第33話

 凌介が助手席で目を覚ましたとき、車は間もなくザベル国際空港の駐車場に入ろうとしていた。

 「よかった……このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思ったぜ。もう大丈夫か?」

 剛は、起き上がった凌介を運転席から一瞥いちべつして言った。

 「ああ……今は何ともない。追ってくる車は無かったか?」

 「ああ。お前に言われて車をかっ飛ばしたんだが、何も来やしなかったぞ。むしろ、退屈で俺も眠りそうになったぐらいだ。お前、基地で何をやらかしたんだ?」

 そこで凌介は病院で目が覚めてから脱出するまでの一部始終を剛に話した。

 「そいつはヤベエな。ゴダリア軍はマリオンの基地にもいるんだぞ。この話も、もう伝わっているかもな」

 「ああ。だが、この件を公にして困るのはゴダリア軍かもしれない。アイツら、基地にNESのリーダーを入れてたんだぜ。俺達ですら入れてもらえなかったのに。それに、俺に発砲してきたんだぞ」

 「それは突然お前が逃げ出したから威嚇いかくしたと言うんじゃねぇか」

 「そうかもな。こっちも何か言われたら、ビルから落下したところをゴダリア軍に助けられたが、怖くなって逃げ出した、と言うことにしよう。もし治療費を請求されれば、払うがね」

 「NESの話なんかは、お前が何を言ってもしらを切るだろうな。証拠があるわけじゃねぇし。だが、基地では何も無かったことにした方がゴダリア軍には都合がいいかもしれん」

 「ああ。彼らは他にも隠していることがありそうだよ」

 「だろうな。しかし……そのゴーグルで本当に見えるんだな? まだ信じられねぇ」

 「それは俺も同じだよ。昔、見えていたように、普通に見えるんだ。明るさも色もわかる。物が見えることがこんなに不思議に感じるなんてな……昔は何も思わなかったのに」

 「……よかったな」

 少し下を向いてそう言った友人の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように凌介には見えた。

 「剛、ありがとう。お前が俺の話を信じて協力してくれたおかげだ」

 「何だ、水臭え……俺にも借りがあるからな。だが、今日みたいな茶番はもうゴメンだぜ」

 「俺も二度とやりたくないよ」

 「ったく、さてと、そろそろ手続きしねぇと帰れなくなっちまうな。行こうぜ」

 彼らはレンタカーを返すとマリオン行きの飛行機に乗り、その日の夕方にマリオンの軍事基地に戻った。

 軍事基地に戻ると、介助無しで歩き回る凌介を見て出会った隊員は誰もが驚いた。凌介は彼らにはニューロ・アイの詳しい話はせず、とにかく新しい装置を手に入れたことだけ説明することにした。

 「ゴダリアに行って、最新の視力矯正装置を手に入れたんです。そうしたら、突然見えるようになったんです。いやあ、さすがゴダリアは進んでいますね」

 このように説明したが、ゴダリアの医療機器が世界でも最先端であることは広く認知されているため、特に疑いを持つ者はいなかった。

 凌介は、宿舎の部屋に戻ると、イルハンに教わった手順でニューロ・アイの使い方を調べることにした。ニューロ・アイには様々な種類のカメラが搭載されており、スイッチの操作によって、映像を切り替えることができた。また、素早くまばたきを繰り返すような動作を五回繰り返すと、ニューロ・アイがこの動作を読み取り、普通のデジタルカメラのように映像を画像データとして残す、フィフス・ブリンクという機能もあった。この機能で生成された画像データはワイ・ビーのネットワークを経由し、サーバーに送られる仕組みになっているとマニュアルの動画は説明していた。

 ——これは森田さんのサーバーに画像が届いていたのと同じ仕組みではないだろうか。

 凌介は久しぶりに大学に連絡を取ることにした。せっかく見えるのだから、と凌介はスマホのビデオチャット機能を使って永井に電話をかけてみた。日本はもう深夜になるが、夜型の永井はいつもであれば、まだ大学にいる時間であった。

 「あっ、早瀬サン、お疲れっス。ひょっとして、見えるようになったんですか?」

 「えっ!? ああ、君のピアスまではっきりと見えるよ。でも、なぜ俺が見えるようになったとわかったんだ?」

 「だって、わざわざビデオチャットでかけてきたってことは、そういうことなのかな、と思って。でも、よかったっスね! そのゴーグルが映像を送るやつですか?」

 「ああ、そうだ。ニューロ・アイと言って、ここの映像をリアルタイムに脳内の受信装置に送っているんだ。例のワイ・ビーの通信はこのメンテナンスに使われていて、定期的に映像が送られるらしいんだ」

 「ニューロ・アイ、ですか。やっぱマジでそんなものを作ってたんですね。スゲェな。日本に帰ったら、じっくり見せてくださいよ」

 「ああ。ただ、分解はしないでくれよ」

 「ヘヘッ、わかってますよ。そう言えば、ワイ・ビーの通信ログなんですけど、俺からも報告があるんですよ」

 「何だい?」

 「まず、通信拠点なんですけど、これまで四箇所だったのが、このところ三箇所になっていました。それが、今日になってまた四箇所に戻ったんです」

 「ああ、それはたぶん、このニューロ・アイの持ち主が亡くなったから減ったんだ。増えたのは、今日、俺がそれを引き継いで装着したからだな。こっちはワイ・ビー・ツーの衛星通信網ができていて、どこでもワイ・ビーがつながるんだよ」

 「へーえ、マリオンも随分便利なところになったんですね。じゃ、もう一点。こっちの方がヤバイんですけど、全ての通信拠点に送られるワイ・ビーの映像が解読できるようになりましたよ」

 「何だって!? どんな映像だったんだ?」

 「何というか……ほとんどは兵士の映像ばかりです。面白いものや興奮するようなものは何も無いですよ。銃を持った子供とか、気が滅入りそうになります。一箇所はずっと病室のようですなんですが、壁に何だかよくわかんない絵が貼ってありました。尻尾を飲んだ蛇みたいな。もう一箇所には、上空からの映像がありました。そういや、今日の映像で、早瀬さんが映っているものがありましたよ。兵士に囲まれて」

 ——ゴダリア軍基地で連行されたときのものだ。あのスフィアという男が首に付けていたのもやはりニューロ・アイだったのか。盗み見は気が引けるが、映像を調べれば奴の動きがわかるかもしれない。

 「詳しくは話せないけど、今日はいろいろあったんだ。ついさっき、俺のニューロ・アイから送られてきた映像がなかったかい?」

 「それはさすがにチェックしていないですね。リモートでつなぎますから、ちょっと待ってください。映像が送られてくると、暗号が解かれて保存されているはずです」

 永井はキーボードを素早くタイピングし始めた。

 「そこに、こっちの部屋の写真が送られていないかを確かめてほしいんだ」

 「えーっと……ああ、たしかに。ベッドと水色のカーテンが写ってます。何でこんなもの撮ったんです?」

 「やはり想定通りだな。ニューロ・アイには素早くまばたきすると、写真を送る機能があるんだよ。ただ、どこに送られるのか説明が無くてね」

 「なるほど。それにしても、殺風景な部屋ですね。ベッドも寝心地悪そうだなぁ」

 「ホテルじゃないからね。その暗号を解いた画像だけど、他の拠点の分も合わせて俺のメールアドレスに送られるようにしておいてくれないか。森田さんが映っているかもしれないし、それ以外の映像だって森田さんを探す上での手がかりになるかもしれないんだ」

 「了解です。森田さん、見つかりそうなんですか?」

 「いや、まだ居場所はわからない。ただ、ニューロ・アイが関係しているのは間違い無さそうだ。ところで、他には誰か残っているかい? 深川先生はさすがにもう帰宅されたかな?」

 「深川先生はもう帰宅されましたね。この時間だと、もうお休みになっているかもしれません。最近、夜は早いそうですから。そうですねぇ……アイちゃんなら、すぐ傍にいますけど。彼女、今締め切りに追われてるんですよ」

 「へえ、珍しいな。じゃあ、替わってもらえるかい」

 凌介が待っていると、しばらくして、まつ毛のパッチリとした若い女性がビデオチャットに現れ、甲高い声を上げた。

 ——これが……アイちゃん?

 「早瀬さん、お久しぶりです。視力が戻ったって本当ですか?」

 「えっ!? ああ、視力が戻ったというか、このゴーグルのおかげで見えるようになったんだ」

 「そうなんですかぁ。でも、よかったですね」

 「そうだね……ありがとう……ございます」

 「何か……早瀬さん、今日、ちょっと変ですね」

 「そうかい? ちょっと久しぶりに見えるようになって困惑気味なんだ。アイちゃんだって、俺にとっては初対面のようなもんだよ」

 「そう言えば、そうですね。アハ、ちょっと想像と違いました?」

 「まぁ、そうだな……俺といるときは化粧に気を遣わないで済むとか言ってたじゃない? まさか、こんなばっちりメイクしているとは思わなかった」

 「えーっ、これぐらい普通ですよ」

 「そうなのか。ごめん、俺のファッションは四年前で止まっているから。ところで、義足のスプリング制御なんだけど、今日は最大レベルの収縮制御を何度もやったよ。後でデータも送るけど、正直、ここまで自由に動けるとは俺も思っていなかった」

 「えっ、そうなんですか」

 「ああ、ビルの屋上から飛び降りたり、鉄条網のある塀を飛び越えたりしたんだけど、全く問題なかったよ」

 「……そんな機会があったんですか。ちょっと想像つかないですけど」

 「まぁ、詳しいことはいつか話すよ。でも、アイちゃんのスプリング制御プログラムが無ければ、俺が視力を取り戻せることも無かった。とりあえずお礼を言うよ。ありがとう」

 「はぁ……どういたしまして。やっぱり早瀬さん、今日、ちょっと変ですね」

 その後も凌介は久しぶりに日本にいる学生達何人かと電話で話をした。だが、両親には電話をすることができなかった。

 ——見えるようになったと言えば喜ぶだろうが、親父からはいろいろ追及されそうだ。それに、親父には任務を果たすと言ったものの、俺はまだ森田さんを見つけてはいない。

 イルハンの話では、森田はテロの後、鉱山病院にいたということであった。だが、鉱山病院は今はNESの支配下にあり、訪れることはできない。明日、剛と今後の捜索の計画を立てることになっているが、ニューロ・アイに関わった人間を探し当てられたとしても、機密事項として扱われている以上、新たな情報を聞き出すのは難しいように思われた。

 機密事項を知っている可能性があって俺が頼れるのはこの人だけだ——凌介は、剛が持っていたサイードの名刺を借り、電話をかけ始めた。取り次いでもらえるか不安であったが、意外にもサイードはすぐに電話に出てくれた。凌介は、ゴダリア軍の軍事基地内にある病院に搬送されたこと、そこでニューロ・アイと呼ばれる装置によって視力を取り戻したこと、スフィアというNESのリーダーがいたこと、ニューロ・アイから収集された画像が日本のサーバーに蓄積されていること、全てをサイードに伝えた後、鉱山病院についての情報提供を求めた。

 「ゴダリア軍の基地にスフィアがいたとは驚きですな。いかがでしょう……急で申し訳ありませんが、明日の朝、事務所に来て頂けませんでしょうか。ニューロ・アイに関して、医療科学省の人間にもご説明頂きたいのです。鉱山病院のことはそれまでにこちらで調査しておきますから」

 サイードは、凌介が想像していた以上に関心を示した。

 「ぜひお伺いしたいのですが、私の一存では決められません。可能でしたら、マリオン政府から自衛隊の方に書面を頂けませんでしょうか」

 「わかりました。ただ、ゴダリア軍の目には触れない方がいいでしょうな。詳細については伏せておきましょう。あなたも軍事基地のことは口外なさらないようにお願いします」

 この電話の直後、マリオン政府から自衛隊に公式な訪問の依頼文書が送られてきた。凌介はテストを兼ねて、ニューロ・アイのフィフス・ブリンク機能を使い、素早く五回瞬まばたきをして文書の写真を撮ってみた。永井が正しく設定できていれば、凌介のスマホに写真が転送されてくるはずであった。すると、一分も経たずに、写真が転送されてきた。スマホで写真を撮るより簡単だ、と凌介は思った。日時と場所の書かれた文書を撮影すればメモ代わりにもなる。

 そして、その晩の軍事会議では、凌介達がサイードの事務所へ向かうことが認可された。

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