賑わいはおろか、人っ子一人見当たらない。その上、通りは薄暗く陰っており、雰囲気があるといえば聞こえがいいが、実際は空気が湿っており、路地裏に迷い込んだのではないかと少女に思わせた。

「間違えた……わけじゃないみたいね」

 もしかして、と思って視線を向けた先には傾いだ上に半ば腐った木看板がある。そこにはかすれた、しかし、読み取ることが可能な字で『魔法街本通り』と記されていた。

 なんの冗談だと、少女は観光地図の絵と通りを見比べてみるが、その落差は埋まるはずもなく、むしろ、現実を突き付けられただけであった。

「移転?」

 その可能性はなくもない。なにぶん、彼女の手にした観光地図は古いものであり、記された情報が古いものであるのは言うまでもない。ならば、魔法街自体が移転した可能性も十分にあった。

 どうしたものかと思考を巡らせていると、通りに面した扉が軋んだ音を立てながら外側に開かれ、顔から足元までを黒衣で包んだ人物が姿を現した。

 旅行者がこのような路地裏のような場所に用があるとは思えないし、現地の人なのだろうが、随分と怪しい風体だ。

 彼か彼女かは不明だが、こちらの視線に気が付いたのか緩慢な動きでこちらに顔を向け、そして首を傾げる。

「旅行者らしいが、このような所に何用だ?」

 問う声は柔らかくも芯の通った男のものだった。ユウはその人物に若干の警戒心を抱きながらも、

「魔法街って……ここですよね?」

 恐る恐る問うが、彼はしばし黙り込み、視線だけがユウの全身を舐めるように見た。それから数秒してからようやくといった感じで、

「ここだった、と言うのが正しいな」

 そう告げ、顔を隠していたフードとその下の口布を外す。見えた髪色は薄暗いせいで最初は黒に見えたが、よく観察すると色の濃い紫だということがわかった。瞳は氷雪を思わせる淡青色。切れ長の目と合わせて怜悧な印象を受ける。

「魔法街はすでにこのような廃墟になってしまった訳だが、ここに何か依頼でもしに来たのか?」

「あ、そういうんじゃなくて……」

 しかし、初対面の人間にいきなり理由を言うのも憚られ、ユウは俯いて口籠った。

 男も急かす訳でもなく、ただ俯いたユウの頭を見ているのがなんとなくわかった。

 理由を言うべきか逡巡した。だが、結局動かなければ状況は変わらないのだと考え、顔を上げ、

「あの」

「なんだ?」

 ユウが声を発すると、即座に男が応じる。ユウは息を吸って心を落ち着けてから、

「あたし、魔法使いになりたいんです。それで魔法街に……」

 言葉が尻すぼみになる。

 男が近付いてくる。遠目からでもでも整っているとは思っていたが、近付いて、さらに目を覗き込まれてユウは思わず頬を赤くした。

「それは本気か?」

 間近での問いユウは言葉ではなく、首を振ることで答える。男はすっと体を離すと、

「なら、私の弟子になってみる気はないか?」

 そう、意地の悪そうな笑みを浮かべて彼は言った。ユウは呆然とし、そして、反射的に頷いてしまった。

 それが黒衣の魔法使いカロン・F・イルナリスとの出会いだった。

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