第32話

 凌介は男達に囲まれたまま、病院の通路を歩いた。イルハンが「スフィア」と呼んだ男が先頭を歩き、軍服の兵士四名が凌介の前後左右を囲んでいた。彼らは皆、銃を所持していたが、病室を出る際に凌介が武器を所持していないことを確認すると、それからは銃を突き付けることはしてこなかった。軍服の上からでも鍛え上げられた肉体であることがわかり、たとえ一人であったとしても、彼らにとっては凌介をねじ伏せることなど造作もないことのように思われた。

 「俺をどこへ連れて行くんだ?」

 「黙って付いてきな。後でじっくり話を聞いてやる。ここに来た目的や、君の頭や足について洗いざらい話してもらうよ。その後で、君がこれからどうするべきかを教えてやろう」

 スフィアは凌介に背中を向けたままで答えた。凌介はその背中を眺めながら、彼らにどこまで話すべきかを考えた。

 ——ゴダリア軍の兵士のようだが、望み通りに正直に話せば解放してくれるのだろうか。イルハン博士の話では、ゴダリア軍はニューロ・アイの開発に関わっていた。そして、開発に関わっていた森田さんは行方不明になった。テロの後、ニューロ・アイの手術に立ち会えていたにも関わらずだ。ゴダリア軍と森田さんの行方不明は関係が無いのだろうか……

 凌介達は病棟間をつなぐ渡り廊下に出た。渡り廊下の左右の窓は開放されており、風が吹き抜けるようになっていた。凌介達が歩いているフロアは病棟の三階に相当し、左側の窓からグラウンドを見下ろすと、兵士が隊列を組んで行進している様子が見えた。

 「おい、何をキョロキョロしているんだ?」

 先頭の男が尋ねてきた。だが、彼は凌介には相変わらず背中を向けたままだった。

 前を向いたままでなぜ自分の様子がわかるのかと、凌介は不思議に思いながら男の後ろ姿を観察していると、男が装着しているネックバンド型の機器の背中側にカメラのレンズがあることに気が付いた。そして、凌介はマリオンに到着した日にマリオン軍幹部に聞いた背中に目を持つ男の話を思い出した。右手の義手は三百六十度曲がる、名前はスフィア……男の容姿と名前はNESのリーダーのものと一致していた。

 ——こいつらはNESじゃないか!?

 そう思うと同時に、凌介は兵士を飛び越えるようにして通路の左側にある窓枠の上に乗り、そこから外へと身を投げ出した。落下実験は何度も経験しているが、視界がある状態で飛び降りるのは初めてであった。徐々に速度を増して迫って来る地面に恐怖を感じながらも、ひるまず両足をつき出すと、義足が衝撃を吸収してくれるおかげで緩やかに着地することができた。凌介は義足の性能を初めて肌で感じた気がした。

 三階の兵士達は唖然あぜんとしてしばらく落下する凌介の様子を眺めていたが、無事に着地したことがわかると、銃を取り出した。だが、凌介が着地すると同時にダッシュしたため、彼らは凌介に照準を合わせることはできなかった。凌介は、後方で聞こえる銃声と怒号には振り返りもせず、ただグラウンドを囲む外壁に向かって全力で走った。

 凌介は義足で走る速度を視界で感じることも初めてであった。時速にすれば約六十キロ、生身の身体では恐怖を感じずにはいられない。前方にいるマリオン軍兵士が銃をかまえて凌介を静止しようとしたが、兵士が銃を向ける前に、凌介は兵士の頭上を飛び越えた。誰も凌介を止めることはできなかった。そして、凌介は外壁が近付いても速度を落とさず、そのままの勢いで、最上部にある鉄条網まで一気に飛び越えた。

 基地の外に出ると、凌介は周囲を見回して剛の車を探したが、エムズ・ストアらしき店舗は見当たらなかった。

 ——剛の説明では、エムズ・ストアは基地の東側にあるはずだ。東はどっちだ?

 凌介は上空を見上げて太陽を探した。南半球の昼間なら太陽の方向が北になる。そして、太陽を見つけたときに凌介は軽い違和感を感じた。昼間の太陽を直接見ても全く眩しさを感じないのであった。おそらく、ニューロ・アイが明るさを調整しているものと思われた。他にもかつて肉眼で見ていた頃の景色とは異なる感覚があった。遥か遠方にある建物にも焦点が合い、目を見開くような動作をすると、それに合わせて、焦点の合った建物が拡大された。まるで双眼鏡を付けているような感覚で、遠くのものを見ることができるのであった。

 そうして太陽の方角を頼りに基地の東側まで出ると、ようやく遠方にエムズ・ストアの看板が見えた。そして、エムズ・ストアの看板の手前にある駐車場に視線をやると、ニューロ・アイの焦点が移動することにより、緑色の日本車に乗った男の顔をはっきりと確認することができた。やや顔が丸くなっているが、剛に間違い無かった。凌介は義足の力を借りているとはいえ、全力で走り続けてすっかり息が上がっていた。銃声はもう聞こえなくなっていた。ゲートの方を眺めても、新たな追手が出てくる気配は無かった。凌介はようやく安心し、走る速度を緩めて車の助手席へ向かった。そして、倒れるようにして助手席に乗り込むと、剛が驚いて声を上げた。

 「おい、どうしたんだ! 大丈夫か!?」

 「ハァ……剛……ハァ……ちょっと、太ったな」

 「何だって? お前、ひょっとして、見えるようになったのか?」

 「ハァ……ハァ……イル……博士が……イルハン博士が……目を、くれたよ」

 凌介は助手席に残したままのすっかり温まったペットボトルの水を一口飲み、何とか声を絞り出した。

 「とにかく……早く、車を出して……そして、ゴダリアを出よう」

 それだけ言うと、凌介は意識を失った。

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