精霊廟編

第1話 教員詰所へ

 ユウこと、ユーロシア・アルコットは前を歩く黒衣の青年、カロン・F・イルナリスの背中を追う。歩く動きに合わせて緩く波打つ明るい栗色の髪を飾る青いリボンが風に踊り、どこか楽しげだ。そう思わせるのはそれだけでなく、澄んだ空のような蒼の瞳は期待に輝いている。

「ねえ、カロン」

 前を歩く恩人でもある青年に声を掛けると、彼は振り返らぬまま、

「何だ?」

 と、憮然とした声で答える。

 ユウは少し早足で彼の横に並び、その横顔を見つめる。ユウの背は平均的だが、彼の方がやはり背が高いので、見上げる形になる。

 髪色は黒に近い暗紫。染めている訳ではなく、地毛だというから驚きだ。そして、瞳は北方の氷雪を思わせる淡青色。だが、ユウはカロンが冷たい人間でないことを知っている。

「どこに向かってるの?」

 別に付いて来いとは一言も言われていないが、不機嫌な顔で闊歩するカロンの姿を見付け、思わず付いて来ている次第ではある。しかし、どこに向かっているのかさっぱり見当もつかない。目的がわからないのももちろんだが、それ以上に土地勘がない。

 ユウたちが歩いているのはフロイス市議会連邦に属する市、グランベルに設立されたトライ・クローチェ魔法学院の広大な敷地の一角だ。土地勘がないのは当然で、ユウは昨日ようやく学院の寮へ荷物を運び込むために来たばかりの新入生。

 カロンはというと、彼の場合は新入生というとやや語弊がある。確かに、今年新たに入学する訳ではあるが、実を言うと四年前に在籍していて、退学になったことがあるらしい。退学の理由を詳しく敷いたことはないが、カロンの両手首をつなぐ鈍色の鎖を見れば、結構重大なことをやったのは推測できる。

「……教員詰所だ」

 視線だけをユウに向け、言葉少なに答えたカロン。ユウは教員という単語を聞き、そして、ある程度の理由に思い至った。

「ツキノ教官に呼ばれたの?」

「ああ」

 当たっていたらしい。即座に頷きを返したカロンは眉間に寄ったしわを黒い手袋に包まれた指で解し、

「用事があるから来いと、式神を寄こされた」

「式神……って、東方で無機物の使役に使う魔法だっけ?」

「そうだ」

 ユウは入学前にカロンに散々仕込まれた知識の中から該当するものを引っ張り出すと、カロンが正解を告げる。ユウはそのことがなんだか嬉しくて頬を緩ませるが、カロンの不機嫌そうな顔を見て慌てて表情を引き締める。

「でも、わざわざ魔法を使ってまで呼ぶからには大事な用なんじゃないの?」

 一応言ってみるが、ユウよりも遥かにツキノの人となりを知っているカロンは首を振り、

「あいつの用事で本当に大事だった場合、自分で出向くさ。そうでない以上、下らない雑用と推測できるからな」

「ああ……」

 ツキノとは二ヶ月程度の付き合いだが、カロンの言わんとしていることは理解できる気がした。だから、曖昧な答えを返し、苦笑して見せる。

 カロンはそんなユウの表情を横目で見て、いつまでも不機嫌になっていても仕方ないと判断してか、唐突に話題を変えた。

「入学そのものはまだ先だが、ここには慣れそうか?」

「う~ん……まだ着られてるって印象が強いから不安だけど、カロンたちがいるし、大丈夫だと思うよ?」

 自分で言う通り、支給された黒を基調とした制服はまだ馴染まない。体に、というよりは、心がまだここにいるという実感を得ていないのが半分と、期待のあまり浮ついてるのが半分といったところだ。

「まあ、お前ならどこにでもすぐに慣れるだろうが、何時までも私たちにべったりという訳にも行かないだろう? ただでさえ、お前の立場は微妙なんだから」

「立場ね……」

 まあ、カロンの言うことももっともだとは思う。彼に叩き込まれた知識のおかげで入学試験は断トツの成績で通過出来たし、それ以前にこの黒衣の魔法使い・カロン・F・イルナリスの弟子という立場がある。カロンの有名さは退学の件もあるにはあるが、それ以上に、屈指の魔法使いとしての有名さがある。

「でもさ、カロンだって一から入学し直しなわけだし、そこまで気にする必要ある?」

「気にしないというお前の神経に驚嘆を覚えるよ。周りを見てみるといい」

 溜め息をつかれた。ユウはむっとしてカロンに言い返そうとしたが、言われたとおりに周囲を見回すと、多くの視線に気が付く。

「あー……」

 意味もなく呟いてみる。言われてようやくわかったのだが、すれ違うほとんどの人たちから視線を向けられていたのだ。無論、制服でない黒衣を纏ったカロンに向けられるものも多いが、少し意識すればユウ自身にも向けられている視線もかなりのものだとわかる。

 急に意識したからか、急に恥ずかしさが込み上げてきた。足早に歩くカロンの横にぴったりと並び、俯き加減になる。

「カロンって、普段からこんなに注目されて大丈夫なの?」

 視線を実感として得たことにより、いつも平然としているカロンの態度が逆に気になった。

「最初は流石に戸惑いもしたが、いちいち気にするだけ馬鹿らしいと思うようになった」

「じゃあ、あたしもすぐに慣れないとね……」

 気合でどうにかなる話ではないだろうが、心構えをするに越したことはない。

 だが、それにしても遠い。かなり速いペースで歩いているにも関わらず。目的の建物らしきものは一向に見えてこない。

「教官詰所ってそんなに遠いの?」

「月乃は魔法武技(アルティアム)の教官だからな。敷地の端にある野外演習場の横に詰めている。遠いのも当然だろう」

「ああ……」

 入学の案内に同封されていた敷地の地図を思い浮かべ、端の方にそのような施設があることを思い出した。

「でも、魔法武技(アルティアム)って、守備隊に必要な教科じゃないっけ? なのにそんなに端っこなの?」

 魔法学院の生徒は大きく分けて三つの進路がある。一つ目が市直轄の研究所の研究員。ここが一番の花形と言われている。二つ目は、学院の教官となる道。地道な職ではあるが、他者に教えなければならない性質上、かなりの知識と経験が必要となるため、実力は研究員よりも上である場合も多いそうだ。そして、三つ目が守備隊への配属。軍という組織形態を持たないフロイスにおける唯一の武装組織だ。当然、戦争が起これば派兵され、普段も国境の警備や各市街の警邏に当たっている。

「一番派手だからだ」

「派手?」

 カロンの答えはユウには理解しづらいものだった。ユウにとって魔法はそもそも華々しい。言ってしまえば、派手なものであるので、それをわざわざ派手と言い表したことに首を傾げた。

「お前が実際に見た魔法はセシリアのものがほとんどだろうから、派手なのが当然と思っているかも知れないが、実際はもっと地味なものだぞ? あいつはいちいち派手好きなんだ」

 言われて、人生初の魔法経験を思い返してみれば、確かに必要以上に派手だった気がしないでもない。

 この一年でカロンが日常で使った魔法はどちらかというと他の道具でも十分に代用可能な範囲だったため、確かに華やかな印象はなかった。だが、ユウの感想としては、カロンの魔法の使い方というのは物凄く洗練されているように見えた。無駄がない、というのだろうか。

「で、魔法武技(アルティアム)は魔法効果と共にいかに相手を怯ませられるかという心理影響を考慮して見た目が非常に派手になりがちだ。つまり、そんな魔法を研究者志望の生徒が繊細な魔法制御をやっている真横でやったらどうなる?」

「邪魔……だね」

 ただでさえ研究職は花形。優先順位としては当然なのかも知れない。

「でも、いちいち移動が面倒だよね、この学院って」

「最初だけだろ、そう思うのは」

 素っ気なくカロンは言い、それきり口を閉ざした。

 黙々と歩くユウとカロン。カロンは全く気にした素振りも見せないが、相も変わらず新入生のみならず、上級生からも無遠慮な視線を向けられ、ユウは身を小さくした。

 そういえば、カロンと出会ったのは去年の六月だったか。ユウはその時のことを思い返した。

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